第2章第7節「生命と死の存在証明」
「蓮美、あいつの行方は分かるか!」
逃げ出したユレーラを追っていた桜井は公園の中を走っていた。しかしどこを向いても草花の生い茂る公園の中では方向感覚が掴みにくく、ユレーラを見失いつつあった。そこで彼が素直に頼ったのはオペレーターの桐生蓮美だった。
公園を走る桜井は人差し指と中指を耳元に押し当てて通信を繋げている。腕時計から展開されたホログラムは手の甲を覆い、手自体が受話器のように機能していた。
『はい、レリーフの反応は現在公園を出たところです』
DSR本部の司令室では、蓮美がホログラフィックディスプレイを忙しなく操作してレリーフを追跡している。魔力はすぐに空気中に溶け込んでしまう。レリーフの残滓を追い続けるためには迅速に対応しなければならないのだ。
『桜井先輩の近くにはリニアラインが通っています。レリーフの反応は現在、地下の駅構内に向かっているようです』
「了解!」
走りながら無線に応答しつつ桜井は公園の外苑部から外へ飛び出す。すると目の届く範囲に地下鉄へ続いている階段を見つけた。階段への手すりを飛び越えると、数段飛ばしながら構内へ急ぐ。
『桜井先輩。記念公園前駅は無人運営ですので、構内に人がいないか注意してください』
蓮美の言う通り、駅構内は無人の状態だった。見渡す限りでは人の往来もなく、不幸中の幸いと言えるだろう。
ユレーラの追跡に集中し、桜井は改札を駆け抜けて周囲を見回す。
ドーム状になっている地下鉄構内の中央には、ユレーラが立ち尽くしていた。桜井がやってくるのを待っていたかのように。
桜井は考えるよりも先に、その手に剣を喚び出した。
「この世界の居心地はどうだい?」
背中を向けていたユレーラは振り返り、桜井とまったく同じ顔を見せる。
「魔法に支配されて生きるのはさぞかし辛いだろう」
どこか芝居がかった言い方で問いかけてくるユレーラ。だが桜井が何かを答えるのを待つことなくこう続ける。
「とはいえ、お前たちは愚かにも自らそれを招いた。魔法という新たなる世界秩序を。そろそろ知るべきだろう。この世界を支配する秩序たる魔法が何であるか。だがそれを教えてやるためには、『灰皿』が必要だ」
「へぇ、灰皿? タバコでも吸うつもり?」
桜井はユーモアを口にしたものの、自分によく似た存在を前にして平静を装うのに精一杯な様子だった。
「お前はいったい何だ? 何が目的だ?」
疑問は次から次へと湧き出てくる。聞きたいことはそれ以外にもあったが、桜井はあえて最大の疑念を投げかけた。
「どうして俺の姿をしてる?」
問いかけに対して、ユレーラはゆっくりと左手を持ち上げ、
「それはお前自身がよく知っているはずだ」
パチン、と指を鳴らす。
指から白黒の火花が散ると同時に、桜井が持つ剣の刃からも白黒の火花が迸った。ユレーラの指と桜井の剣との間で静電気のような現象が起きたかと思うと、桜井は慌てて剣を持ち上げる。なぜなら、刃から迸る白黒の火花は激しくなり、見えない刃と鍔迫り合いをしていたから。
「くっ!」
やがて、白黒の火花からは黄金の刀身が現れ始め、いつの間にか距離を詰めていたユレーラが火花の中から魔剣を手に取る。
お互いの剣は根本同士で縫い止められ、激しく火花が飛び散る。そして至近距離に迫ったユレーラは、火花越しに静かに告げた。
「忘れたとは言わせない……!」
直後、ユレーラは魔剣を逆手に持ち替えて振り上げる。剣を押し返された桜井は後退りするが、その隙にユレーラは体勢を立て直す。
彼が逆手に持つ黄金の魔剣は、先ほど噴水広場でも使っていたもの。それを改めて目にすると、意外なことに気づく。剣の柄にある装飾は孔雀の羽を彷彿とさせるもので、桜井の愛用する剣とよく似ていたのだ。
