第6話 目に見えぬ恐怖

 それから順調に航海は続き、南へ進むにつれ気温が高くなった。こうなると食料が腐敗したり虫がわいたりする。虫はともかく腐っていては腹を壊す。

 主計長であるモーガンは自分たちの食料と水の調達について適切な場所を覚えており、幾度か島や港に寄っては調達をしていた。新鮮な肉については船にニワトリや牛を載せ、連中に世話をさせていた。海賊時代にはなかった光景だ。


 そんなある日、水の確保のため寄港した島の港で気になる噂を聞く。


「島では得体の知れない病気が流行っている。高熱と発疹で苦しんで死ぬそうだ。この島はヤバいぜ」

 商人から病気の噂を聞いたモーガンがハミルトン船医に慌てた様子で話す。

 ハミルトンは陸に上がって、もしくは船に商人をあげての商取引を中止させ、ボート上で商人との取引をさせた。

「そうならすぐに出発だ。のんびりとしている場合じゃない」

 リトル・ジョンもそれを聞き、島への上陸の禁止を連中に求めた。がすでに時遅く、3名が女を求めて上陸したということだった。このことはすぐさまマリサに知らされる。


 3名はいずれもあとからアーティガル号の乗組員として加わった連中だ。つまりデイヴィージョーンズ号でマリサと共に航海をしたことがないのだ。そのため統率は今ひとつ伝わっていなかったのだろう。


 

 彼らが売春宿から帰ったのは翌朝のことだ。伝染病のことで一刻も早く島を去りたかった連中の気持ちを知らずにいた。連中は無言で彼らを非難している。

 マリサは連中を制止するとハミルトン船医の指示を伝えた。


「3人を隔離する。1週間様子を見て体調の変化がなければ持ち場へ戻す」

 そう言って3人に理由を話した。

「島で得体のしれない病気が流行っている。リトル・ジョンが上陸禁止を求めたが、それよりもあんた達は先に船を降りてしまったようだ。不自由させるが、他の連中も守らないといけない。隔離は医師の求めに応じるものだから従ってくれ」

 島で十分いい思いをした3人は上陸しなかった連中の無言の非難に押され、言われるまま隔離のための船室(普段は何かをやらかした連中の拘束部屋、あるいは捕虜を入れる部屋で船首側にある)へ入ることになった。


 

「そんな目に見えねえものを恐れていてもどうにもならねえんじゃないか。全く女が船に乗るとろくなことがねえな。あれがこの船のオーナーの1人でしかも元海賊だなんてふざけてるぜ」

 1人が狭い船室に押し込まれ不満を言うと他の2人も同調しだした。

「もとからデイヴィージョーンズ号に乗っていた連中はあいつを慕っているが、いまいち女が威張っているなんて我慢ならねえな。女王陛下でもあるまいし」

「ああ、そうだ。船は男の職場だ。女は黙って家で飯を作ったり男に抱かれてりゃいいのさ。女なんざ出る幕じゃねえ」

 マリサへの不満が続出する。


 他の連中は”光の船”との海戦や、あの忌まわしい”嘆きの収容所”からの脱出をマリサとともに経験している。だからマリサを認めていた。3人はそれ以降の仲間だ。マリサがどのような人間か知らないのも無理はない。


 しかし彼らが元気に不満を話すのもこれが最後となる。


 

 島を出て数日後には3人とも発熱し、高熱にうなされていた。そしてまくしあげた袖からみえた腕には発疹を確認することができた。それは首元からも確認でき、体中に広がっていることが理解されたのである。


「商人が言ったとおりだな。熱だけでも下げる方法はないのか」

 心配したマリサがハミルトンに尋ねるが彼は首を振る。

「原因不明の病気にどの薬を使うかそんな賭け事はしない。わかることは彼らが島で病気をもらい、そしてその病気のほうが彼らより強ければ彼らは助からない。そういうことだ」

 病気を恐れて他の連中は近寄らない。せめて自分だけでも、とマリサは彼らに水と補給したばかりの果物を格子戸まで持っていった。その後はハミルトンの勧めで手を洗っている。(マリサは自分が出産したときに産婆と義母ハリエットが手を洗っていたことを思い出していた)


 

 だが3人の容態はそれから急速に悪化していく。午後には高熱のため声をかけても返事ができないほど意識があやふやな状態となり、何も口にしなくなった。ぐったりとして動かない。

 目の前には苦しんでいる仲間がいる。それなのに世話もできないのは歯がゆい。ハミルトンが制止しなかったらマリサは飛び込んでいっただろう。


 そしてまだ夜も明けやらぬ早朝、彼らは次々に息を引き取った。


「いつまでも遺体を置いておくわけにはならん。すぐさま海へ流すべきだ」

 ハミルトンは連中に指示を出す。

 

 遺体に手を触れないように大きな亜麻袋に入れ、そのまま水葬とした。

 

