第6章第5節「奇跡と不条理の選り好み」

 結局、ユレーラについて有力な情報を聞き出すことはできなかった。彼がどこまで把握しているのかすらも判然としないが、今は従わざるを得ない。ラテランジェロ総帥に対する不信感は募るばかりだが、だからといってDSRを離れるつもりもない。ラストリゾートを守るという立場はもちろん、桜井にとっての居場所でもあるのだから。

 量子通信室から出た桜井は一旦気持ちを切り替えて廊下を歩く。その間、何も考えないようにしていたが検査室に差しかかりあることを思い出す。

 検査室は事件事故に関連する魔具を検査するための場所だ。犯罪に使われた魔具や魔法を解析したりと、調査の上では欠かせない施設となっている。

 実は、桜井は検査室に提出していないある品を持っていた。本来は提出するべきなのだが、彼は意図的にその存在を隠し通している。新垣にさえ、それを伝えていない。

 桜井は一度廊下の死角へと入り込む。それから周囲に誰もいないことを確認すると、左手をゆっくりと開いた。すると白黒の火花が散らされ、孔雀の羽を象った魔剣デスペナルティが握り込まれた。ユレーラが持っていた、あの魔剣だ。

(代償か……)

 なんらかの理由で分裂していた桜井友都はひとつになった。その証拠に、彼の手元には一対の魔剣が残されている。

『魔法は奇跡と不条理を容易く起こしてしまう』

 黒い太陽の中で交わした、数々の言葉。それは心の中を木霊していて、一対の魔剣と同じく。彼が自分の中にいると、証明するように。

(だから魔法を使えば使うほど、世界は侵蝕されるってことか……奇跡と不条理の代償……いったい何が起きるっていうんだ?)

 ――――――――黒い太陽の中、可能性の焦土にいたあの時。桜井は一対の魔剣を交差させて地面に突き刺し、堕ちていく世界の終わりを眺めていた。そうしていると、色づく空から降ってきたのは人だったのだ。

 上空から横たわった状態でゆっくりと落ちてきた彼を、桜井はおそるおそる腕の中に抱き留める。意識がないのか目を閉じている彼を地面へ寝かせる。純潔を示す白髪に安らかな表情を浮かべる彼は青年にも少女にも見えるが、メリハリのついた体つきは女性的だ。青と白を基調とした軍服のような服装、装飾の目立つ胸元は丸く、白いズボンを履いた足はスラリと伸びている。言うなれば、中性的かつ絢爛な背格好が目を引く、女性とも男性とも取れる美人といった具合だ。

『……レン』

 そんな美しい姿を見て半ば見惚れていた時、自然と口からそう発せられた。おそらく彼の名前であることは直感的に分かったが、なぜ知っているかは分からない。もしかすると、ユレーラの意識や記憶なのだろうか。

 その答えに辿り着くよりも前に、桜井の声に反応したのか彼は目を開けた。白黒の神秘的な瞳――――――――それを見たのを最後に桜井は目覚めた。

(……)

 覚醒したレンというらしき人物は何者なのか。少なくとも、既視感を覚えたのは確かだ。

 そう。

 桜井は会ったことがないに関わらず。

 そんな記憶は存在しないにも関わらず。

 果たして今の自分は桜井結都なのだろうか。

(君は……)

 彼の意識には暗いモヤが深く立ち込めている。の意識をしっかり持とうと手に力をこめると、魔剣デスペナルティを握っていることを思い出す。

 ユレーラとひとつになったとはいえ、その記憶や意識までひとつになったわけではない。加えて魔剣デスペナルティは手元にあるし、ユレーラがまた現れる可能性も否定できない。それを未然に防ぐ意味でも、剣は手放さないでおくべきだろう。

 自身の愛剣と同じように魔剣デスペナルティを火花に変える。もとから彼は腕時計などの魔具に頼らずに剣を召喚できた。DSR技術部門の科学者である弐宮羅紀にのみやらき曰く、武器召喚は量子の重ね合わせによって『存在する状態』と『存在しない状態』を切り替えているらしく、本来はペアリングする入れ物──魔具が必要。それを魔装要らずでできる理由は桜井の剣が魔剣だからと仮説を立てていた。当時は信じられなかったが、今は違う。未だ受け入れがたい事実と向き合いつつも、再び廊下を歩き出した。

