第5章第8節「可能性を現実に変える力」

 魔剣ライフダストは床に取り落とし、体を刺し貫く棘で身動きも取れない。死を覚悟し、全てを諦めかけたその時。

「桜井!」

「桜井くん!」

 宇宙空間のように漂う瓦礫の足場を渡ってやってきたのは二人。浮かせた機械剣に乗って飛んできた浅垣と、魔力の翼によって飛んできた澪。

 先に着地したのは澪で、彼女は同時に拳を床に打ち付けて光の衝撃波を放った。それは突き出た剣山の全てを折り、ユレーラを大きく弾き飛ばした。

 剣山が折られたことで解放された桜井は、床に力なく倒れ込む。真っ先に駆け寄ったのは浅垣で、続けて澪も彼の体を支えて立ち上がらせた。

「平気か?」

 浅垣や澪の肩から手を離し、一人で立つ桜井。体を刺し貫かれたとはいえ、傷が残っているわけではない。それでも刺し貫かれたのだから、二人は気が気でない。

「遅かったな。二人の分はもうほとんど残ってないかも」

 二人の心配に反して軽口を叩く桜井に続けて、ユレーラは言う。

「ちょうどよかった。お前たちもまとめて」

 最後まで言い切ることはできなかった。なぜなら、浅垣は銃を、澪は超能力で、それぞれ攻撃を放っていたのだ。

「黙れ」

「さっさと片付けましょう」

 浅垣と澪の加勢に勇気づけられ、桜井は足元に落ちていた魔剣ライフダストを拾う。

「同感」

 三人を前にして、ユレーラは攻撃によってできた傷を再生させ、冷たい微笑みを浮かべた。

「結局、私はこうして拒絶されるんだ。世界からも、お前からも……」

「悪いな。誰もお前を望んでないんだ」

 言って、桜井は自身の剣を掲げる。

 ユレーラは三人を迎え撃つべく、白黒の力を帯びた魔剣を逆手に構えて歩き出す。そのまま彼は駆け出すでもなく、魔剣を下から振りぬくと同時に手を離す。床を斬りつけた魔剣は勢いを殺さずに三人のいる場所までを一直線に裂き、火花の柱を噴き上げて爆発を引き起こした。

 三人は分断されるも、火柱を避け爆発を搔い潜った桜井は大股で距離を詰めて無防備なユレーラに斬りかかる。床を裂いた魔剣は瞬時に火花と化してユレーラの手元へ戻り、難なく桜井の攻撃を防いで見せた。間髪入れずにお互いに大ぶりに剣を振り、交わるたびに激しい閃光を放つ。魔剣とまともに斬り合えば押し負けることは分かっている。だが今の桜井は一人ではない。

 そこへ、浅垣が戦斧ドーントレスを力強く振りかざす。斧が魔剣を打つと纏っていた白黒の火花が吹き消され、ユレーラはついに体勢を崩した。魔具を破壊することに特化した斧の破壊力を以てして、初めて活路が見つかる。

 が、ユレーラは後退しながらも魔剣で床を斬りつけて飛び散った火花を利用し、大車輪を放つ。

「手伝え!」

 浅垣の指示を受けて、桜井は彼の斧と交差させるようにして火花の大車輪を受け止める。二人の力を合わせても大車輪は勢いを失わず、二人の武器を容赦なく切り刻む。彼らが武器を両手で支え耐え抜いていると、後方にいた澪が生み出した光の槍を投げつける。光の槍は交差した剣と斧越しに火花の大車輪を吹き散らし、ユレーラへの道が再び開かれた。

「越えられるか」

 彼は黄金の魔剣を手で擦り白黒の火花を散らし、床に落ちた火花は導線を伝うねずみ花火のような挙動で走り回る。白黒の火花は桜井と浅垣のもとへ走り、花火の如く爆発を起こす。熾烈な猛攻を受けた二人は攻勢を失い、走り回る白黒の火花を避けることに意識を削がれていた。

 爆発によって飛び散る火花も刃の形となり、二人を貫こうと無数に降り注ぐ。二人とも小さな火花の刃を避けきれず、その体に受けてしまうが不思議と痛みはない。代わりに、刺された部分から得体の知れない冷たさだけが伝わってくる。彼らは本能的に、それが死の温度であり支配されたらどうなるかを勘づくことができた。

