第5章第5節「可能性を現実に変える力」
「──あいにくタバコは嫌いでね。灰皿もどけてくれるかな」
言い終わるや否や、桜井は腕時計に触れ銃を呼び出すと素早く構えて引き金を引く。ユレーラではなく、灰皿の魔具を破壊すべく。
キン、と銃弾は灰皿の魔具へあっという間に届く。だが灰皿は破壊されず、魔力でできた弾丸を吸収しただけのようだった。
「あーあ、これだから銃はダメだ……」
落胆する桜井はゆっくりと目を閉じて、顔の前で拳を作る。すると、拳から虹色の火花と共に剣が形作られていく。それは彼の愛用する剣となり、孔雀の羽を彷彿とさせる絢爛な柄を握りこむ。すると、いつしか剣に祈るような姿勢になった。
ゆっくりと目を開け、黒鉄の刀身に反射する己の顔を見る。剣を下ろすと変わりなく現れるユレーラ。己と瓜二つの容姿を持つ魔法生命体に、彼は迷いなく切っ先を向けた。
「魔剣ライフダストだったっけ? あれが本当ならそっちのは魔剣デスペナルティ……だろ?」
自分で言っていて信じられなくなったのか、彼は笑みを漏らす。それは事実を嘲り否定するようにも、事実を諦め受け入れるようにも見えた。
「やはり、お前は何も分かっていないようだ。魔法のことも、自分のことさえも」
「言われなくても、自分のすべきことくらいは分かってるさ」
目を伏せたユレーラは、心底残念そうに肩を落としている。それは単に時間稼ぎができなかったことに落胆したり焦っている風ではない。
期待を裏切られた、とでも言うべきか。
そもそも、彼は桜井に何を期待していたのだろう。
「魔法の何たるかも知らない愚か者め」
一つだけ確かなのは、次に桜井を睨みつけた瞳には失意の念が込められていること。
「そっちこそ、魔法が誰の力なのか教えてやるよ」
桜井が言い返すと、ユレーラはすっと腕を前へやる。同時に桜井が構えていた魔剣ライフダストの刀身から白黒の火花が散り出し、あっという間に黄金の魔剣デスペナルティが現れた。それを引き出したのはユレーラで、いつの間にか黄金の魔剣を握った彼は噛ませていた魔剣を斬り解き、桜井を大きく弾き飛ばす。
さらに、ユレーラは黄金の魔剣を握り直すと逆手に持って下から振り上げる。刀身は地面の草を切り裂くと同時に、あろうことか火花を散らして白黒の斬撃となり桜井へ襲い掛かった。土と草を斬って火花が出るなど予想もつかないどころか、弾かれたばかりの桜井は避けることもままならない。せめて直撃だけは免れようと、咄嗟に魔剣を下から斬り上げた。
すると、切っ先の擦れた地面から先ほどと同じように魔力の火花が噴き上がり、迫り来る白黒の斬撃とぶつかり合う。ユレーラが放った斬撃に比べれば不完全だったが、虹色の火花は白黒の火花と相殺。大きな衝撃波を放って結晶化し、空気へと溶けていった。
思いもよらない結果に、桜井は手にした剣を見る。その正体が本当に魔剣ライフダストならば、彼が思っている以上に未知の可能性が秘められているのかもしれない。
対するユレーラは、自身の攻撃を防ぎ自身と同等の力を垣間見せた桜井を見据える目を、わずかに細めた。
「……ふん」
桜井結都とユレーラ。魔剣ライフダストと魔剣デスペナルティ。桜の木の下で、一対の存在が衝突する。
直後に距離を詰め数回の剣撃を互いに弾き、再び距離を置く。そこから先に動き出したのは桜井だ。桜井が魔剣を振ると、ユレーラは的確な動きでそれを弾く。ユレーラの魔剣が大ぶりなこともあって桜井よりも隙は生まれやすく、そこを狙って剣を突き出す。だが、すんでのところでかわされ互いに牽制が続く。状況を明確に変えたのは、ユレーラが魔法を放ってからだ。ユレーラの手から放たれた白黒の光は凄まじい速度で桜井の足元を焼き付ける。桜井はなるべく動きながら戦い、魔法の照準を上手く狂わせていた。