 とにかく今は、ラストリゾートの中でDSRとして活動を続けるしかない。そうすればいずれ、またレリーフ──延いてはユレーラと出会う機会もあるかもしれない。きっと、フィラメント博士が言っていたレリーフが元いた場所──魔界についても何か分かるはずだ。

 そんな考え事をしている内に、中央司令室へ戻ってくる。司令室にいる職員は疎らで、他の皆がどこに行ったのか桜井が尋ねようとすると、

「お、桜井。もう出来てるから食べてきたらどうだ?」

 一瞬、何のことかと疑問符を浮かべると、男性エージェントの柊世風ひいらぎよかぜは笑った。

「蓮美ちゃんのカレーだよ。鼻が詰まってるのか?」

 言われて思い出した。サロンでは蓮美がカレーを作って待ってくれている。シャンデリアの会見の前に、そう約束していた。きっと澪や新垣たちも先に食べて待っているだろう。

「そうだったな。柊は行かないのか?」

「もう食ったよ。蓮美ちゃんが作るカレーはなんでか知らないけど酒によく合うよなぁ」

 大きな腹をさすりながら、彼は幸せそうに微笑む。

「もちろんおかわりしようとはしたけど、桜井先輩のがなくなっちゃうからダメです! って怒られちった。だから早く行ってやれ。浅垣にコレット、お前の同期の帆波も待ってる。あと、あの暁烏って子も」

「あぁ。お前の食い損ねた分までカレーをいただいてくるよ」

 こいつ、というどつきから逃れるように桜井はサロンへ向かう。

 美味しそうなカレーの匂いがするから迷うこともない。軽い足取りでまっすぐに向かうと、いつも静かなサロンは大勢の人たちで賑わっていた。

 カレーを食べ終えて談笑する職員もいれば、いままさにカレーを食べている職員もいる。サロンの奥にあるキッチンではエプロン姿の蓮美とコレットが笑顔で対応しているようだ。

 そして奥に座っていた新垣と澪と目が合う。二人はもうカレーを食べ進めているようで、桜井を待ってはくれなかったらしい。そんなことも、カレーを食べて美味しそうな表情を浮かべる二人を見ていると気にもならない。特に、澪のそうした素直な表情を見るのはとても新鮮に感じられた。

 すると、サロンの奥から真っ先に出てきたのはエプロンを着こなした蓮美だ。

「おかえりなさい、桜井先輩!」

「桜井、どこ行ってたんだよ。早く食わないと冷めちまうぞ」

「お疲れ桜井! 昼間の会見はみんなで見てたよ」

 ニコリとはにかむ蓮美に続いて、周囲の職員達も反応し桜井を歓迎する。それから彼もまた皆に微笑み返した。

「ああ、みんなもお疲れ」

「桜井くん、僕たち君が来るのを待ってたんだ。でもみんな待ちくたびれてまだ乾杯もしてないのに先に食べちゃってたよ」

 同期の帆波颯爽が言う通り、皆既に用意された食べ物に手を付けてしまっている。司令室では食べ終わったらしい柊を見かけたし、それなりの時間が経っているのだろう。

「すっかり出遅れたみたいだな」

「まだ遅くはありませんよ、浅垣先輩の頼みで乾杯は取ってありますから。ね、先輩?」

 蓮美が催促すると、サロンで料理を食べていた職員たちは手を止めて各々の飲み物が入ったグラスを持ち始めた。奥の席についていた浅垣や澪も、グラスを持って催促する。

 桜井とて何を求められているか分からないほど野暮ではない。

「あちらのお客様からです、どーぞ」

 いつの間にかトレイを持ったコレットが近づいてきて、彼女は桜井にワインの入ったグラスを手渡す。それから「蓮美ちゃんはこっち」と促され、トレイに乗っていたジュースを手に取る蓮美。

 最後にトレイに残ったグラスをコレットが取ったのを見てから、サロンの奥へ視線を流す。彼女の言うが浅垣であることは聞くまでもなく、目が合った彼は何も言わず持っていたグラスを傾けた。合図のタイミングは任せてくれるらしい。

 そうして桜井もまたグラスを掲げて、乾杯の号令をかけた。

「────ラストリゾートに」

 人には、最後に帰るべきところがある。

 心の拠り所。自分自身の在り処。

 彼の拠り所は、そこにあった。

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Last Resort:New World Order 冠羽根 @koeda4563

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