第10話 奪われたスパロウ号

 スペイン船を襲ったことでジャマイカのハミルトン総督に抗議があったことを受け、処罰を恐れたジェニングスたちはニュープロビデンス島ナッソーを目指した。

 ハミルトン総督が私掠船を海軍に見立ててジャコバイトの反乱に役立たせようとしていたこともあり、略奪できる船は奪おうとも考えていた。 それは戦争が終わり、和平が結ばれたスペインとの間に無用な争いは新たな戦争を引き起こす可能性があることを意味していた。


 そしてジェニングスたちはニュープロビデンス島を目指す途中である海軍の船と遭遇する。グリーン副長とフレッドがいるスパロウ号である。



 ニュープロビデンス島ナッソーの状況把握と海賊討伐のためにカリブ海近海を航海していたスパロウ号。これまでにも海賊の被害者や船乗りたちが集まる港から情報を得ていた。そしてジャマイカのポートロイヤル港を起点としていたある船が海賊行為を行っていたという情報をつかむ。

「なんということだ……海軍の駐屯地があるここに我々の目をかいくぐって海賊行為を行う船が出入りしていたとは。ここまで知らされていなかったのは誰か擁護する者がいるかも知れないな」

 エヴァンズ艦長は驚きを隠せない。これまでにも何回か海賊を討伐したが、それは洋上でのことだ。大方の海賊船はナッソーを拠点にしているものだと思っていたのである。

「私掠船の名前はベルシェバ号。ヘンリー・ジェニングスが船長だ。奴らは艦隊を組んでスペイン財宝艦隊の銀貨を奪っている。戦争が終わった今、如何なる船も海賊から守られなければならない。海上の平和維持こそが今の我々の任務だ。討伐をやり遂げようではないか」

 エヴァンズ艦長の言葉に士官や水夫たちは歓声を上げる。


 そして偶然にもジャマイカを離れ、ニュープロビデンス島へ向かっていたジェニングスのベルシェバ号を発見する。これまでにもその姿をジャマイカのポートロイヤル港で見たことがあった。あの時はまさかそれが私掠船だとは思ってもみなかったのだ。


 スパロウ号は彼らの船をつかず離れずの距離で後を追う。何か証拠をつかもうとしていたのである。そしてそれはジェニングスたちも気づくことになり、いつかは接触があるだろうと思っていた彼らは温かく海軍を迎えようとしていた。

 

「ほう、海軍様は我らの存在にようやく気付いたか。海賊行為をするからと言ってナッソーにいるとは限らないんだよ」

 そう言って自分たちが目をつけられたことを喜ぶジェニングスはある作戦を思いつき、部下に指示を出していく。


 ベルシェバ号はスパロウ号が後を追っていることを知りながらわざと商船の様に近隣の港へ寄っては酒だのさとうきびだのを積んでいく。エヴァンズ艦長はそれを欺瞞ぎまんだとみてそのまま距離を置いていた。


 港を離れたベルシェバ号は針路をある島へ向ける。

「お前たち、心配をしなくてよい。海軍様は我々の海賊行為の現場を見ない限り手を出すまい。もしも先に撃ってきたら商船に攻撃をしてきたことを訴えよう。さあ、へ招待だ」

 ジェニングスは海軍が先に攻撃をしてこないと考えた。商船のふりをしながらへとスパロウ号をいざなう。


 ジェニングスの言うは洋上にある、ごく小さな島だ。地図にも載っていない海賊だけが知っている島で、どの航路からも離れており静かな島である。もともと大きな島だった形跡があるが、今は沈んで崖が周囲を巡っており、複雑な入り江が入り組んだ地形をしていた。浜辺はわずかしかなく、町も存在しない。だが、海賊の目的に合う島であった。

 

 ベルシェバ号がスパロウ号を案内していく。翌朝には幸福の島の近くまで2隻の船が来ていた。

「さあ、海軍様を歓迎しようじゃないか」

 ジェニングスの言葉に歓声をかげる仲間たち。ヴェインはこれから起きることが楽しみで気分が高揚する。


 ベルシェバ号からまず一撃がスパロウ号に送られる。


 ズドーン!


