第13話 拉致

 グリンクロス島を出たアーティガル号の航海は、海賊たちと遭遇することなく順調に終わり、連中もやれやれと言った表情で荷下ろしにかかった。


「よう、海賊に巻き込まれかけて心配をしたが何とか無事に帰ってこれて良かったな。真面目に俺たちはマリサがどう出るか心配したぞ」

 荷のリストをみながら港の使役に指示を出していくモーガン。連中の中で一番計算強く、頭の中で難しい計算もササっとやってしまう。これまでにも元海賊だからと見下し、不正を試みた商人がいたがモーガンの敵ではなかった。以前マリサが始末した裏切り者のコゼッティが主計長をやっていたときは、どんぶり勘定もいいところで計算が合わないことも間々あったが、マリサの育ての親だったあのデイヴィス船長でさえ、自分がそこまで計算強くなかったことから強く言えなかったのである。


「心配をかけたがなんとか無事に帰ってこれて良かったとあたしも思っている。海賊共和国はあたしたちが海賊をやっていたときよりも勢力が増している。この船が特別艤装をしていることやあたしたちが元海賊であるということから興味を持たれているのだろう。”青ザメ”はイギリスを敵にしない私掠上がりの海賊(buccaneer)だった。そしてそれが初代の船長ロバート(マリサの実父)やデイヴィスの意思であるならそれはこの先も変わらない。……もし何か選択をせまられるとしたら……」

 そう言ってマリサは考え込む。あのジェニングスが何か企んでいる気がしたのだ。

「何か選択を迫られるとしたら?そんなときがくるのか」

 モーガンは一瞬マリサの顔を見る。

「……何か選択を迫られることがあれば女優として動くだけさ」

 と、マリサが笑う。いつも仏頂面のマリサがこんな笑みを見せるのは何か考えているということだ。

「大耳ニコラスがよく言っていたシェークスピア劇場のことか?なんだ、まだ終わっていなかったのか」

 連中の中で一番博識であり知識人だった大耳ニコラス。彼もすでにデイヴィスと同じ過去の人だ。

「まだ2幕までしか演じていないからな。まあ、3幕目を演じるようなことが起きないことを願いたいところだ」

「全くな。これからは平穏無事でみんながおじいちゃんになればいいと思っているさ」

 モーガンの冗談にマリサが再び笑顔を見せた。


 マリサたちはまだ知らない。あのスパロウ号がジェニングス一味によって奪われ、フレッドやグリーン副長含む乗組員の生存者たちが孤島へ置き去りにされていることを。彼らは船を奪還するためにまずは生き残るすべを求め、日々戦っているのだ。


 港はとても賑やかだ。港勤務の軍艦もあるが、戦争が終わった今、海上輸送が盛んで大小の船が出入りしている。使役の男達だけでなく乗り組み員たちの家族も出迎えや見送りに来る。港から離れたところに停泊する船には小型のボートが輸送のために出ており、それを生業とする人々もいるわけだ。


「そういえば出迎えがないんじゃないか。いつもかわいいエリカちゃんが俺たちに愛嬌を振りまく様はまるで守護神だぜ」

 モーガンは荷降ろしの指示と数検査を済ませるとあとは使役に任せ、港を見渡した。

「守護神だって機嫌の悪い時はあるんだよ。だからあたしがあやしに帰らなきゃならないんだ」

 多分忙しいのだろうと思い、マリサは荷物をまとめると連中より先に船を降りて家へ向かった。



 会えなかった日々。エリカへの思いは募る。大人と違い子どもはわずかな月日でも目に見えて成長をしていた。マリサが赤ちゃんの頃そうであったようにエリカも小さめに生まれて痩せていたが、それを打ち消すかのようによく食べた。マリサが帰るたびに抱き上げるとエリカの重みが腕に伝わってきて成長を実感していた。

 家では義母ハリエットとともにエリカが待っている。今度はどれだけ成長を見せてくれるのだろうとマリサは期待に胸を膨らませる。


「お義母さん、エリカ、帰ったよ。寄り道していたから予定より遅くなった」

 そう言ってマリサが家の中へ入ったのだが、家の中は静まり返っており、マリサの声が響くだけだった。


(でかけているのかな……)


 散歩へ出かけているのだろうと思い、マリサは荷物を置く。だが何か様子がおかしい。


 編みかけのタティングレースが無造作に床に広がり、エリカに使っていた歩行器がひっくり返っている。そして台所ではパンが固くなってカビもはえていた。


(お義母さんはいつもタティングレースが汚れないように籠に入れていた。パンがカビけているということは、この状況から時間がたっているということか)


「エリカ!エリカ!……お義母さん!」

 声を出して家じゅうを探すマリサ。ただ事じゃない、事件だ、と心が乱れる。だが、どこを探してもエリカとハリエットの姿はない。マリサは茫然と立ち尽くす。


(何が起きた……?)


