第5話 出帆と心の傷

 マリサがオルソンに出した手紙の返事は、同じく早馬で届いた。その内容はこうだった。



 長男アーネストと令嬢との結婚が決まった。それまでに嫡男としてアーネストに継承しなければならないことがある。また航海中におきた領地のトラブルの解決も山積みだ。領主としての勤めを果たさねば船に乗ることはできない。なんとかしのいでほしい。



 嫡男アーネストに継承するもの……マリサはあることを思い出す。

 

(オルソン家に伝わる貴族のたしなみ、『毒』だな。結婚が決まったアーネスト様にいよいよ継承となるのか)


 マリサ自身も『毒』、特に植物の毒について教わっていた。本来ならオルソン家嫡男に伝えられるものだが、マリサの身を守るため、子供のころに教えられたのだ。それはあの忌まわしい”光の船”の収容所から仲間を救うために使われた。


 アーネストはその『毒』について植物に限らず化学的なものも受け継ぐのだろう。そしてあのオルソン家の庭にある『危険な庭(毒草だけが植えられており、庭師ジョナサンが管理している)』を引き継ぐのだ。


 それでもアーネストの近況を知ることができて嬉しかった。オルソンの息子たちとは結婚以来会っていない。まあ、もっとも彼らは貴族であり、市民であるスチーブンソン家を訪れることは滅多にないことだった。



 質素なクリスマスの料理はハリエットの自慢のホットパイだ。いつかは自分の味でホットパイをつくる、そうフレッドに言ったものの、ハリエットがつくるホットパイは完璧でマリサが考えて作れるものではない。

 それでもやはりホットパイは美味しいものだった。

 

 そしてクリスマスにあのマリサとハリエットが共同製作をしていたタペストリーが完成し、ハリエットの勧めでアーティガル号のマリサの船室に掲げられることとなった。自分たちを思い出してほしいということか。


 

 その夜、エリカを早々に寝かせると、マリサはフレッドに向かい合う。翌日はいよいよ出帆だ。すでに荷物の準備も済ませた。

「しばらく留守にする。海賊のときみたいに無理はしないから待っていて」

「そうか……でもそれが約束だったからな。君は家事・育児の手を抜かずにやっていた。僕は文句の1つさえ言うことはできない」

 そう言うフレッドの顔は諦め顔である。

 この表情に少なくとも彼が航海に反対する気持ちを持っていることを感じ取るマリサ。


「何があってもあたしを信じて。それはこれからも同じだ」

 "光の船"との海戦前にも同じことを言ってお互いを確かめた。しかしフレッドとの間にできた溝はそれを拒否してしまう。

 フレッドは抱いていた手を離すとそのまま背を向けた。

「……ごめん、今は君を抱く気分じゃないんだ……」

 フレッドの言葉は2人の溝をさらに深くし、確実にマリサの心を傷つけた。

「……わかった……。船に乗ることを許可してくれてありがとう……」

 フレッドは昔のフレッドじゃない。やはり貴賤結婚が影を落としているのだろう。そう思ってマリサはフレッドの背に顔をうずめ、寝入った。



 翌日、エリカがむずかる声にマリサが目を覚ますとすでにフレッドの姿はなかった。

 

(寝過ごした!)

 慌ててエリカを抱いて階下へ降りるとハリエットが朝食の片づけをしていた。

「フレッドはもう出かけたわよ。船で勉強をする方が落ち着くんだって。朝食もそこそこに出かけて行ったわ。マリサを見送ってからでも遅くはないはずなのに」

 ハリエットはそのように言ったがマリサには別の理由がわかっている。


(航海に出るあたしを見たくはないんだ。港勤務のフレッドには喜んで送り出す気にならないんだろう)