ユレーラは黄金の魔剣の刀身を直接撫でて火花を生み、白黒の魔力を放つ。それから逃れるよう地面から足を離し、その勢いを乗せてユレーラへ斬り付ける桜井。そのまま後方へ弾き飛ばすと、桜井は地面へ着地して前転し、長いリーチを活かして剣を斬り払う。ユレーラの足元を狙うも、彼は魔剣を地面へ突き刺して食い止める。続けて草の生えた地面から火花を散らして魔剣を振り上げるが、桜井は体を翻して剣で受け止める。もう一度剣を振ってユレーラにそれを防がせると、今度は魔剣の腹を這うように剣を滑らせた。魔剣同士が擦れ合い、飛び散る火花がお互いの顔を照らし出す。ユレーラは慌てて魔剣で桜井の剣を弾いて後退するも、肩を斬り付けられてしまう。
傷を境にしてユレーラは攻撃の手を止め、強く照りつける陽射しに目を細める。桜井が動きながら戦っていたこともあり、彼らはいつしか春と夏の境目にもつれ込み、後退したユレーラだけが夏の大地に立っていた。
桜が咲く春の大地に残された桜井は、視界の隅に向日葵の花畑が映り込んだことに気づく。春の穏やかな空間から一歩外れれば、夏の陽気に晒される。魔法技術でなければ、決して実現できなかった展示方法だ。
思わず改めて呆気に取られてしまうが、桜井はユレーラが再び魔導書を召喚するのを見逃さない。灰皿の灰から取ったあの魔導書だ。
ユレーラは魔導書のあるページを魔剣の腹を使って掬い、斬り上げると共に火花として空へ行き渡らせた。途端に青空には暗い雲が立ち込め、体を押すほどの強風が吹き荒ぶ。風は桜井が立つ春の大地との境界線にまで及び、彼が顔を庇うと次いで雷鳴が響き始めた。
天の怒りに震撼する夏の大地に立つユレーラのそばに雷が落ちる。焦げた地面には続いてポツポツと大粒の雨が降り始め、あっという間に嵐となっていた。
だが、嵐の中に立つユレーラからほんの数メートル離れた桜井はというと、今も春の陽気に包まれていた。濡れる地面も曇った空も、見えない仕切りがあるように相反して晴れ模様だ。
この異様な光景をまざまざと見せつけられた桜井に対し、ユレーラは今一度突きつける。
「見るがいい。お前は春の陽射しを浴び、私は夏の雷雨を浴びている。魔法はこうしていとも容易く現実を歪ませてしまう」
反論を待たずに、ユレーラは灰皿から取った灰を用いて今度は巻物を召喚。巻物に記された記号を濡れた指でなぞると火花に変わり、ユレーラの背後で魔法陣を形作った。今のユレーラは灰皿の元々である七七七の魔法が記された魔導書類を自在に扱うことができる。そんな強大な力を前にして、桜井は魔法陣が放つ光に立ち竦んだ。
「……チッ」
博物館にある数多の魔装でさえ、灰皿を手にした彼に勝てるかも分からない。まして超能力者でもない桜井に、勝算があるのだろうか。
その時、灰皿の魔具から一際強い光が迸る。灰皿に残った灰が全て宙に浮かぶ球体に納まったのだ。この後何が起きるかは想像もつかないが、ユレーラはきっとこの時を待っていたはず。
これ以上の時間はない。
「……させるかッ!」
「未来永劫、此処で燻るがいい」
桜井が魔剣ライフダストを両手で握りしめ駆け出すのと、ユレーラが手をかざして魔法陣から赤く燃え滾る火球を放つのはほぼ同時。
夏の嵐の中でさえも勢いを失わない無数の火球は、隕石の如く春の大地に降り注ぐ。丘を覆っていた緑の草を焼き払い、桜の木を燃やし尽くす。
そんな天災の中で、桜井は魔剣ライフダストを使って火球を掻き消し着実に前への道を切り拓く。彼が魔剣を振るう度に火球は赤と青の火花へ変わり、火花は焼け焦げた丘に緑を蘇らせた。不屈の意思に呼応するかのように、魔法で練られた自然界は追い風となって背中を押す。
