第2話 ごはんですよ(1)
シオン。
エゾギク。
ルリハコベ。
タチバナ。
ローズマリー。
ゼラニウム――。
「追憶」を花言葉とする花は数多い。
中学生だった頃の姉が、おまじない本の付録をめくりながら話してくれたのを、
(
思い出は必ずしも快いものばかりではない。
幼き日のあやまち。
若さゆえの愚かな選択。
今であればまず取らないであろう、されど現に下されてしまった行動の記憶が、ふとした刹那に、幾たびもよみがえっては自分を苦しめることもある。
(俺はあの時、逃げた――)
時はさらに遡る。姉と献慈、二人とも小学生の頃だ。
夏休みのある日、近所にある民家の庭先。
細かい経緯までは忘れてしまったが、二人は一緒にささいないたずらをして、大人に叱られそうになった。
怖くなった献慈は、姉を置いて真っ先にその場から逃げ出してしまった。
(今の俺なら、絶対にそんなことはしないのに――)
悔やんで、省みて、どれだけ前に進もうとも、過去の記憶だけはいつまでも追いかけてくる。
幼かっただけだよと、姉は後から笑って許してくれたが、いまだ自分は自分を許せないままだ。
だからせめて、今この瞬間だけは強くあろうと願った。
願い続けた。
(――立ち上がるんだ)
立ち上がって、叫べ、
*
「――♪~スタンダペン、シャウッ!!」
「ひゃぁあああぁっ!?」
耳を聾する頓狂声で、献慈は目を覚ます。
見慣れぬ和室。畳に敷かれた布団の上で、献慈は拳を握りしめ仁王立ちしていた。
状況がまったく把握できない。
「……ここは……?」
「私の家だけど」足元から返事があった。「寝てたと思ったら急に大声出しながら立ち上がるんだもん、びっくりしちゃった」
和服を着た若い女性が、尻餅をついた格好でこちらを見上げていた。その顔、そして声にも憶えがある。さっきまで夢の中で会っていた人物だ。
たしか、名前を
「(夢…………あれっ?)俺……今、起きてる……?」
「まだ寝ぼけてる? 仕方ないかぁ。カッパに霊気を吸い取られたり、いろいろあったもんね」
澪はそそくさと身を起こし、爪を小ざっぱりと整えられた長い指で、乱れた髪を繕った。長い髪を下ろし袴を脱いだ普段着姿は、先刻と打って変わって清楚な装いである。
一方の献慈は、いつの間にか浴衣のような寝間着姿に着替えさせられている。
「カッパ……憶えてはいますけど――っていうか!」
「今度は何!?」
「言葉! 通じてますよね!? オレ、ニホンゴ! アナタ、チガウノコトバ、サキカラ、シャベテルナノニ!」
動揺のあまり片言でまくしたてる献慈を、澪はぽかんと見つめた後、ぷっと吹き出した。
「それはぁ、しばらくして〝慣れた〟からでしょ。ここじゃ当たり前のことだよ?」
「当たりま……いや、もう、何が何だか……」
献慈は頭を抱えたが、話が通じるのであればそれに越したことはないと、ひとまず納得することにした。
ふたりはその場に座り込むと、まずは改めてお互いの名を告げる。
「そういえばちゃんと言ってなかったよね。私の名前、澪っていうの。あなたは?」
「あ、俺は……入山献慈、です」
「献慈くん、よろしくね」
(すんなり……呼んでくれるんだな……)
献慈だけが抱くその感慨を、澪は知る由もない。
「あれっ、間違ってた?」
「いえ、合ってます。すいません、まだ頭がぼーっとしちゃってて」
「そっか。それじゃ一回、整理してみよっか」
ふたりは今までの経緯を一つずつ確認していく。
初っ端から〝あの〟衝撃的な出会いに言及せざるをえず、多少気まずい空気が流れはしたものの、一連の出来事の記憶そのものに誤りはない。
献慈は河原で気を失ってから二時間ほど眠っていたらしい。
(最初に気がついて、その後に眠って、また目が覚めて……今までも、この瞬間も、全部現実だっていうのかよ……)
「どう? 思い出した?」
「は、はい。ただ……どうして俺自身、突然知らない場所にあんな形で現れたのか、まったく心当たりがなくて」
持ち物はおろか、衣服の切れ端一つ持たず放り出された献慈には、その原因を知るための手がかりすら与えられていないのだ。
(あの直前、何があった? 俺はどこで何をしていた……?)
「まだ疲れてる? もうちょっと休もっか?」
優しさに甘え、考えるのをやめそうになる。
同時に――後ろを振り返ってはいけない、と――本能が警告を発している気がした。
「……いえ、平気です。なぜこうなったのかはわからないけど、何が起こったのかは何となく……わかってます」
見知らぬ土地、耳慣れぬ言葉、荒ぶる妖怪、そして魔法の力――己の身で体験すれば、どんなに荒唐無稽であろうと受け入れざるをえない。
(本当に……違う世界に飛ばされて来たっていうのか……?)
「お父さん言ってた。あなたは多分――『
「マレビト……」
その単語が意味するところを、献慈は直観的に悟った。直後に澪が述べるのを待つまでもなく。
「こことは別の世界から渡って来た人をそう呼ぶんだって。詳しいことは私よりお父さんのほうが知ってるはずだけど」
「お父さんって、俺の傷を治してくれた?」
「うん。この村の神社の……
「神主さん?」
「そう。今は寄合いに顔出してて、もう少ししたら帰って来るから。それまではゆっくりしときましょ」
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