 パンとスープの朝食をエリカと一緒に食べる。ハリエットはスープにパンのかけらを浸し、食べさせている。


「まんま、まんま」


 食べ物のかけらを口の周りに着け、マリサのパンに手を伸ばすエリカ。マリサが小さなかけらを持たせると上手に口に入れた。


「まあ、食べることは本当に上手なのね」

 エリカのしぐさにハリエットが笑みを見せる。しかしエリカに対してフレッドはあまり笑顔を見せなかった。結婚して今さらに貴賤結婚の重みを知ったのだろう。


「食べたら出発します。フレッドは……しばらくあたしとは距離を置きたいみたい。航海はそのためのいい時間をくれると思います。エリカをお願いします」

 マリサの言葉に彼女は何度も頷く。




 食事がすみ、エリカと散歩がてら港へ見送りに来てくれたハリエット。海賊だったころ、誰かが航海を見送ってくれるなんてありえなかった。海軍への協力で”光の船”壊滅のために出帆したとき、イライザとハリエットが見送ってくれたぐらいだ。


 マリサにはかけがえのない家族。結婚し出産したことで得た家族。今までとは何か違う強さがマリサにあった。

「いい子にしていてね。エリカ、愛している」

 エリカ頬にキスをする。


「あーたん、あーたん」


 ハリエットに抱かれたエリカがマリサの胸元に手を伸ばす。まだ乳をわすれられないのだろう。


「ごめんね。お義母さんにたくさんご飯をもらいなさい」

 胸が締め付けられる思いでエリカと離れると荷物を手に桟橋を渡った。


「マリサのこと忘れないようにあの絵を毎日見せておくわ」

 左舷から見下ろすマリサに呼びかけるハリエット。あの絵とは、以前カルロスが捕虜になっていたマリサをモデルに描いた絵だ。宗教画であり、恥ずかしいのでマリサは自分の部屋に掛けていた。

「それは……どうも」


 マリサの笑みを見てリトル・ジョンが声を上げる。


「出帆するぞ!錨をあげろ」

 声に反応する連中。慌ただしく動いていく。アーティガル号の見送りにはハリエットだけでなくほかの市民や業者も来ていた。荷物の見送りはもちろんのこと家族ができた連中もいる。海賊船では見られなかった光景だ。



 アーティガル号は風を受けてどんどん港から離れていく。小さくなる見送りの人々の陰。ハリエットとエリカもすでに群衆の中だ。


 港を見渡すとあの帆船が見えた。スパロウ号、フレッドが勤務する船である。平和な今、船はいつあるかわからない次の任務を待っている。


 (フレッド、いってくるね……)


 そうつぶやくと航海の着替えのために船内へ降りて行った。



 

 一方、アーティガル号が出帆する様子を見ている男がスパロウ号にいた。正体を隠して海軍で働いているグリーン副長(マリサの叔父テイラー子爵)とスパロウ号のエヴァンズ艦長である。二人は小さくなりつつあるアーティガル号の姿を見送りながら、フレッドの胸の内を感じ取っている。


「スチーブンソン君のは思わぬところにいってないか。昇進試験ではほかの受験者同様よく勉強をしていた跡が見えたが、優等生すぎる返答で、むしろそれがあだになった。私としても残念なのだ」

 エヴァンズ艦長はすっかり気落ちしているフレッドを気遣う。

「そうですね。彼は優等生すぎる。我々は優等生の答えを求めているわけではないのです。そして彼のこの行動……気持ちがわからんでもないが、妻を見送るぐらいのゆとりがないとは残念でなりません」

 せめてものフレッドの代わりにとアーティガル号の姿を目で追うグリーン副長。


(マリサ、君にとって久しぶりの航海が有意義であることを祈るよ)


 フレッドは心が満たされないまま他の士官たちとともに勉強をしている。グリーン副長とエヴァンズ艦長もフレッドの気持ちの変化に気付いていたのである。


 


 1715年1月末。冬の嵐のおかげで何度か進んでは近くの港へ避難することを繰り返し、アーティガル号はようやく大西洋へでた。

 激しい波にもまれて久しぶりの船酔いを味わったマリサもすっかり元気を取り戻し、時間を見つけてはギルバートやオオヤマ相手に剣の練習をしていた。産後しばらくあれほど持つことが重く感じられたサーベルも、もう普通に持つことができた。


「よう、調子がもどったんじゃねえか。俺たちと違って若いってことだよ」

 練習を見ていたハーヴェーが笑う。

「俺たちって簡単に言うが、仲間の中で一番年寄りはお前だよ、ハーヴェー。一緒にすんなよ」

 周りの男たちも笑う。ハーヴェーは”青ザメ”が私掠だったころからの古参船員だ。マリサの出自やデイヴィスの過去を知っている数少ない船員である。あとは海賊になってからの船員、解団した”赤毛”の船員(船長だったアーサーはグリンクロス島ウオルター総督に護衛として雇われている)そして”光の船”の収容所脱出以降仲間になった船員である。一番若手は逃亡奴隷だったラビットだ。

