第4章第8節「意志の在り処」

「失望したぞ、桜井結都。まったく使い熟せておらんではないか」

 体の自由を奪った桜井を眺め、博士はブツブツと呟きながら歩み寄る。次いで視線を弾かれて床に刺さっている桜井の剣へ移した。ユレーラが持つ黄金の魔剣と酷似した黒鉄の剣。『レミューリア神話』で語られる一対の魔剣が手の届くところにある。

 またとないチャンスを掴もうとした次の瞬間。

「はぁ!」

 研究室の内の煙を切り裂いて現れたのは澪だった。彼女は三つに拡散した光線を放ったが、博士のコートの内側から出たユニットが身代わりとなる。光線を受けてユニットが爆発したその熱風を横顔に受け、博士は忌々しげに振り返った。

「私が相手よ博士。彼に構わないで」

 澪の顔や服には黒い汚れが目立ったが大きな外傷はない。博士の攻撃を受け切ったにも関わらず、彼女は耐え凌いでいたのだ。

 そんな澪を見て、博士は肩を落とし名残惜しいように言う。

「お前には感謝しているんだ。俺が魔法を究めることができたのはお前のおかげだというのに」

 博士が鋼鉄の右腕を掲げると、人の腕としての形を崩す。機械的に複雑な変形を遂げ、博士の右腕は魔法陣の歯車を持つチェーンソーと化す。

「その恩を仇で返させるな!」

 超能力者のしぶとさに辟易した博士は叫び、背中と腰からブースターを噴射して飛び込む。右腕が変形したチェーンソーは青く発光する魔法の歯車を回転させ、ギザギザと刺々しい刃を蠢かせる。どれだけの強度を誇る魔装でもまともに受ければひとたまりもないだろう。まして超能力者は魔具を持たず生身の肉体で魔法を操る。激昂した博士は澪の体に傷をつけることを躊躇していない。

「ッ!」

 勢いよくチェーンソーを突き出す博士に対し、澪は回避に専念することしかできなかった。たとえ彼女の魔力で剣や盾を作ろうと、魔導チェーンソーの前では紙よりも脆い。だが博士の挙動は大振りで、床に生えた草花すらも火花を咲かせて刈り取る。その中に隙を見つけ、彼女も手に刃を作り出して脇を突く。

 だが刃は博士に触れることなく止まった。なぜなら、博士の左腕もまた瞬時にチェーンソーの形態へと変形、澪の剣を防いでいたから。チェーンソーと化した左腕は変形を終え、ついに魔法の歯車を動かして鮫の歯の如く刃を回転させる。食い合わせた澪の剣が火花を散らして削られていくが、彼女は剣を両手で握って魔力を送り込む。再生と破壊の一進一退の末、博士はさらに右腕のチェーンソーを重ね合わせた。

「超能力者ともあろう者がなぜ分からぬ?」

 チェーンソーと化した両腕で容赦なく澪の光の剣を挟み込むと、彼女は剣を手放して後ろへ後退。剣を呆気なく切断されるが、体ごと真っ二つにされることを避ける。

 それから澪は気づいた。後退した先には既に博士のスフィアユニットが待機し、床の四方を囲っていることに。正確にはユニットは六角形を描くように配置され、ユニットが光ると澪を中心に収めて六角形の魔法陣を成す。

 そして、博士はチェーンソーとなっていた両腕を本来の形へと戻し、両手に魔力を込めつつ頭上へ上げた。

「ぬわぁぁぁ!」

 澪を中心に収めた巨大な魔法陣は博士の雄叫びと共に一際眩い光を放つ。光はやがて炎へと昇華し、さながら噴火の如く炎柱を噴き上げた。炎柱は研究室の高い天井を突き破り、星雲が浮かぶ本物の夜空にまで広がる。配線が剥き出しになり夜空の見える崩れた天井からは、大小様々な瓦礫が落ち始めた。

 噴火する魔法陣の中、地面に膝をついて身を守っていた澪の周囲にも瓦礫が降り注ぐ。だが彼女とて瓦礫に対処できないほど弱ってはいない。力を消耗してきているのは事実だが、彼女は頭上に落ちる瓦礫をテレキネシスによって片手で振り払う。

