第5章第7節「可能性を現実に変える力」
自然展示エリアと呼ばれていた空間は、もはや原型を留めてはいなかった。天井や壁は無残に砕け散ってしまい、無重力空間の如く破片が宙を舞って光を照り返している。さながら、完成したパズルをひっくり返したような有様で、魔力に晒された影響か空間自体が不安定となってしまったらしい。付近には大小様々な瓦礫が漂っていて、赤や青の光が宙を泳いでいる。その魔力の光は吸い寄せられているのかある方向へ進み、そこは桜井が見つめる先だった。
「これは……」
浮遊する足場に立つ桜井が見ていたのは、今も膨張し続ける魔力の塊。空間の魔力はそこへ吸い寄せられ、近づくと色を落として白黒へと変わり果てる。
灰皿の魔具から生み出された巨大な球体。その内部は黒く塗りつぶされた暗黒が広がり、白と黒の炎を揺らめかせ膨張を続けている。周囲には衛星の如く瓦礫が漂い、魔力が発する赤と青の光が泳ぐ。宇宙に錯覚する空間に浮かぶそれは、まさに黒い太陽と呼ぶに相応しかった。
「奇跡という名の太陽は沈み、不条理という名の太陽が昇る」
色さえも吸い込んでいるように見える黒い太陽を見据え、ユレーラは両腕を広げた。
「この太陽が昇った時、世界は魔力に舐め尽くされるだろう。混沌とした世界に、新たな秩序が敷かれるんだ。ようやくな」
ユレーラは黒い太陽へと手を伸ばすが、その手は分解され白黒の光となって吸収されていく。彼は驚いて手を引っ込めると、すぐにその手は再生する。それを満足げに眺めるレリーフの背後で、桜井はゆっくりと立ち上がる。
「この世界に魔法を普及させ、生活の中で利用してきたのは俺たち人間だ。お前たちはその代償を払わせたいんだろ? それがこれか」
灰皿の魔具が作り出した黒い太陽。ユレーラ曰く、空へ昇った時には世界を魔力に染め上げるという。ユレーラに言わせれば、これが代償ということなのだろうか。全ては魔法を利用してきた自分たちのせい、こうなったのは自業自得だと。
「俺たちの世界を乗っ取るつもりか」
皮肉にも、魔法を普及させたのは間違いなく桜井たち人間だ。ユレーラの言い分には筋が通ってしまう上に、彼に反論するための矛さえもない。
「自分たちが招いたことだ」
万事休す。桜井の心には明確な感情が芽生えつつあった。ユレーラを倒し、世界を取り戻す。確かな希望に絡みつくのは茨。過ちを正すには手遅れかもしれないという、絶望だ。
「ならどうすれば良かったんだ? 魔法を使うなとでも言いたかったのか?」
実際問題、そう言われたとして桜井に何か手立てがあったわけではない。DSRのエージェントとして活動しているが、ラストリゾート総帥や、楽園政府ネクサスの長官のような発言力を持っているわけでもない。どの道、桜井にはその過ちを正すほどの力を持ってはいなかった。
ユレーラを打ち倒す可能性など、最初からなかったのかもしれない。
対して、ユレーラは肩を震わせて笑っていた。絶望する桜井を嘲っているのではない。彼の深いため息には失望の色が感じ取れた。
「私が誰なのかまだ分からないのか? この姿を見ても? ……ここまでしてやったというのに、まったく残念だな」
二人の顔はよく似ている。細かい表情こそ違えど、作りはほとんど一緒。桜井を知らなかった月城が見間違えるほどに、似ているのだ。が、その理由について桜井は未だ認めきれていなかった。
「私はお前だよ、桜井結都」
そして、彼は初めて息を飲む事実を認識した。目の前にいるユレーラが、いや──目の前にいる桜井結都に瓜二つの男が言い放った事実。それは桜井の思考を錆びつかせていた疑惑を拭き去った。
