第8話 噂

 アーティガル号はその後順調に定期便として荷を運び、次の航海のためロンドン港へ帰港していた。病で亡くなった3名の補充として仕事にあぶれていた5名の男たちを雇うことにし、その人選をリトル・ジョンとマリサが受けた。戦争が終わり、それまで海軍の船で仕事をしていた男たちである。厳しい海軍の船で働いていた男たちは良く働く。生活に困っていた者もおり、雇用を喜んでいた。


 合間を縫って家へ帰るマリサ。家へ帰るということがこんなにも待ち遠しいとは思っても見ず、家族を持つということが自分の気持ちに変化を与えたことを自覚する。海賊だったころは家族というものの育ての親のイライザとデイヴィスにどこか遠慮をしていた。それは血のつながらない大人たちに囲まれて育った環境にあった。


 帰宅するとハリエットからフレッドが港勤務(任務がないので停泊している船に通う)から航海が決まって出帆していることを聞く。フレッドは自分の航海を反対していた。それ以上に自分を抱こうとしなかった。それでもここにはエリカがいる。ここは帰るべき自分の家なのだ。

 マリサはエリカが自分を忘れるのではないかと心配したが、ハリエットがマリサの肖像画(かつてスペインの捕虜になったとき、絵が売れなくて収容所の役人をしていたカルロスが暇つぶしに描いたもの)を見せていたおかげでその心配は無用となった。


「あーたん、あーたん」


 手をマリサに差し出すエリカは少し大きくなり、小さな歩みを見せていた。もう歩行器はいらなかったが、まだ転倒の危険性もあるのでハリエットは時々歩行器にいれていた。

 マリサがエリカを抱き上げるとハリエットはマリサの航海中にあったエリカの成長の様子を話す。その話の1つ1つがマリサを包み、余計にエリカをいとおしく思わせた。


「フレッドはあたしが航海へ出たことに気を悪くしていた。そんな気持ちにさせたまま彼は任務に就いたんです。……お義母さん、ごめんなさい」

 エリカを抱いたまま、抱いていた感情を吐き出すと意外にもハリエットは穏やかな表所を見せる。

「なぜあやまるの?あなたはやるべきことをちゃんとやったのだから堂々としていればいいのよ。フレッドは昇進できなかったことで卑屈になっているわ。今回の任務で気を取り直してくれると思っているのよ」

 ハリエットはマリサとフレッドの溝に気付いていた。愛してやまない息子のためにも嫁いでくれたマリサを大事にしたいと思っている。海賊だったころにマリサが見せた様々な表情をよく理解していたからである。

「さあ、久しぶりに帰ったのだから一緒に大掃除しましょう。エリカの世話で行き届かないところがあってね」

 ハリエットの余裕ある言葉がマリサを慰める。そうして家じゅうの掃除にかかるのだが、その際、自分たちの部屋の窓の外をみて何か様子がおかしいことに気付く。


(怪しいな……いったい何なんだ……)


 どう見ても普通の市民と言えない男たちが距離を置いて周りにいるのである。マリサはいつかコーヒーハウスで自分を狙ったジャコバイトの男を思い出した。しかし怪しいだけでは役人も呼べない。


(どのみち狙うとすればこのあたしだ。留守の間はお義母さんに警戒してもらうしかないな)


 マリサは掃除を済ませるとハリエットにこの件を話し、警戒をしてもらうことにした。


 

 昨年1714年8月にジョージ1世は政権の入れ替えを行っている。それまで政権を担っていたトーリー党からホイッグ党へ移ったことに合わせてスコットランド担当大臣のマー伯爵(ジョン・アースキン)も解任された。このことを恨み、彼はジャコバイト派に加わることとなる。ホイッグ党はトーリー党の主な政治家たちを反逆罪で訴えていた。また、ホイッグ党が要職を独占したり重税を課したりしたことから各地で暴動が起きていたのである。フランスへ亡命しているジェームズ・フランシス・エドワード・スチュアートはこれを王位を奪う好機とみていた。


 初めはジャコバイトについて興味を持たなかったマリサも、港を行き交う船の男達やコーヒーハウスからジャコバイトの話を耳にし、実際に怪しげな男たちがうろついているのを見ると政治の流れに興味を持たざるを得なかった。


(きっと大きな反乱がおきるだろう。これまでにも革命がおき、社会がかわっていったように。ただ、その支持者がどこまでいるかだ)


 オルソンの屋敷にいたころ、オルソンからある程度の歴史を教わっていたが、さほどマリサの興味をそそるものでなかった。子どものマリサには乳母から聞かされる騎士と姫の話やわらべ歌の方がずっと面白いものだったのだ。ただ、息子たちはしっかり勉強をしないとオルソンから叱られるので面倒くさくても本にかじりついていた。そんな様子を垣間見ながらマリサは使用人として手伝いをしていた。


