第4章第6節「意志の在り処」

「もうこれ以上、レリーフを野放しにはさせないわ……ここで終わらせましょう」

 言い終わると、澪はキーボードのエンターキーを押す。

 すると、桜井たちがいる部屋に大きな変化が訪れた。草と蔦に隠された壁に、突如として光の切れ込みが入った。縦一直線を割いた光は、徐々に広がっていき光と白い煙が漏れ出す。本棚が左右にスライドして開き、向こう側に隠されていた広大な部屋へと繋がる。

「ついてきて」

 書斎の奥に隠されていた空間は広い研究室だった。奥行きも天井もかなりのスペースが確保されており、研究所自体の間取りの大半をこの場所が占めているのも想像に難しくない。ここへ来るまでに通ってきた一階から三階が妙に狭く感じたのも、全てはこの空間のためだ。おそらくここで博士の秘密の実験が行われていたのだろうが、目に映る景色はとても実験が行える状態ではない。

 多くの雑草に覆い尽くされていた書斎と同じように、この研究室も自然に埋もれている。デスクに置かれている装置のほとんども蔦に絡め取られ、本来の機能を維持できているのかも分からない。高い天井に向けて十メートルにもなる木が生えていて、研究機材がなければ植物園に見違えるほどだ。

 そんな数十年の時を経た廃墟のような研究室の奥へ進むと、ドーナツ型の装置を見つけた。今も起動しているらしい装置の中心には、レリーフ出現の元凶である黄金の魔剣が浮かんでいる。

「あれを破壊すれば、俺と同じ姿のレリーフは消えるのか?」

「そう願うわ」

 二人が禁錮装置に気を取られていると、視界の端から人影がチラつく。視線を下ろすと、科学とは縁遠く思える大男がいた。

「おや、もう帰ってはこぬと思っていたが……気が変わったのかね?」

「……フィラメント博士」

 澪がそう呼ぶと、科学者らしい白衣ではなく深緑の上着を羽織った大柄な男が振り向く。上着の胸元にかけられた複数のバッジが示す博士号や科学勲章が示す通り、彼がカルマ・フィラメント博士だ。彫りの深い顔立ちに立派な顎髭は威厳を感じさせるが、怯むわけにはいかない。なぜなら相手はレリーフを呼び出した実験をした張本人なのだ。

「邪魔して悪いな、巷でレリーフを呼び出す実験を成功させたって聞いてね、?」

 桜井が訊ねると、博士は深い眼窩に桜井を収めた。

「いかにも、事実だ。それより会えて嬉しいよ。なぜだかお前とは初めて会った気がせんな」

 博士は肌色ではなく鋼鉄の両手を擦り合わせてニカっと微笑む。どうやら両腕が機械製の義手になっているらしい。

「桜井結都、だったかな。DSRのデータベースを少し調べさせてもらったよ。ユレーラが誰に会ったのか知りたくてね」

「ユレーラ?」

「あのレリーフのことよ。私たちは区別のためにそう呼んでる」

 澪とフィラメント博士は、桜井と同じ姿をしたドッペルゲンガーのレリーフをユレーラと呼ぶ。魔導粒子ユレーナに因んだ命名だったが、桜井にとってユレーラの名前は肝要でない。

「そうか。まあ俺のことを知ってるなら、自己紹介はいらないな」

 一連の事件の裏から糸を引いていた黒幕と、ようやく対面することができたのだ。DSRとしてすべきことは一つしかない。

「そのユレーラってやつを含めて、レリーフはラストリゾートに甚大な被害をもたらしてる。今すぐ実験をやめてもらおうか、フィラメント博士」

 博士にとって桜井はユレーラが会いに行った人物であり、DSRエージェントであることはあまり重視していない。が、彼はDSRエージェントとしてこの場に立ち博士を糾弾している。

