第5章「可能性を現実に変える力」
第5章第1節「可能性を現実に変える力」
カルマ・フィラメント博士の魔導実験によって呼び出された魔法生命体レリーフ。中でも主格と思われる個体のユレーラは博士のもとを離れ、世界魔法史博物館へと向かった。その目的は彼が灰皿と呼ぶ魔具だ。どうやら、アンドロメダプラザでの魔法品評会において魔導工房レヴェナントの社長であるゼベット・レヴェナントは、死の直前に灰皿の在り処について吐いていたらしい。その後、桜井たちDSRの活躍によって龍と化したユレーラは消滅させられてしまい、博物館に向かうことはできなかった。しかし、フィラメント博士の研究室から復活したユレーラは、ついに灰皿へ辿り着こうとしているのだ。
「……暁烏……着いたぞ……」
微睡みの中、声がする。自分を呼ぶ声に、いつの間にか眠ってしまっていたことに気づく。
二人の乗った車は、DSR本部の地下駐車場に到着していた。桜井は助手席で眠っていた澪を起こしてくれたようだ。
車から降りて建物へ入った二人を迎えたのは、浅垣だった。
「二人とも無事か」
桜井はともかくとして、澪の方は傷だらけだ。車の中で応急処置を施して一人で歩けるだけの体力は回復したようだが、万全とは言えない。
「あぁ、なんとかな」
桜井たち三人はエレベーターに乗り込み基地の上層へ上がる。
「フィラメント博士は魔導実験を通して、レリーフを呼び出してた。ヤツらが現れたのは博士の実験のせいだったんだ」
エレベーターが着くまでの時間、桜井は手短に事情を説明する。
「そうだったか。……博士の身柄は?」
博士をどうにかしない限り、レリーフは何度も呼び出されてしまう危険が高まる。浅垣は元凶の処遇について考えるが、桜井は多くを語らなかった。
「その心配はいらない」
彼の一言で、二人が始末をつけたことが分からないほど、浅垣は鈍感ではない。二人の功労を察し、彼は「そうか」と頷いた。
「どのみち、レリーフはまだ生きてる。元凶を断ったはいいけどあいつをどうにかしないと」
レリーフは魔法生命体だ。フィラメント博士がどこまで糸を引いていたかは明確ではないが、完全ではなかったはず。少なくとも、博士の思い通りに動いているわけでないことは分かる。現に、レリーフの主格であるユレーラは博士を殺した。魔法を使うことの代償を払わせようとしている彼が、魔法を利用した実験を許すわけもない。それが生みの親だったとしても。
三人は司令室へ戻ると、オペレーターの蓮美から現状についての説明を受ける。
「レリーフはS3セクターに存在する世界魔法史博物館の周囲に出現しています。現在、コレットさんと
地図に表示されたGPS信号が博物館へ向かっている。コレットだけでなく、月城も協力してくれている。住民の避難は彼らに任せるとしても、誰かがレリーフを止めなくてはいけない。
「俺に似たあのレリーフをフィラメント博士はユレーラと呼んでた。とにかくそのユレーラは灰皿っていう魔具を狙ってる。月城財閥の屋敷や、レヴェナント工房の社長を狙ったのも、全てはその魔具を探してたからだ」
灰皿。それが文字通り灰皿の形をしているのかどうかは分からない。
「その件なんですが、少し調べてみたんです」
蓮美がホログラフィックディスプレイを操作すると、灰皿の魔具に関するデータが出てきた。
「灰皿の灰は、燃やされた『魔法の掟』と呼ばれる書物のことのようです。世界に存在するありとあらゆる魔法が刻まれていて、その数は七七七にのぼるとされています。手にすれば、魔法を支配できるとか」
「大方、月城が言ってた通りだな。ヤバそうだ」
もしも、ユレーラがそれを手にしたらどうなるか。魔法を支配するといっても想像もつかないが、事実上世界を支配できると言っても過言ではないだろう。世界には魔力が溢れ、魔法という科学技術が普及しているのだから。
