第5章第9節「可能性を現実に変える力」
「…………」
桜井結都は目を覚ました。
自らのドッペルゲンガーを追うべく、黒い太陽へ飛びこむ。それに触れた瞬間、彼は自分の肉体が融けだしていく感覚を覚えたが、少なくとも感覚を失ってはいない。ぼやけていた焦点が徐々に合わされていき、視界に映ったのは漂う塵と無数の乱れた瓦礫だ。
そこは世界魔法史博物館、自然展示エリアと呼ばれていたドーム状の空間。黒い太陽へ飛び込む直前にいた場所であり、その崩壊した様はより深刻かつ異質なものに見えた。
なぜなら、地上の建物や車といったものが蜃気楼のようにブレていて、破壊されたというよりノイズが走っているように思えたから。
「……?」
次にそこにいたはずの仲間を思い出し、辺りを見回す。すると、その姿が見当たらない代わりに想像を絶する光景があった。
そこから見下ろせたのは、ラストリゾートの全景や空中城塞シャンデリア。それら全てが完膚なきまでに破壊され、白と黒で塗りつぶされていた。
圧倒され無意識に天を仰ぐと、世界をモノクロに照らし出す黒い太陽が煌々と輝いている。彼が経つ博物館はブラックホールに吸い込まれるかのように巻き上げられ、塵と瓦礫が螺旋状に逆巻いていた。
ラストリゾートの全景が見下ろせ、シャンデリアよりも高い視点だったのも、博物館が吸い上げられているからだ。
灰皿の魔具が生み出した黒い太陽は、七七七の魔法を秘めた力で世界から色を奪い、破滅をもたらす。
もう間に合わなかったのだろうか。
彼の眼前に広がるのは、あたかも黒い太陽が昇るのを止められなかった終焉そのもの。
桜井は絶望的な考えに取り憑かれるが、すぐに気を取り直した。彼は今、黒い太陽の中にいる。ならば、先にここで待っているはずの男がいるはずだと。
「あーあ、俺なら出迎えくらいするんだけどな」
桜井は虚空へ向かって話しかける。明確に、誰かへ向けて。そこにいるはずの、彼へ。
「私たちは生命と死。決して相容れない可能性。コインの表と裏と同じように、同時に存在することはできない」
瞬きをすると、桜井結都によく似た姿の男が現れる。
「でもこうして会えて、話もできる」
自分自身へと語りかける。その感覚は不可思議で落ち着かないが、心の声に耳を傾けるのは存外簡単でもあった。
なんらかの理由で魔法によって分裂したもう一人の桜井結都は、魔界に囚われてしまった。そして、世界に浸透していた魔法を通して桜井の前に現れた。つまり、それは魔法を利用してきた人間への代償であると同時に、他でもない桜井への代償でもあるという。
桜井は魔法生命体レリーフを、魔法が意思を持った存在だと考えてきた。だが、何の意思を持ち出したのかまで考えることはなかった。金盞花を倒した後に初めてユレーラの顔を見た時に気づくべきだったのに。いや、あの時感じていた違和感こそがまさにそれだったのだ。
「もう手遅れだ」
あの違和感があるからこそ、目の前に立つ男も、陥った状況も、全て信じこめてしまう。
可能性は、現実へ変わろうとしている。
これだけの窮地に立たされていることを改めて理解した桜井だったが、どうしても気になることがあった。
「何を焦ってるんだ?」
自身のドッペルゲンガーは口を開けば代償を迫り、手遅れだと告げる。その声色にあるのは焦燥と、諦め。
「お前も見ただろう? 魔力は私のように肉体を持ち、世界を侵蝕している」
ユレーラは、白状するようにぽつりぽつりと話す。無機質な真実を並び立てて、桜井へと問いかけてくる。自問自答をするかのように。
「この世界が魔力に舐め尽くされるのは時間の問題だ。淘汰から逃れることなどできない。だからせめて、私は最後に試したいんだ」
街を飲み込んだ魔胞侵食。牙を剥く魔法生命体。
これまで桜井が目にしてきた現象は奇しくも、ユレーラの言葉を確かに裏付ける。だがそれでも、桜井が感じていた引っ掛かりは取れない。なぜなら、それがユレーラの本望ではなかったのだから。
「命のあるお前、命のない私。二つの相容れない可能性は決して同時に存在できず、存在できるのはどちらか一方のみ」
お互いにとってお互いが存在しないはずの彼らは、初めて心の中に秘めた本望に触れた。
「……俺に成り代わるってことか」
先の言葉通り、生命と死はコインの表と裏であり、桜井とユレーラは相容れない。であれば、死の可能性を持つユレーラは、生の可能性を持つ桜井を殺そうとするのは腑に落ちる。そうすることで桜井が死に、死んだユレーラが現実になれるからだ。