 波間に浮かぶ亜麻袋を見つめ、マリサが聖書を読み上げる。上陸禁止を知らなかった彼らを責めるものではない。責めるべきは人々を苦しめる目に見えぬ恐怖・病であるのだ。


「天国に向かう彼らに祝杯を!」


 マリサの声とともに連中が乾杯をする。さすがに連中に笑顔はなかった。海戦で亡くなるのとはわけが違うのである。


 それから1週間たったが新たな感染者が出ることはなかった。航海中の発病に対応できる薬はない。ひとまず安堵の表情をしているハミルトン医師だが、マリサがこの時ばかりに言いたかったことを話す。

「あんたが名医かどうかを気にするものじゃないが、なぜあたしの懐妊を気づけなかった?イヴが気づいてくれたからあたしは処刑を見送られ牢から出ることができた。あのままイヴが気づかなかったら今のあたしはいないんだぞ。人の命を預かっているということをわかっているはずなのに……」

 ねちねちと話すマリサだがハミルトンをいじめようとしてるのではない。ハミルトンは町医者ではなく船医だ。経験のないものもあるのだろう。

「言われてなんだが……マリサがまさか母になるとは思わなかったよ……。まあ、こうして今ここにいるのだからということにしてくれ」

 ハミルトンの言葉に笑みを浮かべるマリサだった。

 


 こうした一連の出来事は日々リトル・ジョンが日誌につづっている。私掠船あがりのリトル・ジョンは亡きデイヴィス船長以上に文字の読み書きができていた。そのこともあり、マリサとオルソンは船長になってほしいと打診していたのだが、断りにあっていた。

 

 誰もが目に見えぬ恐怖を忘れようとしていたが、再びその恐怖が訪れる。



 1715年2月。夜も明けぬ7点鐘(午前3時30分)、メーソンは交代要員に起こされ慌てて檣楼に上る。いや、檣楼に上らなくても甲板上からそれを確認することはできた。

 眠っていた連中も次々に起こされ、マリサ達も何事か連中が指し示す方向を見た。


 暗い海にアーティガル号のわずかな灯火に照らされ、うっすらと船影が見える。その船は自身の灯火もなく、闇から浮かび出た感じだ。そしてこちらが気づかなければ衝突の危険性があった。

「何か合図をしてみよう」

 そう言ってリトル・ジョンは灯火の下で連中の1人に手旗信号を送らせた。が、全く反応がなかった。その後幾人かの大きな声の持ち主たちが呼びかけたがやはり反応がなかった。


「あ、あれは幽霊船だぜ……。近寄るな……海の底に引き込まれるぞ……」

 怯えた連中が口々に言う。

「リトル・ジョン、あんたならどう対応する?」

 マリサもこうした船に遭遇するのは初めてだった。

「朝になるのを待とう。何があの船に起きているか把握しないとな。それに幽霊船なら朝には消えるんじゃないか」

 リトル・ジョンの言葉にハミルトン船医が言葉を添える。

「様子を見るなら我々はあの船の風上に位置することだ。風上が有利なのは海戦のときだけじゃない」

 彼は何か思うことがあるのだろう。リトル・ジョンは風上に位置するよう指示を連中に出す。


 やがて夜が明け始め、風が弱いながらも起きた。アーティガル号はから距離をとり、風上に位置することを守る。日が昇るにつれ、闇に漂っていたその船の姿が徐々に明らかになった。

 その船の様子をメーソンが檣楼から観察をし、甲板からマリサ達が観察をした。

「朝になっても消えないということは、あの船は幽霊船ではないということだろう」

 リトル・ジョンが望遠鏡を取り出し、覗き込む。


 太陽が水平線上から全体を現したころにはその船の姿がはっきりと視認でき、詳細が見えるようになる。

「あの船は海賊船だ。海賊旗を挙げている。ただ、様子がおかしいぞ」

 メーソンが言う通りその船は海賊旗を挙げていた。そして帆が張られたまま嵐でもさまよったのか帆がボロボロだった。海賊旗も半分ほどちぎれているが、真ん中の髑髏どくろの絵でようやく海賊旗だとわかるぐらいだ。

 そして何よりもおかしいのは静かだということである。


(いったい何が起きているんだ……)


 マリサは望遠鏡をだすとその船の甲板上を観察する。確かに静かすぎる船だ。そしてその理由はすぐに明らかになった。


 甲板上に多くの遺体があり、かなり腐敗が進んで一部は白骨化していたのである。

 海戦で全員が死ぬということがあるのだろうか。そう考えたが遺体は武器を持っていない。そして砲門も閉じられている。

「何かがあの船の連中を全滅させたんだ……。何かが」

 マリサは望遠鏡をハミルトンに渡し、意見を求める。じっと見つめて黙りこむハミルトン。

 

