第21話 21海賊の取り引き
バージニア植民地を後にし、スループ船エンジェル号で帰国の途に就くルーク・オルソン。どうせ適当に結婚をするくらいならやりたいことをやっておけとばかりに自由にさせてもらったものの、どこか満たされないものがあった。父親のアルバート・オルソンはルークの気持ちを理解しておらず末っ子のアイザックの心配ばかりしていた。そのこともルークに影響をしていたのかもしれない。
ルークは寂しさを覚えていたのである。
船酔いの改善のため左舷にもたれ、夜空を見つめていたルーク。星々の位置から船が南下していることを知ったルークは、ふと昔のことを思い出す。
オルソン家の屋敷で行われた夜会。美しかった母親のマデリン。客として訪れた貴族たちは誰もが華やかで艶やかだった。絹やレース、ベルベット生地の衣服に身を包み、音楽と酒を楽しむ。そして盛り上がった舞踏会。
あの日は父親の計らいで3人の息子とマリサは庭から夜会を見ていた。途中で兄のアーネストは母親に呼ばれてしまったが、アイザックとルークは屋敷から聞こえる音楽に合わせてかわるがわるマリサとダンスをした。
あの頃のマリサはどこか影があったが、とても従順で凛としており、息子たちの心をとらえて離さなかった。
兄のアーネストは親が決めた相手とその後に結婚をしたが、ルークとアイザックはマリサが屋敷を出てからも何かとマリサの思い出に浸ることがあった。
二人とも声に出さずともマリサへの思いがあったのである。
「君は今、どうしているだろうか……。妻としておとなしく家ですごしているのかい?……まさかね……」
同じ夜空をどこかでマリサも見ていると信じたいルークは小さな声でつぶやいた。
植民地の荷を積んで国へ向かっているエンジェル号。その船へ半ば強引に船長に頼み込んで乗船させてもらったので、特別扱いはなくハンモックがあるだけの小さな船室で寝泊まりしている。
翌日になっても船酔いが収まりきっていなかったせいでルークはハンモックでうとうとしていた。だが、バタバタとする乗員たちの動きで目を覚まし、遅い朝を迎えた。まだ気持ち悪さが少しあったが、体を動かすには十分だ。
甲板へあがると潮風が心地よく体を包み込む。それは何か食べたいという要求をひきおこした。
「おはようございます、ルーク様。ほら、向こうに船が見えるでしょう?国の旗を揚げてます。我々と同じくイギリスへ向かうんでしょうかねえ」
船長に言われてルークは自前の望遠鏡を出し、船を見た。
「我々の船より大きな3本マストのシップ型。武装しているようですから海賊対策をいち早く取り入れたのでしょう」
ルークが見つめる横で船長が同じように望遠鏡で船を見ながら話しかける。
「この船もそのうち武装する必要が出てくるかもしれませんよ。それにしても珍しい旗だと思いませんか。あなたは国旗の下の旗を見たことがありますか」
船長に言われ、その船の旗を確認したルークはその旗に興味を示す。
望遠鏡で確認できたその旗は黒い布にエリカの花が刺繍され、周りをレースで縁取られていた。
( I love Erika. ……?なんだいそりゃあ……)
そんなことが旗に書かれていいものだろうか。ルークは空腹であることを忘れて船を目で追い続ける。
旗に書かれている文字を船長が伝えると乗員たちは手を止めてその船を凝視する。
誰もそのような旗を見たことがないのだ。
「どこかの貴族が乗っているのでしょうか。だとしたら挨拶をすべきでしょう」
そう言って船長は乗員たちに身なりを整えるように促した。
それにしてもその船は船足が早かった。エンジェル号が奇妙な旗を揚げる船に気持ちを奪われている間にどんどん近づいてきたのだ。
(何かおかしい……)
もはや望遠鏡を必要としなくなるほど船は接近している。これはお近づきというより他の目的ではないかとルークは思い、身構える。船長もこのことにようやく気付き、乗員たちに持ち場へ着くように指示を出していった。
ようやくエンジェル号の誰もが異変に気付き、少しでもその船と距離をとろうとしたときのことである。
ドーン!