そして、彼らは得た答えを各々で解釈する。ひとつの出来事に対して、善の心と悪の心がふたつの解釈をするように。
「成り代わっているのは、どっちだろうな?」
ドッペルゲンガーに会ったら死んでしまう。それが事実かどうかは分からないが、彼は自分自身のことくらいはわかっているつもりだ。だからこそ、桜井は自分の考えを確信できた。自分が何を望んでいるかを。
「……どうかな」
果たして人は自分の心の全てを把握することができるのだろうか。自分の気持ちだからといって、分からないことも少なくはない。であれば、それは本当に自分の心と言えるのだろうか。
桜井とて例外とはならず、だからこそ彼は可能性の焦土にて自問自答を繰り返す。
「ひとつ教えてくれ。どうして灰皿を使おうとしたんだ?」
ユレーラが持つ本心に触れた今ならば、彼が起こした一連の行動は一見すると不自然だ。灰皿を使おうとせずとも、直接桜井を手にかければいいだけ。魔法を利用するだけならともかく、魔法で世界に破滅をもたらそうとするのは常軌を逸している。
桜井から向けられる疑念に対し、ユレーラは静かに首を横に振った。
「忘れるな。私はお前自身である次に、魔法生命体レリーフでもあるんだ」
「だからって本当に……こんなことを望んでるのか?」
無論、桜井は忘れていたのではない。そのことを踏まえたからこそ、疑念を持った。
もし自分が同じ立場なら、レリーフとしての使命に微塵も逆らわなかったのかと。
「何度言えば分かる? 代償は払わねばならない。だがそれはとても清算できるものでもない。ならばせめて、私がこの手で審判を下す。災厄の不条理が訪れる前に」
ユレーラは本心を包み隠さず告白する。だがそれは、同じ心を持つ桜井にとっては分かりきったことでもあった。
「やっぱりな。俺も同じことをするよ。どうせ滅びる運命なら、いっそ楽にしてやろうってな」
ドッペルゲンガーであるからこそ、同じ考えを持っても不思議ではない。なおのこと、その考えを否定することもできない。
だがひとつの出来事に対して、人は答えをひとつしか持たないだろうか。答えはそうと言い切れず、異なる答えを出して気持ちの相違に苦しむこともある。桜井はその相違を示すように、「でもさ」と付け加えた。
「その代償、俺たちが払わなきゃ誰が払うんだ? 割り勘ってわけにもいかないだろ」
「そう簡単に代償は払えないぞ」
諦め切った表情のユレーラだが、全てを諦めたわけではない。なぜなら、
「よく言うよ。わざわざ俺に警告しに来てくれたんだ。諦めてるはずないもんな」
そもそもユレーラは警告する必要がなかった。桜井の元に現れて魔法生命体レリーフの脅威を知らしめる必要もなかったはず。にも関わらずそれをしたのは、
「最初から自分で代償を払うつもりだったんだろ?」
彼には代償を払う覚悟があったからだ。
「レリーフとして俺に会い、ここで負けるようなら俺に成り代わる。お前は晴れて現実になれるけど、お前の言う通りなら世界は魔法で滅びることになる。逆の立場ならせっかく成り代わった現実をみすみす滅ぼされたくはない。つまり、お前が代償を払って戦うつもりだったんだろ?」
ユレーラは単なる魔法生命体レリーフではなく、桜井のドッペルゲンガーである。
二人の間にあるのはもはや、対話ではない。心に浮かんでは消え、浮かんでは消える思考のようだった。
「────レリーフである私を止められないようなら、どのみちお前では魔法による破滅を止められない。だから私は警告しに来た」
「────あの手この手を使ってもダメなら、俺に成り代わる」
「────不条理に打ち勝ち、奇跡を起こす力がないくらいなら」
人は心の中に芽生える無数の想いを、誰よりも理解できる。だがそれは反発し、時に互いを潰しあう。
彼らは同じ心から生まれたにも関わらず、我を譲らない。
「……奇跡でも起きない限り抗うことはできない、か」
奇跡。その言葉を桜井が口にすると、ユレーラもまた同じく口にする。
「奇跡──そうだな。私は愚かにも、起きるかどうかも分からない奇跡を願い続けてきた。もう手遅れだと分かっているのに、自分自身に警告をしてまで、願った。願いさえすれば、たとえ来ることのない明日であっても在り続ける。だが、もう可能性を希うのは終わりにしよう」
