第18話 海賊黄金時代の始まり
そのころ、海賊たちが住みつき共和国としているナッソーでは住民たちが我慢の限界に来ていた。島の治安が悪くなり、海賊たちは海上だけでなく陸でも好き勝手にやっていた。住民たちが逃げて空き家となった家を占拠したり、若い女性をさらったりしていた。スペイン財宝艦隊の宝を奪い、金持ち気分のホーニゴールドはもはや巨頭となっており、総督を自称しているありさまだった。ホーニゴールドをなんとか逮捕してほしいと住民たちは役人のウオーカーに嘆願する。
「この島は海賊にのっとられた状態だ。海軍や政府も見切ったこの状態では我々は見捨てられたも同然じゃないか。頼むから何とかしてくれ!」
住民たちにとっては生活の場を奪われ、無法状態となったナッソーを取り戻し、秩序が保たれたナッソーとしたいのである。アン女王が崩御し、新しく国王を迎えたタイミングで政府に助けを求める気でいた。
「君たちの怒りはよくわかっている。奴らが略奪したスペイン財宝艦隊の宝をもっていることでスペイン政府ともめごとになるのは目に見えている。ホーニゴールドを逮捕したいのは山々なんだ。今すぐにでもホーニゴールドだけでなく海賊たちを追い出したいのだ!」
役人のウオーカーはそう叫んで頭を抱える。
そう……ナッソーに役人はウオーカー1人しかいない。政府と海軍が見切った状態であり、ウオーカー1人でやれることはないのである。
ウオーカーは海賊たちが略奪したスペイン銀貨を大量に持っていることで将来もめごとに発展することを危惧していた。解決したい気持ちがあっても自分一人では何もできない。
住民たちもそのことを十分承知していたのだが、それでも懇願するほどナッソーは海賊の島と化していた。
ホーニゴールドの集団に加え、若手の海賊ベラミーたちもホーニゴールド側につき、その集団はさらに膨れ上がる。ジェニングスを裏切り、宝を横取りしたベラミーは、さらに富を得て故郷で待つ恋人グッディと結婚をすることを約束していたのである。
そのグッディは図らずもベラミーの子を宿していた。婚前交渉が社会的に認められず、タブーとされたこの時代、グッディは家を追われた。金持ちになって帰ってくるとのベラミーの言葉を信じ、粗末な小屋で待ち続けることとした。
このことをベラミーは知る由もなかった。
ホーニゴールドの船団以外は国籍問わずあらゆる船を襲って荷や船を奪っており、国際問題に発展していた。この状況は政府や国王も把握しており問題の解決のために動き始める。
そうした社会情勢をマリサはウオルター総督や軍部から情報を得ていた。戦争に翻弄された時代遅れの海賊は今や時代の流れにのり、その先を読もうとしている。
”青ザメ”時代からの古参の連中や”光の船”壊滅後から加わった連中、そして海賊に無縁だった元海軍乗員の連中も自分たちの運命をマリサにかけていた。海軍上層部からもらった『命令書』には、仮に任務遂行にあたり海賊行為をしても罪にとらわれることはないとの文言が書かれている。それは以前、処刑を待つ身となったことのあるマリサが確認のために書いてもらった文言だ。そのことが彼らの安心にもつながっていた。
アーティガル号の連中は自然にナッソーの海賊集団と交流している。同じ店で同じテーブルにつき、酒を酌み交わすのだ。そしてアイザックを含めた連中は選り取り見取りの娼婦たちを抱いていく。これはこれで作戦の1つなのだろう。もっとも、酒乱で出禁のマリサは酒を飲んだり宿に泊まったりすることもなく、用がない時はもっぱら船で生活をしていた。どこの町の宿もそうだが、あのシラミがわいているベッドに我慢ならなかったからである。それは”青ザメ”時代から続いていることだった。
アーティガル号は交代で見張りを残しながら港へ停泊している。