 わざと外した砲弾がスパロウ号の右舷側に落ちる。これもジェニングスの作戦だ。

「船にあてるな。慎重に招待をしろ」

 ベルシェバ号はそのまま複雑な入り江へ逃げ込んだ。崖が入り組んでできた入り江は地形を知らなければ座礁の危険がある。ジェニングスはそれを熟知していたのである。


「奴らを追え!迎え撃て」

 エヴァンズ艦長の指示でスパロウ号はベルシェバ号に追いつこうと船足を上げる。二隻の船は島の入り江の内部へ入っていた。グリーン副長もフレッドをはじめとする士官たちも目の前の船を確実に捉えることができると確信している。

 

 だがここにエヴァンズ艦長の判断が誤っていたことを思い知る。スパロウ号の船体が崖に挟まれた入り江で道を失い、立ち往生したのである。そこへ前方のベルシェバ号から銃弾の雨が降る。ジェニングスの仲間が一斉に銃撃をしたのだ。


「ぐうっ!」


 甲板上で指揮を執っていたエヴァンズ艦長が銃撃で倒れる。同じく甲板上にいた海軍や海兵隊の乗組員たちも船が身動きとれない中で多くが死傷していく。


「エヴァンズ艦長!」

 フレッドが駆け寄るがエヴァンズ艦長は肩と足を被弾しており流れ出る血で服が染まっていた。フレッドもピストルを手にし、ジェニングスの一味を狙う。

 スパロウ号の甲板はすでに多くの死傷者が横たわっていた。船の方向転換さえできないこの狭い入り江でスパロウ号の乗組員たちは確実に狙われていた。ジェニングスの仲間は休む間もなく銃撃をしてくる。


「お前たち、我々を追い込んで銃撃し勝ったつもりであろうが、このままではお前たちも海へ出られないぞ。入り江に閉じ込められたのはお前たちの方だろう」

 グリーン副長がジェニングスを睨みつける。だが、ジェニングスは全くお構いなしという風にせせら笑う。

「ここは我々の庭だよ。地形を知らずに招いたと思っているのか。全くもってどこまで海軍様は頭が悪いんだ?」

 そう言って仲間にスパロウ号へ移乗を呼びかける。次々に乗り込んでくる海賊たちは操舵を奪い、そしてエヴァンズ艦長やグリーン副長に銃口を向ける。甲板には生き残っていた船内の乗員も集められた。

 スパロウ号の乗員たちは武器を取り上げられ、ボートで次々と小さな浜辺へ降ろされていく。フレッドはエヴァンズ艦長の肩や足をいたわりながら体を支えた。彼はもはや一人で立つことができないほどだった。

「グリーン副長、船医は生き残っているか」

 エヴァンズ艦長の言葉に首を振るグリーン。

「船医は救護中に被弾をし、亡くなっています」

「そうか……ならば自分で何とかしないとな」

 頼るべき船医がいないことに気落ちするエヴァンズ艦長。だが、一番に彼を窮地におとしめたのは船を奪われたということである。船を、しかも海賊に奪われるということは重罪ものであった。

「生きてさえいれば何か策はあるはずです。どうかあきらめないでください」

 フレッドが艦長を力づけようとするが、彼は声を出すのもためらうようだ。


 やがて生き残ったスパロウ号の乗員およそ50名が浜辺に降ろされ、ボートは船へ戻っていった。

 その際、最後の乗員がジェニングスからの手紙だと言って一枚の紙きれを渡されており、そこにはこう書かれていた。


 

『この島は我々のなかでは幸福の島と呼ばれている。どの航路からも外れ、この島の存在に気付くものは海賊ぐらいなものである。親愛なる海軍の皆さんに我々は敬意を表し、この島へ置き去りにさせていただく。幸いこの島には緑があり、運が良ければ小さな動物を食べられるだろう。見当をつけるためも銃弾は必要だから少しは置いておこう。それが海賊の流儀だ』

 

 

「ここは置き去りの島というわけか……」

 フレッドはいつか”青ザメ”の連中から聞いたことがあった。仲間内でのトラブルで負けたり、謀反を働いたりした者を無人島へ置き去りにする刑だ。運が良ければ航海中の船に助け出されることもあるが、ジェニングスが言った通りここは地図にまだ乗っていない無人島であり、しかも航路から外れている。