「おいおい冗談だろ」

 瓦礫は壁に拘束されている桜井のもとにも及ぶ。彼はその場から逃げようと必死に抵抗するも、紅く光る手錠が解かれる気配はない。そうして瓦礫に潰される寸前、瓦礫は澪の力によって止められた。

 しかし、博士の猛攻はまだ終わっていない。払い除けたはずの瓦礫やまだ落ちてきていない瓦礫を含め、全ての瓦礫が宙に浮かんで静止する。異変に気づいて博士を見ると、魔法陣のかかった右手を差し出し大きく開いていた。次に何をしようとしているのか、澪は瞬時に理解する。

「この身の程知らずめが!」

 吐き捨てると同時に、博士は開いていた右手を強く握り込む。すると、周囲一帯の全ての瓦礫が澪の元へ集中。彼女を圧死させんと殺到した。が、予め手の内を読んでいた澪はすぐさま両手を広げ、全ての瓦礫を細かい破片へと粉砕する。

 澪が力を使い集中する最中、博士はさらに腕を大きく動かし光の剣を生み出した。その形状は禁錮装置にかけた黄金の魔剣のデータを基に再現したものであり、多数に分裂。博士は腕を下ろし、無数の星幽剣せいゆうけんを澪へ打ち出す。

「愚かさを思い知るがいい」

「気をつけろ!」

 桜井が叫んだのと、澪が気づいたのはほぼ同時。澪は全ての瓦礫を粉砕したばかりで隙を晒していた。彼女の元へ急襲する星幽剣の全てを迎え撃つには限界があった。

 無数の星幽剣は澪を滅多刺しにするべく急襲し、彼女は虹色の光を呼び寄せてそれらを可能な限り弾いた。が、その内の数本は彼女の力を逃れ額や肩、足を掠めていく。星幽剣は普通の魔法で生み出された剣とは違う。あのレリーフ──ユレーラが持つ魔剣を基に再現された剣だ。その特異性ゆえか、超能力者の力を突破し負傷させるには十分な殺傷能力があった。

「うぐっ!」

 彼女がバランスを崩して倒れ込むと、散らばって床に刺さった星幽剣が形を保てずに砕けた。その半透明でガラスのように繊細な性質は、澪が能力で作り出していた半透明の剣と同じ。

 超能力者と超能力者を基にした技術を使う博士。その衝突は、澪にはない科学の力と知恵を併せ持つ博士に軍配が上がった。

 博士は桜井と澪を無力化してなお、腕にかかった魔法陣の武装は解かずにいた。ふと激昂した態度から我に返ったように頭を抱え、彼は右腕のホログラムデバイスを操作する。と、床にあったシャッターが自動的に開かれ、中から機械の椅子が組み立てられた。

「人の身では限界がある。俺は超能力者であるお前を研究し魔力を最適な形で出力できる義体を開発した」

 博士が椅子に座ると足元からは機械のアームが伸び、肩や腰、脚やコートに至るまでメンテナンスが始まる。ブースターを展開したり腕をチェーンソーに変形させることができる時点で、博士がサイボーグだということに驚きはない。博士の姿が黒い甲冑のようで上から羽織ったコートとブーツ以外服らしい布はないのも、肉体の全てを改造していたせいなのだ。

 超能力者を圧倒するだけの力を得るため、肉体を改造する。博士の言葉を聞いていた桜井はそんな推察を立てたが、本来の目的は別のところにあることが告げられた。

「残念ながら命や心を抽出する技術が確立されておらん現状では、義体に私の意識を移すことは難しかった。だから私の肉体に直接改造を加えた。今は心臓と脳だけが残っている。命がなければ究極の肉体とは言えないだろう?」

 博士は戦う前にも、魂や心の在り処について桜井に問いかけてきた。結局のところ博士はそこに執着している。だからこそ、肉体を改造しても心臓と脳だけは残した。心が宿る場所がどこであるのか分からないが故に、胸と頭だけは残したのだ。