「俺の剣と色違い? 剣まで俺の真似してるのか?」
質問に答えることなく再び桜井へ距離を詰めると、身を翻して逆手に持った剣を振るう。
桜井が咄嗟に回避した剣は、白黒の魔力の結晶のようなものを生み出している。月城時成が扱っていたような魔法剣とは明確に異なるそれは、炎や雷、風などの魔法を纏わせる純粋な魔法剣ではなく、特殊な性質を持つ魔剣とよく似ていた。
「……ッ」
剣を逆手に持つ変則的な攻撃方法に加え、ユレーラは魔剣を乱雑に扱っているようで地面に叩きつけることすらも厭わない。桜井が剣のリーチを活かして立ち回るのに対し、ユレーラは力任せでいてかつ素早く斬りつける。その上、乱暴に振られたことで地面と魔剣が擦れ合い、それによって生まれた白黒の火花が桜井を容赦なく襲う。まるで、火花さえも攻撃に取り入れるかのように。
機を伺うも防戦一方になるのは必然的で、ユレーラは桜井の防御を崩すべく地面へ向けて魔剣を突き刺す。その直前、黄金の刀身はより強い禍々しい光を帯びる。剣が地面に突き刺さると同時に亀裂を生み、周囲に衝撃波を撒き散らした。それを間近で受けた桜井は大きく吹き飛ばされてしまい地面に体を打ち付ける。吹き飛ばされた勢いを利用して体勢を立て直し、靴底で勢いを殺す。
「チッ……!」
地面に膝をつく桜井が見上げると、ユレーラは逆手に持った剣を引きずりながらこちらへ向かって悠々と歩いていた。
「いったい何が望みなんだ?」
「……望みか」
ユレーラは抑揚のない声で言う。
「代償を払ってもらいたいんだ」
暗然と桜井を見下す。まるで、危険な行為を犯した代償を宣告するかのように。
「お前たちは魔法を使うことの意味も知らずに利用してきたんだろう。だが、魔法を利用したからには代償を払わなくちゃならない。私は、その代償のようなものだ」
自分たちが現れたのはお前たちのせい。それが桜井を見下す瞳の奥に垣間見える、魔法生命体の意思だというのだろうか。
その時、ユレーラの頭上に美しい虹色の光が現れたかと思うと、星座のようなものを描く。光は三本の半透明な剣を結び、切っ先は桜井ではなくユレーラへ向いていた。
つまり、それは彼自身の力によるものではなく、彼を狙った攻撃だったのだ。
「そこまでよ!」
女性の凛々しい声が聞こえたと思うと、ユレーラの頭上にあった三本の剣は彼目掛けて急降下する。凄まじい速度で交差した三本の剣は地面へと突き刺さった。が、そこにいたはずのユレーラの姿はない。交差して刺さった三本の剣が粉々に砕け散り、虹色に煌めく素粒子が空間へ溶け込んでいく。その先に桜井が見たのは、伸ばした手に同じ光を宿した女性──
と、澪の横合に砂鉄の流れが現れると、一気に骸骨と黄金の剣を形作る。ユレーラは肉体を完成させるのを待たず、澪へと斬りかかった。
「遅い……!」
瞬時に手を開き、光が剣の形をした星座を描き出す。彼女はその半透明な光の剣を握り、逆手に持ったユレーラの一撃を受け止める。ようやく肉体を得たユレーラは彼女を見ると、力任せに光の剣を斬り伏せてもう一度剣を振るう。しかし、次の斬撃を見事に弾き返した彼女は鋭い視線で狙いを定める。
桜井の流れるような攻撃とは異なり、静と動のしっかりとした攻撃は鋭敏にユレーラを追い詰めていく。光の剣とユレーラの魔剣が衝突する度に眩い閃光が迸り、その熾烈さを焼き付ける。ユレーラが振るわれた光の剣を弾き大ぶりな一撃を繰り出すも、彼女は難なく躱して距離を詰める。彼女の素早い身のこなしはもはや瞬間移動に近く、虹色に輝く残像をなびかせていた。空間に焼きついたそれは空に輝く星雲のようにカラフルで、その美しさを桜井は星空以外で見たことがなかった。そんな星空で舞うように戦う澪は、重力を感じさせないステップでユレーラを斬り付ける。