いきなり一発の砲弾がエンジェル号の近くに撃たれた。船に当てることなく上手に外している。これは威嚇か。
衝撃で乗員たちはバランスを崩し、倒れこむ。ルークも衝撃で危うく海へ落ちそうになった。
その船はエンジェル号に接近すると多くの男たちがロープを使って移乗してきた。
「奴らは海賊だ!船を守れ!」
船長が声を荒げて乗員たちに指示を出す。しかし移乗してきた海賊たちに銃や刀を突きつけられ身動き取れないでいた。
(海賊……マリサがいた”青ザメ”と同じなんだろうか。どんな人が船に乗っているんだろう)
恐怖に怯えている乗員たちと比べ、ルークは妙に落ち着いている。海賊と言えば恐ろしく、船や荷を奪われるだけでなく命も奪われるらしい。
エンジェル号はたいした武器を持っていない。海賊対策で武装する船が現れる中で折を見て武装しなければと考えられていたが、資金不足のため、まだ実行されてなかったのだ。
乗員たちは自分たちの身がどうなるかもわからず怖くてたまらず、じっと海賊たちを見つめている。
たちまち船長が海賊に取り囲まれ、エンジェル号の操舵は奪われ抵抗することなく海賊に制圧された。
そして一人の女性がロープを使って移乗してくる。金髪を編み、男と同じようにズボンをはき、サーベルとピストルを持ち合わせている。
その女は静まり返っているエンジェル号の甲板に凛として立ち、乗員たちにこう言った。
「あたしたちはあんた達に危害を加える気はない。こちらの要求をのんでくれれば命の保証をする。あたしはマリサ。連中の頭目だ。昔は”青ザメ”と呼ばれていた海賊だ」
その名を聞き、エンジェル号の乗員たちにどよめきが起きる。
「”青ザメ”?イギリスを相手にしなかった海賊じゃないか。しかも”光の船”を壊滅に導いた海賊だろう?なんで俺たちを……?」
乗員たちは混乱する。しかも見たことがない女海賊だ。
しかしルークは躍り上がるかのように喜び、マリサに走り寄る。
「マリサ!本当にマリサなのか」
マリサのことを忘れることがなかった日々。そのマリサにこの広い海原で会えたのである。偶然とは時として神がかるというものだろう。
「ルーク……様?」
マリサの方もルークの登場に驚き、持っていたピストルを落としそうになる。
「そうだよ、ルークだ。国へ帰ろうとしていた。まさか君に会えるとは。本当に恐ろしいくらいの出会いだ」
そう言うと向こうの船から自分を呼ぶ声がした。
「ルーク、その船に乗っていたのか」
「ルーク兄さま、船を狙ったのが僕たちで良かったねえ」
その船の左舷から自分を見つめる二人の男。
「お父さま?……アイザック……?いったいどうなっているんだ?」
さすがのルークも混乱している。
「お前が植民地へ行っている間に緊急事態が起きてな、私はアーネストに領地のことを任せてアーティガル号に乗ったのだ。アイザックは勝手に密航という形で乗り込んでいた」
オルソンはあきれた顔つきでアイザックに視線をやる。
「勝手にだなんて言わないでくれよ。ルーク兄さまも協力してくれないか」
アイザックに促されたルーク。
エンジェル号の乗員たちはルークが海賊の家族と知り、驚いて言葉もないようだ。
「ルーク様、海賊たちはあなたの仲間ですか。我々を貶めたのですか。こんなひどい話はない……」
船長はまるで裏切りにあったかのように体が震えている。
この様子にマリサは状況を説明しなければならないだろうと船長の前に進み出る。
「あたしたちはあなた達に危害を加える気はないと言ったはずだ。混乱しているようだからあたしたちの要求と事態について説明をしたい。ついでに言っとくがルークは全く無関係だからな。海賊という濡れ衣はやめたほうがいいぜ」