対峙する二人の間。二人の意思を具現化するように黒い太陽の中からこぼれ落ちてきたのは、桜井が愛用する黒鉄の魔剣とユレーラが愛用する黄金の魔剣。世界魔法史博物館での展示物が正しければ、その二振りは生命を司る魔剣ライフダストと、死を司る魔剣デスペナルティということになるはずだ。
「さぁ、今こそ可能性を現実に変える時だ!」
黒い太陽が煌めく世界の地平線で交錯する二人。
白と黒が支配する世界で唯一色彩を持つ二振りの魔剣。
二人はすれ違い、空から落ちてきた魔剣をそれぞれ選び取る。
一旦の距離を置いて着地すると、お互いに選んだ魔剣を構える。
駆け出すは、奇跡を願ったユレーラ。受けて立つは、不条理を受け入れた桜井。
そしてすぐに、二人は衝突した。
――――――――仰向けに倒れた桜井の胸に突き刺さるのは、孔雀の羽を象った生命の魔剣。
――――――――桜井は孔雀の羽を象った死の魔剣を振るわなかった。
――――――――ユレーラは桜井に覆い被さるようにして彼の胸に生命の魔剣を突き立てる。
――――――――そう、二人が手に取っていたのは自分のではなくお互いの魔剣だった。
――――――――二人とも、あえて自分の剣を取らなかったのだ。
途端に、彼らがいる黒い太陽が揺らいだ。存在そのものが不安定になり、脆く崩れ落ちようとしているかのように。
ユレーラは桜井に覆い被さる形で胸に魔剣ライフダストを突き立てている。そんな彼の表情を窺いつつも、自身の胸を貫く魔剣を掴む。まるで、差し出された手を握るようにして。触れた途端、手のひらから溢れた赤い血はその刃を滴り落ちた。
「奇跡も夢も、願うだけのものじゃない──」
呟きは、果たしてどちらの口からだっただろう。やがて、仰向けに倒れている桜井結都の体に亀裂が走った。砂のように崩れたそれは鮮やかな光となって、桜井の胸に突き刺さる魔剣ライフダストを通してユレーラへ取り込まれていく。
「──叶えられるものだ」
そうして、二人は一つとなった。
「ッ……、」
桜井結都は魔剣ライフダストを握って、地面に突き立てていた。詰まる息を吐きながら前を見るが、そこにユレーラはいない。というより、魔剣ライフダストによって地面に縫い付けられていた自分の姿はなく、覆い被さっていたユレーラと位置がすり替わっていた。刺されたはずの胸をさすっても傷はない。代わりに、桜井の手のひらには切り傷が残されていた。
彼は不明瞭な意識の中で剣を支えにして立ち上がり、ふと真下を見下ろす。黒い太陽を縁取る光の環は滝のように崩れ落ち、ラストリゾートの景色には色が戻り始めていた。
「…………」
桜井結都とユレーラはひとつになった。ユレーラは魔法生命体レリーフとして灰皿を使い世界を脅かすと同時に、その差し迫った代償を桜井に伝えた。彼は今後もそれと向き合っていく必要があるだろう。どのみち、彼は最初から向き合う道を選んでいたのだから。
とはいえ、未だ桜井に自分が分裂した覚えはない。魔法という手段がある以上、考えられるのは他人が桜井を生と死に分裂させたということくらいか。桜井とユレーラの意識が溶け合っても、事の真相は不明なまま。だが少なくとも言えることがある。
それは、不条理は起きるということ。自らのドッペルゲンガーと出会い、人生を成り代わろうとうした。これを奇跡と呼ばないのは間違いない。
桜井は魔剣ライフダストから手を離し、おもむろに左手をかざす。左手にはユレーラが持っていたはずの黄金の魔剣デスペナルティが現れた。そして、桜井は既に地面に突き立てられた魔剣ライフダストと交差するようにして突き刺す。
今でこそ眼下に広がるラストリゾートは色を取り戻しつつあり、あちこちのノイズも正常に戻りつつある。とはいえ、まだ色の抜け落ちた空間や、存在が不安定になったノイズが多く残っている。あらゆる可能性を奪われ、焦土と化した世界。
「……奇跡でも起きない限りは、いずれはこうなる」
幸いにも、白黒の太陽が塵となって崩れ去るに連れて、世界は色を取り戻していく。
現実では、黒い太陽が世界を染め抜こうとしていた。それを阻止するため、犠牲を厭わず飛び込んだ桜井。彼は無事に食い止めることができただろうか。
「……この際、勘違いでもいい」
彼は願う。
いつ如何なる時も。
「不条理だって起きるんだ。奇跡も信じてみるか」
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