第7話 迷いとカリブ海の不穏
アーティガル号はその後無事に目的地であるグリンクロス島へ寄港した。朝から連中は荷下ろしを手伝っている。マリサにとって久しぶりに見る景色だ。気温もあの”光の船”の本拠地とは違い、若干低めで風が常に吹いていた。島の至ることろにあるプランテーションがこの島の特徴をとらえている。ここは肥沃な土地が広がり、耕作に向いていたのである。このプランテーションで働く奴隷たちも多かったが、マリサの双子の姉であるシャーロットの人柄のおかげで新大陸の奴隷たちよりはよい扱いを受けていた。
「マリサ、お久しぶりね。いつあなたが復帰してくるのか気になっていたところよ」
波止場から手を振る女性はマリサと同じ顔をしたシャーロットである。護衛役であり元海賊”赤毛”のアーサーと一緒に来ていた。
「お久しぶりだね。待っていて、今着替えるから」
マリサは急いでシフトドレスにステイズ、スカートを身に着け、髪をまとめ上げた。シャーロットはドレス姿であるが、マリサは市民のごく普通の姿である。知らない人が見たら不思議に思うだろう。
小高い丘にある総督の屋敷へ歩いていくのは時間がかかるがシャーロットはあえて馬に乗らなかった。
「こんにちは、お嬢様」
「こんにちは」
と港のあちこちから住民が声をかける。以前、港の住民と力を合わせて”光の船”の海賊を追い出したことから、総督以上に人気を得て慕われているのである。
「おい、ひょっとしてあの同じ顔をしているのはマリサのほうか。もと海賊の」
「ああそうだろう。結婚したらしいがあい変わらず仏頂面だな。シャーロットお嬢様と比べられるぜ」
「いや顔を見なくても胸を見たら区別できるぜ。なんたってマリサの方は胸が……」
と住民がささやいているところへマリサが顔を向ける。何やら自分のことを言われると感じたからである。
(うっせーな。あいつら何を見てんだ……)
イラついたマリサだったが、ここはグリンクロス島だ。いらないトラブルは避けたい。
「皆さん、ごきげんよう」
そう言って満面の笑みを浮かべ、通り過ぎたのである。
これには住民たちも驚く。
「あの笑顔には何か裏があるぞ。いいか、マリサのことはしばらくネタにするな」
ひきつっている住民たちを後にし、3人は屋敷へ向かった。
屋敷では多くの使用人たちに出迎えられる。以前、使用人としてここで勝手に働いていたことがあるマリサは使用人たちに人気があった。仕事をてきぱきと行い、身分差を感じさせない言動だったからだ。それを知っているのでマリサの仏頂面が幾分和らぐ。
「元気そうで何よりだね。業務があり、結婚式に行くことはかなわなかったが、代わりに参加していたシャーロットからたくさん話を聞いたよ。そしてエリカが生まれたことも。手紙よりもこの目で会いたいものだ」
ウオルター総督はマリサ達を着座させると使用人にお茶の用意を言いつける。
「エリカはスチーブンソン家の血を良く受け継いでいます。栗毛であたしが船に乗る前には歩行器で数歩歩くほどでした」
マリサはエリカを思い出しながら話すが、長い間会っていないことに自分自身の胸が締め付けられる。
「あーたん、あーたん、まんま……」
エリカの声と愛らしい顔が浮かんできて言葉を詰まらせる。
(また大きくなったんだろうな……)
どのくらいエリカは成長しただろうか。考えるたびに航海へ出たことの罪悪感がくすぶり続ける。そしてウオルター総督はその表情を見逃さなかった。
「子どもを預けて家を空けたことを後悔しているのか」
「いや……後悔はしていないけどときどき迷いは出てくる。でもこれは仕事だ。エリカもいつかはわかってくれると思っている」
マリサはそう言ったものの、フレッドと溝ができてしまったことを気にしていた。言葉を交わすまでもなく航海に出てしまった。
フレッドは貴賤結婚のことでその重みに苦しんでいる。ただでさえ昇進試験に向けて猛勉強をしているのにそのことが足かせとなっているのだ。マリサは自分たちを苦しめている現状を話さねばと思った。