「これを手に入れて、灰皿から掟を復元するつもりね」
「そんなことできるのか?」
かなり飛躍した憶測を出す澪に桜井が確認すると、
「理論上はね。博物館で働いてる友達から話を聞いただけだから、確かなことは言えないけど」
「なんにせよ、こいつを奴に渡すわけにはいかない」
桜井も澪も、浅垣に賛成だ。問題となるのは、魔法生命体であるユレーラをどう撃退するかだ。前回はラストリゾートのライフラインとして使われる魔力を遮断することで撃退したが、そう何度も遮断することもできない。超能力者である澪に頼るにしても、今は能力をオーバーヒートさせた状態で無理はさせられない。だが倒す方法はともかくとして、ユレーラを止めなければならないことだけは明白だ。頭で考えるより、体を動かすべき時もある。
「いつまでも愚図愚図してはいられないわね」
真っ先に動き出したのは澪だ。桜井は現地へ向かおうとする彼女の肩を背後から掴む。
「待て。君を行かせるわけにはいかない」
対して、澪は横顔だけをこちらに見せた。
「忘れたの? これは私の責任でもあるの」
忘れたわけではない。間違いを正すためなら協力すると言ったことも覚えている。それでも、今彼女が動いたところで結果は見えていた。桜井だけでなく、澪自身にも。
「今の君じゃ何もできないだろ」
少し言い過ぎたかもしれない。後悔の念に胸を苦しませる桜井だったが、澪もまた苦しんでいた。彼女は超能力をオーバーヒートさせ、能力を使うことすらままならない。現地に向かったところで、ユレーラや有象無象のレリーフと満足に戦うことも叶わないだろう。それは紛れもない事実なのだ。
何も言い返せず、目も合わせようとしない澪。桜井は見かねて静かに歩み寄っていく。
「今は俺たちに任せて休んでいてくれ。無理をしても体を壊すだけだ」
彼女の前に回り込んで目を合わせ、桜井はしっかりと声を届ける。
「君をもう一度犠牲にしたくて連れて帰ってきたわけじゃない」
「…………」
沈黙が走る。事情を知らない浅垣と蓮美も、口を挟むことはできずにいた。と、その時。
『……DSR、聞こえるか。応答しろ。DSR』
蓮美の背後のディスプレイに、通信が表示される。その主は、DSRにとって無視できない相手だった。桜井たち以外の周囲にいた職員たちも動きを止めて、すっかり緊張した様子だ。生唾を飲んだり、周囲を見渡したり、司令室の空気が堅苦しいものへ変わる。
「繋いでくれ」
「はい」
浅垣の命令に蓮美は慣れた手付きで、楽園政府ネクサスと記された名前の下──コールボタンへと触れる。すると空間へ直接映像が投影され、一人の厳格な面持ちの男を映し出した。
「シェン長官」
浅垣に名前を呼ばれ、その場にいるかのように見える男はゆっくりと歩き出した。
『アンドロメダプラザで随分暴れてくれたようだな』
緑色の剣を腰に帯刀したシェン長官は、浅垣を中心に桜井たちの顔を見る。
「お言葉ですが長官。あれは魔法生命体レリーフによるもので」
『そんなことは分かってる。レリーフを率いるあのユレーラという正体不明の男のことも』
フィラメント博士の研究室で押収された資料に目を通したのか、便宜上の呼び名を口にする。ユレーラ。桜井結都のドッペルゲンガーのようなあのレリーフだ。
威圧的な態度で、シェン長官は自らの髭をいじりながら話す。
『レリーフがなんなのかは知らないが、今ラストリゾートは未曾有の危機に直面している。もし貴様らが魔法事件のスペシャリストだというならば、迅速に処理して見せろ』
彼は桜井の前で立ち止まって見下ろす。そして、釘を刺すように言った。
『失敗は許されんぞ』
浅垣へ目配せすると、彼は心して頷く。
「承知しました」