どうやらただの海賊ではないらしい。何か事情があるようだ。危害を加える気がないのなら話を聞くべきだろうと船長はマリサとリトル・ジョン、オルソンの3名を船長室へ招く。その間もアーティガル号の連中は笑みを見せ、エンジェル号を制圧し続けている。
エンジェル号の船長室では船長がコーヒーを入れてマリサ達に勧めた。
「あなた達は海賊じゃないんですか。いったい何の事情があるんです?しかも”青ザメ”はイギリスを相手にしなかった海賊じゃないですか。解団したと聞いてますがそれは嘘なんですか」
「確かに解団して商船として働いていたが、ある事情で海賊化しなければならなくなった。これから説明するにあたり、結果が出るまでこのことは口外するな。まず、あたしたちが海賊化しているのはイギリス海軍の作戦の1つなんだ。海賊に奪われた海軍の船スパロウ号のおよそ50名の乗員たちが行方不明だ。そして……これは個人的なことだがナッソーの巨頭のひとりであるジェニングスはあたしの家族を拉致し、あたしたちがジェニングスの仲間となることを要求してきた。あたしたちがやらねばならないのはスパロウ号の乗員の捜査と家族の救出だ。……そしてついにスパロウ号の乗員たちの行方を掴んだ。だがあたしたちはジェニングスの仲間になっているという手前、海軍駐屯地があるジャマイカへ出向くことはできない。だからあんた達に協力を求めたい」
マリサの説明を聞き、エンジェル号の船長は目をつぶり、じっと考え込んだ。自分は騙されているのか……それとも彼らは本当のことを言っているのか。
そして1杯のコーヒーを飲み終えると視線をマリサ達に向けた。
「本心から海賊であればこの船を拿捕するにしても単純に奪うでしょうから、こんな手はずをとっているあなたたちは命令で動いていると信じましょう。私たちエンジェル号はどのように協力をしたら良いのですか」
「あたしを乗せてジャマイカへ立ち寄ってほしい。スパロウ号の乗員たちの消息について海軍へ情報を渡さねばならない。もちろんそのことで航海日数が長くなり、積み荷の品質が落ちるのであればアーティガル号としてそれらを買い取ろう。あたしたちは元々商船だ。そういった取引は慣れているし、それくらいのお金も用意できている」
このマリサの言葉に船長は驚き、そして満足といった表情をする。
「なるほど、悪くない話だ。それならエンジェル号の乗員たちも納得するだろう」
海軍の作戦であるということは他の乗員たちに話すことでない。乗員たちには海賊と商品の取り引きをすることや、その代償としてマリサをジャマイカへ送迎するので、結果としてエンジェル号の乗員や船、信用を失うことがないことを説明することにした。
さっそく洋上において2隻の船は停泊し、ボートを介して商品の取り引きが行われた。エンジェル号は途中寄港した植民地の港からたばこやラム酒、綿などを積んでいた。これらがアーティガル号へ積みかえられ代金がエンジェル号の船長へ渡された。これらの取り引きは計算が得意な主計長のモーガンが指揮を執り、エンジェル号の主計長と相場を確認しながら行われた。
「これらの商品をあなたたちは自家消費するつもりですか」
エンジェル号の主計長がモーガンに尋ねる。まさか海賊が商売をすると思わなかったのである。
「自家消費だって?馬鹿言っちゃいけねえよ。俺たちも商船としてもプライドがあるんだ。ナッソーの奴らに手数料をうわのせして相場より1割高く売ってやるんだ。たったの1割だぜ。なんて良心的な海賊なんだろうって思わねえか」
モーガンのこの言葉に乗員たちが笑い、その場の雰囲気が和む。
商品の取り引きの間にマリサはジャマイカへ行く準備をし、エンジェル号へ乗り込んだ。
この様子にそわそわする人物がいた。オルソンの次男でエンジェル号に乗っていたルークである。
