第28話 救出②
港から離れた粗末な家で軟禁されているハリエットとエリカ。そんな中でもエリカは成長していき、服も小さくなっていった。
ハリエットはジェニングスの仲間を通して布や針などを調達し、孫のために服をいくつか縫った。軟禁されてるというだけでそうした自由があり、衣食について制約がなかったのは救いだった。
「父さんや母さんはいつ迎えに来るの?」
エリカは見張りの男たちに叱られるのが怖くてあまり泣かなくなった。環境に慣れてきたのだろうが、それでも両親の愛情を受けることなくここまできてしまった影響は大きい。言葉で『父さん・母さん』と言っても恐らく顔を覚えていないだろう。遊びたい盛りであったが外に滅多に出られず、周りは大人ばかりで、関わりを持つのはハリエットぐらいだ。不憫に思うハリエットは知っている限りのわらべ歌や昔話を聞かせたり、ジェニングスの手下がもってくる新聞(彼らは文字が読めないので何かニュースがあればハリエットが読んで説明することがあった)を読んでやったりした。おかげでエリカは知識の吸収がはやく、幼いながらも文字や言葉を覚えていく。
だがやはり子どもである。本当なら外で走ったり広い空や海を見たりしたいのだろう。エリカは窓辺に椅子を置いてその上に立つと小さな窓から飽きるまでずっと外を眺めていた。
「父さんと母さんはきっときてくれるわよ。忙しくてこられないのよ」
そう答えるしかできないハリエット。ハリエット自身も一市民として町のニュースに耳を傾け、夫人としての身だしなみや振る舞いを怠ることがなかった。それは彼女を若く見せることでもあり、美しい女性であった。
しかしこの状況ではエリカを守り、生きていくだけで精いっぱいである。
「おばあちゃん、白い髪があちこちにあるよ」
エリカがそう言ってハリエットの髪を探る。
「そうね……おばあちゃんになればこうなってしまうのよ。みんな白い髪になってしまったらどうしようかしら」
ハリエットが鏡を見て嘆くとエリカが力強く体にしがみついてきた。
「おばあちゃん、私のそばにいて。みんな白い髪になっても私と一緒にいてちょうだい」
それは頼れる大人がハリエットしかいないエリカの本心だ。泣くと見張りの海賊に叱られることから泣けなくなり、感情を出さないこともある。それはかつての仏頂面のマリサの姿を思い出させた。
「大丈夫。あなたのそばに私がいるわ。エリカもおばあちゃんと一緒にいてちょうだいね」
たまらなくなってハリエットはエリカを抱きしめる。
ハリエットとエリカが軟禁されている家屋は島にあるキラーニー湖の一角にあった。今まで情報として幼児と年配の女性がいないか探ったことがあったが、海賊だということだけで住民から避けられ、手掛かりを
軟禁されている家屋には常にジェニングスの手下が4,5名ほど見張っていた。そのため住民も恐れて近寄らなかった。一軒家であるが、ロンドンの住居に比べたら質素である。周りにはヤシの木があちこちにあり、潮の香りを運びながら揺らいでいた。
同じころ、港近くの浜辺では、ヴェインの誘いに乗ってアーティガル号がベルシェバ号と出帆する様子を離れた入り江で見つめる女の姿があった。
船が遠く水平線上に消えてゆくのを確認すると浜を走りだす。その方向には一台の荷馬車が止まっていた。
「さあ、やろうぜ」
その声に応じるかのように女は荷馬車に飛び乗る。
「どこからこんなオンボロ馬車を調達してきたんだ?誰も好んで乗ることはないと思うぞ」
その荷馬車は樽や収穫されたバナナ、ヤシの実を満載していた。どう見ても直近まで収穫に使われていたようだった。
「荷を全部買い取る条件で借りることができたよ。あるだけマシだ。カモフラージュするにはこうしかないからね」
手綱を持っている若い男の顔が朝日で浮かび上がる。オルソンの三男アイザックである。
「短時間で終わらせようぜ。奴らが少人数ならあたし達でもなんとかなるが、人数によってはこっちが危ない」
その女はアイザックの隣で夫人のごとく髪をまとめ上げているマリサだった。
ジェニングスたちが航海へ出た隙にハリエットとエリカの救出を試みるのである。この計画には他にも乗り込み組からギルバートやトムも加わっている。彼らは別のルートですでに現場近くに潜伏しているはずだ。
(待っていて、お義母さん、エリカ……必ず助けるから)
焦りが生じるマリサ。この機会を逃したら……そう考えるだけで頭が真っ白になりそうだった。
「見えてきたぞ、マリサ。あの家屋だ。全くこんな場所に軟禁されているなんて想像もしなかった。僕たちはてっきり港周辺だと思っていた」
「弱みを握られたくないから積極的に探すことをしなかったせいもある。あたしがもう少し強気に出ていたらこんなに長引かなかった……あたしのせいだよ、アイザック」
マリサはそう言って腰に手をやる。ピストルやサーベルはちゃんと備えられている。
「僕も参戦するが銃の扱いや剣の扱いはそんなにうまくないからあてにしないでくれ」
アイザックがマリサの緊張を解こうと冗談を言う。そう、これは失敗できないことなのだ。
荷馬車を減速させて停めるや否やマリサは飛び降り、家屋へ向かう。そして注意深くジェニングスの手下の配置を観察した。家屋の玄関、裏側、小さな道路側にそれぞれ一人ずつ配置されている。恐らく中にも手下がいるだろう。すると離れた場所で茂みから手を振る者が見えた。ギルバートとトムである。彼らは先に到着してマリサを待っていた。