 

 フランスへ亡命しているジェームズ・フランシス・エドワード・スチュアートはフランス国王ルイ14世の庇護を受けている。名誉革命によってカトリックである父親のジェームズ2世はオラニエ公ウイリアム3世によって廃位させられフランスへ亡命をしていた。息子であるジェームズ・フランシス・エドワード・スチュアートも生まれて間もなく母親とともにフランスへ避難をしていたが、ルイ14世によって正式な王位継承者とされたのである。

 

 大きな反乱がおきるのはマリサにも予想できた。ただ、自分は王位継承なんて関係ないし、政治のやり取りも無縁のはずだ。自分は普通に元海賊であり、今は商船のオーナーだ。彼らに利用される要素はないと考えるのだが、それでも航海の留守中に何か起きるのではと心配でならなかった。


(ジャコバイトは必ず行動を起こすだろう……)


 そんなマリサの不安を払しょくするかのようにエリカがマリサを呼ぶ。


「あーたん、あーたん。あそぼう」

 エリカが自分を探す声がする。つたないが簡単な会話をするようになるほど成長をしている。

「待っていて。今いくからね」

 マリサは窓を閉めると階段を急いで駆け下りた。


 

 不安が残りつつも穏やかな日々であったが、政治の駒はマリサたちを事件へ引き込もうとしていた。そしてそれはスパロウ号にも狙いを定めていたのである。

 


 そんなところへオルソンから手紙が届く。待ちに待った船への復帰か、と喜んだマリサだが、復帰をする話はなく近況だった。



 アーネストと令嬢の結婚は無事に終わった。嫡子としての継承はまだ少し残っているので船への復帰はまだ時間がかかる。

 ルークは新大陸の動植物に興味を持ち、勉強をしたいと言ってアメリカ植民地へ行っている。アイザックは女遊びを覚えてしまい、飲んでは女遊びを繰り返すばかりで非常に憂えている。フレッドがそうならないように舵を取らねばならないぞ。


 

 手紙からマリサはオルソンの息子たちの近況を知り、オルソンには申し訳ないが嬉しかった。なんだかんだ言っても元気にやっているからだ。

 

(アイザック様はあたしの近くにいつもいらした。大人びたアーネスト様とルーク様に比べ、あなたはどこか子どもじみていた。そんなアイザック様が好きでした)

 

 掃除をしながらオルソンの屋敷で使用人として働いていた頃を思い出す。マリサの人格形成に大きくかかわったころだ。あの頃に学んだことや経験したことは今でも役立っていた。


 

 2週間後、休養と荷積みが終わったアーティガル号は再び港を後にする。

 

 

「私掠をしていた男たちが酒場で話していたのだが、こんなうわさを聞いたことがあるか」

 船倉で荷崩れが起きそうだったので、連中と組みなおしているフェリックスがモーガンに尋ねる。

「噂?何だか知らねえがお宝満載の財宝船のことか?」

「ああ、そうだ。俺はまだ見たことねえが、結構噂になっているぞ。一攫千金を狙う海賊にはロマンだぜ」

「まて、フェリックス。俺たちはいまや商船の乗組員だ。ロマンだか何だか知らねえが俺たちの仕事は安全確実に荷を運ぶことだ」

 モーガンはそう言ってネズミ駆除のために2匹の猫を放す。

「わかってるって。商船は確実に対価を得ることができる。ただ言ったまでだよ、モーガン」

 そうはいってもやはり興味をそそられる話なのだろう。事実、この噂のためにカリブ海は増々不穏になっているのである。スパロウ号はこの情報をつかみ、ことあらば討伐をするために航海をしているのだ。

「俺たちはマリサに救われたようなもんだ。俺は恩赦のおかげで結婚もできた。一攫千金に夢を持ちたいが嫁の方が宝だぞ」

 モーガンの冗談めいた言葉にお互い顔を見合わせて笑う。



 アーティガル号はその後も航海を繰り返し、マリサはその都度成長を見せるエリカに会うのを喜びとしていた。

 相変わらずスチーブンソン家の周辺にはどう見ても一般の市民の目つきと思えない男の姿が見え隠れしている。ハリエットは気のせいだと言っていたが、これまで船や仲間を守るために剣と銃を手にしたマリサの目を捉えて離さない何かが彼らにあった。だからと言って役人に警備をしてもらうような身分ではない。とにかくハリエットに警戒してもらうしかなかった。


 

 あちこちの港で海賊行為が頻回している噂を耳にする。アーティガル号は自衛のためにウオルター総督の許可をもらい特別艤装をしている。そのことが彼らの略奪目的となっていることを、長らく海賊行為をしてきた彼らは知っていたのである。

 


 そしてついに後世に名を残す海賊たちが生まれるきっかけとなる最悪の海難事故が発生する。

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