「まさか……」
彼が明かす言葉には、何の真実味もない。根拠だってないはずだ。それなのに。にも関わらず。桜井は目の前の自分が言っていることを、信じ込んでいた。直感的に。例えるなら、鏡の中に写っていた自分が語りかけてくるような。未来から来たと名乗る自分そっくりな人間が話しかけてくるような。得体の知れない感覚に、根拠なんて必要なかった。
「お前は本来あのとき死ぬはずだったんだ。だがさっきも言ったようにお前は奇跡を起こし、生き延びる自分と死ぬ自分を分裂させた。私は、分裂した死ぬはずだったお前自身なんだ。お前がこの世界で生命の自由を謳歌している間、置き去りにされた私は魔界に囚われてきた」
魔界。聞き馴染みのないはずの言葉が、桜井の頭にスンナリと入り込む。
『そもそも彼らがどこから来たか知っているの?』
澪は言っていた。魔法生命体レリーフはどこか別の場所から来た存在なのだと。
『レリーフたちは何処からやってくると思う?────そこはきっと魔法の世界、つまり魔界だとね』
フィラメント博士は言っていた。魔法、そしてレリーフは別の次元の存在だと。
『あのレリーフって、俺のドッペルゲンガーとかだったりするのかな?』
桜井は確信と冗談をないまぜにして言った。そこから、冗談が差っ引かれる。
彼の中で繋がっていくそれらの事実は、ユレーラの語る真実を補強していく。
「お前にとっては奇跡だったかもしれないが、私にとっては紛れもない不条理だった。だからお前は払わねばならない。奇跡を起こした代償をな」
ユレーラは、奇跡によって分裂してしまった桜井結都自身。荒唐無稽な話ではあるが、もし真実だと仮定すれば色々と説明のつく謎も多い。桜井と似た姿をしている理由も、レリーフがどこからやってきたのかという謎も、ユレーラが払わせようとする代償についても。
「悪いけど、身に覚えがないな」
とはいえ、桜井にはどうしても分からないことがある。そもそもいつ死の淵に立ち、分裂させられたのかだ。まして自らの意思で奇跡を起こしたことなどないし、ユレーラが生まれた理由について心当たりがなかった。
「もちろん、そうだろう。奇跡と不条理は本来であれば人の手で容易く起こせていいものではない。全てはこの世に魔力があったせいだ」
奇跡という突飛な表現を続けてから話についていくのに必死な桜井だったが、ここにきて魔力という馴染んだものに帰ってくる。そこで初めて、桜井はユレーラが言わんとすることの核心を垣間見た。
「この世で最も弱い力は、願いや夢──人の想いだった。だが魔力はそれを異常に増幅させた。だから私たちは奇跡を起こしてしまったんだ。それが不条理とも知らずに」
目の前には黒い太陽が輝き、もう一人の自分と名乗る男が立っている。状況が状況なだけに桜井は腹を括ったのか、大きく息を吸い込んでから大きく吐く。
自らのドッペルゲンガーが語る不可思議な真実。それを理解することは難しいが、少なくとも信じることはできる。
「……なるほど。確かに、こんなのは奇跡じゃなくて不条理だな」
『自分』を信じて、桜井はユレーラと目を合わせる。鏡の中の自分と見つめ合って。
「結局は魔力のせいで、魔法生命体レリーフが現れた。
言ってみれば、ユレーラの話を聞いたところで直面している事態は何も変わっていない。ただ自らのドッペルゲンガーと出会う理不尽に見舞われただけで、桜井がDSRエージェントとしてすべきことは同じ。