「お父さま、貴族と市民の結婚という事実がフレッドを苦しめています。私は噂のネタにされるだけですみますが、世間はお父さまから資金をもらっているとか昇進のコネにしているとか好き勝手に言っています。どんなにフレッドが猛勉強をして自分の力で昇進したとしても世間はそう見てはくれない。中にはウオルター家の財産目当てだという輩もいます。私は貴賤結婚の壁を乗り越えたと自分では思っていますが、フレッドは思うようにならないことにいらだっています」
マリサがそう言うとウオルターは宙を見つめ、そしてため息をついた。
「彼が手柄を立て、試験を受け自らの力で昇進するしかないだろう。彼を信じることだ。それができないお前でもあるまい」
総督の言葉通りだ。信じるしかできない。ただ、フレッドとの間に溝ができている。マリサはフレッドと分かり合えないまま航海へ出たことが悔やまれてならない。
「フレッドにはグリーン副長がついている。彼に任せた方がいいと思うがね」
総督の言葉に静かにマリサは頷いた。
グリーン副長はフレッドの上司であり、マリサにとって叔父、総督にとっては亡き妻の弟でもあるハリー・ジェイコブ・テイラー子爵だ。身分を隠して海軍で仕事をしている。姉を失い、子爵家の名を傷つけた海賊を憎み、同じ海賊の道を選んだマリサを殺そうと提督の作戦に参加をしたのだが、ともに”光の船”の収容所から脱出する際には協働するまでになっていた。今ではマリサに『おじさま』と呼ばれることに喜びを感じ、マリサに慕われる唯一の身よりだ。
お茶をいただきながら会えない孫の姿に目を細めるウオルター総督。彼もその職にあるため自由にならないこともあるのだ。
「ところでカリブ海の様子を聞いたことがあるか。海賊共和国はあれからさらに勢力が増した。戦争が終わり、多くの商船が行き交っている。海賊や私掠船に狙われる船舶も出ている。特にアーティガル号は特別艤装を許された船だ。彼らの求める船であることは知っておろうな」
総督の言うことはマリサと連中も重々承知のことだ。アーティガル号は自衛のために特別に艤装をしている。総督が出した特別艤装許可証は戦時において海軍に協力をするという前提がある。この船を奪われることはあってはならない。それはリトル・ジョン船長代理とオーナーの1人であるマリサの責務だった。
「心しておきます」
マリサは自分が陸にいる間、大西洋やカリブ海で起きている変化ついてあちこちの寄港地に立ち寄るたび耳にしていた。それはやがてアーティガル号に降りかかることとなる。
荷下ろしと新たな荷積み、水や食料の補給をし、夜には連中が女を求めて港へ繰り出す。
マリサもシャーロットと長い夜を過ごすために出帆まで屋敷で過ごすことになった。
シャーロットはマリサと体つき以外よく似ている。ずっと総督を父としてお嬢様として育ったわけだ。ただこの年齢までくるとさすがに毎回言われ続けることがある。
「毎日結婚をしろとお父さまから言われ続けているのよ。うんざりするほどね。でも残念ながらそんな気持ちになれないの」
大きなベッドに横たわった双子がおしゃべりをしている。今までこうした話題はマリサには皆無だったのでほぼ聞き役だったが、それでも離れ離れになっていた時間を埋めるかのように話を聞いていた。シャーロットも話し相手がいるだけで満足をしていた。
「そういえば……あのジェーンはどうなったんだろう。王朝の存続をかけて有力な貴族と政略結婚したと聞いたが、結局スチュアート王朝は絶えてしまった。ジェーンの結婚は無駄だったのかもしれないな」
海賊船だったデイヴィージョーンズ号に客として乗り込み、威張り散らして悪態をついたため、マリサは彼女を昇降階段から投げこんだほどだ。ジェーンも政治の駒として利用された人間だ。市民にはない宿命もあるのだろう。
そう思い、シャーロットの方をみるとシャーロットはすでに眠りに入っていた。
(いつもあんたは先に寝てしまうんだな……おやすみ、シャーロット)
マリサはそのまま目を閉じた。
