第6話 悪だくみ(1)

 ワツリ神社に属する神官は、宮司のおお曽根そね臣幸おみゆき以下およそ三十人弱。その役割は大雑把に分けて二部門に分類される。


 一つは冠婚葬祭に従事するさいで、治癒術をはじめとした魂振たまふりを得意とする者が多い。

 もう一つは警備班に当たる衛士えじだ。村内の治安維持はもとより、魔物の来襲にも備え、武芸に長けた手練れたちが集う。


 神官以外にも、村社の各施設では一般職員が働いている。そのほとんどは氏子たちで占められるが、中にはみおのように神職に就かなかった社家の子弟や、けんのような村の外からの移住者も籍を置いていた。


 献慈が神社でのアルバイトを申し出たのは、自然な成り行きだった。

 改めて支給された白作務衣に身を包み、掃除や荷運びなどの雑務に励んでいると、よそ者から村の一員になれた気がして心が軽くなる。


 仕事をこなす中で物の大きさや重さなどこちら独自の度量衡を知れたことも、今後生活するうえでの利点といえるだろう。

 また、日当の使い道を通じて金銭感覚が身についたのも幸いといえた。近所にある駄菓子屋を兼ねた雑貨屋、漫画本や雑誌を扱う貸本屋などはもうすっかり顔なじみだ。




 瞬く間に数週間が過ぎ、時は六月・霊猴節レイコウセツ


 その日の昼休み、休憩小屋でくつろぐ献慈のもとを訪ねる者があった。

 マガレイトに結った髪、涼しげな色合いの単衣ひとえ、眼鏡のよく似合う知的で楚々とした佇まいの女性であった。


「はい、献慈さん。こちらでお渡しいたしますね」


 差し出された大きな包みを、献慈は待ってましたとばかりに受け取る。


「わざわざありがとうございます、さとさん」

「いいえ。点検に来たついでと思っていただければ」


 澪の友人である千里は、村で唯一の楽器屋に勤めている。ちょくちょく店を訪れている献慈ともすでに顔見知り以上の仲だ。


「祭事で使う楽器のチェックですね。午前中に倉庫から出しておきましたよ」

「それはどうもおつかれさま。お仕事はだいぶ慣れましたか?」

「ええ、おかげさまで」

「うふふ……きっとあの子の『おかげさま』ね」

「ん……まぁ、そうかもですね」


 思わず言葉を濁したのは何ゆえか。その答えこそ知らずとも、眼鏡の向こうから微笑みかける目は、献慈の脳裏に浮かぶ人物の姿を見透かしているかのようだった。

 澪よりも一つ年上の千里だが、二十歳という年齢以上に落ち着いて見える。

 それでいてどこか掴みどころのない言動は、たびたび献慈を戸惑わせもする。


「それにしても――献慈さんは大きな手をしてらっしゃいますのね」

「体の割には、ですけど」

「指も長くて……とってもお上手そう」


 過剰な持ち上げぶりがどうにもむず痒い。

「い、いや本当……人様にお見せするほどのものでは……」

「ご謙遜なさらずとも。わたし、とっても楽しみにしているんですよ?」

「その件は、何というか……」


 献慈の答えを待たずして、千里は背を向ける。


「では、わたしもそろそろお仕事に向かいませんと。献慈さんもまたお店までお越しくださいね。最新の蓄音機、仕入れてありますから」

「あ、はい」


 慌ただしく手を振り返し、千里を見送った後、献慈は軒下の縁側へ腰を下ろした。


(上手くかわされたっぽいな……ともあれ、ようやく手に入ったぞ)


 はやる気持ちを抑えながら、風呂敷の結び目を慎重にほどいてゆく。

 中から現れたのは、先日家の衣替えをした際、納屋の奥で見つけたクラシックギターであった。楽器屋での修繕を終えて戻ってきたのだ。


(お友だち価格で直してもらう代わりに、夏祭りの舞台で演奏だなんて……ちょっと安請け合いしすぎたかも)


 表面の塗装も新たに、滑りの良くなったネックは案外手になじむ。打ち直しされたフレットの上には新しいガット弦も張ってある。

 一緒に添えてあった樹脂製のピックを手に、献慈はチューニングを開始した。


 トゥーラモンドでも平均律が採用されているのは実に幸運である。たとえ拙い技術や音楽知識であっても、流用が利くのと利かないのでは大違いだからだ。


(アコギ弾くのはギター教室以来か……ポジションマーク無いの地味に戸惑うなぁ)


 夏祭りまではあと二ヵ月ある。元の世界でも時間の進み方が同じならば、予定していた学校の文化祭と重なる時期だ。

 割り切っていたつもりだったが、バンドを組んでのステージ出演が叶いそうにないのを思うと淋しくはある。


(俺がギター、碧郎へきろうがドラムボーカル、ベースはバイト先の先輩が学校のOBだから……でも結局、返事もらえないままだったな)


 それも今の境遇を考えれば詮無いこと。行き場のない思いを振り払うように、献慈は外へ目をやる。


 折しも梅雨の曇り空の下、境内は閑散としていた。

 聞き慣れた足音が、晩の雨も乾かぬ砂利の上を軽びやかに渡り来る。

 かすかに揺れる紫陽花あじさいの向こうから、朗らかな陽が差すかような、待ち人の訪れ。


「あっ、さっそく弾いてる?」


 びゃくばかま、後ろ髪を束ねた、巫女装束の澪が笑いかける。

 見惚れてしまうのは、服装のせいだけだろうか。


「確認がてら、ちょっとだけ。俺がこっちいること、千里さんに知らせてくれたんだよね?」

「うん。待ち焦がれてるんだろうなーって思って」

「そっか。澪姉みおねえも今から休憩?」

「んー、どうしよっかなー」


 澪は献慈を横目に見ながら、すぐ隣へ腰を下ろした。その体温が、香りが、息づかいが撚り合わさるようにして、少年の胸を甘く締めつける。


(この近すぎる距離感……わかっちゃいるけど、男としてまったく意識されてないんだろうなぁ……)


