第6章「奇跡と不条理の選り好み」
第6章第1節「奇跡と不条理の選り好み」
世界魔法史博物館に黒い太陽が堕ちてから約十時間後。
DSR本部は平常通りの落ち着きを取り戻していた。魔法生命体レリーフによる非常事態を乗り越え、職員たちの様子も随分と穏やかなものになっていた。
アンドロメダプラザのコンデンサーも朝方には復旧したとのことだ。プラザに現れた龍──ヴァイストロフィが喰らった天の川の輝きも、暁烏澪の超能力の影響もあってもとに戻りつつある。世界魔法史博物館は敷地丸ごとクレーターになってしまったため、復元できるかどうかも含めてしばらくは封鎖されるだろう。
中央司令室では、桜井結都と浅垣晴人の二人が身支度を整えている。カジュアルに着崩した格好ではなく、きちんと着こなすように。
「それって俺も行く必要ある?」
桜井はコレット・エンドラーズにネクタイを直してもらいながら、そんな質問をする。
「我慢しろ」
答えたのは浅垣だ。彼は彼で桐生蓮美にネクタイや襟を整えてもらっている。
「でもさ、シェン長官って俺たちのこと良く思ってないじゃん。そんな素直に表彰するなんて思えないけど」
楽園政府ネクサスの長官は、桜井たちを称えて式を執り行うと持ちかけてきた。とはいえ、長官は世界魔法史博物館に向かう前に威圧的な態度で桜井たちに命令を下したばかり。緊迫した状況下ではあったが、ああいった対応は何も一度きりではなかった。
「はい、できましたよ」
蓮美のチェックを貰った浅垣は、桜井の疑問に対して「あぁ」と頷く。
「シェン長官は単に自分の社会的なイメージを向上させるために、ラストリゾートのために戦ったDSRに媚びてるだけだ。俺たちは、その引き立て役さ」
心の底から納得したように桜井は二、三回繰り返し頷く。
「はい、バッチリよ。英雄くん」
「どうも」
コレットは桜井をからかって言っているが、実際にDSRはラストリゾートを窮地から救った英雄扱いを受けていた。世間は知らないが、桜井は最前線で黒い太陽を食い止めた張本人だ。確かに、ラストリゾートを守るために戦ったのは事実ではあるが、大袈裟に取り上げすぎだとも桜井は思う。それも楽園政府ネクサスの政治道具に利用されるなら理不尽だ。
「あんまり表には立ちたくないけど」
「仕方ないさ」
桜井と違って浅垣は表舞台に場慣れしているのかもしれない。彼はさっさと準備を済ませると、車の鍵を取って桜井を呼ぶ。
「ほらいくぞ」
DSRは水面下で活動し魔法絡みの事件事故を調査し、レリーフのような超自然的存在を処理する超常現象対策機関だ。表に露出することこそあれど、簡単には公表できない情報も抱えている。例えば、魔法生命体レリーフの件だ。もし、魔法が意思を持って侵略してきていると言えば、世間が混乱するのは明らか。まして、実はユレーラは桜井結都のドッペルゲンガーでしたなどと言えるわけもない。そう、まだ誰にもそのことを言えていないのだ。
思い悩んでいるふうに見えたのか、後ろにいた蓮美が笑顔で言う。
「大丈夫ですよ、先輩は頑張ったんですから胸を張ってください! 私たち、ご飯作って待ってますから。ね、コレットさん?」
突然振られたコレットも腰に手を当てて、
「ほーんと、世話が焼けるんだから」
蓮美とコレットに背中を押される。桜井と一緒に戦ってくれた仲間が言うのだから、彼女たちの気持ちを無駄にするわけにもいかない。
「いってらっしゃい」
見送られ、桜井と浅垣は車に乗り込む。運転するのは浅垣だ。どちらが運転するかは特に決めていないが、大抵はどちらともなく車の鍵を取る。相手が疲れていそうな時は運転するし、その逆も然り。
そうして彼らが向かったのは、ラストリゾートの空に浮かぶ城塞シャンデリアだ。楽園政府ネクサスの本拠地であり、実質的なラストリゾートの首都と呼べるセントラルセクター。一般人が立ち入ることは当然禁じられていて、桜井も足を踏み入れたことはない。
「こんな近くで見たのは初めてだな……」
近づく空中城塞を車内から見上げると、遠くから見るよりも圧巻だ。いったいどんな技術を使えば城が浮くのか、つくづく魔導科学の偉大さを痛感する桜井。
「で、どうやって入るわけ? もし飛ぶつもりなら、代わろうか?」
見て分かる通り、シャンデリアは空中に浮いている。飛行機でも使うのだろうか。尤もDSRの車両であれば、空を飛ぶことができる。密かに期待していた桜井だったが、
