第5章第2節「可能性を現実に変える力」

 世界魔法史博物館。魔具を取り扱った世界最大の博物館であり、世界中から集められた魔具が保管されている場所だ。月城財閥の資産でもあるこの博物館は一般向けにも公開されているが、真夜中の現在は閉鎖済み。そう、閉鎖されたからといって何年も放置されたわけではなく、明日には営業するはずだった。

 にも関わらず、そこはもう数十年も人が立ち行かなくなったような廃墟の様相を呈している。建物の壁一面には植物の蔦が這い、大きな枝葉が窓を突き破る。

 魔胞侵食は既に深刻なものとなっていて、博物館の周辺に広がる住宅街をも絡め取っていた。

 現地ではDSRのエージェントたちが市民の避難誘導を行っている。DSRは所有する車両や戦闘機を用いて一度に多くの人間を運送することもできる。ラストリゾート市警察の協力もあり、避難はスムーズに進んでいるものの限度はある。ある大通りでは既に住人の数名が魔胞侵食に巻き込まれ、植物と同化してしまっていた。それは逃げ惑う者に絶望を与えるオブジェとなり、死よりも贅沢な恐怖を伝播させる。

 魔胞侵食に人間が巻き込まれるケースは稀だが、被害者は助かる見込みは絶望的。それがここまで大規模に多数の被害者が出ているともなれば、未曾有の魔法災害と言って差し支えないだろう。

 博物館前に繋がる大通りでは、逃げ遅れてしまった市民は有象無象のレリーフと対峙していた。

 レリーフは環境に適応し体の性質を変えるのが特徴だが、今回現れたレリーフは以前よりも進化を遂げている。ユレーラが召喚するレリーフは顔がなく不気味な姿をしていたのに対し、博物館周囲のレリーフには顔があった。

 その顔は表情こそないものの、崇高かつ神聖な顔立ちをしている。まるで天使を象った彫刻に見られる、無個性に見えて唯一無二の顔を取ってつけたようだった。以前の顔がない時にも見る者に恐怖を与えていたが、今回はもっと深層心理を慄かせる風貌。

「魔物め……悔い改めろ」

 そんな進化を遂げた有象無象のレリーフを前に、市民の男性は憤りを露わにしていた。男性の手には市販の魔具である杖が握られ、震える手で杖を動かし火球を飛ばす。三体いたレリーフの内一体に命中し、その崇高な顔面を砕き散らした。

 息つく間もなく、残りの二体のレリーフが杖を生み出し魔法陣が光る。彼は杖を使って防ごうと身構えるが、電子音を含んだ銃声が鳴り響く。目の前にいた有象無象のレリーフは銃弾を浴び、その肉体を崩していた。もう一体のレリーフも、宙を浮遊する機械剣で斬り伏せられていた。

「大丈夫か?」

 声をかけて駆けつけたのはハンドガンを持った桜井だ。隣の浅垣は戻ってきた機械剣を掴み、周囲を見回して安全を確認する。彼らの胸元のIDカードを見て、助けられた住民はその正体を知る。

「あなたたちはDSRか?」

 桜井は肯定し、助けに来た旨を伝える。ここは危険だと。だが、男は逃げ出さなかった。

 よそに視線をやった彼は引きずった足で歩き出す。そうして向かった先には、アスファルトの地面を割って生い茂る草花に呑まれたバスがあった。

 植物と一体化したバスの乗降口には人の形に整った木が見える。いや、それはもともと人間であり、肉体の養分を吸い取って咲いた花とカビに覆われた死体だ。

 死体に向き合った男は、────剥き出しになった骨に纏わりつく草と枝に手を伸ばし、結局触れることなく下ろした。

「もう助からないんですか……?」

 脱力気味な呟きに桜井は肩を沈め、浅垣は静かに答えた。

「残念だ」

 死体の腕だったと思わしき部位はバスの車体と癒着してしまっていて、それが原因で逃げ遅れたのだろう。もはやその人の性別すら判別できないが、男にとって大切な人だったのは感じ取れる。