「アイザックだけが冒険していたなんてずるい。僕もアーティガル号へ乗せてほしい。いろいろ知りたいことがあるんだ!」
弦側に立ち、アーティガル号で取り引きを見守っていたオルソンに懇願するルーク。
「ルーク!これは遊びじゃないんだ。お前はおとなしく国へ帰りなさい」
オルソンはそう叫んで船内へ入ろうとするが、リトル・ジョン船長代行が引き留め、ルークに向かって言った。
「確かにルークの言う通りだよ。アイザックは密航者だったが、君はちゃんと乗船許可を求めている。私は断らないつもりだよ。たぶんマリサも同じことを言うだろう」
ちょうどそこへ準備を済ませ、女らしくシフトドレスにスカートを身に着けたマリサが甲板に現れる。
「あたしはアイザックがよくてルークがだめだという理由を見つけることができない。ただ、海賊船であるという前提条件があり、自分の身は自分で守ってもらわないと困る。船の持ち場についてはリトル・ジョンに相談してくれ。働かないと食べていけないからな」
海賊らしく指示をするマリサにルークは胸躍り、喜んだ。
「感謝するよ、マリサ。君とまた同じ活動ができることなんて嬉しいよ!」
喜びのあまり叫びながら船内へ入り
マリサにとってオルソンの息子が一人加わろうとなかろうと大きな問題でなかった。それは相手が全く知らない人間でなく、立場の差はあれど共に暮らした仲だったからだ。
しかしオルソンにとっては頭が痛い話だった。アイザックの酒と女の問題だけでも悩まされるのに、好き勝手やっているルークまで面倒を見なければならないからだ。
「マリサにはめられたな……」
そう言って自分を納得させるしかなかった。
「海軍へ出向くならマリサ一人でない方が良かろう。男社会の海軍へ女一人で行っても相手にされないかもしれない。同行する者はいないか?」
オルソンの言葉にすぐさま反応をしたのは掌帆長のハーヴェーだ。
「こういう仕事は年寄りが良い。若い兄ちゃんだと頼りにならないと思われるからな」
そう言ってアイザックの方を見て笑った。
「都合のいい時だけ年寄りぶるんだな、あなたは。じゃあ、こっちは都合よく海賊ごっこをさせてもらうとしよう」
アイザックとルークは茶化すかのように顔を見合わせる。
こうしてエンジェル号とアーティガル号の取り引きは無事に終わり、落ち合う錨地を指定した後エンジェル号はジャマイカへ針路をとった。
エンジェル号から買い取った例の積み荷はモーガンが言った通り、ナッソーへ運ばれ、駆け引き上手なモーガンがナッソーの海賊たちを引き寄せ、良心的な商売をした。海賊が全く興味を示さないような荷であったならそうもいかなかったところだが、モーガンはナッソーの需要と供給を観察していたのである。
「お前は本当にこの船に拾われて良かったな。マリサに感謝しろよ」
リトル・ジョンがモーガンの働きぶりを褒める。
「いや、俺を拾ってくれたのはマリサじゃない。マリサと同じ顔をしたシャーロットお嬢さんだよ。顔はよく似ているが性格はシャーロットの方がかわいさがある。胸もこんなに出ているぞ」
モーガンの言葉にその場の連中が笑い転げる。
「モーガン、最後の一言は禁句だぞ。命が惜しかったら思っていてもそのことを言うな」
「そうだった、そうだった……あれで結構気にしているらしいからな」
海賊が海賊相手に商売をするという行為にナッソーの連中は不思議に思った。これはアーティガル号が元々商船であることからか、とこじつけの様に納得をするしかなかった。
こんなやり取りをしているのを当然のことマリサは知らなかった。
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