返事を受け、シェン長官は踵を返して去ろうとする。去り際、社交辞令を吐き捨てて。
『期待している』
楽園政府ネクサスの長官の姿は途切れ、通信は終了する。
緊張から体を強張らせていた蓮美は胸に手を置いて息を吐き、浅垣は難しい顔をして腕を組む。周囲の職員たちも立ち尽くしている。そんな中、澪は桜井の横顔を見やった。
「だそうだ」
最初に口火を切ったのは浅垣だった。
「あれだけ被害を出しておけば無理もないが、ネクサスの目に止まった。ラストリゾートの行末は俺たちにかかってる」
楽園政府ネクサス。ラストリゾートの空に浮かぶ城塞シャンデリアに居を構える彼らも、ユレーラの存在に気がついた。彼らは戦おうとはせずに、DSRの活躍を期待している。それは、彼らにとって大きなプレッシャーとなっていた。もちろん、プレッシャーだけではない。
「でもどうする気ですか? ヤツら、魔法生命体なんでしょう? 本当に倒せるかどうか」
職員の一人が、ついに疑念を吐露した。レリーフという勝てるかどうかも分からない相手。これまで何度も戦ってきたが、レリーフは必ず復活しその度に被害を拡大させている。ジリ貧になるのは明白で、桜井たちだけでなく職員全員も危機感に追い詰められていた。
司令室にいた職員たちはざわめきだし、いよいよ混乱は本部にも広がり始めていた。オペレーターである蓮美は圧に負け、役職で言えば主任である浅垣も考えを巡らせているのだろうが口を固く閉ざしている。超能力者である澪も自身の力を存分に振るうことができない状況だ。
どうするつもりなのか。どうするべきなのか。どうすればいいのか。
そんな漠然とした不安に呑み込まれる。
「確かに、奇跡でも起こらない限りは無理かもしれない」
浅垣、蓮美、澪、その場にいる職員全員が直面する苦難を、桜井は敢えて口にする。思っていたとして誰も口にしようとはしないことがある。それを口にした彼は、当然注目を集めた。
「信じられないかもしれないけど、目下の敵はレリーフ──早い話が魔法そのもの。正直に言って、勝ち目があるかどうか分からない」
視線を一身に浴びた桜井は、静まり返った指令室に声を重く響かせる。
「魔法が俺たちの生活を豊かにしてくれたのは間違いないし、俺たちはその恩恵を利用してきた。そして今、魔法は命を持って俺たちに牙を剥いている。でもこれは、今日までの日常に対する代償でしかない。ツケを払うべき時が来たんだ」
普通なら躊躇い狼狽える事実を淡々と突きつける桜井。だが誰もが彼のように割り切って考えられるわけではない。では何が職員たちを躊躇わせているのか。
足踏み状態で周囲を見回す皆を見て、桜井はそれが不安だということに勘づいていた。
「さっきも言った通り、正直言ってどうすればレリーフを止められるのか分からない。だけどこれまで、俺たちはDSRとして魔法をコントロールしてきた。それは魔法に打ち勝ってきた証であって、俺たちにしかできないことだ」
鼓舞を受けた職員たちの数人はゆっくりと頷き始める。振り返ってみれば、この場にいる誰もが日常生活の中で魔法を利用してきたのだ。だからこそその代償を払わねばならないのだが、彼らは魔法がもたらす超常現象を対処することが仕事。それはいつも通り、そう言い表すことさえできるはずだ。
未知を既知の枠組みに当てはめることで恐れを取り除く。桜井が意図してか否か、浅垣が何度か彼を励ました時にも用いた手法。おそらく、彼は無意識だったろう。
皆に自信が芽生えかけていることを察した桜井はふと我に返る。成り行きで注目を浴びる真似をしたが、プレッシャーにはどうしても勝てない。しかし素に戻ったからこそ、彼は普段の調子で付け加えた。
