第20話 マリサ、海賊を鼓舞する 

 ジェニングスが国と海軍の手が及ばないナッソーへ拠点を移し、二大巨頭が揃ったことで近隣の海域を航行する船舶は警戒しながら荷を運ぶことになった。特にジェニングスを取り逃がした国の責任は大きく、国際問題まで発展していった。


 こうしてナッソーに海賊たちが住みついたことで島の治安が悪化し、住民は息をひそめるように暮らしながら国の管理や海軍の入港を待ち望んでいた。しかし、島で唯一の役人であったウオーカーは海賊の勢力が増して島が要塞化していく中で恐れをなし、家族を引き連れてチャールストンへ逃げてしまった。役人がいなくなったことで、ナッソーは完全に海賊の支配下に置かれ、事実上の『海賊共和国』となっていく。


 

 戦争が終わり、南アメリカやアフリカ大陸、そして東のインドから続く諸国など、奴隷だけでなく香辛料、砂糖、綿花、紅茶など様々なものが船舶による運搬で取引された。この時期、紅茶は運搬の経費と時間がかかることからまだまだ庶民には手の届かないものであった。(より早く運搬するための船は後世の高速帆船ティー・クリッパー船として形をあらわす)

 それだけに時間と経費をかけて運搬したものを海賊に略奪され、果ては船まで奪われることは商船会社や国にとって大きな損失であった。

 商船としてアーティガル号を走らせていたマリサや連中はそのことをよく理解している。



 今日もナッソーでは戦果を挙げた海賊船が入って珍しい物のお披露目や自慢が酒場で展開されている。


 マリサはアイザックを連れ、久々に酒場へ入る。


「あんたはお断りだよ、マリサ。店を荒らされちゃ商売にならないからね!」

 あの小太りの女がマリサにまくしたてる。マリサが強い海賊であろうとなかろうとお構いなしである。これは同性である所以か。

「うるせえ!誰も酒を飲むなんて言ってないだろう?あたしは用があって客として来てやったんだ。酒はいらないからコーヒーをもってきな!」

 マリサが仏頂面で睨みを利かせると小太りの女は一歩引きさがった。

「相変わらずくそ生意気な女だね!そこら辺に腰かけな!お高いコーヒーを持ってきてやるよ」

「そうかい、お高いコーヒーとはね。あたしはコーヒーの味にうるさいからな、煮たててようなコーヒーを持ってきたら暴れるぜ」

 マリサがそう言うと小太りの女は睨み返すと店の奥へ行った。

 

 マリサの要件はジェニングスだった。一人で行くと何かと面倒なのでアイザックが場を和ませようと共に来ていた。

 マリサはジェニングスがこの店にいることを他の連中から聞きつけ、話をしなければと思ったのである。

「えらく寂しそうじゃないかジェニングス。なんだか棘の抜けた感じがあるぜ」

 マリサが席をとったテーブルにはジェニングスお気に入りのヴェインもいた。マリサはジェニングスに穏やかに話しかける。


 相変わらず家族を拉致したまま様子さえ話さないジェニングス。しかしマリサは彼にエリカとハリエットの安否確認を聞こうとしなかった。自分から話せばそこを弱みとされると思ったからである。

「マリサ、お前は賢い女だと思っていたがそれ以上に訳の分からん女だ。我らがお前の家族に対して何をしたのかわかっているのに平然としているのはなぜだ」

 ジェニングスがそう言ったところで、マリサとアイザックに熱々のコーヒーが運ばれる。


(アチチッ!あの女、コーヒーを煮やがったな!)

 マリサは風味が損なわれたコーヒーを飲むとジェニングスを見つめる。隣では給仕の女がアイザックに色目を使っていた。

「あたしたち”青ザメ”はあんた達より長く海賊をやってきたんだぜ。拉致だけで動く集団だと思うな。あたしたちはそれ以上のことを見ている。それでも家族を拉致してあたしたちを動かそうとしているあんたのやり方は本当に卑怯だ。なら堂々とあたしたちをけしかけて本気を見せるべきだったんじゃないのか。男ならそれぐらいやってもいいと思うぜ」

 マリサの言葉に目を吊り上げるジェニングス。船長を馬鹿にしたような言い方であり、隣で話を聞いていたヴェインはマリサに掴みかかろうとした。

「まあ、まてヴェイン」

 ジェニングスは彼を制止すると話を続ける。

「……確かにお前の言う通りだ。私はもともと海賊稼業をしなくても暮らしていける身分であり、財産も所持していた。ジャマイカへ帰れない今となっては手も出せないが、少なくともそこら辺の海賊とは違うと思っている。だが、ジャマイカから逃げてきた我らをホーニゴールドは迎え入れ、『海岸の兄弟の誓い』をその場で皆に周知した。これはもう、あの男の制圧宣言とみていいだろう」