 無数に降り注ぐ火花の刃を受け、動きを鈍らせる二人。さらに容赦なく襲い掛かり、桜井と浅垣に死を縫い付けようとする火花の刃。

 その時、ポチャンと雫が水面に落ちる音が響く。そして桜井たちへ降り注ぐ白黒の火花が一瞬にして、炎に似た光に包まれた。

「二人ともしっかり!」

 白黒の火花を炎に似た光に置換した澪は、続けて紅い雷を走らせて白黒の火花を蒸発させていく。死に追いやる魔法で窮地に立たされた二人を、彼女はただ掌から零した炎に似た光を床に落とすだけで救ったのだ。零した光は静かな水面にさざ波を起こすように広がり、白黒の火花を瞬く間に掻き消した。それだけでなく、空間を満たす炎に似た光は桜井と浅垣の体を蝕んでいた死の冷たさを拭う、命の温かさを与えてもいた。

 超能力者である彼女を魔法で超えることはできない。科学では常識とされているが、輝く黒い太陽を前にした澪は自分の力が果たして通用するのか測りかねている。だからこそ、彼女は周囲に満ちた炎に似た光を一点に凝結させていく。対するユレーラは魔剣を指で擦り白黒の火花を纏わせていた。超能力者の支配を崩し、空間を満たす彼女の星空を打ち払うべく。

「ふんっ!」

 ユレーラが魔剣を振り抜き迸る火花と共に白黒の斬撃を放つと同時、澪は紅い雷霆を下した。

 ────紅い雷霆と白黒の斬撃。超能力者と魔法生命体。その衝突は空間そのものを震撼させ、色彩を奪うほどの衝撃を引き起こした。周囲が白と黒で染まる中、上空に昇りつつある黒い太陽がわずかに明滅する。

 その隙に体勢を立て直していた桜井と浅垣は、爆心地へと駆け出していた。紅い雷霆は白黒の斬撃を相殺し、二人の進撃の道を切り開いたのだ。

 爆心地に立つユレーラは閃光に怯んでいて、二人の突撃を迎撃するのに後れを取る。浅垣の斧による攻撃を魔剣で受け流すが、続く桜井による刺突が脇腹を掠める。

 そうしてここぞとばかりに桜井が距離を詰めた。細長いリーチを活かした本来の軽快な剣捌きで、ユレーラを斬りつける。徐々に黒い太陽のもとへ後退していくユレーラへ、澪は星座で描き出した光の槍を投げつけた。それは肉体を貫くも、光の槍は溶け出し黒い太陽へ吸収されていく。

「このままあの中まで押し切るわよ!」

 黒い太陽は魔力を吸収する性質を持つ。ユレーラは魔法生命体レリーフであるため、近づけば逃れることはできないだろう。

 浅垣が斧によってユレーラの防御を崩し、桜井がユレーラにダメージを与え、澪がテレキネシスによって押し出す。それぞれの役割を持って、三人は立ち位置を入れ替えながら戦う。

 やがて三人から弾き出されたユレーラは、握っていた魔剣デスペナルティに異変を感じて視線を移す。

 真上に昇る黒い太陽からの熱を浴び、魔剣が蒸発していたのだ。さらには太陽から伸びる光の奔流が、戸惑うユレーラの肉体を捉えた。磔になったように両腕を背後へ引かれて浮かび上がる。黒い太陽のもとへ光に包まれて引き揚げられる姿はどこか神々しく、桜井たちは攻撃の手を止めてじっと見上げた。さながら天に召されていく者を見て、太陽を仰ぎ嘆くかのように。

 ユレーラの肉体を構成していた魔力は徐々に崩れ、両腕から順に光の塵となっていく。昇る黒い太陽に肉体を蝕まれながらも、ユレーラは最後に三人を見下ろす。その中で、桜井と目を合わせて。

「──不条理だな」

 一言を遺してついに肉体は完全に崩壊して光となり、黒い太陽へと呑み込まれていった。

「……終わったか」

 ユレーラは黒い太陽へと消えた。魔法生命体である彼が太陽の中で生きているかは分からないが、出てくることはなさそうだ。

 しかしながら黒い太陽は依然として空に昇り続け、三人の頭上はおろかラストリゾート全土を照らそうとしている。太陽の中心は塗りつぶしたかの如く真っ黒。日蝕のように縁の円環がだけが淡く輝き、光を放つどころか奪い尽くす。

