第2話 ごはんですよ(2)

「これを……いいんですか?」

「うん。神社で支給してる服だから。着替え終わったら言ってね」


 献慈は用意された白作務衣に着替え、


「お待たせしました」


 部屋の外へ出る。




 澪に案内された家の中は、一昔前の日本家屋といった印象だった。

 障子戸にふすま、板張りの廊下、木造の平屋建て。幼い時分よく訪れていた祖母の家が思い起こされるが、それよりも小綺麗で、やや広めの造りをしている。


「お手洗いはここね」

「失礼しま――す?」


 戸を開けた先に待ち構えていたのは、献慈の予想を裏切る洋式便器であった。


(意外……でもないか。下着もトランクス型の猿股だしな。眠ってる間、誰が俺に穿かせたのかという疑問はさておき)

「それじゃ私、台所にいるから。わからないことがあったら遠慮なく訊きに来て」

「(さすがに下着のことは訊けない……)はい、ありがとうございます」


 澪を見送った後、献慈は用を済ますも早速問題に直面する。


(水……どうやって流す? というか、そもそもこれ、水洗なのか……?)


 周囲にタンクやレバーらしきものも見当たらない。


(先に訊いておくべきだったか。う~ん、どうしよ……勝手に水流れてくんないかな)


 そう思った直後、献慈の意思が通じたかのようにトイレの水が流れ始めた。


(なっ……何だ? もしかしてセンサー式とか? やけにハイテクだな)


 献慈は狐につままれた気分で個室をあとにする。




 すぐ隣は洗面所だ。洗面台の前にはガラスのコップと樹脂製の歯ブラシが並んでいる。小さな平缶は歯磨き粉だろうか。いずれも家の造り同様、レトロな風合いを醸し出していた。

 一見してそれらしい水道の蛇口に手をかざすと、望んだとおりに水が流れ出る。


(ここも自動なのか? どういう仕組みなんだろうな)


 手を洗う傍ら、献慈は身なりを鏡で確認する。

 普段かけていた眼鏡がないのがどうにも落ち着かない。それでいて視力にも相変わらず支障がないのだから、身体に何らかの変化が起こっているのは確実だ。


(これが夢じゃないとして――いや、そういう考えは一旦やめよう。〝この世界〟に来たことで、俺の身に何か影響が出てるのかもしれない)