一度ならず、複数回の斬撃をその身に受けてよろめくユレーラ。頬に受けた傷からは血ではなく、黒い砂がこぼれ出している。果たして、ダメージになっているのだろうか。
そして、澪は数秒の間にユレーラと目を合わせた。そこに言葉はなく、彼女はわずかに首を振るとユレーラへ腕を伸ばす。すると虹色に輝く光の糸のようなものが伸び二人を繋ぎ、彼女は糸を引き抜くように手を胸元へ寄せた。すると、ユレーラの肉体は崩れ出し、徐々に空中へ溶けていく。最後に、彼の憐むような表情が消える。噴水広場から砂鉄となって逃げた時とは明確に違って。
「……倒したのか?」
桜井が呟くと、ユレーラを消した澪──彼女は背を向けたまま答える。
「いいえ。またどこかから湧いてくるでしょうね」
黒髪を肩まで伸ばした彼女は、光の剣を火花に変えてこちらを振り向く。ブラウスの裾から伸びる長い足を見てスカートを履いているのかとも思ったが、前を向くとショートパンツだったことが分かる。後ろの裾が長い、燕尾服のようなデザインをしているようだ。
「あなた、DSRよね。あのレリーフのこと、何か知ってるの?」
彼女は少し警戒しているのか、腕を抱きながら問いかけてくる。桜井も彼女にいくつか質問があるが、今は質問に答えることにした。
しかしなんと答えればいいのだろうか。自分と同じ姿をしたレリーフ。その正体は、桜井に分かるわけがない。
「……レリーフの相手なんて散々してきたけど、言葉を話せるヤツは初めて見たよ」
そう、と彼女は桜井の顔を見つめた。まるでレリーフの姿と桜井を重ね合わせて見ているかのように。敢えて触れることを避けたレリーフの姿のことを、問い詰めるかの如く。
じっと見つめられる居心地の悪さに、彼は目を泳がせて言う。
「……えっと、やっぱりおかしい?」
「あ、ごめんなさい」
彼女も無意識だったのかすぐに視線を逸らした。それから桜井とレリーフの容姿のことには触れず、レリーフの危険性を警告した。
「とにかく気をつけた方がいいわ。言うまでもないと思うけど、レリーフは魔力があるところならどこにでも現れる。これ以上、好きにさせるわけにはいかないわ」
どこか哀愁を帯びたような横顔。彼女が何を知っているのか、桜井には分からない。だが目の前で魔法生命体レリーフと戦っていたところを見るに、彼女もまたレリーフを追っていることはほぼ間違いないだろう。
今度は桜井から質問を投げかけようとすると、腕時計が鳴り振動する。時計盤が瞬時に切り替わり、通信が来ていることを報知していた。
「あー、ちょっと仲間から連絡が」
「私のことは気にしないでちょうだい」
確認を取ってから、桜井は無線に応答する。
『桜井か? 無事なら応答しろ』
かけてきたのは浅垣だった。彼もレリーフと戦っていたはずだが、無事なようだ。
「こっちは今片付いたとこ。そっちは?」
『片付いた? まさか倒したのか?』
少し驚いたような声色に、桜井は「あー」と言葉を考える。
「助っ人が来てくれてさ。助けられたよ……とにかくあれは普通のレリーフじゃない」
『分かった。車のところに戻ってこい。こっちの助っ人も、お前に謝りたがってる』
謝る? と思わず聞き返す桜井。浅垣の言う助っ人とは、月城時成のことだろう。
「まぁいっか。すぐ戻る。そっちも気をつけてな」
通信を切り、桜井は今一度振り返る。こうなれば、彼女を誘って協力を仰ぎたいところだ。
「なぁ、君さえ良ければ……って、あれ」
そこに、桜井の助っ人の姿はなかった。
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