「残る問題はこいつをどうするかだ」

 浅垣の言う通り、ユレーラを撃退したところで黒い太陽が残されている。これをどうにかしない限り、ラストリゾートに明日はない。

 もしこのまま放置しておけば、天へ昇った黒い太陽は世界を魔力で舐め尽くしてしまう。そうなれば、ユレーラの思惑通りだ。

「日の出を止める方法か。誰かいい考えはある?」

 自嘲気味に話す桜井だったが、浅垣も澪も彼と同じ気持ちだ。冗談に思える無理難題に、一刻も早く答えを出さなければならない。三人とも為す術もないと言って、過言ではないだろう。

 DSR本部司令室においても、オペレーターの蓮美はスキャンした黒い太陽を眺めている。周囲には複雑な計算式が浮かんでは消えているが、打開策は見当たらない。

『この黒い太陽は七七七の魔法が刻まれた魔導書の灰から構築されています。この世に存在する魔法では……現状、止める手立てはありません』

 通信から聞こえる深刻な声色に、「どうすればいい……」と桜井たちは顔を暗くする。

 三人の中では唯一の超能力者である澪でさえ、黒い太陽に触れることができていない。だが、彼女は触れられるかもしれない手段について、心当たりがあった。

なら、どう?」

 えっ、と思わず桜井は聞き返す。

「フィラメント博士がよく言っていたわ。生命や心は、魔法が未だ至っていない領域。そして生命や心だけが真に魔法を支配できる。いかなる魔法でさえ、生命を殺めることはできても生命を生むことはできないように」

 澪が掲示した最後の手段。奇しくもそれは仇敵フィラメント博士の言葉であり、机上の空論だった。

「馬鹿げてる」

 最初に否定したのは浅垣だった。

「つまり誰かがあの中に入って犠牲になれば、奇跡が起こせるかもしれない。……そう易々と奇跡が起こせるはずがない」

 彼の言い分は尤もだ。澪の提案は犠牲を前提として踏んだだけでなく、結果得られるものは奇跡に近い。勝算などないに等しいことに、命を懸けるのは間違いだ。

「いや、そうでもないかも」

 反して、桜井は澪の提案を聞いてあることを思い出していた。それは、彼が持っていた魔剣について。

「これ、生命を司る魔剣ライフダストっていうらしい。さっき博物館で見たんだ。多分、間違いない」

 そう。彼が二人に見せた剣はただの剣ではない。生命を冠した魔剣──黒い太陽を止める手段となる生命だ。

「この剣があれば、なんとかなるかも」

「……本気か?」

 桜井の言葉を黙って聞いていた浅垣は、眉間にしわを寄せて問う。魔剣を使って黒い太陽を止めようとすること、桜井が使っていた剣が魔剣だということ。そのどちらに対しての問いかは分からないが、桜井は普段通りの調子で肩をすくめた。

「何もしないで死ぬより、何かして死んだほうがいいさ」

 犠牲を正当化し前提として踏む。どのみち黒い太陽を止められなければ、命の保証はないのだ。藁にもすがる思いならば、どれだけ荒唐無稽なことでも信じ込める。そんな心理からか、桜井の目には自信が芽生えていた。

 自暴自棄とも自信満々とも思える態度に感化されてか否か、澪も彼を肯定する。

「それもそうね。あなたが言ったことに賭けてみてもいいと思う」

 桜井の口から魔剣の名が出た時、澪もまた心の中で奇跡を確信しつつあった。なぜなら、彼が持つ魔剣と対になる魔剣を知っているからだ。

 僅かな可能性を見出そうとする二人を見て、浅垣も何かを言おうと口を開きかけていたがすぐに言葉を失う。それ以上口出しできないというより、何か口止めされたかのように。

 ただ彼の視線もまた、桜井の横顔からゆっくりと魔剣ライフダストへ落ちる。期待を懸けるのではなく、悔いるような鋭い目つきで。

 そうしている内に、澪は桜井に手を差し出した。

「それじゃあ剣を私に貸してちょうだい。私にはあれを食い止める責任があるもの」

 覚悟を決めた表情は、彼女の言う責任からくるもの。死を司る魔剣から始まり、生命を司る魔剣で終わらせる。運命を感じる心は、彼女から迷いと恐れを拭き去っていた。

 しかし、

「だめだ、俺がやる。これ以上君にそんなことさせられない」

 澪の手に、運命を斬る魔剣が渡ることはなかった。桜井は断固とした態度を貫いていたが、彼女も易々と引き下がらなかった。

「あなたの気持ちは嬉しいし、本当に感謝してるわ。でも、レリーフから世界やあなたたちを守るためなら後悔なんてしない。たとえ、あの中に入って今度こそ犠牲になったとしても……私が心に決めたことなの」