「着いたぞ」
車は飛行形態に変形することなく、シャンデリアから少し離れた場所にある施設に止まった。シャンデリアの底部からはうっすらと根のような光の筋が出ていて、それは四方向にあるアンカー施設と繋がっている。いわば、シャンデリアを空中に固定する引力をかけるための装置だ。桜井たちがやってきたのは、そのアンカー施設の内の一つ。
車から降りた二人は、サングラスをかけたスーツの男たちに出迎えられた。中でも階級の高そうな帽子を被った男とは、桜井と浅垣とも浅からぬ因縁を持つ間柄だった。
「まさかお前たちのような胡散臭い組織のエージェントを招き入れる日が来ようとはな」
この
「誉め言葉として受け取っておくよ」
峯に桜井がそう返すと、彼は鼻で笑ってから「こっちだ」と施設へと通された。建物自体は整然としていて生活感がなく、いかにもお役所らしい堅い印象を受ける。そんな空気さえも苦しく肩肘の凝る部屋の中央には、巨大な魔法陣が展開されていた。
警察官の峯は桜井と浅垣をその上へと案内しながら忠告した。
「知っているとは思うが、テレポーテーション技術は度重なる不慮の事故によって法律で制限された。今回君たちを転送するこのテレポート装置は、その法に抵触しないよう設計されているから安心してくれ。……とはいえ、お前たちのような専門家ならば、事故に遭った方がいいのかな」
公職の人間にそぐわない縁起の悪い冗談を受け、桜井は肩を竦めた。
「どうかな。でも万が一、次元の狭間に転送されたとしても心配しないでくれよ。そん時は俺たちで何とかする。な?」
隣にいる浅垣に同意を求めたものの、彼は反応を示さなかった。
「……準備はできている」
代わりに、浅垣が峯に合図を送り、峯が手を挙げる。すると、赤と青に輝く魔法陣はより一層その光を強め、峯の不満げな顔や無機質な部屋の壁、ついには隣の浅垣の姿さえのが光によって塗り潰された。そして次の瞬間。
桜井と浅垣が立っていたのはエントランスでもなければ、大物っぽい玉座がある大広間でもない。赤いカーペットが敷かれた廊下だった。
確かに場所は変わった。一瞬の内にテレポートしたのだろう。それでも、シャンデリアの中にいるという実感が湧かない桜井は、キョロキョロと辺りを見回す。近くには窓があり、そこからはラストリゾートの景色を望むことができた。
「おぉ……すごいな……」
「シャンデリアはラストリゾートの最高機密だ。エントランスとかそういう余計な場所には通さない。シャンデリアの構造を把握されないためにな」
そこまでするのか、というのが率直な感想だった。だが同時に、そういった最高機密としての対策があるからこそ、シャンデリアは難攻不落の要塞として世界に名を馳せているのだろう。
「っていうか、前にも来たことあんの?」
「何度かな」
浅垣がシャンデリアに来ても冷静でいられるのは、既に来たことがあるから。
「わぁ。すごい」
驚きを通り越して若干引き気味の桜井。浅垣は桜井よりも三年早くDSRで活動してもう五年目になるらしいが、ラストリゾートの秘密をどこまで知っているのだろうか。
桜井が好奇心を滾らせていると、廊下に面した一室の扉が開く。
「こちらへどうぞ」
スーツの男に招かれた場所は、視聴覚室のような部屋だった。室内にはパイプ椅子が並べられていて、『デイリーレンダリング』や『楽園日報』を始めとする報道陣が詰めかけている。もちろんネクサスの役員も複数人立ち会っており、老齢の女性や魔法品評会で見かけた肥え太った男性など素人目でも分かる役員らしい顔ぶれが揃う。そして正面の壇上には、楽園政府ネクサスのシェン長官が立っていた。普段はこれみよがしに帯刀している青い剣はなく、代わりに緑髪の細い女性が控えているようだ。
桜井と浅垣が壇上正面のパイプ椅子に腰掛けると、シェン長官は秘書と思しき緑髪の女性から何かを受け取る。それから彼と役員たちが頷き合うのを合図に式は始まった。
「今日は多くの方々にお集まり頂き、感謝を申し上げます。昨今、我がラストリゾートの情勢は目まぐるしい変化を遂げた」
単刀直入。長々とした前置きを嫌うシェン長官は指を立てて事例を挙げる。
「まず、ラストリゾート随一のテロリストである金盞花の身柄が拘束された。彼女を崇拝する哀れな者どもが淘汰されるのも、時間の問題だろう。そしてここ数日。魔法生命体の活動が活発化していたのは記憶に新しいと思う。彼らは市街地を襲い、大停電と魔法障害にまで陥れた。あまつさえ、世界魔法史博物館をも失った。そして何より嘆かわしいことに、この未曾有の魔法災害によって無垢の人々の命が奪われた。しかしどうか安心してほしい」