 廊下を戻る途中に台所があった。

 何となしに中を窺うと、一目でそれとわかる流し台の前で、たすき掛けの澪がせっせとおにぎりを握っていた。


「お部屋で待ってていいよ。すぐに持って行くから」


 振り向いた澪の口元に、ご飯粒がありありと付着している。


「は、はい」


 献慈は見て見ぬ振りをした。どうか自分で気づいてくれ、と心の中で祈りつつ。


「……ん? まだ何かある?」

「えっ、その……」


 どう取り繕おうかと献慈は室内を見回すが、辺りに置かれた物珍しい品々に、図らずも興味をかき立てられた。


 ヤカンや鍋を載せた器具は、考えるでもなくコンロだろう。

 床に置かれた取っ手付きの小さな箱は、旅館などの部屋に備え付けられた冷蔵庫を連想させる。

 さらには炊飯器やポットらしき機器もその形状から類推できるが、そうなるとますます時代感覚がわからなくなる。


「気になったんですけど、そこにあるのって――」


 尋ねるが早いか、


「あ、これ? 実はね、炊飯器っていってぇ、お米とお水を入れるだけでぇ……何と! ご飯が炊けちゃうんだよぉっ!?」


 澪から、これでもかという得意満面の笑みを浴びせられた。

 何ともいたたまれない。


「で、ですよね。家にも似たようなのあるんで、もしやと思ったんですけど……」

「へー、そうなんだー……」

「(明らかにテンション下がってる!)あ、その、ごめんなさい」

「ううん、いいのー……こっちの世界の常識に驚くこともあるだろうって、お父さんに言われてただけだからー。悪いのはお父さんだから。お父さんのせいだからー」

「お、(お父さん不憫すぎない……?)驚いてますよ? たぶん動いてる仕組みとかも、俺の知ってるのとは全然違うんだろうなー、って」


 献慈がフォローに回ると、澪の表情はたちまち輝きを取り戻した。


「そっかー! そうかも! たとえばねー、このコンロなんかも魔導器っていってー、火の元素の力で動いてるんだけどー……そっちにも精霊っている?」


 魔導。元素。精霊。ある種おなじみといえる単語が矢継ぎ早に繰り出されたことに、献慈は面食らう。


「いえ……精霊さんはちょっと、自分はお会いしたことはないっすね」

「私もなぁい」

「ないんっすか!?」

「ん~、そのあたりはあとで説明するとして……そういえばこのお漬け物もお父さんが漬けたんだけど、美味しくなかったら残していいよ」

「(さっきからお父さんの責任ばっか重たいな!)ところで、おか――」

「ちょっと長話になっちゃったね。私もすぐ行くから、献慈くんは先に戻ってて」

「は、はい」


 言われるがまま、献慈は先ほどまでいた客間へと舞い戻った。




  *




 座卓の上に、皿に載ったおにぎりと漬け物、湯呑みに注がれた玄米茶が並べられる。


「ごはんですよー。さ、召し上がれ」


 澪の口元にご飯粒が付いていないのを認め、献慈は密かに安堵しながら、


「いただきます――」


 いざ手をつける段になって、ふと思い出した。

 ヨモツヘグイ。

 黄泉の国で煮炊きされた食べ物を口にした人間は、二度と現世には戻ることができないという逸話だ。


(……考えすぎだな。夢でもなければ、ましてあの世でもないんだし)


 目の前で期待の眼差しを投げかける、心優しい女性の親切を、どうして無下にできようものか。

 何より、身体の要求には抗えない。実感をもって訴えかける空腹こそ、献慈が今この場に生きている確かな証拠だからだ。


「――うまい!」


 正直な感想だった。もちもちとした食感の白米は、絶妙な塩加減によって素材本来の甘みを引き立てられ、なおかつ全体を包み込む海苔の風味と旨味とがより良い相乗効果をもたらしている。


 お茶もまた然り。鮮烈な茶葉の香りに彩られた玄米の香ばしさが、握り飯の白米と調和し安心感を与えてくれる。


 着目すべきは味だけではない。

 意図されたものかはわからないが、右側から濃厚な味わいのおかかおにぎり、箸休めのお新香、爽やかな後味の梅干しおにぎりという配置は、コース料理さながらの気配りが感じ取られ、深く唸らされる。


「よかったぁ。イムガイの食べ物、もし口に合わなかったらどうしようかと思って」


 謙遜なのかもしれないが、無用な心配をさせておくには忍びない。


「本当に美味しいですよ。見た目も味も日本の――故郷の食べ物と似てますし。ところでそのイムガイっていうのは村の名前ですか?」

「ううん。フォズ・イムガイっていう国の名前。ここはワツリ村っていって、神社とか、温泉とかいろいろあるから、明日にでも見て回るといいよ」

「明日……」

「うん――あ、帰って来た」


 澪が腰を上げるのと前後して、献慈も玄関からの物音を聞きつける。


 ふすま戸を開け、澪が迎え入れたのは、ほかならぬ彼女の父親である。

 献慈を見るや、声をかけてきた。


「おや、元気にしていたかね。身体の調子はどうだい?」


 温和そうな顔立ちに口ひげが似合う、白髪交じりの中年男性。歳は四十半ばといったところか。白い上衣と紋入りの袴を身に着けている。


「はい、おかげさまで。えっと……申し遅れました、自分は入山献慈といいます」

「わたしはおお曽根そね臣幸おみゆき。娘から聞いているかもしれないが、ワツリ神社で神主を努めている者だよ」


 大曽根の物腰は柔らかく、神職と聞いて献慈が想像するような厳格さとは程遠い。


「そんなかしこまらなくても平気。お父さん、こう見えて結構ちゃらんぽらんだし」


 娘からの手厳しい物言いも、大曽根は笑って受け流す。


「ハッハッハ……まぁ、うちはこんな感じだよ――っと、そうだった。献慈君に着替えを何着か見繕ってきたから、ここに置いておくよ」


 大曽根は持っていた包みを置くや否や、献慈の食べ終えた食器を盆に載せ、持ち去ろうとする。


「えっ、あ、あの! つ、漬け物、美味しかったです!」


 何か言わなくては――献慈は頓珍漢な言葉を口走る。

 大曽根の反応は、どこまでもおおらかだった。


「それはありがとう。君の事情はそれとなく察しているよ。先のことは落ち着いてから考えなさい。それまではこの部屋を好きに使ってかまわないからね。――さて、わたしは夕飯の下ごしらえをしてこようかな」