「いくら技術でお前の力を越えようと、この身は所詮義体だ。だが超能力者であるお前には計り知れない価値がある」

 咳き込みながらも立ち上がろうとしている澪を見て、博士は背もたれから背を離して言う。

「暁烏澪、超能力者であるお前にしかできぬことが、科学にはある。俺のもとへ来れば、お前が持つ超能力者としての可能性を証明することができるんだ」

 確かに、科学は澪の超能力者としての可能性を文字通りに証明して見せたのは事実だ。

「この楽園が今日まで発展してきたのも、元を辿ればお前の力のおかげだ。お前がもたらしてくれるのはそう、いつだって希望となる可能性だ」

 しかし、博士が示した可能性はレリーフという絶望だ。書斎での澪の告白から察するに、彼女は自分が超能力者であることに強いこだわりを持っている。科学機関に協力したのも、自分の力を役に立てたいという一心からだったはずだ。だが博士は澪の力を悪用してレリーフを呼び出し、大きな被害を出している。それは希望ではなく、紛れもない絶望だった。

 博士が椅子から立ち上がると、椅子は再び床のシャッターの中へ収納される。それからやっとの思いで立ち上がった澪の元へ悠々と歩み寄っていく。

「だからこそ、レリーフを呼び出すことができるお前の力ならば、彼らを制御し利用することだってできるはずだ」

 そう。科学は、澪が持つ可能性を希望にも絶望にも変えることができるのだ。

「耳を貸すな」

 魔法で壁に拘束されている桜井はいつまでも二人を静観しているわけにもいかない。手足を動かすことはできずとも、他にできることはあるはずだ。

 弱みにつけ入り、超能力者としての意味を与えようとする博士の言葉を遮って桜井は言う。

「なぁフィラメント博士。暁烏は超能力者かもしれないが、あんたみたいな科学者でも、都合の良い力でもない。一人の人間だ。人間ってのは科学の力じゃコントロールすることなんてできない。望み通りになると思うなよ」

 桜井の口から出てきたのは、彼女を信じていないと出てこない言葉だ。彼女に何度も助けられ、固い決意を聞いたからこその言葉。そんな桜井の言葉に、澪は自分が持っていた気持ちに改めて目を向ける。

 博士は手錠で拘束された桜井の戯言を尻目に、離れた位置にあった禁錮装置に手をかざす。装置の土台は反重力装置が搭載されているらしく、博士の腕に従って彼と澪の元へ浮遊してくる。

「よく見てみろ。この美しい魔剣を。レミューリア神話の魔剣デスペナルティがなぜ此処にあるのか。お前も知りたいだろう?」

 澪は隣に立つ博士の言葉を受けながら、禁錮装置に浮かぶ魔剣を見た。

「俺と共にこの謎を解明し、世紀に残る偉業を成そう! 俺たちが力を合わせれば、無限の可能性を現実のものとできるのだ!」

 自分にできることは何か。超能力者としてだけではなく、暁烏澪としてすべきこと。

「いいわ」

 彼女は博士を見ず、魔剣に目を釘付けにしたままで言う。見方によっては魅入られるかのようにして。

「そんなに欲しいならくれてあげる」

 聞きたかった言葉をようやく聞けた博士は満足げに言う。

「お前なら必ず理解してくれると信じていたぞ」

 澪に握手を求めて手を差し出す。彼女はその美しい虹色の瞳を博士に向け、差し出された鋼鉄の手を握った。

「暁烏……」

 受け入れ難い光景を前にして、桜井は失意に呑まれる。澪は誰よりも力に対して責任を重く強く担っている。その彼女が打ちのめされ籠絡されるなどあってはならないことだが、それ以上に桜井は危惧していることがあった。澪との付き合いは浅く出会って間もない。とはいえ書斎での告白で見せた表情と決意の眼差しは、彼女を突き動かす衝動的なものであった。そんな覚悟を秘めた人間は、手段を選ばないものであることを桜井は知っていた。