 家を出て隣近所の住民に聞いてみるが、ここしばらく二人の姿を見ていないとのことだ。もう何が何だかわからず、家の中にあったエリカのおもちゃを手にすると自然と涙が溢れてきた。


 そこへ誰かが家の戸を叩く音がする。マリサは涙をぬぐうと来客の応対をする。


「あなたはマリサさん?これを預かっています」

 来客は貧相な服を着ている男の子でマリサに手紙を差し出した。

「手紙?誰から?」

「知らない人からこの家の住人が帰ったら渡すように言われて預かった。確かに渡したよ。これで僕はお金がもらえるんだ」

 男の子はそういうと通りの雑踏へ消えていった。

 

 男の子の行方よりも手紙のことが気になり慌てて開く。


 『あなたの可愛い娘と義母は大切な客人としてナッソーへ向かっている。この手紙が届くころは私の手の中にあるだろう。あなたには私と交渉する権利がある。もちろん商船としての立場を邪魔するものではないが、権利の行使のためにナッソーへ来るのならいつでも歓迎をしよう』

 差出人 ヘンリー・ジェニングス


「ジェニングス!」


 マリサは手紙を何度も読み返す。状況が理解されると怒りが湧き上がってきた。

 エリカとハリエットは彼の一味に拉致されたのだ。海賊とは何ら関係のない一般の市民である二人が自分のことでまきこまれてしまった。


 一人では解決できないことだ。ナッソーへ、あのナッソーへまた行くことになるのか……。様々な思いが溢れ、涙が出たが、その怒りと悲しみが混じった思いを飲み込むと港へ急いだ。


 

 船では家に帰ったはずのマリサが血相を変えて船へかけってくるものだから、アーティガル号に残っていた連中は不思議に思う。

「どうしたマリサ、忘れものか?」

 冗談まじりに声をかけるが、マリサの表情から何か起きたことを感じ取る。

「……エリカとお義母さんがジェニングス一味に拉致された。助けへ行かなきゃ……」

 マリサはハーヴェーの顔を見ると緊張が解け、泣き崩れる。

「ジェニングスに?狙いはこの船か……?」

 ハーヴェーやモーガンだけでなく他の連中もジェニングスがアーティガル号と元海賊の自分たちに興味を示していることを知っている。

「そうだ。……でもだからと言って関係のない人間を巻き込むなんてあんまりだ。二人を助けに行かなければならない……今すぐにでも」

 ハーヴェーはマリサを落ち着かせると残っていた連中を集めた。


「まずはオルソンをよぶんだ。もうこれは緊急事態だ。船のオーナーの1人としてだけでなく”青ザメ”の仲間として復帰してもらう必要がある。マリサ、早馬に手紙を託せ。そしてこのことは海軍にも報告をしておけ。スチーブンソン士官の家族である民間人が拉致されているという状況を報告するんだぞ」

 ハーヴェーの言葉に何度も頷くマリサ。体が震えて涙が止まらないでいる。今まで連中に見せなかったほどの動揺ぶりだ。なんとか手紙を書かせ、オルソンの屋敷まで早馬で言づける。


 その頃には少し落ち着きを見せたマリサ。だがこの状態では一人で海軍の事務所へ行くのは心許こころもとないだろう。ハーヴェーは仕事を連中に任せるとマリサとともに事務所へ向かった。



