第11話 ナッソーの喧騒

 そのころマリサ達はグリンクロス島で荷を降ろし、帰り荷の積み込みの準備をしていた。いつもの連中の英気を養うために数日は停泊する予定だ。マリサがウオルター総督のもとですごしている間、多くの連中は酒場や娼館で過ごすのである。


 ニュープロビデンス島ナッソーから離れたこの島でもあの噂は伝わっており、連中の興味をひいた。

「おい、聞いたか。ホーニゴールド船長率いる船団はスペイン財宝艦隊の宝を回収して金持ちになったらしい」

「ナッソーには一攫千金を夢見て海賊化した私掠が集まっているそうだ。国が手を引いてからあの島は海賊の島が住みついている。海軍も近寄ることができないほどだ」

「度重なる戦費で国々の財力が落ちた。景気のいいのは海賊ぐらいじゃないか」

 酒場に限らず港の界隈はこのような話でもちきりだ。人の噂は尾ひれを受けてどんどん広がっていく。もちろんこのホーニゴールドが宝を得た話やナッソーの状況はウオルター総督も耳にしている。


 酒場ではアーティガル号の乗員たちも周りの男たちから嫌というほどこの話を聞かされた。元海賊や元私掠の乗員たちは一攫千金の喜びを知ってるだけに胸躍るものがあった。その心と恩赦によって自由の身となったことが相変わらず天秤にかけられている。


「ハーヴェー、なんだか連中の落ち着きがなくなったような気はしないか」

 連中の様子はどこかそわそわし、言動が一致しないものまで現れている。このままでは協力体制が必要な航海の妨げになるとマリサは危惧した。

「例のナッソーの喧騒けんそうのせいだよ。古参の俺たちは恩赦で命が助かった重みを知っているが、後から仲間に加わった連中は海賊稼業で一攫千金を得るあの衝動が忘れられねえんだよ」

 掌帆長のハーヴェーも連中の変化に気付いていた。以前よりも展帆や縮帆に時間がかかっているからである。

「……もしも民主的に全員が海賊に戻りたいと言ってきたらお前はどうする気だ?」

 ハーヴェーの質問はマリサを悩ませる。


 

「船では民主的に物事を決めるのがあたしたちだ。……そうなればそれに従うしかないだろうが、アーティガル号のもう一人のオーナーであるオルソンの了解をとらねばならない。はあってはならないんだ」

 海賊の頃に貯めたお金を勝手にオルソンによってアーティガル号の建造費にあてられ、しかも事後承諾だったマリサ。腹もたつがマリサ自身も新たな船に期待を持っていたのでオルソンを恨む考えはなかった。

「ウオルター総督も恩赦が無駄になることを望んではいない。俺たち古参は今さら命を懸けることは避けたいんだ。だがこの航海中にその選択はおきるかもしれないな。覚悟をしておけよ、マリサ」

 実はマリサもウオルター総督の屋敷に滞在中、ナッソーの喧騒けんそうについて話していた。遅かれ早かれアーティガル号は巻き込まれるだろう、そう考えていたのである。

 

 

 そしてマリサの不安材料はまだあった。スチーブンソン家の周りにうろついていた怪しげな男たち。以前コーヒーハウスでマリサに剣を向けたジャコバイト派の男の発言。

 英語を話せないジョージ1世は国のまつりごとを初代首相であるロバート・ウォルポールに任せた(この体制は『国王は君臨すれども統治せず』という責任内閣制を促すことになる)。イギリス議会で上院をタウンゼント、下院をウォルポールが指揮することになった。ハノーヴァー王朝の成立とともに議会ではジャコバイト派が多かったトーリー党にかわりホイッグ党が政権に返り咲いていた。

 

(ジャコバイト派はアーティガル号とあたしたちを巻き込む気でいる)

 政治に対して興味はなかったが何かしら大きな波が押し寄せようとしているのを感じていた。



 翌朝、グリンクロス島を出帆し、本国へ向かったアーティガル号で事件が起きる。


 連中のうち8人がリトル・ジョン船長代行とマリサに銃を突きつけたのである。仲間に不意打ちを食らい、信頼していたリトル・ジョンとマリサ達はこのことにショックを隠せないでいる。

「何が不満なんだ。給料も未払いだってないし他の商船に比べたら民主的だ」

 マリサが尋ねるが、8人はそれ以上のものを望んでいたのである。何よりもマリサがショックだったのは”青ザメ”からの仲間であるフェリックスがその中にいたことだ。戦時中総督の命令で海軍に協力をしたが、戦後に”青ザメ”が討伐の対象になることを知り、自分だけでなく連中も助けるために悩みながら身をもって奔走した日々。その願いは叶い、連中は恩赦を得て自由の身となった。だから今は商船の乗員としてまっとうな生活を送っている。そしてそれは同じく”光の船”の収容所から逃げ延びた私掠や海賊の仲間も恩恵にあずかってアーティガル号に乗っているのだ。