焼けた桜の花びらと共に春の大地から飛び出し、夏の嵐へと斬り込む。
「ッ!!」
火炎の流星群を抜けた桜井はそのままの勢いで、嵐に立つユレーラへ渾身の一振りを浴びせるも、容易く受け止められてしまった。二人は鍔迫り合いへと陥るが、自然展示エリア全体にも戦闘の余波か異変が起き始める。
自然展示エリアの四季は円形に四等分された空間内に同時に存在しているが、位置関係がズレてしまったのだ。
桜井とユレーラの立つ場所は雪が降り積もる冬の大地へと変わり、やがて春の大地と冬の大地の境界線となる。
しかし目まぐるしく変わる状況になっても、二人を狼狽えさせるには足らない。
嵐から一転して吹雪に晒されるユレーラは、拮抗状態にあった剣を強引に押し込む。境界線の上で数回斬り合うと、彼の魔剣は雪を斬ったにも関わらず当然のように白黒の火花が散った。
逆手に持った魔剣による変則的な斬撃を一撃ずつ防いだ桜井も、剣と雪から飛び散る火花を見逃してはいない。が、次の反撃まで予測することはできなかった。
ユレーラは魔剣デスペナルティで地面に積もった雪を切りつけると同時に、柄から手を離して放ったのだ。手元を離れた魔剣はなおも凄まじい勢いで雪を縫って溶かし、やがて火花の大車輪となって走り出す。それは孔雀が扇状に広げた羽のようにも見え、容赦なく襲い来る白黒の火花を散らすそれに桜井が魔剣をあてがう。だが勢いを殺しきれず、真正面から受けた桜井は体を弾き飛ばされ背中を打ちつける。
「ぐふっ!」
何とか体勢を立て直して雪ではなく草の生えた地面に足をつけて勢いを殺す。冬の境界線から追い出され、春の大地に押し戻されてしまったのだ。それからハッと見上げると、火花の大車輪は鰯の群れのように流動してユレーラの手元へ収束し魔剣の形へ戻っていた。
先ほどと変わらず冬の大地に立つ彼は、空から降ってくる雪を手のひらに集めようと動かして言う。
「あらゆる可能性を願い、思いのままに現実を変える奇跡を起こす。晴れや雨を望んだり、手から炎を出そうとする……そんな可能性を無理矢理に叶えるのが魔法という力だ。まるで、都合のいいプラシーボ効果のようにな」
何の効能もない薬を飲んでそれを効能があると思い込めば、本当に効能が出るというプラシーボ効果。確かに魔法とは本来は不可能なことを魔力で可能にしてしまう技術であり、本質的に似ているのかもしれない。
彼らがいる自然展示エリアも本来は博物館内の殺風景なドームであり、そこに投影された桜や雪を本物だと思い込んでいるだけに過ぎない。それでも感じた春風の心地や雪の冷たさは紛れもない本物。魔法はそれらを現実化させるのだ。戦いの中で草や雪を斬って火花が出ていた現象も、その内の一つだとすれば説明がつく。
しかし説明がつくだけで、それはあまりにも荒唐無稽だ。もとより、魔法という技術はそうした不可思議な原理で成り立っていることを、桜井は沸々と思い出した。
意図せず考え込む桜井をよそに、ユレーラは服の袖口から再び灰皿の灰を取り出す。本来の姿である魔導書を喚び出すと開かれたページをなぞり、古めかしい火薬銃を召喚した。魔法産業革命以後は廃れた前時代の武器にできることなどたかが知れているが、ユレーラはその銃口を空に掲げ輝く太陽に向ける。
「魔法を使えば空を落とすことだってできるんだ」
言って引き金を引く。火薬特有の仰々しい発砲音が響き、春夏秋冬の大地を照らす太陽を貫いた。本来は不可能なことでも、魔法はそれを可能にしてしまう。太陽を中心にして空に亀裂が走り抜け、無残に音を立てて割れていく。
空が落ちる。ありえないことの代表格として語られるそれでさえ、魔法は実現する。