「おい、何の用事でここへ来た。用もないのに来ればジェニングスの旦那がだまっちゃいないぜ」
道路側にいる手下がアイザックに声をかける。彼らは船へ乗らずにここへいるのだろう。アイザックのことを知らないようだ。
「用がなきゃここへこないさ」
アイザックは笑顔で荷馬車を降りると男に近づき、上着から酒瓶を出し、男に渡そうとする。酒をすすめられたと思った男は笑顔になり、うけ取ると美味そうに飲んでいく。半分ほど飲んだかと思うとそのまま男は倒れてしまった。
「お父さま、毒はこういうときに使うんだよね」
そう独り言を言いながら酒瓶を回収すると、今頃は海上にいるオルソンを思いながら荷馬車で待機する。
その後ギルバートとトムがそれぞれ玄関や裏手の手下を無力化したのを見てマリサが家屋の中へ入った。
中ではマリサが急に現れたことで手下が慌て、仲間を呼ぼうとするがその隙もなくマリサがナイフを投げつける。ギルバートとトムがそれに続いた。
「ここはいいから先に行け」
ギルバートはマリサに言うと、トムと共に中にいる他の手下を切りつけていった。
小さな家屋なので部屋数が少ない。マリサはある部屋の前まで来た。
屋内から何か懐かしい歌声が聞こえる。ハリエットとエリカの声だ。マリサの平常心が大きく揺さぶられる。
(ここにいる!お義母さん、エリカ、あたしは来たよ)
その歌はハリエットとマリサがパイを作ったグリンクロス島での一件以来、よく歌っていた歌である。
6ペンスの歌を歌おう ポケットにはライムギがいっぱい
24羽の黒ツグミ パイの中で焼き込められた
パイを開けたらその時に 歌い始めた小鳥たち
なんて見事なこの料理 王様いかがなものでしょう?
王様 お倉で 金勘定 女王は広間でパンにはちみつ
メイドは庭で 洗濯もの干し
黒ツグミがとんできて メイドの鼻をついばんだ
マザーグースより 6ペンスの歌
引用 Wikipedia
マリサは気持ちが焦り、歌声のする部屋へ入ると一緒に歌を口ずさむ。
そしてマリサの声が歌に合わさっていることに驚いているエリカとハリエットの姿が目に入った。
「マリサ!」
「義母さん!」
縫物をしていたハリエットと、そのそばでうとうとしていたエリカはマリサの顔を見ると駆け寄って力強く抱きしめた。
「心配かけたね……。あたしのせいでこんな目に合わせてしまって、本当にごめんなさい……」
マリサは我慢していた思いが溢れて涙が止まらない。そしてそれはハリエットも同じだった。
「母さん、母さんなの?きてくれたのね……わたし寂しかった……怖かった……」
エリカはそのまま言葉にならなくなり泣き続ける。
「私たちを助けるために海賊へ戻るように仕向けられたのね……ジェニングスは卑怯にもほどがあるわよ……」
マリサが海賊に戻ったことを知り、動揺しつつもそれが本心ではなかろうと気づくハリエット。
そのマリサは信頼していた海軍に船を沈められ、捕らえられて処刑を待つ身となったことがある。その後の廃人のようになったマリサを知っているだけに、再びその道に入ることは余程のことだろうと思った。
「お義母さん……」
体を小刻みに震わせているハリエットを抱きしめると、マリサは小さくささやく。
「何があってもあたしを信じて。今はそれだけだ」
その言葉に何度も頷き、マリサの真意を悟るハリエット。
「……ええ、わかったわ。だけど無茶はしないで頂戴。私とエリカは大丈夫よ」
ハリエットがそう言うそばで、エリカがマリサに手を伸ばす。甘えたいのだろう。
マリサはエリカを抱き上げるとその重みを感じた。
「重くなったね……。大きくなったね……」
エリカの髪は伸び、ハリエットが結い上げていた。
「さあ、ここを出よう」
マリサたちは急いで家屋から出て荷馬車へ向かう。そこにはギルバートたちの荷馬車も待機している。彼らもまた、住民から荷馬車を借りたようだ。商船の乗員として住民に安心感を与えるようなかかわりを持ってきたことが幸いした。
ギルバートたちは荷馬車の中にハリエットとエリカを隠す。
そしてマリサがアイザックの隣に座り出発しようとしたとき、何かがアイザックに向けて飛んできた。
「うぐっ!」
とっさに避けようとしたが間に合わず、アイザックは足を負傷する。投げつけられたのはナイフだ。
マリサがその方向を見ると、そこには航海に出たはずのヴェインがいた。
「本当に家族が心配なら、いつまでも探さないってのはおかしいと思うぜ、普通なら。だからひっかけたのさ……」
ヴェインは笑みを浮かべている。そしてヴェインの背後にもジェニングスの仲間が数名いた。彼らは人数が足りていたので航海であっても陸に仲間を残す余裕があるのだろう。
「なるほど……どうりで見張りが多いと思った。だがな、こんな卑怯なやり方であたしたちを仲間にしたと思うな。信頼関係のない集団は必ず崩れる。あんたもいずれそれを知ることだろうぜ」
そう言いつつピストルに手をやるマリサ。
「ギルバート。先に行け!ここは大丈夫だ」
マリサの言葉を受けてハリエットとエリカを乗せた荷馬車が出発する。
「僕もここへいるよ。役に立たないけどね……」
ギルバートたちの荷馬車が出たのを確認したアイザックは、足を引きずりながら2丁のピストルを出したかと思うと左右の海賊に向けて撃ち放す。
バーン!バーン!