 そのことを理解したのか、博士は悪びれた様子で謝った。

「アンドロメダプラザの件に関しては詫びよう。だがこの場を借りて弁明させてもらえば、得られた成果もある。例えば、ユレーラが召喚したあの龍は『レミューリア神話』においてヴァイストロフィと呼ばれている。天の川を喰らう龍をこの目で見ることができたのは、俺の生涯の中で数えても五指に入る出来事だ。もはや神話は絵空事ではなくなったという証明になるだろう」

 先ほどまでの謝罪の態度から一変、博士は感動に声を震わせている。だがすぐに我に返ると、「とはいえ」と声を低くして付け加えた。

「コンデンサーをシャットアウトしたのは俺でも、ましてやユレーラでもない。お前たちだ」

 自らがユレーラを解放しておきながら、その結果として起きた責任を桜井たちに追及する。あたかもユレーラの邪魔をしなければ事態は悪化しなかったとでも言いたげだ。桜井はすぐさま反論しようとするが、澪の方が先に口を開いた。

「誰のせいだと思ってるの」

 今まで聞いたこともないような冷え切った声。

「桜井くんがああしなかったら、どれほど被害が拡大していたか」

 怒りを感じているのは桜井だけではない。桜井が言いたかったことを澪が伝えると、博士はより強い言葉で押し殺したり拒んだりせず、ただ目を閉じて怒りを受け入れる。

「お前たちが危惧するのも無理はない。科学の進歩とは代償が伴うものだ。都市開発による自然破壊や温暖化現象と同じように、技術とエネルギーを利用すればその対価を払わなければならん。レリーフが被害を出したとしても、それは実験に伴う致し方ない代償だ」

 自分のペースを乱さず悠長に構えている博士。桜井や澪からすれば、もうそんなことをしている場合ではない。パラダイススクエアやプラザを見れば、事態がどれほど切迫しているかはすぐにでも分かる。が、博士はそれを看過している。

 桜井はもう一歩だけ前へ出て告げる。最後の通告を。

「やつは灰皿を使い、世界を支配しようとしてる。今ならまだ間に合う」

 幸いにもユレーラはまだ灰皿を手に入れていない。博士が実験を中断すればその分解決にも繋がるだろう。科学者だというのだから賢い判断を期待した桜井だったが、そもそも博士の目の付け所は異なった。

「ユレーラは灰皿を求めているのか。なるほど、公園にいた時に月城財閥の御曹司から聞き出したんだろうな。俺が手助けするまでは公園から出られず探しに向かうこともできなかったんだろう。だがどうも腑に落ちん」

 博士は踵を返して禁錮装置へ近づき、黄金の魔剣を見上げた。

「外に出て最初にしたのは、桜井友都、お前に会うことだった。これは何を意味する?」

 飽くなき探究心は流石の科学者と言うべきか、度が過ぎるものだった。だが博士は単に愚かというわけではなく、桜井の胸の内を見抜いてもいた。だからこそ、ユレーラのことを訊ねた。

「俺と同じ姿をしたあのレリーフについて、何か知ってるのか?」

 質問に質問で返す形になった時、大抵は相手が問いに答えたくないか、答えを知らない場合が大半を占める。どちらにせよ、博士にとって桜井本人と桜井によく似たレリーフ──ユレーラについて知見を深められるまたとない機会だった。

「そもそも魔力は何処からもたらされ、レリーフたちは何処からやってくると思う? 別の次元の存在がこちらに現れているんだよ。……その別の次元は魂の行き着く場所。皆は天国と地獄と呼んでいるが俺の見方は違う。そこはきっと魔法の世界、つまり魔界だとね」

 レリーフがどこから来たのか。ひいては魔法がどこから来たのか。科学的な領分について桜井はからっきしだが、それを追い求めた実験の結果どうなったかについてはよく知っている。