桜井は空が落ちてくるという奇跡を見た。青空が剥がれ落ち、雪を降らしていた雲が抜け、残った星が消しゴムのように空を削ぎ落とす。
いつの間にか、桜井は春の大地にはいなかった。ユレーラも冬の大地ではなく、もといたドーム状の大広間に立ち尽くしている。
「誰もが簡単に奇跡を起こせる。その仕掛けも知らずにな」
唯一変わらないのは中央にある台座。その上には、最初と同じく灰皿が乗せられている。
既に灰皿に積もっていた灰は全て球体となったようだが、球体の上には小さな穴と空洞ができていた。それを見たユレーラは、開いていた魔導書を閉じて再び灰へと戻す。最後の灰となったそれを球体の穴へ流し込み、ついに完成させる。
つまり、桜井はユレーラを止めることができなかったのだ。
「もし奇跡が起こせるんなら、これが夢ならいいんだけど」
この期に及んで、というよりも彼にとっては最期の捨て台詞。冗談を言える余裕などないが、冗談を言わねばいられなかった。春夏秋冬が同時に存在する空間で、自分のドッペルゲンガーのような魔法生命体と、伝説の魔剣によく似た剣で戦い、負ける。
冗談のような──あるいは奇跡、いや。不条理と呼べる出来事を通して、さらなる奇跡を願わずにはいられない。
しかし、
「何を言う」
ユレーラは桜井の冗談を冗談として取っていなかった。
「お前はもうブラックボックスを利用し、奇跡を起こしただろう。死ぬはずだったのに生き延びるためにな」
ブラックボックス。おそらく、魔法のことを指しているのだろう。不可能を可能にする力は、原理は分からないが機能だけは分かっているシステムとも言い換えられる。ブラックボックスと呼んでも差し障りないだろう。
引っかかるのは生き延びるためにという点だ。桜井は生き延びるために魔法を使ったことはない。まして、桜井は超能力者でもない。戦うために剣を振ることこそあれど、ユレーラが言っているのはそういうことでもないだろう。
「何が言いたい?」
極限状態から戻りつつある頭を使い、言葉を理解しようと問いかける。が、そんな彼を振り払うかのように地面が振動する。いや、自然展示エリアのドーム全体が揺れ始めていた。激しく軋む音が鳴り、骨の髄を揺する地鳴りが轟く。もはや博物館だけに留まらない程の衝動が起きている。
「都合のいい奇跡を起こすのに代償が伴わないわけがないだろう。だから私がいる」
バランスを崩しかけた桜井はユレーラの言葉に混乱する。彼が何を言おうとしているのか見当もつかないが、ひとつ分かることがある。桜井が目にしたのは、灰皿の魔具。魔導書に変えられた灰が最後に加えられて完成したらしい結晶が、上空へと浮かんでいっているのだ。
揺れは段々と激しくなり、立っているのも難しくなる。桜井は膝をつき、剣を支えにしてこらえる。
「何が起きてる……!?」
動揺する桜井を見下ろし、ユレーラは呆れを含んだ乾いた笑みを浮かべる。
「いい加減自覚したらどうだい?」
ユレーラがしきりに語る奇跡のことが何なのか、桜井に心当たりはない。だが人は生きる上でいくつもの奇跡を重ねている。同時に不条理や理不尽も重ねていて、桜井の人生も例外ではない。
そんな中で、ユレーラが桜井と同じ顔をして現れたこと。これは奇跡なのか、あるいは不条理なのか。
ユレーラは背を向けて、灰皿の魔具を見て告げる。
「お前が起こしたのは奇跡なんかじゃない、不条理だ」
直後、灰皿の上に完成した球体は閃光を放つ。凄まじい衝撃波は桜井だけでなくユレーラをも押し退けていき、結晶を中心にして巨大な魔法陣が現れた。やがて、結晶は黒い炎を帯びて肥大化を始める。
同時に、灰皿が置かれていた台座を中心に地割れが起きた。
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