 そう言ってジェニングスは酒を一口、二口とゆっくり飲んでいく。

「あんたの言い分は負けを認めている言い分だぜ。『海岸の兄弟の誓い』はもともとあったものをホーニゴールドがまとめ上げ、それを皆に知らしめた。だからと言ってすべてをホーニゴールドが掌握しているとは限らない。巨頭の1人は間違いなくジェニングス、あんただ。ここで動かなければ乗員たちの反乱を引き起こしかねないと思うが、どうだ?」

 マリサがそう言っているそばでは給仕の女がアイザックを誘っている。


「マリサ、話はつきそうか?悪いが僕は用ができたから失礼する。一人にさせていいかい?」

「あたしはアイザック様を拘束する権利を持ち合わせておりません。どうぞ楽しい夜をお過ごしください」

 すまし顔でマリサが言うとアイザックは給仕の女と連れ立って二階へ上がっていった。それを小太りの女が見て喜んでいる。ここは酒場であり娼館でもある。アイザックを上客と見たのだろう。

「アーティガル号には育ちのいいお坊ちゃまがいるようだな。何なら俺が社会の厳しさを教えてやろうか」

 ヴェインがアイザックを見送るとナイフをちらつかせた。

「ヴェイン、新米に手を出すな。出したらあんたを殺す!」

 マリサの言葉に再びジェニングスがヴェインの挑発を制止する。

「ヴェイン、マリサはそこいらの女とは違い非常に面倒くさい女だ。手を出さない方が賢明だ。ではマリサ、この私に今すぐ動けと言いたいのか」

 ジェニングスは言葉には出さないが、ジャマイカから逃げ、ホーニゴールドによって匿ってかくまもらっている今の自分を恥じている。

 それはジェニングスの自尊心を傷つけていたのである。


「海賊は略奪してこそ海賊だ。ここでおとなしく座っていたらただの酒飲みに過ぎない。あたし達を配下にしたのなら海へ出ようぜ。巨頭の1人として仲間をここへ連れてきた責任を果たしてこその船長だ。もし嫌だと言ったら民主的に船長を交代させるべきだ」

 マリサは笑うと立ち上がってジェニングスに握手を求めた。マリサのこの言葉にジェニングスも忘れかけていた闘争心を思い出す。

「面倒くさい女はそう言って男をやる気にさせることもあるようだな」

 ジェニングスはマリサの手を握り返す。


 そのままおとなしく船へ帰ろうとしたマリサだったが、風味が損なわれるほどコーヒーを煮立てた店の女が今更に腹立たしく、代金をテーブルに置いたかと思うと力任せにテーブルをひっくり返した。音を立ててコップや皿がなだれ落ち、慌てて避けた客へ飛び散ったものもあった。

 その場にいた誰もが驚き、言葉を失っている。


「コーヒーは煮るんじゃなくて淹れるもんだぜ」

 マリサは彼らにお嬢様のように微笑むと黙って店を出た。


 マリサによって自尊心を取り戻したジェニングスたちは再び海へ出ることとなり、アーティガル号や船団の他の船もそれぞれ準備がすすめられた。


 

 やがてジェニングスの海賊たちはホーニゴールドたちを見返すべく海原へ繰り出す。アーティガル号についてはまだ十分に信用がならないのか常にスパロウ号と行動を共にすることになった。

 狙うのはスペイン船に限らない。また、金銀財宝の宝ばかりの略奪ではない。奴隷や香辛料・酒・砂糖と、もはやなんでも略奪の対象となった。

「お嬢様のようにおしとやかにいけ。他の海賊連中との違いを見せつけてやろうぜ」

 リトル・ジョン船長代理の声に大笑いの連中。向かうは新大陸ヘ奴隷を運ぶ奴隷船だ。

「ラビット、気に入らないんならお前は船倉で猫と待っていてもいいぞ」

 オルソンが躊躇しているラビットに声をかける。父親とともに奴隷船で運ばれていたラビットは奴隷船から逃げてデイヴィージョーンズ号にかくまわれた。そしてそのまま仲間となってオルソンの下で働いている。

「馬鹿にするなよ。これがマリサの言う『シェークスピア劇場』ってことくらい知ってるよ。奴隷船へ乗り込むのはごめんだが、こっちから銃撃するぐらいはやれるぜ」

 そう言ってマスカット銃を手にすると甲板へ向かった。自分は奴隷の子であったが”青ザメ”に加わることで自由を得た。船上では身分や人種、宗教も問わない”青ザメ”の中でラビットは奴隷ではなく乗員として育っていった。


 甲板上ではすでに乗り込み組が奴隷船へ移乗し、乗員たちと戦っている。ラビットはその中で指揮を執っていた男に目をつけると銃口を向ける。そして引き金を引いた。


 バーン!