桜井のユレーラを見る目は、もはやドッペルゲンガーを見る目ではない。ただ、魔法生命体レリーフを見る目になっていた。
対するユレーラは呆れた表情を浮かべる。何度無理だと言い聞かせても挑戦し続ける、勝算のない無謀さから目を背けるようにして言う。
「言っただろう。もう手遅れなんだ。魔法を自らの世界に浸透させたのが全ての過ち。私はそれを警告しに来た」
「ご忠告どうも」
しかし、桜井はたった一言で片付ける。
「おかげで気が楽になったよ」
美しい孔雀の羽を象った装飾を持つ魔剣ライフダストを握り、切っ先をユレーラへと向ける。
呆然としてこちらを見つめ返すユレーラへ、桜井は言い放った。
「お前が本当に俺のドッペルゲンガーなら、俺は奇跡を簡単に起こせる可能性があるってことだもんな」
無謀な賭け。一縷の希望にすがる姿には見覚えがある。というのも、自分自身がそうだから。
まるで鏡の中の自分にかける自嘲の如く、ユレーラは呟く。
「フン、不条理と知った上でまた力を利用するのか?」
可能性を現実にする力──
希望という誰しもが持つ力を胸に、二人はそれぞれの魔剣を構えた。
「奇跡か不条理か、試してみるよ」
「なら試すとしよう」
言って、ユレーラは魔剣デスペナルティを顔の前にかざす。祈りを捧げるような素振りをすると、ユレーラの背後で揺らめく黒い太陽から白と黒の光の奔流が伸びてくる。光は魔剣へと絡みつき、黄金の刀身が白黒の光を帯びた。色さえも塗りつぶす魔力を、桜井はこれまで見たこともない。凄まじい魔力を纏った魔剣を斬り払い、ユレーラは桜井を睨みつける。
「この奇跡がお気に召すといいんだがな」
「ふん、気に入ったよ」
やりとりを最後に、二人は衝突する。
一対の魔剣の衝突の最中、黒い太陽は膨張を続けて大きく膨れ上がっている。既に空中へ浮かび上がり、完全な球体の姿を現していた。黒い太陽の下にあったはずの灰皿の魔装は跡形もなく、崩れた床の穴へ魔力が滝のように流れ落ちている。
ユレーラは黒い太陽光を纏った魔剣から白黒の斬撃を飛ばす。それはこれまでよりも深い爪痕を残し、桜井の魔剣では受け切れないほど。桜井は一度防御に失敗して怯み、追撃を前転でかわした。
そして、彼は恐れることもなく地面を蹴って斬撃へ立ち向かう。軽い身のこなしで斬撃を左右に避けた桜井はそのまま剣を振り抜き、ユレーラとの距離を詰める。鍔迫り合いになるが、ユレーラはすぐに剣を斬り返す。
黒い太陽から白黒の力を帯びた剣の威力は凄まじく、桜井は弾かれた剣を手放さないようしっかりと握り込む。その隙に追撃をかけられた彼は後方へ吹き飛ばされ、膝をついて着地する。
黒い太陽から力を受けた魔剣の一撃は非常に重く、まともに斬り合うべきでないのは本能的に分かる。だが休む隙を与えてはくれない。
ユレーラは魔剣の刃を擦り火花を手に纏うと、桜井へ向けて放つ。放たれた白黒の光を避けつつ、桜井はユレーラとの距離を詰める。真っ向から斬り合うのではなく斬撃を逸らすことに努めるが、ユレーラは先ほどと同じく火花を使いこなす。加えて黒い太陽からの力を受け、これまでとは比べ物にならない剣撃を繰り出してくる。桜井は魔剣をいなし続けていくが、いずれ追い詰められてしまうだろう。その時は、桜井が思っている以上に早く訪れた。
「ぐっ!」
幾度目かの斬撃は、魔剣同士を噛み合わせ鍔迫り合いに持ち込まざるを得なかった。魔剣を剣で受け止めるが、恐れていた通りにギチギチと腕に想像を絶する過負荷がかかる。歯を食いしばってなんとか耐えるも、白黒の力を帯びた魔剣は桜井の首筋へとゆっくり近づく。
