第4章第3節「意志の在り処」
車に乗り込んだ桜井は、澪を助手席に乗せて研究所へと向かっていた。
カーナビに設定されているフィラメント博士の研究所は、W2セクターのDSR本部から約十キロほど離れたN1セクターにある。
このN1セクターはいわゆる政府管轄区域と呼ばれ、ラストリゾートの中枢機能を担う重要な施設が立ち並ぶ。隣接するS1セクターやW1セクターも同様で、この横のラインをファーストセクターベルトという。科学技術の発展は政府の造園理事会によって管理されており、フィラメント博士の研究所も当然そこにあるというわけだ。
桜井は魔法障害に関する対応を浅垣たちに任せ、澪と二人だけで研究所へ向かっている。彼女の話では、フィラメント博士という科学者がレリーフを生み出す実験をしているという。もし真実であるならば、即刻実験をやめさせなければならない。その手がかりを掴むためにも、桜井は澪と同行することにしたのだ。
『右折です』
カーナビの無機質なアナウンスが響く車内。桜井と澪の間に会話はなかった。既に日付が変わり眠いのかと思っても、チラッと横を見れば目を開けている。世間話をするような間柄でもないが、桜井は少し居心地の悪さを感じていた。もう彼女とは二回の共闘を経たがお互いのことはほとんど知らない。それでも肩が凝る空気に耐えかねたのか、桜井は沈黙を破った。
「なぁ、ひとつ聞いてもいいか?」
「なに?」
淡白に返事をする澪。初対面というわけでもないが、桜井は少しやりづらそうに聞く。彼が内心で、長らく気にかけていたことだ。
「ちょっと変に聞こえるかもしれないけど、レリーフの……顔を見たか?」
あのレリーフの姿は桜井友都とよく似ている。それは浅垣やコレットも認めていたことだ。
「普通のヤツらじゃなくて、駅で君が戦った……それと、レヴェナント工房の社長を殺したあいつ」
植物質のレリーフや金属質のレリーフはともかくとして、最近になって現れ始めたレリーフは目鼻口のない不気味で何処か崇高な姿をしている。だが、あのレリーフ──ユレーラだけは、桜井結都に瓜二つの容姿をしているのだ。まるで、彼のドッペルゲンガーのように。
澪は「そうね」と呟きユレーラのことを思い出す。
「確かに、あなたと同じ姿をしているかもしれないわね。けど、魔法生命体と人間とでは気配から違う。間違えたりはしないわ」
見た目が同じでも彼女はしっかりと見分けられるらしい。どこぞの御曹司との違いように、桜井は少しだけ安堵した気持ちになる。
「……理由は聞かないんだな」
敢えて、桜井は自分自身が思っていたことを口に出す。敢えてというほど、何か考えがあったわけではない。ただ、理由について彼女が知っているかもしれないと勘繰っての発言だった。
「聞いてほしいの?」
結果は、吉とも凶とも出ず。
「いや、むしろ俺が聞きたいくらい…………あー、ごめん。やっぱ今のナシで」
隣からの視線を感じ、桜井は慌てて話題を変える。
「ところで、どうして魔法品評会にいたんだ?」
テラスでは聞きそびれたが、澪がなぜユレーラ──レリーフが出現する場所にいたのか。もしかしたらレリーフを追跡する手段があるのかもしれない、と桜井は考えている。尤も、元凶が実験によるものだという新事実が浮かび上がり、追跡するまでもなく文字通りの元を見つけたのだが。
「博士の実験を知って、それを止めようとしていたの。被害が出る前に始末をつけようとしたんだけど……」
澪と博士がどういった関係なのかは分からないが、少なくとも実験に関しては意見を食い違わせていたらしい。実験によって現れたレリーフを止めるべく、彼女はこれまでの場所に現れた。
「間に合わなかった」
一度言葉を切ると、窓から流れる景色へ目線を逃した。
桜井は澪と博士がどういった関係か聞くこともできたが、それは避けた。いずれ研究所へ着けば分かることであり、彼女が自分から話さないのなら聞くべきでないと思ったからだ。
「仕方ないさ。博士の実験のせいなんだろ?」
しかし、桜井は知る由もない。そもそも博士の実験が誰に助けられて行われているかを。
腫れ物のように避けられる秘密を胸に、澪は迂遠に返した。