この船がナッソーへ来たときは用心のために港から離れて停泊し、ボートで限られた人間が上陸をしたのだが、ジェニングス側についたとの情報がすぐに広まり、同じ海賊集団として受け入れられたためである。
海軍上がりの5名を除いてアーティガル号の乗員はもともと海賊だったり私掠だったりするので、『商船から海賊化』した彼らを断らない理由がなかった。
だがマリサはまだ知らない。このナッソーのどこかに義母ハリエットとエリカがいることを。そしてジェニングスにその所在を聞くことをしなかった。アーティガル号の連中を含めたシェークスピア劇団は静かに物語を進めていく。
一方、アーティガル号とスパロウ号を残したジェニングスの船団は拿捕船と略奪した財宝を納めてジャマイカにいたのだが、そこで衝撃的な事実を知る。
1716年7月。
資金を得るために私掠免許をジェニングスを含めた私掠の男たちに与え続けたジャマイカのハミルトン総督。私掠は海賊化し、外交問題となっており、ついにその責任を問われることとなったのである。
ある日イギリス海軍のアドベンチャー号が海軍の駐屯地があるジャマイカへ到着する。アドベンチャー号はジョージ1世の命令を受けていた。
(何か駐屯地に用があってきたのか?それとも海賊のことか……)
アドベンチャー号が港へ入ったことに不安を感じたハミルトン総督は、ジェニングスたちに私掠免許を与えたことで外交問題になっていることを知っていた。免許を与えた以上、その責任は自分にある。彼は覚悟をしていた。
トントン……。
ノックされたドアが開かれると海兵隊や役人たちが入ってきた。
「アーチボルト・ハミルトン総督閣下、あなたが
役人の言葉にうな垂れるしかないハミルトン総督は黙って鎖につながれた。これでカトリックであるが故に王位につくことができず、フランスへ亡命をしているジェームズ・スチュアートへの資金提供が難しくなった。
ハミルトン総督の逮捕を受け、新しくピーター・ヘイウッドが総督として任命される。ヘイウッド総督は海賊行為による調査を直ちに開始した。逮捕者はハミルトン総督以外に海賊行為を行ったり加担したりした者にも及んだ。
こうした事態にジェニングスはすぐさまジャマイカを離れた。英語を話せないジョージ1世はついにジェニングスの行為を海賊行為だと認め、逮捕状が出されたのである。ジョージ国王からは次のような声明が出されていた。
『海賊行為を働いた罪で国の裁判に出頭を求める』
それまで自分は私掠船の船長であり、やっていることは私掠行為だと言い聞かせていたのだが、国王が正式に自分を海賊であり、やっていることは海賊行為だと認めたのだ。
「我らはナッソーへ行く。残念だが、拠点を移さねばならない」
追手が来ないうちにすぐさま船を出さねばならない。ジェニングスは乗員に指示を出し、ジャマイカを離れた。
ジャマイカに土地を持つ裕福なジェニングスだが、このままでは住むことさえできない。土地財産のことよりも自分の身の保全が優先しなければならなかった。
ナッソーにはジェニングスが見下すホーニゴールドやジェニングスを裏切ったベラミーがいる。かつて卑しいホーニゴールドを馬鹿にして船を奪ったジェニングスは、どの顔でナッソーへ入ったらよいか考えていた。ジェニングスの自尊心は限りなく揺らいでいたのである。
その自分を新たに仲間に加えたマリサ達アーティガル号の連中はどうみるだろうか。
(人質が我がもとにある限りマリサは私の言いなりだ。このカードをたやすく離すのは愚かしいことだ)
ナッソーへ向かう間、流れる雲を見ながらジェニングスは今後のことを考える。
ニュープロビデンス島ナッソーの総督を自称するホーニゴールドは多くの海賊たちを仕切っている。自分は彼の配下にならねばならないのか。ジェニングスの心は迷いと不安が交差していた。そしてそれはベルシェバ号の乗員たちも同じだった。