 海軍の事務所では元海賊の、しかも民間の商船の乗組員が来たものだから何事かと不審がられた。張り付くように周りに位置する海兵隊員たち。

 そして事態を知った出帆していない船の艦長たちが集まり、応対することになった。

「いったいどうされたのです?あなたたちがそんな憔悴しきった顔を見せるということは何かあってのことですか?」

 一人の艦長がその場にそぐわない客人たちへ声をかけてきた。

「……あんた達海軍はいったいいつまでナッソーを放っておく気だ……。あたしたち民間人が安心して航海を続けられるように働くのが仕事じゃあないか。……あたしの子どもとお義母さんが拉致された……助けに行くため船の艤装を使う許可が欲しい。アーティガル号の艤装は自衛(self defense)、もしくは海軍の協力が前提条件だ。だから許可を申請したい」

 マリサはそういうと、例の手紙をみせ、気持ちを落ち着かせながら状況を報告した。


「ナッソーの状況は我々も知り得ていることだ。ジャマイカの駐屯地からも船が何回か海賊討伐を試みている。ヘンリー・ジェニングスだけじゃなく他の海賊たちの情報も周知している。だが、我々は国王陛下の海軍だ。命令がなければ勝手に航海をすることができない。それに先日入った情報だが、”青ザメ”とかかわったことがあるスパロウ号は海賊討伐にむかったまま消息が不明となっている。どこかで海難事故にあって沈没したとは考えにくい。我々の命令で動くなら……」

 艦長たちの1人がそう言ったとき、マリサはあることを思い出す。

「スパロウ号が行方不明だって?あたしたちはスパロウ号をナッソーで見かけたぞ。旗は上がっていなかったが確かにスパロウ号だった。”光の船”壊滅のときと同じように作戦として海賊に扮し、ナッソーへ入っていたんじゃないのか」

 マリサの言葉にハーヴェーも頷く。


 驚きのあまり顔を見合わせる艦長たち。

「乗員たちにあったのか?エヴァンズ艦長やグリーン副長、そしてあなたの伴侶であるスチーブンソン君……ともに戦ってきた仲間だろう?」

「いや……あのときは遠目だったから顔の区別などつかなかった。だけど海軍の制服を着ている者がいなかったのは確かだ。じゃあ作戦じゃないとしたらどうしてナッソーにスパロウ号がいたんだ……」

 マリサに再び動揺が走る。エリカと義母ハリエットが拉致され、かつて経験したことがないほど精神が不安定だ。

「……スチーブンソンさん少し時間をくれないか。どうやらあなたたちと我々の目的地は同じであるようだ。近いうちに必ず返事をする。それまでに必要な物資を積み、艤装を怠るな。商船としての仕事も断らねばならないだろう」

「……お願いします……なるべく早く返事を下さい」

 マリサはやっとの思いでそういうとハーヴェーと連れ立って事務所を出た。



「なんだかまた大事おおごとになりそうだな……。アーティガル号の特別艤装を海軍協力のために使うこととなるようだ」

 ハーヴェーが声をかけるもマリサは無言だ。大切な家族が3人とも巻き込まれている。偶然であるにしても今のマリサにはこたえるものだ。


 まるで四方を敵に囲まれているかのようにマリサは厳しい顔つきで街並みを歩く。そして家へ着くとやっとの思いでハーヴェーに言った。

 

「……あたしは負けない。こんなことで負けやしない。だから連中に言ってくれ。3幕目の始まりだ、とな」

 

 その言葉にマリサの固い決意を感じたハーヴェーはもう一度女優マリサにかけてみることとした。

「ああ、連中にしっかりと伝えるよ。またおじいちゃんになり損ねるだろうが、しっかりと劇場の3幕目を見届けさせてもらうぜ。天国で大耳ニコラスが悔しがっているだろうな」

 そう言ってマリサと別れると船に残っていた連中とリトル・ジョン船長代理に状況説明とマリサの伝言を伝えた。



 がらんとした家に一人たたずむマリサ。事件が起きた時のまま時が止まっており、気持ちを落ちつかせながら家を片付けていく。それはこの事件を必ず解決し、再び家族で住むことができるようにとマリサの思いの表れだ。そうすることで少しずつ落ち着きを取り戻していく。


(また一緒に暮らそう。エリカの成長を見てやりたいしお義母さんと一緒に料理や刺繍をしたい。そして……フレッドとやり直したい……あたしはフレッドのために掟を破った。あたしにはフレッドしかいない。だからみんなを必ず助けに行く)


 フレッドが自分を避けた理由はマリサ自身にあると思っている。


(もしあんたが望むんなら……事件が解決をしたらあたしは船を降りる覚悟だよ……)