 ふすま戸が閉まり、床板のきしむ音が遠ざかってゆく。

 呆然と佇む献慈に、澪が優しく語りかけた。


「お父さんも私も、いちおう神文カムナヤの神に仕える身だから。あなたも人助けに貢献するぐらいの軽い気持ちで甘えちゃって」

「は、はい……お気遣い、ありがとうございます」


 今はそう返すのが精一杯だった。


「それより、お外も暗くなってきたし、きゃんどる点けないと」

「キャンドル?」


 献慈が訊き返す間もなく、澪が片手を天井に向け掲げる。その動作に反応するように、照明が室内を照らした。


「うん……え、何? そんなに珍しい?」


 立ち上がって確認してみると、フックに吊るされたランプの中にドーナツ状の小さな発光体が納まっているのが見て取れた。

 正式な名称をメロウキャンドルといい、こちらの世界では一般的な照明機具であるとのことだ。


「あ、いや……水道とかもそうですけど、全部センサー式なんですね」


 献慈が言うと、今度は逆に澪が首を傾げる。


「せんさー? もしかして魔導器の仕組みをご存知でない? よぉし、お姉さんが教えて進ぜよう!」


 一転して得意げに胸を張る澪に対し献慈は、


「お、お願いします」


 一も二もなく応じるしかなかった。


「そうだなぁ、まずはさっき言ってた精霊についてだけど――」


 澪いわく、この世界には抽象精霊という、目には見えない霊的な生き物が至る所に漂っており、それぞれの属性に応じた魔法元素を排出しているのだそうだ。

 この魔法元素を動力として利用したものこそ、現世界での電化製品に相当する魔導器である。


 例えばコンロには火の元素、水回り全般には水の元素が使われているし、炊飯器には熱の元素、冷蔵庫には冷の元素、それからたった今見たとおり照明には光の元素が取り入れられている。


 一通りの説明を受けて献慈も納得はしたものの、


「なるほど。精霊が生み出す魔法元素が魔導器の動力になってる、と……で、操作のほうはどうやって?」


 一番の疑問がまだ解決されていなかった。


「操作? それはこう……こうして、こうやれば」


 澪の手振りに応じて照明が明滅を繰り返すが、傍で見ている献慈にはまるで要領が得られない。


(どういうことだ……俺がおかしいのか?)


 せめて動きを真似ようと、献慈が意思を働かせたその時だった。


「こうして? こう――あっ!?」


 どうにも形容し難い、されど確実に存在する、不可視の実体同士が触れ合う感覚――それは献慈がカッパに襲われた際に体験した、第六感的知覚に通ずるものがあった。


(霊感……霊気…………霊体……とか?)

「どうしたの?」

「いや、多分……こう、ですよね」


 おぼつかない〝手つき〟で感覚を探り、慎重に〝スイッチ〟を切る。

 照明が落とされた。

 実にあっけない、だがその結果に、献慈本人ではなく澪が喜びをあらわにしていた。


「うん。ちゃんと操作できたじゃない。えらいえらい」


 まるで幼児のような扱いだが、実際そのとおりなのだろう。魔法が日常に寄り添うこの世界で、きっと人は物心つく時期より魔導器との付き合い方を学ぶのだ。

 新参者である献慈は、まさにそういった立場にある。


「そんな、このぐらいのことは――」


 ふと見渡した、薄暗い部屋。

 オレンジ色に染まる澪の頬が、献慈の目を、心を奪った。

 胸をざわつかせるこの感情の意味を、献慈は知っている。


「なぁに? ――あ、見て見て。綺麗な夕焼け」


 澪の動きにつられて、献慈は我知らず振り返る。

 西側に面した窓から差し込む、夕陽と、そして、


「さな……だ……さん……」

「献慈くん?」


 こちらを気遣うよう身を寄せる澪の着物から、ほのかに薫ずる芳香が、くらい水底に沈んでいた献慈の記憶を鮮明に呼び覚ました。


「俺……あの直前、どこで、何をしていたかって――」

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