 白煙とともに銃撃音が響く。その向こうで男が足を負傷して倒れていく。ラビットはマリサの教え通り命を奪わずに負傷で終らせた。

 この奴隷船の奴隷たちは商品として運ばれるのだ。白人の乗組員を制圧しても船の行き先が変わるだけである。


 以前にもこうしたことがあった。海軍のグリーン副長がデイヴィージョーンズ号の副長として乗りこみ、海軍の指揮下においたことでデイヴィス船長より高位の指示を出すようになった。それはそれまで”青ザメ”が手を出さなかった奴隷の取引という人身売買にかかわることとなった。


(おいらたちも白人と同じ赤い血が流れている。肌の色が違うだけで同じ人間なんだ。いつかこのことを思い知ることだろうぜ)


 ラビットはもう以前のラビットとは違う。思いがふっきれて堂々としていた。


「よくやったぞ、ラビット。あとは俺たちに任せて中へ入ってろ!」

 リトル・ジョンが声をかける。奴隷船の襲撃ということで気を使ったのだろう。

「あいよ!」

 ラビットは返事をすると揺れる甲板上を走っていった。


 ふっきれていたのはラビットだけでない。人身売買が嫌いなマリサも仕事だと割り切って奴隷船に挑んでいた。

「奴隷たちをもてあそぶのはさぞかし楽しかっただろうな……」

 そう言って乗員を締め上げると船内へ入る。


 奴隷船の中ではアフリカから運ばれた奴隷たちが足の踏み場もないほどひしめき合っている。衛生状態はすこぶる悪く、嘔吐や排泄物で汚れた床を避けようにも避ける場所さえなかった。薄暗い中で奴隷たちの足首と手につながれた重く黒い鉄鎖が、ときおりジャラジャラと音を立てて船の軋み音と相まっていた。

 もしここへラビットを連れてきていたら間違いなく彼は荒れただろう。部族が違い言葉は通じないかもしれないが、奴隷の痛みを知っているからだ。


(イライザ母さんはこれをどう思うだろう……)

 そう思いつつその場を後にし、女奴隷が入れられている船首側へ行く。


 船首側では突然訪れた女の海賊に奴隷たちはいっせいに目を向ける。これまで彼女たちは奴隷として売られる悲劇だけでなく、乗員の慰み者として暴行を受けることがままあった。そして悲しいことに中には子を宿したまま売られる者もいた。


 同じ子を持つ立場としてマリサは胸が痛んだ。お腹の子は奴隷として生まれるのである。同じ命を授かりながら親の立場でこの生き方が変わってしまうのだ。

 その不条理にもどかしさを感じてもマリサにはどうすることもできず、またこの時代では世の中を動かすことは時期尚早だった。


(あたしたちは人種や身分、宗教を問わない集団だ。海賊の方がよっぽどいい生き方をしているんじゃないのか)


 そう思いながらマリサは乗り込み組に撤収を呼びかける。


 

 仕上げはスパロウ号の海賊たちが行った。船ごと略奪したのである。労働力という奴隷は新大陸や島々で大きな金になる。

 操舵を奪ったスパロウ号の乗員は仲間の一部が奴隷船へ乗り込み、奴隷商人に引き渡すこととした。新大陸の植民地へ直接向かいたかったが、今は海賊船となっているスパロウ号が元々海軍のフリゲート艦であることを考えると、捕らえられるリスクを冒してまで海軍の駐屯地があるジャマイカ近辺を航行するのは愚かしいことだった。


 奴隷船やスパロウ号と分かれたアーティガル号はナッソーへ戻っていく。


 

 奴隷船拿捕の知らせはジェニングスを喜ばせた。彼も海賊行為によっていくらかの収益を上げていたが、奴隷ほどの収益はなかったのだ。

「海賊は略奪してこそ海賊だ。そうお前は言ったが確かにそうだ。まずは仲間を動かし、より多くの数字をはじき出さないと認められないだろうからな」

 自分を裏切ったブラックサムことベラミーとは違い、アーティガル号の連中は思う働きを見せてくれている。単に家族を人質に取られているだけではないマリサの行動に、これは私掠免許をもつ歴史が彼らにもあったからだろうと推察し、ジェニングスはマリサたちを信頼していく。