「船長、ナッソーでも俺は役に立ちます。ナッソーを制圧するのはジェニングス船長だと奴らに知らしめてやりましょう」
黙り込んでいるジェニングスのそばへ一人の若者がやってくる。幼いころから娯楽として海賊や罪人の処刑を見て育ったヴェインである。残虐非道なことを平気でやってのけるヴェインは、これまでにも拿捕船の乗員を拷問したり、略奪のときは何人もの人を傷つけてきた。
「ああ、何かあったら頼む。穏便にホーニゴールドと交渉できればいいのだが」
ハミルトン総督逮捕と、国王の海賊対策によりジェニングスにも逮捕状が出たという知らせは各地を巡る船乗りをとおしてナッソーにも広まる。
「英語を話せない国王はやっと『海賊』という言葉がわかったようだな」
酒場で男が言うと周りの連中もゲラゲラと笑い出す。
「ここは国や海軍が見捨てた島だ。英語を話せないなんて関係ねえよ。ここは海賊の国だぜ」
別の男がそう言うと、そうだそうだと同意をする声が上がった。
「海賊の島だろうと何だろうと、あたしらにはどうでもいいことさ。さあさあ、たまった代金を払っとくれ。払わないと出禁だよ」
追い立てるように小太りの女がまくしたてる。この女は以前、マリサがビッグ・サムとやりあった際に挑発した女である。
「……ジャマイカのハミルトン総督が逮捕された?じゃ、グリンクロス島のウオルター総督は大丈夫か」
酒場で飲んでいたリトル・ジョンが言うと小声でハーヴェーがささやいた。
「ウオルター総督がだしたものは特別艤装許可証であって私掠免許ではない。そしてそれは自衛(Self-Defence)目的であり、事あらば海軍への協力が前提条件だ。”青ザメ”が持っていた私掠免許自体は昔デイヴィージョーンズ号の前船長であるロバートが当時の国王から与えられたものが引き継がれていた」
「ということは、俺たちの私掠免許は有効なのか?」
「考えたこともねえよ。ま、取り分を真面目に国へ治めていたんだから文句を言われなかったんだろうがな」
そう小声でいうとハーヴェーはビールを飲み干した。
他の店では若手の連中がアイザックを引き連れて飲んでいる。アイザックが胸の大きい女が好みだというので娼館へ連れてきたのだ。
「あら、なかなか男前じゃない。若いし、あたしの好みね」
長い黒髪をまとめた女がアイザックのそばに来る。確かに胸が大きい女だ。
「国じゃなかなかいい女に巡り合わなくてね。君に会えたのは奇跡だよ」
貴族出身のアイザックはどこか気品がある顔立ちだ。二人は意気投合すると二階にある部屋へ連れ立っていく。
アーティガル号では酒場に出禁となっているマリサがオルソンと町を見つめていた。
「アイザック様はなぜあのように酒と女におぼれてしまわれたのです?いつも兄のアーネスト様やルーク様の後を追い、素直なかたでしたのに」
アイザックが乗船して以来、使用人としての立場が見え隠れするマリサはアイザックの変わりように戸惑っていた。
「私も長く船に乗っていたからな。気づいたときはすでにあのような状態だった。三人兄弟の末っ子とあって何か満たされないものがあるのだろう。そうはいってもいずれは自制をするように仕向けないといけないと思っているところだ」
オルソンは目をつぶり、ため息をついた。
「事件が解決したらきっとまっとうな人生を送られることでしょう。それを信じるしかないですね」
マリサは内心、事件解決のために密航という手段をとってまで仲間に加わってくれたアイザックを嬉しく思っていた。
そのナッソーへついにジェニングスたちの船が到着する。今度はナッソーを拠点とするためだ。
ホーニゴールドのもとでまとまっていたかのように見えたナッソーはたちまち大騒ぎになった。