 男は歯を食いしばって俯き、両手に力を込めた。魔具の杖を持っていない方の手には千切れたネックレスが握られている。彼は十字架のそれを額に押し当て、膝をつく。

「ここも直に侵食される。はやく避難したほうがいい」

 男の境遇には同情するが、浅垣が急かした通りここは安全ではない。

「分かってる。だけどせめて……何か、父が生きた証を」

 言いながら立ち上がると、男は死体の胸に咲いていた大きな一輪の花を摘み取った。それを十字架と重ねて持ち、短い祈りを捧げる素振りを見せる。

 敬虔な男の様子を見守り、桜井は重い口を開いた。

「外れまで行けばDSRの職員がいる。あなただけでも無事に助かるべきだ」

 起きてしまったことはどうすることもできない。だが最悪の結末を避けることくらいはできるはずだ。

 桜井の言葉に「ありがとう」と残し、男は足を庇いながら小走りで去っていた。

「彼は護身用の魔具を持っている。心配せずとも、レリーフ如きにやられはしないだろう」

 小さくなっていく背中を見送る桜井の耳に、浅垣のぶっきらぼうな声が届く。

「……それなら結構。うちにスカウトするか」

 桜井の冗談に一瞬目をやるも、笑うことはしない。

「とはいっても、素人じゃ限界がある」

 浅垣は近くに停めていた車へ戻るとトランクを開ける。中には何もないと思いきや、トランクの底が持ち上がり中に隠されたものが姿を現す。収納されていたのは様々な武器だった。桜井たちも持つハンドガンや大型のユレーナライフル、ユレーナグレネード、折りたたみ式の定規型魔具、傘型の魔具など。もちろん、全てDSRの武器庫にある魔具だ。遠方での任務において武器が必要になった時は、こうして車に積載したものを使うことが多い。

「そろそろこいつの出番だ」

 浅垣が取り出したのはドーントレスと呼ばれる戦斧だった。彼が愛用する武器のひとつであり、魔具の破壊に特化して製造されている。まさに、魔法生命体を相手にするなら打ってつけだ。

 浅垣には既に機械剣ペンホルダーという強力な武器がある。だが、並の技術では扱えないテクニカルな武器である上、カートリッジの魔力残量管理や精密射撃には向かなかったりと意外にも取り回しが悪い。臨機応変な判断力さえあれば浅垣のように使いこなせるが、プラザの戦闘ではやはりオーバーヒートを避けられなかった。当然ながら想定できるあらゆる面において、多機能な機械剣の対応力は群を抜いている。ただ博物館に突入する今に限れば、多様な用途がある万能な武器より、ドーントレスのような破壊に特化した武器の方が良いと判断したのだろう。

 桜井としては、そうして様々な武器を使いこなせる彼は憧れでもある。

「俺の分は?」

「ない」

 肩を落とす桜井を無視して、浅垣は腕時計と斧をリンクさせる。こうすることでいつでも腕時計の中に武器を収納することができるようになるのだ。複数の魔具を一つの端末にペアリングすることもできるが、その分ラグも生じてしまう。そのため不要なものは適宜解除し、瞬時に使いたい場合は一つか、多くて二つに絞るのが定石。今回の浅垣の場合はドーントレスと銃、そして機械剣ペンホルダーの三つだ。

「よう、二人とも遅かったな」

 浅垣がトランクを閉めると二人のもとへ合流したのは月城とコレットだ。

「そっちはどう?」

「正直に言うと、状況はあんまり良くないわ。民間人の犠牲者も少なくないの。……でもひとまずは安心して? 生存者は見つけ次第、この地区の外周まで避難させる手筈が整っているわ。蓮美ちゃんのスキャンで見つけた民間人は、あたしたちや帆波くんがきっちり保護してきたから」

 桜井の問いかけに答えたのはコレット。彼女の深刻な口ぶりからも分かる通り、被害は甚大なものになりつつある。とはいっても、桜井たちより先に活動していた彼女たちの尽力なしにはより深刻なものになっていたはずだ。