「なんの、若いもんには負けちゃいねえさ。まだまだ働くことはできる。女も抱けるぜ」

 そう粋がってみせると連中が再び大笑いした。

「おう、その意気で人妻のマリサをおとしてみろ。もう例の掟は破られてるからな、誰が相手になろうと関係ねえぜ」

 この言葉に慌てるハーヴェー。

「よ、よせ。相手が悪すぎる。俺はまだ死にたくねえ」



 彼らのやり取りを聞いてあきれ返るマリサ。

「あんたたち、人をコケにして何言ってんだ。あたしがハーヴェーに抱かれるって?ふざけんな。あたしはおじいちゃんには興味ないよ。ハーヴェー、足腰が弱ったんじゃないのか。あたしが抱かれる代わりに足腰を支えてやろうか」

 マリサが返すと連中はゲラゲラ大笑いをした。

「全くよ、おめえらいつまでも若い気でいるんじゃねえ。誰だって歳を取るもんだ。俺たちは恩赦で命拾いをすることができたんだ。みんなで仲良くおじいちゃんになろうぜ」

 ハーヴェーはそう言って連中にをかけた。


 

 風向きが少しずつ変わる。アーティガル号は定期便の荷を載せてグリンクロス島へ向かった。今の脅威は海賊船である。荷を確実に運ばねばならない使命があった。マリサが復帰して出帆してから何隻かの船に出会い、挨拶を交わした。海賊だったころは出会う船といえば獲物であり、敵だった。しかし今では目的を同じくする兄妹である。

 自分は家族を得て平穏な陸の生活を送ることができた。そしてこの船は安全に荷を運び、対価を得ることができている。

(いいんじゃないか……あたしはこの生活を望んでいたわけだ……)

 そう自分に言い聞かせる。


 

 午後。荒れていた天候は回復の兆しを見せ、風や波が穏やかになっていく。船内ではギャレー(厨房)でグリンフィルズがこの時とばかりに火を使い、スープ作りに取り掛かる。隣でジャガイモの皮をむくマリサ。

「おう、前より皮むきのスピードが落ちたんじゃねえのか」

「まあね。少人数の食事ばかりだったから急ぐ必要はなかったし。大丈夫、これからもとに戻してみせるよ」

 事実を言われて少しむっとしたマリサだが、さらにグリンフィルズはマリサをイラつかせる。

「全くな……。男を知らねえ女の子だったお前が頭目となり、みんなをまとめ上げるなんざ、当時の誰もが思わなかっただろうぜ。あの時から変わらないのは、そのふくらみが少ねえ胸だな。お前、フレッドとうまくやってんのか」

 グリンフィルズの言葉に反応したマリサは、手にしていたナイフを思いっ切り彼めがけて投げつける。ナイフはグリンフィルズの肩をかすめ壁に突き刺さった。

「うわわ!言い過ぎた。すまん」

 慌てて謝るグリンフィルズ。マリサは壁からナイフを抜くと何事もなかったかのようにジャガイモの皮むきを続ける。


「……正直なところ、フレッドとうまくいってるかといえばそうじゃない。あたしが船に乗ることを口には出さないが反対をしている。あいつは航海前でもあたしを抱こうとしなかった。……グリンフィルズ、男から見たら仕事のために家を空けるあたしはダメな女なのか」

 真顔で皮むきを続けるマリサをみてグリンフィルズはそれが冗談ではないことを知る。

「考え方1つだよ。フレッドにはまだ気持ちに余裕がねえんだ。ああいう軍隊や貴族社会ほど身分や階級にこだわるところはねえからな。心配するな。そのうち変わるさ」

 その言葉に少し笑みを見せると何事もなかったかのように皮むきを続けるマリサ。



 甲板上では連中がハーヴェーの指示で帆を展帆させているところだ。アーティガル号は次の寄港地で新鮮な水を確保することになっていた。

 

 そこではあるものが待ち受けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る