船から降りるさまを遠巻きに見る海賊たち。私掠行為で自分たちと張り合っていたジェニングスは彼らにとってもう一人の巨頭だった。だがその目つきは冷ややかである。
「ほう……。ホーニゴールドを挑発したジェニングスは逮捕を恐れてナッソーへ逃げてきたということかい」
「さてな。金持ちの坊ちゃまは戦い方を知らねえらしい」
男たちがひそひそ話している中、ジェニングスはホーニゴールドが入り浸っている店へ向かう。
ジェニングスはかれらの視線とひそひそ声に緊張を増していた。
ホーニゴールドと対峙しなければならないのである。しかも明らかに自分の立場は弱い。
店へ入ると一斉にホーニゴールド側の海賊たちが敵意を見せる。そしてジェニングス側も武器に手をやり、まさに一触即発状態だった。互いに視線を投げかけて対峙し、誰もがこの後に血みどろの戦いが起きると思っていた。
しかし、ここでホーニゴールドが巨頭としての手腕を見せる。
ジェニングスに逮捕状が出たことや、ナッソーへ来た目的を理解していたホーニゴールドは席を立つとジェニングスに歩み寄る。
そしてざわついていたその場を静めると、巨頭の1人としてこう宣言したのである。
海賊には敬意をもって扱われる『海岸の兄弟の誓い』により
・船長には手当が支払われる。
・乗員には略奪したものが分配される。
この他にも船上では民主的に物事を決める『海岸の兄弟の誓い』を唱えたのだ。以前からあった『海岸の兄弟の誓い』がここでまとめられ、平等主義の掟として形となっていく。それはマリサ達にはすでに当たり前のことであったが、それをここで皆に周知されたのだ。
「よく来られた。今日からジェニングス船長とその仲間もナッソーの住民だ。共にここを大きくしていこう」
そう言ってジェニングスと握手をし酒を酌み交わした。
これにはジェニングスも驚きだったが、自分たちが受け入れられたことは安心材料だった。新たな巨頭の誕生とホーニゴールドの宣言によりその夜は賑やかな夜となった。
こうして海賊黄金時代は幕を開けたのである。
ホーニゴールドの『海岸の兄弟の誓い』宣言や、ジェニングスがナッソーの巨頭の1人となったことは、酒場から帰った連中によりアーティガル号のマリサの耳に入る。
「ナッソーも無法地帯からやっと掟に基づいたマシな島となるのか?まあ、それでも海賊のふりは続けておこう。まだ幕はあがったばかりだ」
あのジェニングスがホーニゴールドと酒を酌み交わし、手を組んだことに驚きながらもそれは間違いではないと考えた。
「ナッソーは今までになく巨大な力を持ってしまった。他所からきた英語を話せない国王は海賊をつぶしにかかるだろう。政治の力を利用し、力をつけた海軍とやがて戦わねばならなくなる。そのときあたしたちはどう動くか。今はジェニングスの船団に加わっているが、エリカとお義母さんを救出し、スパロウ号の乗員の消息をつかんだら船団から離れる。たとえそれが『裏切り』だとジェニングスからいわれても、拉致という卑怯な手段をジェニングスはとった。裁かれるべきは彼らだということを忘れるな」
連中にそう話すと何かしら胸が痛んだマリサ。本当に長い間エリカとハリエットに会っていない。幼子の成長は早い。その成長の様子を見ることなく今日まできてしまった。
(エリカ……どんなに大きくなったのだろうね……)
子を産む痛みを知っているマリサはそれを失う痛みも理解していた。
言葉なく夜空を見上げるマリサの様子に、さっきまで酒臭い息を吐いていた連中の酔いが醒めていく。
「大丈夫。作戦はみんなで遂行するものだ。俺たちは同じ船に乗っている運命共同体だからな」
最年長のハーヴェーが連中を鼓舞する。その姿をみて仏頂面のマリサの顔に笑みが溢れた。
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