「魔界? もし本当にそうだったとしたらあいつらは悪魔か何かだな。しかもそいつは俺のドッペルゲンガーかもしれない、最高だ」

 桜井とて博士の小難しい話をまともに取り合うつもりはなかった。冗談を交ぜたのも突き放す意図があってのことだったが、博士はそう解釈しない。

 偶然か、必然か。

 むしろ、博士の解釈と桜井の冗談──心に引っかかった懸念は重なっていた。

「そうとも。お前のおかげで分かったんだ。ユレーラがお前のドッペルゲンガーだとすれば、彼には魂が宿っていることになる。お前と同じ姿をしていることにこそ意味があるのだ」

 あくまでも仮定の話ではあるが、博士は桜井の懸念を前提条件として踏まえた。だからこそ、桜井は博士の言うことに意味があり信じる価値があるように思えてしまった。

 ユレーラは桜井結都のドッペルゲンガーである。

 なぜ、どうして、なんで。そうした疑念の答えを知らずとも、事実は尾ひれをつけて独り歩きするもの。

「桜井くん。博士に乗せられちゃダメよ」

 博士のペースに乗せられていたことに言われて気づく。博士に聞きたいことがないわけでないが、今は個人的な懸念よりも事態の収拾が最優先だ。

「ともかく相手は超自然的存在だ。お前の手に余るんじゃないか、博士。ホログラム街やプラザの有様を見てもなお、実験を続けるつもりか?」

 博士は「もちろん」と桜井の詰問に潔く頷いた。これまで博士は謝罪することを躊躇わなかった。それは揺るぎない覚悟と信念を持ち本気で臨んでいる何よりの証だ。

「だからその上で、超能力者である君の力が必要不可欠だ」

 機械の人差し指を立てて、桜井の隣に立っていた澪を指さす。そして心の底から沸き起こる感動を表現しようと必死に言葉を紡ぎ出す。

「お前ほど純粋なテレキネシスを自由自在に操る超能力者は他におらん。魔法技術において、魔導粒子ユレーナいわゆる魔力を制御するのは基礎だ。俺たち科学者はそれを成し遂げるためにエンジンとなるユレニアス・リアクターつまり魔具を開発し、魔法という技術を確立させた。お前が持つテレキネシスは原理的に言えば魔導粒子ユレーナを直接操作する力なんだ……!」

 魔力を操作するという原理に基づいている以上、魔法と超能力の到達点が重なること自体は道理とも言える。が、博士の言いぶりからすると、澪のようにオーソドックスな力を持った超能力者は他にいないのだろう。だとすれば、博士が澪の力に執着を見せるのも納得がいく。

「魔力を操作するにはまず安定させねばならん。赤、あるいは青く光る状態にな。緑色や紫色のように不安定な状態の魔力は、未だ科学で制御することはできん。だがお前は、不安定な状態の魔力さえも安定させるどころか思うままに制御できる。あの美しい星空すら、お前の手の中にある。魔力の星を操る、そう、『アストラルキネシス』──その力であれば、たとえユレーラであろうとコントロールすることができるはずだ」

 澪の力が星座を描き虹色に輝く星空を生むことは桜井も知るところ。あれは単に美しいだけでなく、超能力者たる力によるものらしい。想像通り、彼女の完璧にコントロールされた力のみがなせるのだ。

 だからこそレリーフという未知を扱う実験の中で、博士は澪のことを保険として勘定に加えていた。彼女の力があれば万が一のことが起きてもレリーフをコントロールできるはず。

「言ったでしょう。もう付き合う気はないわ」

 しかし、博士はまずレリーフよりも澪のことを見誤った。

「いつかはこの時が来ると思っていたが、こんなにも早いとは────」

 最後に、博士は澪へ話しかけた。対して、澪は明確な敵意を持った眼差しを向ける。その返事は言葉にはならない。

 彼女は右手を中心にして赤と青に激る魔力を呼び起こし、博士めがけて放った。鋭く放たれた光は博士の胸を貫かん勢いだったが、博士は瞬時に拳を胸の前へ上げていた。彼の拳には澪と同じく赤と青の煌めく魔力があり、衝突して相殺し合う。

「────実に残念だ」

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