「本当に間に合わなくなる前に、なんとかしなきゃ」
そうして、桜井と澪は研究所へと辿り着いた。深夜という時間帯もあってか、やはり研究所は暗く敷地内にも人気はない。桜井たちはロータリーに車を停めてエントランスへ向かうと、すぐに異常が起きていることが分かった。
エントランスは透明なガラス張りになり内部を覗くことができるのだが、中はおおよそ普通ではない。人の気配がないどころか何年も人が立ち入っていないように、雑草や野花が無秩序に繁殖しているのだ。見るからにそれは魔胞侵食による現象であり、建物の奥から始まっているようだった。
「観葉植物にしちゃやりすぎだな」
「言ったでしょう。もう時間は残されてないわ」
桜井と澪はエントランスの中にいる。もちろん、中に入るには入館証か何かが必要で、スキャナーが設置されていた。
「で、どうやって入るつもり? 面会権限くらいなら持ってるけど」
桜井には携行するIDカードがある。それを使えば、ある程度のセキュリティならば容易に突破することができた。が、その出番が来ることはない。
壁に据え付けられたスキャナーへ向かった澪は、認証システムに指紋と網膜を読み取らせた。見るからに正規の手段で、超能力を使ったハッキングには見えない。澪は博士と繋がっているようだし入館権限を持っていても不思議ではない。桜井は黙ってゲートが開かれるのを待った。
『おかえりなさい。暁烏澪さん』
アナウンスが流れると、すんなりゲートが開放されて暗闇だった研究所に明かりが灯る。
「さ、急ぎましょう」
研究所内に人の気配はなく、代わりに植物たちが豊かに背を伸ばしている。桜井と澪は雑草を踏みしめ、突き当たりにあったリフトへと向かう。ラストリゾートでは珍しくもないが、エレベーターではなくリフトが備えられた建物は多い。魔導科学によって反重力装置が開発されてから、リフトのように浮遊する床は短い距離を移動するならエレベーターよりも総合的に見ればコストが低いためだ。
リフトには蔦が絡まっていたが、澪が近づくだけで蔦は萎び落ちていく。その様は頭を垂れるようで、桜井は彼女の背中が少し遠く感じられた。
「失礼かもしれないけど、超能力者ってやっぱりこういう施設にはよく来るのか?」
上昇するリフトに乗った桜井は、施設と澪の関係性を尋ねた。彼女は行き先を迷うこともなく、一直線に博士の元へ向かっている。
「超能力者は全員が科学に貢献しようとしてるわけじゃないの。それこそ、遺体になってから初めて解析にかかった例もあるわ。だから生きた超能力者を調べられるのはそれだけで価値のあること。私が特別扱いされる理由はそれよ」
超能力者という存在は話に聞くくらいで、桜井が会ったのはおそらく彼女が初めてだ。澪は謎めいた女性だが凛としていて、魔胞侵食やレリーフさえものともしない力を有している。プラザでの戦闘において、彼女がいなかったらと考えるだけでも苦しくなった。
「……君が味方でよかった」
「…………」
曰く、澪のように科学へ協力的な超能力者は少ないという。彼女はDSRに対しても協力的で、味方であることが非常に心強く感じられた。
リフトは最上階へと到着し、桜井は澪に先導されるまま奥へと進む。最上階も例に漏れず草木に覆われていて、奥に進むにつれて緑は一層強くなっていく。
突き当たりを塞いでいた蔦を澪が切り落として扉を開けると、目の前に広がっていたのは書斎だった。正面にはデスクがあり、不自然に動かされた椅子が見て取れる。この書斎もまた背の高い草や花があちらこちらに散乱し、本棚を飲み込んでしまっている。そして残念ながら、書斎を見回しても博士の姿はなかった。
「フィラメント博士の書斎はここよ。多分、レリーフの手がかりもあるはずだわ」
博士本人に話を聞くことはできないが、諦めて帰るつもりもない。レリーフに関わる手がかりを探すには、またとないチャンスだ。既に被害が出ている以上、遠慮する必要だってない。
「それじゃ探すとするか」
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