「それに、この世界は俺たちが考えてるほど出来てない。絶対なんてのもなければ、不可解な超常現象だってあるし。奇跡は案外、そこら中で起きてる。でないと成り立たないくらい、この世界は歪だ。ほら、魔法が意思を持つことだって奇跡みたいなもんだろ?」
はっきり言えば、桜井の言葉は明確な解決策を講じたものではない。だが彼なりの真摯に接しようとする態度は、皆に心構えを持つ猶予を与えた。
割り切った考え方や躊躇いを捨てること。それは心構えが出来てはじめて出来るもの。彼は単に、自分が持つ心構えを皆と共有しただけ。
「だからきっとなんとかなるさ。もしなんとかならなかったら……その時はその時だ」
無責任な詭弁に聞こえるかもしれないが、それが桜井の考え方であることを職員たちはよく知っていた。彼の成り行き任せで躊躇いのない考え方は反感を買うことも少なくないが、この時ばかりは共感を呼ぶ。皆がDSRとして超常現象を常日頃から見てきたからこそ、彼の言わんとすることを捉えられたのだろう。
「桜井ってたまに怖いくらい迷いがなくてびっくりするけど、今回ばかりはお前が頼もしいよ」
恰幅の良い男性エージェントの柊世風を皮切りに、周囲のエージェント達も声を上げる。その中には呆れや諦めも滲んでいるものの、彼らは少なからず前向きだ。
「行き当たりばったりってことね。いつもの桜井らしいやり方だけど、お前の言う通りかも」
「神頼みでもなんでもいいよ。どのみちやるしかないしな、仕事だもん」
危険な超常現象に立ち向かう意志は、各々の形でそれぞれの心を納得させていく。彼らの考え方は神頼みとも言い換えられる。それは不確かで、神が奇跡を起こしてくれるとは限らない。最悪の場合、不条理に転じるかもしれない。しかしながら、彼らにとって結末は些細なこと。彼らが選択したのは結末ではなく、今でしかないのだから。
「まったく下手なスピーチだ。準備ができたなら俺たちも出るぞ」
浅垣は桜井に声をかけ、すぐに出発する。蓮美も、現地で行動を開始したエージェントへ指令を出し始めていた。
「桜井くん!」
浅垣と司令室を後にしようとする桜井を呼び止めたのは澪だった。桜井は浅垣に車の鍵を手渡して先に行かせる。
「私もできる限りのことをするわ。もし、力が必要な時は遠慮なく言って?」
澪が抱える問題は特有のものだが、自分の力を相手にするという点においては皆が直面する問題と共通する。魔法という自分たちが生活に利用してきた力と戦う。だからこそ、澪はその力に立ち向かう桜井たちの力になろうとしている。誰よりも力と向き合ってきた超能力者として。
何よりも、澪に協力すると手を差し伸べてくれた彼の役に立ちたいから。
「あぁ。でもしばらくは俺に任せてくれ。助けが必要になったら言うよ」
「えぇ。気をつけて」
そうして、澪は桜井を見送った。ひとまず、体を休めて力を取り戻さなければならない。
彼女も桜井と同じように、決めたことには躊躇いを持たない。研究所で自らを犠牲にすることも厭わなかったことがその証だ。
桜井の考え方や躊躇いのなさには、彼女も少し驚かされることもある。研究所においても、彼が澪の犠牲について責任を持つと申し出たこともその例に挙がるだろう。実際、彼のそうした面は無責任で人間味がないと評されることもままあった。とはいえ、彼が持つ心構えを知ったことで彼を見る目も少しばかり変わった。
澪は躊躇いを捨てるまでに長い時間をかけたが、桜井はすぐに決断し覚悟を決めている。一見すると人間味がないふうに思えるかもしれないが、澪からすれば素直に尊敬できることだった。躊躇いを捨てるにはどれほどの覚悟が必要かは、彼女自身がよく知っているのだから。
そんな彼がレリーフと戦うことを躊躇わないのならば、澪もまた力を貸すことを惜しむつもりはない。
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