熱烈に語るシェンと、桜井の目が合う。
「その魔法生命体は打ち倒され、全てはより良い未来へと向かっている。その安らぎを約束してくれたのは、彼ら『DSR』だ」
銀髪の女性に案内され、桜井と浅垣は壇上へあがって台を挟んで長官の前に立つ。
「DSR代表、桜井結都、浅垣晴人。よくやってくれた。礼を言うぞ」
部屋にいる報道陣からのフラッシュを浴びるだけで疲れそうだ。桜井は緊張に手汗をかきながら、長官の話を聞く。
「悪名高い金盞花の逮捕のみならず、魔法生命体からラストリゾートを救ってくれた。今後もラストリゾートの為に戦ってほしい。我々には君たちが必要だ。楽園政府ネクサスの名のもと、その功績をたたえよう」
すると、長官は台の上に置いてあったメダルを拾い上げる。まずは浅垣に、次に桜井へ。台越しに、二人の首へメダルを授ける。
「ありがとうございます」
続けて握手を求める長官。浅垣の時は何もなかったが、桜井と握手をすると彼に耳打ちする。
「何か一言はあるかね?」
反応に困った桜井は思わず隣の浅垣を見た。助けを求めたつもりが、浅垣は微かに笑って桜井の背中を叩く。背中を押してもらいたかったわけではないが、桜井は長官の立っていた位置に立たされてしまう。目の前には複数のマイクが置かれていて、もう逃げることはできない。浅垣と長官に見守られ、桜井は半分自棄になりつつも口を開いた。
「えぇ、みなさんどうも。超常現象対策機関DSRの桜井結都です」
そこまで言って、頭が真っ白になる。報道陣が焚くフラッシュが眩しいという比喩ではなく。桜井の思考は固まっていた。
無理もない。事前に話すと分かっていたわけでもないし、原稿があるわけでもない。
緊張した面持ちで固まる桜井を見ていた浅垣も、流石に早すぎたかと思っていたその時。
「今日、私たちは世界魔法史博物館を中心とした超常現象を目撃しました。あの信じられないような光景は全て現実……私たちの理解の及ばない未知の災害は現実に起きたのです。それによって犠牲となった人々も、もう戻ることはありません」
紡がれる言葉は聴衆に向けたものでありながら、桜井自身にも向けたもの。
彼は走馬灯の如く、これまでのことを振り返っていた。
街を蝕む魔胞侵食による被害、犠牲者、魔法生命体レリーフ。
そして、ドッペルゲンガー。
「皆さんも目にしてきたように、超常現象はもはや想像のつかない未知の可能性に留まらず、現実になりつつある。そして現実とは往々にして、想像の余地がないもの……つまり、超常現象を理解できる現実にすることこそが、我々DSRの職務だと考えています。たとえ、それがどれだけ残酷で、納得できないものだったとしても」
桜井が語ったDSRの理念は、浅垣から教わったものではない。桜井が経験の中で培ってきた理念であり、新垣はそれを確かに受け止める。
「世界で起きる超常現象が止まることはありません。いずれ、私たちはこのラストリゾートで起きる超常現象を再び目撃することになるでしょう。しかし、恐れる必要はありません。かつては未知だった魔法を日常生活に取り入れることができたように、超常現象もまた私たちの常識にできる。摩訶不思議な超常現象を奇跡とするも不条理とするも、全ては私たち次第です」
DSRの代表として壇上に上がった桜井だが、今回の事件を解決に導いたのは彼一人だけではない。
金盞花やレリーフが現れた市街地やアンドロメダプラザ、世界魔法史博物館の周辺地区で活躍した者たち。住民たちを守るために避難誘導や援護するなど必死で行動していたのは、浅垣や蓮美、コレットに月城時成、そして暁烏澪、大勢のDSRの職員たちだ。もっと言えば、博物館前で一人戦っていたあの敬虔な男性のように、知らないところで戦っていた人も数え切れないほどいるだろう。
そんな彼らへ最大の賛辞を込めて、桜井は最後を一言で締めた。
「今日はありがとう」
数秒の間を空けて。
パチ、パチ、パチ。始めに拍手をしたのは誰でもない浅垣だった。彼に続くようにして周囲も拍手を贈り、長官も渋々といった様子で桜井を称えた。
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