 いくら説得されたとしても、背負った罪と罰と向き合う。超能力者としてはもちろん、彼女自身としてもそれだけは揺るがない。償いの決意は覆せるものではないが、桜井にもまた譲ることのできない理由があった。

 彼はできることならその理由に触れたくはなかった。それでも、彼女を説得するには避けて通れない。

 少しばかりの逡巡の末、桜井は途切れ途切れに告げた。

「あいつはな……俺のドッペルゲンガーみたいなもんなんだ」

 桜井自身、未だ飲み込めているわけではない真実。

「……ッ」

 澪も、浅垣も、この時ばかりは息を忘れていた。

 アンドロメダプラザでは冗談にして飛ばしたはずの事実。

 フィラメント博士が仮説として立てていたドッペルゲンガー理論。

「そんな……まさか本当に……」

 驚きを隠せずにいる澪や浅垣の中で真実が産声を上げ、桜井は二人に背を向けた。黒い太陽を仰ぎ見て。

「そのまさからしい。だから俺が行かなくちゃいけない」

 彼の背中はもう、二人には止めることはできなかった。いや、手の届かない位置にいるように思えてしまった。

 ドッペルゲンガーだという桜井の言葉について詳しく説明を求める段階など、とうに過ぎてしまっている。もし桜井の言う通りだとしたら、フィラメント博士の仮説は正しかったことになるだろう。だが、今その答えを突き詰めるだけの猶予はない。

「……どうしてもなのか、桜井?」

 言葉を詰まらせていた澪に代わり、浅垣は一言だけ投げかけた。彼もまた多くを語らず、桜井の言葉を信頼し理解を示していた。

 対して、桜井は二人に背を向けたままで言う。

「自分で始めたことは、自分で終わらせないとな」

 黒い太陽の中で待っているのは、死ではない。もう一人の自分自身、つまりユレーラだ。

 おそらく、ユレーラはまだ黒い太陽の中から桜井たちを見ている。桜井にはそんな気がした。

 ここで向かうべきは、澪でも新垣でもない。それは、ユレーラの正体を知った彼だけに分かることだった。

「お前ってやつは、相変わらず躊躇いがない」

 桜井が覚悟を決める頃、背中にかけられた浅垣の声。

「だが俺には分かる。そういう時ほど、お前は立派に成し遂げてみせるってな」

 金盞花を捕まえるために車から飛び降りた時も、コンデンサーをシャットアウトする時も桜井は躊躇いを見せなかった。浅垣は躊躇いのない桜井を批判したこともあれど、そんなところこそ彼の長所だと確信している。彼には奇跡を起こすだけの器があるのだと。

「たとえ神が奇跡を起こしてくれなくても、お前なら自分で起こせるはずだ」

 背中を押されると思っていなかった桜井は不意に微笑んだ。彼の笑みは、背後の新垣たちには見えていない。

『桜井先輩……必ず戻ってくるって約束してくれますよね?』

 魔法回線を用いて語りかけてきたオペレーターの蓮美。彼女の顔は見えないが、どんな顔をしているかはその震えた声から想像できた。

「蓮美。もし戻らなかったら……コレットたちによろしくな」

 結局、桜井は一度も振り返ることなく魔剣ライフダストを掲げた。もはや彼の心に躊躇いはない。

 どのみち躊躇う時間も残されていなかった。黒い太陽に向けられた魔剣の切っ先は光の塵となって吸い込まれ始め、剣の存在そのものが蜃気楼の如く揺らぎ横にいくつも分身する。それは孔雀が広げた羽のようになり、柄を握る桜井を包み込む。そうして瞬く間に彼の肉体をも塵に変えて吸い込んでいく。

「あっ……」

 その様を見守っていた浅垣の隣で、澪は一歩、二歩と前へ出ていた。彼女の口から出た声は言葉にはならず。

 浅垣は桜井が向かった黒い太陽から目を背ける。そして数秒の後に、苦しげに伏せていた目線を再び戻す。

 二人の目の前に、もう彼の姿はなかった。

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