 そう考えたとき、我慢していた思いが溢れ、涙が止まらなくなった。拉致された二人やスパロウ号の乗員の行方のことを考えると、船に乗り続けたのは自分のわがままじゃないかとさえ思えてならなかった。


(ごめん……今日は泣き虫のマリサだ……)

 マリサは椅子にもたれるとしばらく涙を流し続けた。それは連中の誰にも見せたことがない本心のマリサだった。



 それから一週間はたったろうか。アーティガル号の連中も揃い、出帆準備も進められた。本当なら海賊へ復帰した8人の穴埋めのため人員を補充しなければならないのだが、今回は商船の仕事ではないため私掠上がりの船乗りでないと使えない。武器を使える人員が欲しいところだが、なかなか見つからなかった。港へ溢れていた私掠上がりの船乗りたちは海賊化したり他の商船に雇われたりしたのだろう。


 やがて待ちに待った海軍から連絡があり、急いで事務所へ出向くマリサとハーヴェー。

「待たせてすまない。とにかく協議に時間がかかったのだ。国王陛下も一計を案じている。では、アーティガル号に艤装を使用する許可を出そう。君たちへの命令は海賊船として海賊共和国へ潜り込み、スパロウ号の乗員の情報を掴むことだ。そして家族を救出した後、我々はそれを受けて海賊共和国・ニュープロビデンス島ナッソーおよび海賊たちを叩こう。海賊の横行は目に余るものがある。我々は海の平和を取り戻さねばならない。力を貸してくれ。」

 このように海軍が認めているほどカリブ海をはじめ大西洋一帯で海賊たちは我が物顔で海賊行為を働いている。そして戦争が終わった今、海賊によって略奪されたり襲撃されたりした船の国々から苦情がイギリス本国へ届いていた。もはや国際問題である。


「わかりました。命令を有り難く受け、遂行させていただきます。ところで確認ですが、家族を救出した後で海軍があたしたちを討伐することはないでしょうね。以前、デイヴィージョーンズ号が沈められ、あたしは銃撃された後処刑を待つ身となった過去がありますから」

 そうマリサが仏頂面のまま尋ねると役人は少し驚いたようだった。

「国王陛下の海軍を信じないというのか。まあ、あのことはガルシア総督を殺されたとの疑念をもったスペインを納得させるためにやったことだ。今回はその心配をすることはないだろう。例え命令を遂行するにあたり君たちが再び海賊旗を挙げることがあってもな」

 役人の言葉を聞き、頷くマリサとハーヴェー。二人はそのことも命令書に書き表してもらう。



 命令を受けて船に向かう二人。相変わらず港は賑やかだ。アーティガル号は桟橋がかけられたままであり、海軍から依頼を受けた使役が弾薬などを運んでいる。

 そして待ち望んでいた人影を見つけ走り寄る。背の高い気品ある人影……”青ザメ”では砲手長を務めたアーティガル号のもう一人のオーナーであるオルソン伯爵だ。

「オルソン!来てくれてありがとう」

「久しぶりだな。手紙を読んで慌てて準備をしたよ。領地のことはもう大丈夫だ。アーネストと細君は仲良くしており、私の不在時に領地を任せられるほどになった。……心配だったな」

 そういって巻き毛のかつらを外したオルソンはもう貴族の顔でなく仲間の一人の顔だ。領地を息子へ任せられるようになったことから安堵しているのだろう。

「先ほど海軍から命令を受けた。これから連中にも詳しいことを話すからまずは集まろう」


 マリサ達は船に乗ると使役達が荷を積み終えるタイミングで連中を集め、与えられた自分たちの仕事について周知していった。そのために再び海賊旗を挙げることになるだろうとの言葉にどよめきが起きるが、あくまでも命令で動いていることを忘れるな、と釘を刺した。


「まずは平和ボケしてなまった体を鍛えておけ。頭がお花畑じゃ返り討ちだからな」

 砲手長であるオルソンと剣を教え込むギルバートが連中の前に立ち、鼓舞する。


 

 こうしてアーティガル号は海軍の命令のもと、ハリエットとエリカを救出しスパロウ号の乗員の安否を調べるためにカリブ海へ向けて出帆した。

 

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