 至近距離で顔を合わすのはいまだ照れくさい。献慈の目線は、無意識に澪の襟元まで下がっていく。


「献慈、もっと上。ちゃんと合わせてったら」

「え? ……(チューニング狂ってたかな?)大体このぐらいだよね、Aって」


 献慈は楽器の方へ向き直り、調弦を再開した。


「A? ……え、Aェッ!? 何でわかっ……じゃなっ、ち、違うし!」

「違う? やっぱフラットすぎるか」

「ふっ、平坦フラットぉおおおォ――ッ!? あ、あのぉ! もうちょっと、言い方とか……」


 何の弾みか、澪が熱心に意見してくる。訝りつつも献慈は助言に従う。


「もうちょっと? もしかしてGだった?」

「Gィッ!? い、いくら何でも盛りすぎだし! 逆に失礼っていうか……」

「逆っていうとB……いや、Bはないよな」

「んなっ!? それは…………わ、私が悪うございました。A……で、合ってます……」


 一転して曇りだす声のトーンを不審に思いながらも、


「そっか、やっぱり合って…………た?」


 献慈が隣を振り返ると、澪は胸の辺りを押さえ、涙目でうつむいていた。


「だ、大丈夫!? どっか調子悪い!?」

「ううん……献慈って結構、意地悪なんだなぁーって……」

「そうか、俺……ごめん。澪姉ほったらかして、ギターのチューニングなんか」


 なるほど澪が怒るのも無理はない、と献慈は反省した。


「ギターの……? ……あっ」

「でも驚いたよ。前にも思ったけど、澪姉って音感もバッチリだよね。もしかして何か楽器とかやってた?」

「が……ががっ、楽器ねっ!? うん! む、むかしっ、三味線なら、やってたよ!?」


 飛び上がらんばかりに元気を取り戻した澪を見て、献慈はひとまず安堵する。


「へぇー、それは格好いいな」

「今はもうやめちゃってるし……そうだ、いい機会だし献慈が――」


 ふたりの会話が弾みだした、その矢先の出来事だった。


「これはこれは、賑やかなことですね」


 やにわに、朗々とした声が割り込んできた。


「あ、かしわさん」


 そう澪に呼ばれたのは、長身で引き締まった体格をした若い男だった。切れ長の目に、鼻筋が通った端正な顔立ち。特徴的なくせ毛が季節柄ボリュームアップしているのはご愛敬だ。


「お嬢さん、見回りが終わりましたので、ご報告に上がりました」


 男はその手に、背丈よりやや短い木製の棒――じょうと呼ばれる武器を携えていた。

 彼の名は柏木。衛士えじ隊の中でも使い手として知られる若者である。職場を同じくする献慈とは無論、これまでにも幾度となく顔を合わせている。


「わざわざありがとう。でも『お嬢さん』はそろそろやめてほしいかな。ほら、身内もいることだし」

「身内……ですか」


 若き衛士は憎々しげな眼差しを献慈に向けてくる。

 初顔合わせから一貫してのすげない素振り。彼のようなエリートが献慈のコネ採用を妬むとは考えにくい。

 理由はいくらでも思いつくが、とりあえず澪と三人でいるのが好ましくないのは確かだ。


「それじゃ、俺はこれ家に置いて来るから」


 そそくさと楽器を包み直し、献慈はその場を離れようとした。


「まぁ、待ちたまえ」止めたのは柏木だった。「会話を邪魔しに来たわけではない。ゆっくりしていけばいい」

「そうだよ。お茶菓子ぐらい食べて行けば? そんな忙しい日でもないんだし」


 澪にまで言われては、献慈としてもとどまらざるをえない。


「うん……」


 再び荷物を置く献慈を見て、柏木は口の端を吊り上げる。


「お嬢……澪さんに対してはやけに素直なのだな、君は」

「…………」


 毎度毎度、嫌味ったらしい物言いが癪に障る。よほど言い返してやりたかったが、献慈は澪の手前、ぐっと我慢するしかなかった。


「べ、べつにそこは……献慈も一応は私のこと、助けてくれた恩人って思ってくれてるみたいだし……柏木さんだって知ってるでしょ?」


 澪が意見するも、献慈が冷静でいられたのはそこまでだった。


「なるほど。捨て犬と主人の関係ですな。これはまた微笑ましい」

「……! もう、私そこまでは言ってないよー」


 澪に悪気がないのはわかっている。しかし自分をダシに笑い合う二人を前にして、激しく渦巻く感情を献慈は押しとどめることができなかった。

 気がつけば、勝手に身体が動いていた。


「あっ、ちょっと――」


 背後から澪の声がしたが、聞こえないふりをして小屋から走り出た。


 地面に敷かれた玉砂利を蹴り飛ばす勢いで、一直線に家へと向かう。

 追って来る足音は、ない。

 浮かれた気持ちも甘いときめきもあの場に置き去りにして、献慈は前のめりにひたすら歩を進めた。

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