そのころフレッドが勤務する船スパロウ号は久しぶりに港勤務から新たな任務に就いていた。戦争が終わり各国の船が戦火におびえることなく行き交うようになったのだが、いよいよもってカリブ海の様子が怪しくなったのである。
「カリブ海からアメリカ植民地周辺で海賊行為が頻回している。戦争が終わった今、如何なる国の船も戦火のみならず海賊行為から守られねばならない。我々は海賊や無法化した私掠船を討伐する任務に就くこととなった。諸君、船の勤務を与えられたことを感謝したまえ。そして必ず海上の安全に成果を上げるのだ」
エヴァンズ艦長の言葉に久しぶりの船勤務となる乗組員たちの覇気のある声があがった。
この航海で収入を得られるのだ。質屋通いをしていた男たちはこれで品を買い戻すことができるだろう。
「スチーブンソン君、マリサと会わないままだが気持ちの整理はついているのか」
グリーン副長はフレッドに何か落ち着きのなさを感じている。それは心の支えとなっているものが崩れかけている表れだとみていた。
「マリサがいつかは船に乗ることは約束をしていたこともあり覚悟はしていました。会えないのは結果です。何においても彼女は僕より優位にあり、僕は従うだけです」
そう言うと話を聞いていたグリーン副長の顔が険しくなる。
「スチーブンソン君、君は何を自分を卑下しているのだ?卑下する必要はないのだから自信を持て。大きな声では言えないが君の試験の結果はとても優秀だった。ただ、君に必要なのは危機感だ。我々は良い子の答えを求めてはいない。世の中はシナリオ通りにならないことはよくあるからな」
そしてフレッドの肩をたたく。
「この船に危機が訪れたら君は力を発揮するのか?ならば期待しておくぞ。マリサの叔父として君を応援しているよ……いや、これは内緒だがね」
フレッドの気持ちを理解しているグリーン副長はなんとかしてフレッドを立ち直らせたいと思っていた。マリサと離れての久しぶりの航海がそのいい機会となると考えた。
「スチーブンソン君、君も知っている通りニュープロビデンス島ナッソー、いわゆる海賊共和国が勢力を広げている。いつか我々が”青ザメ”として立ち寄った時よりも一攫千金を狙う連中や戦争が終わって仕事にあぶれた私掠たちが海賊化している。アーティガル号がいくら艤装をしているとはいえ、あれは自衛のためのものだ。あの船が狙われる可能性は大きい。もしそうなっても現状では海軍は助けには行けない。その理由はわかるか」
「……海賊が現状として自治を行っているからでしょう。かなり力をつけており、イギリスが統治から手を引いていることも理由だと思われます」
「そうだ。長い間我々は海軍としてナッソーを訪れていない。だが、我々は必ずニュープロビデンス島を取り戻し海賊の統治から国王の統治へ変えていかねばならない。守るべきは航海の安全であり、戦うべき相手は海賊だ。そして隠れているジャコバイト(フランスに亡命しているジェームズ・フランシス・エドワード・スチュアートを支持している。カトリック教徒が多い)が国王の統治を阻止しようとしている。それがどのように現れるかも問題だ。アーティガル号が巻き込まれないことを祈るばかりだ」
グリーン副長はそう言ってフレッドを見つめた。
「君がマリサとの結婚を後悔していないのなら貴賤結婚という言葉に負けるな。彼女は自分に課せられた掟を遵守していた。君のためにな。そのことを忘れるな」
敬虔なキリスト教徒であるマリサの育ての親、イライザと育ての父であるデイヴィスはマリサが海賊になる際、『マリサの掟』を突きつけた。それは男社会の船において慰み者にならないことを求めたものだ。
マリサはそれを守り続けフレッドと結婚することでその掟は破られた。
「マリサと結婚した君は私と無縁ではないのだ。何かあれば力になろう」
そうグリーン副長に言われたものの、まだフレッドには心に引っ掛かるものがあったのだった。
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