魔剣に帯びた白黒の火花が桜井の肉体へ飛び散り、沁みこんでいく。感じるのは痛みではなく、急激に温度を奪われて意識が遠のくような感覚だった。まるで、自分が消えてしまうかのような。
呻き声を上げる桜井を見かね、ユレーラは魔剣により力を込めて押し退ける。そして怯んだ桜井へ、ユレーラは魔剣を構えて斜めに振り抜いた。
魔剣デスペナルティを放り投げ、火花の大車輪に変える。一度目は防ぎきれなかった荒業に対して、ひょいっと横移動でかわした桜井は身を翻して剣に勢いをのせて反撃。が、ユレーラは突如として残像を生みながら桜井の体をすり抜ける。彼が驚く間もなく、すり抜けたユレーラは火花の大車輪から黄金の魔剣へ戻して斬りつける。桜井はなんとかそれを剣で防ぐも、斬られた床から飛び散る白黒の火花に追いやられてしまう。
地下鉄の駅での戦いと同じく、ユレーラの戦い方は乱暴で床を絶えず傷つける。だがそれ自体にも意味があり、散らされる火花をも武器にする。駅での戦いでもユレーラが火花を操っているように感じ取れたのも、気のせいではなかったのだ。だがそれを見抜けたところで、戦局は変わらない。
桜井に休む間も与えず、ユレーラは魔剣を逆手に持って距離を詰める。一度、二度、三度目の斬撃を受けて体勢を崩す桜井。止めの四度目の斬撃は、桜井の剣を持つ手首を的確に狙う。だが、桜井は一旦剣から手を離して魔剣に空を切らせる。すかさず、剣を取り直した桜井は一瞬の隙に突きを放つ。ユレーラは頬を削がれるも、黄金の魔剣を斬り払う。同時に火花の車輪となって桜井へ襲い掛かると頬を掠め、彼は後方へ飛び退いた。
そこで彼はあえて反撃の姿勢を取らず、ため息を吐いて微笑んだ。それは余裕の表れではなく、苦し紛れのもの。
「まったく、自分と戦うなんて妙な気分だ」
頬から滴る血を指で拭く桜井に対し、ユレーラの頬は魔力によって再生されていく。そんな彼の表情に笑みはなく、ただ呆れだけがあった。
「そろそろ遊びは終わりにしよう」
魔力を帯びた剣を一度振り払い、勢いよく地面へ突き立てる。すると魔剣に纏わりついていた白黒の太陽光がユレーラの足元を中心に飛び散り、巨大な魔法陣を形成していく。魔法陣は桜井の足元を含み、ほぼ全域を覆い尽くす。逃げ場はないことを悟り、桜井は魔法を止めるべく駆け出す。その直後、ズザザザ! と魔法陣から大量の火花と刃が突き出しあっという間に剣山を作り出した。常人どころか魔法を使っても串刺しは免れない。桜井は魔装で引き上げられた瞬発力を以ってして飛び上がるが、足や腹部、肩などを容赦なく貫かれた。
「……かはッ!」
体のあちこちを貫かれた桜井は苦痛に喘ぐ。もはや足は床に届いておらず、虫の標本のようになってしまっている。貫かれた箇所から血は出ておらず、ただ魂をも凍えさせる冷たさだけが彼を蝕む。それは日常生活で見る棘というより地獄の棘のようで、白黒に火花を浴びた時とも同じ感覚だった。言うなれば、死を直に刻み込まれている──純粋無垢かつ無慈悲な痛みそのもの。
貫かれた桜井は朦朧とする意識の中で、黄金の魔剣デスペナルティを見た。ユレーラが歩み寄り、自分の首を刎ねようとしている。彼の顔や動きは見えないが、少なくとも死が近づいていることだけは分かった。
「…………」
魔剣ライフダストは床に取り落とし、棘で身動きも取れない。死を覚悟し、全てを諦めかけたその時。
「桜井!」
「桜井くん!」
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