 やがてアーティガル号はスパロウ号と分かれ、単独で海賊行為をすることを許された。ジェニングスはマリサ達の監視を必要としなくなったのである。

 もっとも、そこにマリサの思惑があったのは間違いでない。ここまで自分たちは本当に海賊へ戻ったのか試されてきたのである。スパロウ号の乗員の消息を探りながら家族も救出しなければならない。時間がかかる取引だった。


「さあ、単独での行動を許されたからと言ってまだ作戦途中だ。海賊としてもっと実績をあげようぜ。なにもしなければマリサが口だけの女になってしまうからな」

 リトル・ジョン船長代理の声に連中が歓声を上げる。”青ザメ”の記憶を呼び覚ますかのようだった。私掠船から仲間となった連中もやっていることはそう変わらなかったので乗り気である。ただ海軍を失業してきている連中は、このまま自分たちは身も心も海賊になってしまうのかと戸惑いを隠せない。

「大丈夫だ。お前たちの心配をマリサは理解しているぜ。何せ戦時中、俺たちが処刑となる運命を変えたのはマリサだからな」

 そう言って展帆を指示していくハーヴェー。この言葉に少し安心したのか彼らは持ち場へかえっていく。


 その様子を見ているアイザックは父親であるオルソンからある忠告を受けている。

「お前が国で女遊びをしていることに口を出さなかった私も悪いが、ナッソーへ入った以上、言っておかねばならない。アイザック、女遊びを慎め。これは父親としての忠告だ。さもないとお前は大きな代償を払わねばならなくなるぞ」

 いつになく厳しいオルソンの目つきに一瞬表情が曇ったアイザックだが、すぐに穏やかな顔で答える。

「心配には及びませんよ、お父さま。ナッソーの女は僕になついてくれてね。いろいろ教えてくれるよ。そりゃあ男としてとても我慢ならないほどいい女ばかりでここへ来たのは間違いないほどだ」

 このアイザックの言葉にオルソンは感情が先走る。


 バッチーン!


 思わず息子に手を挙げたオルソン。

「代償の意味が分からないのか、アイザック。女遊びをやめないと命に係わるぞ」

 ハアハアと荒く息をして立ち尽くしているオルソン。いつも冷静である彼の行動にマリサや周りの連中も驚いて取り巻いた。

 

「オルソン、親子喧嘩は船倉でやれ。何なら置き去りの刑がいいのか」

 リトル・ジョン船長代理がそう言ったとき、口から出た血をぬぐいながらアイザックが立ち上がり、マリサの前に進み出る。


「ナッソーの女の中でジェニングスの手下を相手にしたものが何人かいてね……彼女たちから聞き出したよ……そう、スパロウ号の乗員のことを……。女たちは全く警戒心なく僕にこのことを漏らしたよ」

 

 たちまち連中にどよめきが起きる。

「スパロウ号の乗員の行方が分かったというのか?どこだ、乗員たちはどこにいるんだ」

 マリサが詰め寄り、連中も耳を傾ける。

「……マリサの推察通り、置き去りの島だよ。地図に載っていない一般的には未発見の島だ。ほら、大体の方角や距離を聞き出して作っておいたよ。全くいい気持ちになると何でもしゃべる癖があるのは男女同じらしいね」

 アイザックは胸元から一枚の地図をマリサに差し出した。

「……近くを通る航路もあるようだが、今まで発見されなかっただけだろう……」

 マリサは地図をリトル・ジョンに渡すとアイザックに抱き着き、涙した。

「アイザック様……ありがとう……身を挺して情報を探してくれてありがとうございます……」

 マリサの行動に笑みを見せたアイザックだが、体からマリサの手を離し、こうつぶやく。

「どうせなら屋敷へいるころにこうして抱きしめてもらいたかったけどね」

「アイザック、すまない。お前の真意を読み取れなかった。だが、私の主張も間違いでないからな」

 父親のオルソンも行き過ぎた行動を詫び、息子を抱きしめる。

「お父さま、大丈夫だよ。僕もそのあたりは考えているつもりだ」

 アイザックは相変わらずだ。


「さあ、ならば海軍にこの情報をどう流すか考えようぜ。スパロウ号の乗員たちの救出もあるからな」

 リトル・ジョンの言う通りである。情報を確かに海軍へ伝えなければならないのだが、今やアーティガル号は海賊化した商船という立場である。このままジャマイカにある海軍の駐屯地へ行くわけにならない。

 

 マリサ達はアイザックの情報を整理し、今後の動きを練っていく。

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