「不満じゃあない、俺たちはもう一度夢を見たいんだ。こう言っても反対されるだろうからこんな手段をとらせてもらった。俺たちは海賊だった。まっとうな人生も悪くないが、同じ死ぬなら宝を追っていきたい。ナッソーへ行ってくれ。さもなくば船を奪うまでだ」


 フェリックスは真剣な面持おももちである。若くはないが若手の連中に声をかけ、鍛えてくれていた。海賊としてに働いてくれていたのだが、ここへきて賭け事のような日々を思い出し、求めているのだろう。それは共に反乱を起こそうとしている他の7人も同じであった。

 

「彼らの気持ちはもう決まっている。引き留めてもだめだろう」

 そのようにリトル・ジョン船長代理から耳打ちされたマリサは彼らの要求をのまざるを得なかった。ただ、ナッソーへ立ち寄るには不安材料があった。ナッソーと言えば略奪をする海賊たちが住みついており、その様子はマリサも経験していたからだ。


「わかった。引き留めても無駄だろうからあんた達をナッソーへ送り届けることにしよう」

 マリサはそう言うとリトル・ジョンに指示を出す。

「ナッソーへ立ち寄るとなると帰り荷の納品が遅れることになる。できるだけ船足を急がせろ」

「やるしかねえな。ナッソーは以前よりも勢力が増している。俺は船長代理として船を守らねばならん。本当は近づきたくないもんだがな」

 リトル・ジョンが言う通り、海賊たちの興味があろうとなかろうと船に積んでいる荷を国へ無事に届けねばならない。それ以上にアーティガル号を海賊たちの拿捕から守らねばならず、近寄るだけでリスクを伴う。


(ハーヴェーの予感が当たったな……。全員が海賊に戻りたいと言ったなら別だが、これでは同じことが起きるかもしれない。オルソン、いい加減に船に乗ってくれ……)

 船のもう一人のオーナーであるオルソン伯爵はマリサの復帰の呼びかけにも応じられないでいる。いくら長男アーネストが結婚したとはいえ、伯爵家の務めを引き継ぐのは当主が亡くなってからのことだ。マリサの成長に大きくかかわったアルバート・オルソン伯爵はもう一人の育ての親と言えた。それだけにマリサは信頼を寄せており、オルソンの復帰を待ち望んでいた。



 アーティガル号は針路をニュープロビデンス島ナッソーへ向ける。反乱を起こした連中は以後、リトル・ジョン船長代理とマリサに見張りをつけたほかは連中と同じように仕事をしていた。それでなくても人手不足である。自分たちも動かなければ航海も無理だということをよく知っているのだ。


 

 1716年。

 航海を続けるうちに気温が上がり、突然の雨や強い風にあいながらも航海は続き、船はニュープロビデンス島ナッソーへ着く。サンゴ礁からなる起伏のあまりないこの島は、港だけでなく沖合にも何隻かの船が停泊していた。もちろんすべて私掠船や海賊船であった。

 以前のマリサ達なら海賊として堂々とここへ来たのだが、アーティガル号は商船であり、自分たちはまっとうな乗員なのだ。警戒をながら港へ近づく。


 連中に緊張が走る。今度は海賊にやられる立場である。万が一に備え、ナッソーで降りる8人を除く連中は船が桟橋に着けられる前からこっそりと戦闘の準備をする。


「マリサ、わがままを聞いてくれてありがとうな。お前に助けてもらった命だがもう一度俺たちは自由にやりたいんだ。どうせ死ぬなら夢を追って死ぬ。そんな人生も悪くねえと思っているさ」

 桟橋を降りる前にフェリックスが言った。

「あんたたちが選んだことだ。海賊復帰おめでとうと言ったらいいのか?ただアーティガル号を狙えば当然こっちも迎え撃つからな。まあ、元気でやってくれ」

 マリサが言うと男たちは笑顔を見せた。それは明らかに堅気の乗員ではなく海賊の顔だった。


 桟橋を降りていく8人はどこかの海賊に加わるのだろう。それを見届けるマリサ。そしてすぐさま出帆準備に取り掛かる連中。ここにいつまでもいる理由はない。


 