 そして、博士と握手を交わした澪は博士を見たままで告げる。彼女の虹色の瞳は博士を収めているが、その言葉は必ずしも目の前に立つ者に宛てられたものとは限らない。

「あなたのおかげで気づけたわ。この力が誰のもので、私は誰なのか」

 博士が言葉の意味を理解するのを待たず、澪はゆっくりと目を閉じた。途端に空気が一変して重くなり、言い知れぬ重圧を放ち始める。全てを脅かすような雰囲気は、机や棚に置かれていた実験用の魔導器具を小刻みに震わせていく。

「……何だ?」

 動揺の声を漏らしたのは、誰でもない博士だ。だが彼が事態を把握するのを待たず、研究室にあった器具が煙を上げ、扉や引き出しは命を授かったように開閉を繰り返す。

 研究所の全体に及ぶポルターガイスト現象。その原因が何であるか、博士は目の前で手を結んだ澪へもう一度目を向けた。

 彼女の体からは虹色の魔力が漏れ出し、あたかもその制御を失ったかのように見えた。体内に張り巡らされた血管や神経が煮えるように淡く光りだし、悶えるように眉間にしわを寄せる。体を焼く苦痛に耐えるように。

 そして、閉じていた目をゆっくりと開く。重い瞼を上げ、眩しい光を無理矢理に見る。そうする中で、澪と博士の足元には凄まじい勢いで草花が芽吹いていた。が、博士に驚く隙は与えられない。

「…………はぁ」

 体中の神経と血管に魔力を巡らせた澪は短く息を吐き、繋いでいた博士の手を改めて握り込む。決して力強くはないが、彼女の煮え滾る手から伝わる魔力にたじろぐ博士。

 彼は慌てて澪の手を離そうとした。が、彼女から伝わる臨界点をゆうに超えた魔力にさらされ、鋼鉄の腕が溶け出し始めていた。

「何の真似だ!?」

 澪は呼吸が苦しいのか切れ切れと肩で息をする。力の消耗で体力を削られながらも、博士の右手首だけは掴んだままで。

「私でも、これだけの力を使えば上手く制御できないし……長くは保たないわ。そんな力が、欲しいんでしょ?」

「ま、待て。そんなことをすればお前も無事では済まされぬぞ……!?」

 端的に言えば、澪は自らが持つ力を過剰に引き出しオーバーヒートさせている。完全に制御できる力の舵をあえて手放したのだ。

 超能力者のオーバーヒートが何を起こすか、博士にも予測ができない。現に研究所は地上階や外のロータリーにまで草花が急速に及び、彼女の魔力と共鳴した精密機器が震えポルターガイストを引き起こしている。それだけでなく、崩落した天井から覗く夜空には、龍が飲み込んだせいで星がひとつもなかった──そのはずが、澪から迸る魔力は無数の星々を夜空に戻していた。

 超能力者の暴走。引き起こされるはもはや天変地異である。そんな力が博士の肉体に注がれれば、いったいどうなるだろうか。

「よせよせよせ!!」

 博士は咄嗟に自分の腕を掴む澪の手を左手で引き剥がそうとする。そうして彼女に触れた左手はマグマにでも触れたように融解してしまい、彼は溶け落ちる自分の腕を呆然と見つめた。

「超能力者の私の体と、そのお手製の体、どっちが長く保つかしら」

 覚悟は決まっていた。

 もう、科学に可能性を引き出されるのはおしまい。自分の可能性くらいは自分で決める、と。

「よせええええええええぇぇぇ……!!」

 まるで蝋人形のように甲冑の肉体を溶かしながら博士は絶叫する。やがて、澪は博士の原型を失った腕を千切り捨て、改造された鎧ごと胸を抉った。その奥に残された心臓を握るように。

「…………」

 呆気にとられた桜井が見たのは、芽吹いたばかりの草花の絨毯の上で、心臓を抉られ完膚なきまでに溶け落ちる博士。

 そして、自らの力が咲かせた草花の絨毯に力なく崩れ落ちる澪。

 ある種、神話的に思える光景を目の当たりにした彼は、心を取り落とさずにはいられなかった。

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