「スチーブンソン君、君は私にあきらめるべきではないと言った。その通りだ。ここにいるのは1人でない。1人じゃできないことも50人いればできるだろう。まずは止血をしないとな」

 エヴァンズ艦長はフレッドの助けを借りて止血をしていく。

「グリーン副長、指揮系統を立て直そう。ここではここの戦い方がある。生き延びるためにな。私は船を奪われた艦長として裁かれるだろうが、君たちは生きてさえいれば道も開けるだろう。私は最後まで艦長として責任を全うする気だ」

 先ほどまで気落ちしていたエヴァンズ艦長がしっかりした声で話す。幸い銃弾の傷は急所を外れていたがこれでは当面動くことは不可能だ。傷口が化膿すれば命とりである。それでも艦長の気持ちの変化は部下を奮い立たせた。

「エヴァンズ艦長、みんなあなたとともに生き延びる覚悟ですよ」

 そう言ってグリーン副長はフレッドの力を借りると艦長を木陰へ寝かせた。


 

 エヴァンズ艦長の負傷で当面はグリーン副長が指揮を執ることとなった。そこへ部下の1人が沖合を指さして叫んだ。

「あれはスパロウ号!」

 なんと沖合にスパロウ号が見えるではないか。後に続いてベルシェバ号も見える。やがて2隻の船はフレッドたちを笑うかのようにゆっくりと水平線の彼方へと消えていく。

「彼らはこの島の地形を熟知している。初めからスパロウ号を奪うつもりで我々をはめたのだろう。……船を絶対に奪い返すのだ……絶対にな」

 悔しさでこぶしを握り締めるグリーン副長。そして生き残った乗員たちに指示を出していく。

「役割を決めよう。この小さな島の地形を調べて地図にあらわすグループ、水や食料調達のグループ、野営を作るグループ。まずはそこからだ」

 グリーン副長の指示で次々と役が割り当てられていき、活動を開始した。


 グリーン副長はフレッドや生き残った士官候補生のクーパーとともに地形を把握することにした。あの船がどうやって海へ抜けたのか気になっていたからである。島はあの手紙にあったように植物が多く周囲の崖は断崖絶壁だ。

「天然の牢獄といったところか……」

 そうつぶやきながらも何とか策はないかと考える。

 

 3人は島の高台を見つけると登ることにした。そしてフレッドとクーパーが位置関係をジェニングスからの手紙の裏に記入していった。記録できるものはそれぐらいだったからである。


 そして彼らは2隻の船が入江を抜けた秘密を知る。

「なるほど……こんな秘密があったのか……」

 3人の目の前に見えるのは入江が島の中央部でひろくなっており、そのまま別の入江を通して外海へでている景色である。つまりこの島は入江で分断されていたのだ。そして探検をするうちに野営をした跡や白骨化した遺体をいくつか見かける。遺体の近くにカットラス(舶刀)が置かれ、マスカット銃を使った形跡もあった。

「スチーブンソン君、クーパー君、ここは置き去りの島というだけではないようだ」

 グリーン副長は白骨化した遺体の状況から彼らが争った末に双方が亡くなったのだろうと推測する。

「ジェニングスが置き去りの島として使っていただけでなく、他の海賊も何かの理由で使っていたということですか」

 フレッドはそう言いながら海賊が残していた武器を見ている。幸いなことにマスカット銃もカットラス(舶刀)も何とか使えそうだ。

「そうだ。天然の牢獄のようなこの地形は船舶を近寄りがたくしている。まして地図に載っていない島であるなら他に目的を考えるね、私なら」

 グリーン副長の言葉に顔を見合わせる2人。

「……海賊行為で奪った略奪品を闇商人へ売却する前に隠すことはあるかもな。おそらくこの遺体はその番人たちだろう。この状況を見ると仲間割れをしたか、宝を取りに来た仲間から裏切られたかのどちらかだろう。見せしめとして置き去りにするなら1人だ。なぜなら忘れられた孤島で1人過ごすことは精神的にこたえるからだよ」