確実に銃弾は海賊を捉え、倒れる。
「オルソンの息子というだけはあるな。あのときアイザックが代わりに決闘をしたほうが良かったかもしれないぜ」
アイザックがそこまで腕があることを知らなかったマリサ。
「決闘?なんだい、それ」
ヴェインの背後から海賊たちがカットラスをもって攻めてくる中、マリサが迎え、その間にアイザックが弾を装填した。
「は?知らないなら後で本人に聞いてくれ」
そう言いながら海賊たちを切りつけた。
バーン!
再び銃撃音がする。マリサは音のする方向がさっきと違うことに気づき、目を向けた。
ヴェインの銃口から煙が上がっている。撃ったのはヴェインで倒れたのはアイザックだ。
「ごめん……格好よくいきたかったけどあっちが速かった……」
今度は腕をやられたようでピストルを落とす。
「海賊はそんなに格好よくないもんだよ、アイザック」
マリサはそう言いながらヴェインの足を撃った。しかしわずかに弾がそれ、足元の石にあたったかと思うとはねてヴェインのほおにあたる。
自分の手で血が流れていることを確認するヴェイン。手が震えている。
「あんたの得意な人を傷つける行為はこんなもんじゃないはずだぜ」
マリサはサーベルをもち、睨みつける。ヴェインだけならなんとか自分一人でいけそうと思った。
「この野郎!女だと思って甘く見たら調子に乗りやがって!」
ヴェインがカットラスを手にとびかかってくる。
バーン!再び銃撃音。倒れこんだままアイザックがヴェインを撃った。しかし痛みからか腕をかすめ、衝撃でヴェインはカットラスを落とす。
「くそったれ!」
悔し紛れにヴェインはマリサにとびかかると思いっきり殴ってきた。一発、二発……。殴られつつも時には拳を避け、殴り返すマリサ。だがどうしても体力差は否めない。
ぐふっ……。
口から血を流してよろよろと立ち上がるマリサ。
「くそったれはお互い様だよ!」
そう叫ぶと力を振り絞ってヴェインの股間を力強く蹴り上げた。苦悶の形相のヴェイン。お互い顔に血を流しているが、それさえ気にならないほど相手しか目にはいっていない状況だ。
その隙にマリサはアイザックを荷馬車に乗せると、打ち合わせの場所へ急いだ。
「申し訳ありません、アイザック様……。あたしのせいで大切な御身を傷つけることになってしまいました……」
荷台にもたれているアイザック。傷の具合を確かめる余裕がない。とにかく急がねばならなかった。
「……おいおい、また使用人マリサなのか。こんなけがを見せたらお父さまに叱られる。なんとも情けなくってね……」
アイザックのことを心配するマリサ自身もヴェインとやりあったせいか体中が痛い。久しぶりの生身の喧嘩だった。
(あいつ……本気で殴りやがった……。ぶっ殺してやる……)
ベルシェバ号がナッソーへ戻ればたちまち自分たちの裏切りを知ることとなるだろう。
だが、マリサにはどうしても探りたいことがあった。
海賊とつながりを持つジャコバイト派。スチュアート王朝からハノーヴァー王朝へ時代は変わったが、フランスへ亡命をしているジェームズ・フランシス・エドワード・スチュアートの心棒者が王位を求めている。
これまでにもイングランド本土で反乱がおきたが、どれも鎮圧されている。しかし海上において海賊を海軍の如くまとめることができたら戦力は増強されるだろう。ジャコバイト派はそれを望んでいる。
(海賊は自由だ。だからといって自分を見失いたくない。そう……あたしたちはあたしたちだ……)
利用されないためにも相手を探らねばならない。たとえ裏切り者とジェニングスに言われようが、それが正義だ。
マリサは手綱をしっかりと握ると目的地を目指した。
カリブ海において船を拿捕し、乗員たちを仲間としたジェニングス。ホーニゴールドと対抗するために仲間と船を増やすことは必要だった。ナッソーを目指しながらヴェインが言っていたことを思い出す。
マリサは家族の救出にきっと動くだろう……いつまでも何も行動を起こさないわけがない。
そしてそれが現実となっていることを知る由もなかった。
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