 アーティガル号の連中も望遠鏡を借りては海賊船を観察をし、震えあがる者さえいた。

「これ以上かかわるのはやめようぜ。俺は生きて帰りたい」

「神よ、我を守り給え」

「クラーケンに引き込まれる前に逃げようぜ」

 彼らは海の底の怪物を想像し騒ぎ出す。そしてハミルトンはようやく重い口を開いた。


「海賊船に何か病気が蔓延した。そう、我々がこの前仲間を失ったように得体のしれない病気だったのだろう。船という閉じられた社会の中で全員が罹患し、死亡したのではないか。我々は風上を位置して正解だった。何とかしないとコントロールできないままでは他の船にぶつかる危険性や病気の蔓延が懸念されるぞ」

 リトル・ジョンとマリサはハミルトンの説明を聞き、互いに大きく頷いた。主亡きは他の船の脅威となるだろう。


「砲門を開け!海賊船を沈めるぞ!」

 リトル・ジョンの指示に砲撃組が動き出す。海戦にはない別の緊張感が船を襲う。


 連中は目に見えぬ恐怖にさらされ覇気が感じられない。誰もが早くこの窮地から抜けたかったのである。


 砲門が開かれ、次々と砲弾が飛んでいく。


 ドーン、ドーン、ドーン……


 何ら攻撃をしてこない相手に砲弾を撃っても空しいだけだ。海賊船はバキバキっと音を立てて木切れになっていく。そしてやがて海の藻屑と化した。

 アーティガル号の乗組員たちは全員海賊船が沈んだ方向を見つめる。


「神よ、あなたのみもとにある故人たちの魂をあるべき方向へ導き、守り給え。彼らがやすらかであるように。アーメン」

 マリサの言葉に続き連中が次々と唱える。

 絡んだことはない彼らだが、あのまま海原をあてもなく彷徨さまようのも哀れだ。これも1つの弔いと考えていいだろう。この前、島から病気をもらい、なすすべもなく高熱で苦しみながら亡くなった3人のことを思いながらある者は海原を見つめ、ある者は空を仰いだ。

 

 

「医者であっても万能ではない。防ぎようがない病はあるし、治せない病もある。だから私は今までに何度も自分の腕を呪った。デイヴィス船長の右腕を治すこともできなかったからな。……本当に人間なんて無力だよ」

 ハミルトンはそう言って船内へ入っていく。しばらく1人になりたいのだろう。あえてマリサは声をかけなかった。


「さあみんな持ち場へつけ。そろそろ島が見えるころだぞ」

 マリサが声を上げると連中が動き出す。


 風を受けハーヴェーが展帆を急がせる。マリサはそれを確認するとグリンフィルズを手伝うためにギャレー(厨房)へ急ぐ。みんなまだ朝ご飯を食べていないのだ。

「グリンフィルズ、今日の献立は何だ?」

「そりゃもう、みんなの大好物だよ。島で新しい食料を調達するから虫付きのビスケットを食ってもらわねえとな」

「あたしたちは食糧倉庫の掃除人じゃないぜ」

 そうマリサが言っている横から主計長のモーガンが口を挟む。


「ご機嫌いいところ言うのもなんだが、砲弾をあのようにつかったとなると予算外であり、また砲弾を手に入れなければならない。正直もったいないと思っている」

 そのままぶつぶつ言っている。

「言いたいことはわかった。モーガン、使った砲弾の数を調べて請求書を書いてくれ。海軍に払ってもらおう。我々は国民の安全と船舶の航行の安全のために大砲を撃った。その費用は国が持つべきだ」

 そうマリサが言うとモーガンが期待通りの答えとばかりに笑みを見せた。

「なんかこう……結婚して所帯臭くなったんじゃねえか。昔のマリサなら『うるせえ!』の一言で終わったんだけどな」

「所帯臭くなるのは当たり前だ。フレッドの給料は戦争が終わって半減するし、あたしがイライザ母さんに預けていた海賊時代の蓄えはみんなこの船の建造費に充てられた。イライザ母さんも母さんだが、本人の了解なくお金を降ろして建造費に充てるオルソンもオルソンだ。しかも建造費に充てたというのは事後承諾だぜ」

「へえ……そんな事情だったのか……。そりゃあお金を使うときは使わないといけないな。事後承諾は褒められたもんじゃないが、目的があってこその蓄えだ。オルソンは有効にお金を使ったと思うよ」

 自分のお金のことではないせいかモーガンはマリサほど深刻には受け止めてないようだ。

「うるせえな!」

 蓄えが事後承諾で建造費に充てられた事実はなぜか出産後にイラつきとなって蒸し返された。フレッドのことも不安材料だ。マリサは心に重たいものを持ったまま航海を続けることとなった。



 順調な航海かと思われたマリサの復帰初の航海だったが、商船であっても海賊船でも事件は起こるものだ。


 

 カリブ海、ニュープロビデンス島・ナッソー。別名海賊共和国。ここで海賊たちが自治を行っていたのだが、あるきっかけで勢力を広げることになる。それは海賊の黄金期の始まりだった。

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