 グリーン副長はそう言って彼らのために祈る。フレッドたちも続いた。

「集団で置き去りにされた我々は正確には置き去りとは言えないだろう。ジェニングスの目的は船を奪うことだった。我々の命を奪わずにここへ追いやったのは彼の甘さだ。やろうと思えば捕虜として捕らえ、身代金をとることができたはずなのにそれをしなかったのは、何かできない理由があったということだ」

「グリーン副長、ジェニングスの船が海軍の駐屯地があるポートロイヤル港に何食わぬ顔で出入りができていた理由はそこにあると?」

 フレッドはベルシェバ号が海賊行為をしながらそれが知らされていなかったことを思いだす。

「恐らくな。ジェニングスを擁護した者がジャマイカにいるということだ。さあ、探検を続けるぞ。生存をかけた戦いは始まったばかりだ」

 3人はその後も探検を続け、野営地に帰ったころには大方の地図としてあらわされていた。


 

 置き去りにされたフレッドたちはその日のうちに空腹にさいなまれることとなった。水源は小さな池があったが浜辺から離れており、採取に時間がかかった。牛や豚のように大きな動物はいない。ネズミのような小型の動物や木の実がいくらかはあった。一人二人ならそれで十分だったが何せ約50名もの人数である。食糧調達に困難を極めた。

 

 エヴァンズ艦長は傷を負いながらも部下に呼びかける。

「諸君、食料は牛や豚だけではない。周囲は海だ。その海にも食べられるものがあるだろう。鱈の料理というわけにはいかないが、魚介類はどの海にもあるはずだからな。船ではあまり魚を食べることはないが、ここは船火事の心配はいらん。調理し放題だ」

 航海中に魚を食べることはほぼなかった彼ら。もちろん魚を捕獲することもなかったのでエヴァンズ艦長の言葉は冗談としか思えない。

「腹が減ったらやってみるだけだ。木の実や果実、ネズミなどの小動物も君たちに採取されるのを待っている。ここではみんなが料理長だ。さあ、魚を捕獲する手段をつくろうではないか」

 そう言って座り込むエヴァンズ艦長。傷口から血がにじみ出ていた。

「無理をなさらないでください」

 フレッドは艦長の身体を支えると再び木陰に休ませる。

 

 やがて乗員たちは各々が木の枝を削って銛を作り、さっそく漁を始めた。他の乗員たちは貴重な弾丸を無駄なく使い、小動物を捕らえた。野生のブドウも見つけることができた。道具としては置き去りにされた過去の海賊たちの物がそのまま残って使えるものがあり、有り難く使うことにした。


 数日後には食料調達のために他にも間に合わせの道具が作られた。食べられる果実も見つかった。大型の魚は海岸部で獲ることができなかったが、小型の魚なら浅瀬で獲ることができた。手分けして食料を調達していく。


 そして雨露をしのぐための屋根も作られ、記録は木の幹に文字を削って書かれた。


「スチーブンソン君、危機感があるからこそこうして皆が動いている。生きるか死ぬかではなく、次に進むために生き残るんだ。君が言った通り、あきらめるべきではない」

 エヴァンズ艦長の言葉にフレッドはかつての自分を思い出す。


 ”光の船”に囚われ、『嘆きの収容所』で過ごしたあの日々。生かさず殺さずの拷問に耐え、なんとか生き延びた仲間たち。脱出のきっかけを作ったのはマリサだ。


 ――何があってもあたしを信じて――


 海戦前にそう言っていた。その言葉を今回の出帆前夜にも言っていたのに自分は受け入れられなかった。


(ごめん……)


 フレッドの脳裏に母であるハリエットやマリサの姿がよぎる。だが、なぜかエリカの顔が思い浮かばない。


(エリカ、エリカ……)

 

 家族として迎えたはずなのに、貴賤結婚や昇進試験のことで悩まされ、エリカに思いを寄せることができなかった。

 フレッドは今さらに悔やまれて仕方がなかった。そしてここにきて家族に会いたいという思いが強くなり、何としても生き延びねばと思ったのだった。

 


 

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