「助かったよ。月城もな」

「いいって」

 DSRから通信装置を借り受けたらしいヘッドセットをいじり、月城は謙遜する。彼には誤解されていたが、今となっては助けられてばかり。アンドロメダプラザでも、彼は住民たちの避難を助け協力してくれた。職員でないに関わらず協力する彼には、感謝してもしきれない。

「そうそう、月城くんったらすっごく張り切ってるのよ? これからも頼りにさせてもらおうかしら」

 桜井が礼を言ったことにコレットが便乗すると、月城は鼻の下を触ってはにかむ。

「へへ、もちろん喜んで! これくらい、コレットさんのお手を煩わせるほどのもんじゃないし……ほら、人助けは俺の性分なんだよ!」

 煽られてすっかりその気になる月城。どうやら桜井の知らないところで、二人は交流を深めていたらしい。

「……仲がよろしいことで」

 コレットを前にして緊張する気持ちは桜井にも分かる。出会ったばかりの彼女と一緒に行動してどうなるか、イタズラ好きな彼女を上司に持つ張本人だからこそよく分かるのだ。とはいえ、美人を前にやる気を出してくれたおかげで道が開けているのは事実だ。

 呆れたふうに肩を竦めている桜井だったが、内心は少しホッとしていた。未曾有の魔法災害に見舞われた状況だからこそ、普段通りの仲間の顔を見れて安心できたからだ。

 その時、ふいに聞き覚えのある声が響いた。

「あ、あなたたちは……?」

 大通りの角を曲がって現れたのは、先ほどの敬虔な男だった。

「まっすぐ進んでいたはずなのに、どうしてまたここに……」

 別れたはずの男が現れて戸惑っている桜井以上に、彼は動揺している様子だ。それもそのはず、彼は魔胞侵食とは異なる超常現象に遭遇しているのだから。

「博物館から漏れ出した魔力の影響で空間が屈折しているせいだろう。こうなった以上、生身の状態で抜け出すのは不可能に近い」

 状況から冷静に分析した浅垣は、車のドアを開けて素早くナビを操作した。

「この車は魔導耐性の極めて高い素材で造られている。これに乗れば無事に街を抜けられるはずだ」

 浅垣は男に車へ乗り込むよう指示した。が、彼はすぐに乗ろうとはせずに首を横に振った。

「私は車を運転したことがない」

 予想外の言葉だったが、浅垣は間髪入れずに即答する。

「問題ない。搭載された自動運転システムを使う」

 そういうことなら、と渋々乗り込む男。

 最後に、彼はこんな質問を投げかけた。

「あなたたちはどうやって帰る?」

 どうやら彼は浅垣たちのことを心配しているらしい。先ほど見せた敬虔さとこうした気遣いを見るに、彼は単なる民間人とは思えないほど出来た人だ。

 感心させられつつ、桜井は少し得意げに言った。

「心配するな。俺たちが帰る頃には全てが元通りになっている」

 言われて、男は浅垣と桜井の後ろの方にいるコレットと時成の方へも目配せした。

 彼らの姿が頼もしく思えたのかどうか、少なくとも勇気づけられた表情を浮かべて頷く。

「健闘を祈る」

 今度こそ街を抜けていく車を見届ける桜井と浅垣。彼に嘘を吐かないためにも、二人にはやるべきことがある。

「さぁてと、はやく親玉をやっつけちゃおう? いくら民間人を保護しても、建物とかを守るには根本的に解決しなきゃ」

「そうだぞ桜井、コレットさんの言う通りだ。さすが、俺が言おうと思ってたこと全部言ってくれた」

 コレット(と月城)の言う通り、いくら民間人を助け有象無象のレリーフを相手にしたところで大元を叩かなければ意味がない。レリーフを呼び出したフィラメント博士がいない今、ここで倒し切れば希望はあるはず。生活の中で制御してきた魔法が相手なのだから、どうにかできるのは自分たちだけだ。

「そうだな」

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