 そうして彼らが飲み屋や宿屋がある界隈へ消えたのを確かめ、急いで出帆をしようとすると誰かが声をかけてきた。

「やあ、君があのマリサか。堅気かたぎに飽きて復帰を決めたのか」

 声をかけてきたのは役人や貴族のように巻き毛のかつらをかぶり、身なりもきちんとした男性だった。警戒して男を見るマリサ。

「あたしのことを知っているあんたは誰だ?」

「これは失礼した。私はベルシェバ号の船長をしているジェニングスという者だ。君たちに話があるが、どうだ、酒でも飲まないか」

 二人の様子を見ていたリトル・ジョン船長代理とハーヴェーが心配してマリサのそばに来る。

「なかなか羽振りがよさそうな感じだが、残念ながらあたしたちはナッソーへ寄り道をしたことで航海の日程が遅れている。これ以上ここで時間をつぶす暇はない」

 マリサの言葉に笑みを浮かべるジェニングス船長。

「ほう、それは失礼した。では本題にいこう。さっきの男たちの様に海賊に復帰する考えはないのか。船もあの老朽化したデイヴィージョーンズ号から新しいものに変わっているじゃないか。しかも商船でありながら堂々と艤装をしている。まるで海賊復帰を前提にしているように思えるのだがね」

 ジェニングスの言葉に顔色が変わるマリサ達。それはマリサ達にとって一番触れられたくないことだ。

「……ジェニングス船長、あんたが何を企んでいるのか知らないが、あたしたちは恩赦で命を助けられた身だ。それを無駄にしたくはない。そしてこの船の艤装は総督の命令があっての艤装だ。海賊行為をするためのものじゃない。残念ながらさっきの8人と違って海賊へ復帰する考えはない」

 そう言ってリトル・ジョン船長代理に出帆を促した。


「錨を上げろ!出帆を急ぐぞ」

 リトル・ジョンの声に連中が動き出す。


「なかなかいい統率力だ。私はあきらめない。君たちはまた私の前に現れるだろうよ」

 ジェニングスは必ずアーティガル号を仲間に加えようと考えている。その狙いはマリサ達にも伝わった。

「あんたが気に入ってくれているのは有り難いが、できれば海賊目的じゃないときに言ってほしいね」

 マリサはそう言ってジェニングスを見つめる。それに対してジェニングズの返答はなく、ただ彼は笑っているように見えた。


 ナッソーの海賊たちを刺激しないためにも長居は無用とばかりにアーティガル号はナッソーを後にする。そこでマリサ達はあるものを目にする。


(あれは……スパロウ号……?)


 今までに何度も見かけたスパロウ号。間違えることはない。ただ、なぜか国の旗や軍旗も上がっていなかった。


(どういうことだ……海賊討伐の作戦なのか)


 まさかそれが奪われた船であると思わなかったマリサ。それは以前、”光の船”の壊滅作戦で提督の艦隊が海賊に扮してやってきたことがあり、それを思い出したのである。

「海軍はさっそく秘密裏にナッソーへ入っているようだな。まあ、じきに国の統治が復活するだろう。略奪と殺人の島は地図からなくなるということだ」

 マリサのつぶやきにリトル・ジョンが笑う。

「ついこの前まで俺たちもその連中の1人だったということを忘れたみたいだな」

 自分たちは立場こそ違うが略奪と殺人は同じだった。ウオルター総督の恩赦がなければみんなこの場にいなかっただろう。だからこそマリサ達は助かった命を無駄にしたくなかったのである。

「うるせえって言いたいところだが、ナッソーで降りた8人はその重みを知ったうえで海賊を選んだんだ。身の安泰と一攫千金の夢は天秤にかけてもその重みは人によって違うから8人のような選択があっても仕方がないと思う。だが、こんな選択はもうごめんだ」

 小さくなっていくスパロウ号に別れを告げ、アーティガル号は船足を早めていった。


 マリサに誘いをあっさりと断られたジェニングス。

「さて……財宝艦隊の宝を回収したのホーニゴールドにこちらの宝を見せびらかせてやるとするか……」

 船足を早めるアーティガル号を見送るとジェニングスは次の行動に出る。

 

 

 海へ散ったスペイン財宝艦隊の宝の話を聞いて宝を探し続ける男たちは、ジャマイカのハミルトン総督から私掠免許をもらい宝を探したジェニングス船長のほかにも、アメリカ植民地ロードアイランド州ポールスグレイブ・ウイリアムズから資金提供を受けたサミュエル・ベラミーがいる。ベラミーは貧しいがゆえに反対された恋人グッディとの結婚を認めてもらうため、海賊行為に加わったのである。ベラミーが長い航海へ出たのちグッディは懐妊が発覚し家を追われて出産をするのだが、ベラミーは知らずにいた(この時代、婚前交渉はタブーだった)。

 金持ちになってグッディを迎えに行くというベラミーの意欲は、その後一年余りで捕獲した船舶や略奪した金額を考えても誰よりも稼いだ海賊として名を残す原動力となる。

 こうしてベラミーをはじめ、名を残す海賊たちが誕生していくのである。

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