第4章第2節「意志の在り処」

 DSR本部にあるサロンには、開放的なテラスが付属している。柵以外に視界を遮るものもなく、風に当たるにはうってつけだ。そんなテラスで、暁烏澪は手すりに手を置きラストリゾートの景色を眺めていた。本来なら夜空には天の川から流れる星々が輝いているはずが、光はどこにもない。カラフルな星雲やオーロラも見られず、空中城塞シャンデリアがなければそこがラストリゾートだと思えないほどだった。

 それもこれも、プラザに現れた龍が天の川を喰らったせいである。

 ある程度まで近づいても澪は気づく素振りを見せなかった。気づいているのかもしれないが、桜井は念のため咳払いをする。と、澪はこちらを振り返った。

「……魔法障害は大丈夫そう?」

 開口一番、澪が口にしたのは被害の心配だった。対して、桜井は「あぁ」と頷き彼女の隣へ来て景色を見ながら言う。

「復旧には時間がかかるけど、できる限りこっちも支援する。それもDSRの仕事だ」

 桜井たちは主に超常現象対策機関として活動しているが、何も超自然的存在や現象への対処だけが仕事ではない。魔法を含む超常現象による影響を受けた地域への支援活動も範疇である。

「うちのエージェントの帆波ほなみが今も現地にいる。必要に応じて警察とも連携を取るし、臨時の魔導電源装置を持っていったから、復旧まではなんとか凌げるはずだ」

「それならよかったわ」

 澪がDSRに対してどういったイメージを持っているのかは分からない。プラザで龍を撃退した後に本部へ誘ったところ快諾してくれたが、まだ警戒されているように思う。少なくとも、敵対せずに協力的な姿勢を見せてくれただけ十分なことだが。

「そういえば、初めましてがまだだったよな」

 多少ぎこちなく、桜井は澪と向き直って自己紹介をする。

「俺は桜井結都。知っての通り、DSRのエージェントだ。よろしくな」

「暁烏澪よ」

 短く握手を交わす二人。改めて、桜井は未だ肩肘を張った状態でテラスからの景色を眺め出す。そんな彼を横目に、澪も再び同じ景色へ目をやる。

「早速で申し訳ないんだけど、ひとつ聞きたいことがあるんだ。ヤツら、魔法生命体レリーフについて知っていることがあれば、教えて欲しい」

 もちろん、レリーフについて聞かれることを澪も予見していた。だからか、彼女は特に表情を変えることもなかった。

「レリーフは、魔法そのものが意思を持った存在らしい。正直信じられなかったけど、地下鉄やプラザでのことを見れば信じざるを得ない。……確かに言えるのは、ヤツらは俺たちを攻撃してきてるってことだ。何としても止めなくちゃいけない」

 誠心誠意、桜井は知っていることと自身の目的を伝える。事態を解決できるかもしれない糸口を持つ澪の協力を仰ぐために。

「それは私も同じよ」

 しかし、澪の態度は断固としたものだった。

「だからお互いに協力しよう。レリーフを追って、ヤツを倒すために」

 桜井の訴えに耳を傾けつつも、澪は決して首を縦に振ることはなかった。代わりに、澪は直面している現実を改めて突きつける。

「あなたの言う通り、レリーフは魔法生命体。この世から魔力が消失しない限り、完全に倒すことはできないわ」

 ピシャリと言い放つ澪に、桜井は動揺を隠せずにいた。彼女の言い方からするに、超能力者である彼女自身でさえどうしようもないことのようにも聞こえる。桜井がかけていた一縷の望みは、切れてしまったのだろうか。最後の願いに縋って、桜井は恐る恐る問いかけた。

「超能力者の君でもか……?」

「えぇ。残念ながらね」

 倒す方法がなければ、レリーフは止められない。つまり、桜井たちの敗北を意味するのだ。

「そもそも彼らがどこから来たか知っているの?」

 極め付けに、澪はレリーフの正体について話す。桜井の見解よりも核心を突く言葉で。

「この世界の全てには法則がある。この世のありとあらゆる物質は元はどこかにあったものよ。たとえ、進化したり変質することはあったとしてもね。私たちに故郷があるように。それはきっと、魔法だって例外じゃないわ。確かに、レリーフは魔法そのものと言っても過言ではないわ。でも、問題はそこじゃない。誰が魔法生命体であるレリーフをこの世界に連れてきたかよ」

 澪が言うには、レリーフは何処かから連れてこられたものだという。彼らを、ラストリゾートに呼び出したもの。それができるとなれば、自ずとターゲットは絞られる。

「彼らはフィラメント博士っていう科学者が持っている黄金の魔剣によって呼び出されている。パラダイススクエアやプラザにレリーフを放ったのも、博士が実験のためにやったことよ」

 なんと全ての黒幕は科学者だと語る澪。桜井がその言葉をすぐに信じることができたのは、彼女の表情が罪悪感に翳っていたからだ。思い詰めている人間がどんな心境でどんな素振りをするか、そのことを桜井は身を以って体感したばかり。

「だから、私は彼を止めなくちゃいけない」

 因縁を帯びた声色。桜井には知る由もない感情を込める澪に、彼は少し考えてから提案する。 

「よし、それじゃあそいつを捕まえよう」

 いいえ、と澪は桜井を制止した。

「私一人で行くわ。DSRに付き合ってもらう義理もないからね」

 何か胸に抱えた秘密を悟られまいと踵を返してテラスから出て行こうとする澪。だが、桜井も簡単に諦めるような男ではなかった。

「いいや、俺も行く。もし君の言っていることが事実なら、確かめないといけない。これでも、DSRのエージェントなんだ」

 足を止めて、澪が振り向く。桜井の表情を見て、彼女は口論をしても無駄なことを察する。

 そうして司令室へ戻った二人は、浅垣へと先ほどの内容を伝えた。裏で糸を引いていたのが魔導科学であったことに、浅垣も事態を重く受け止めているようだ。

「事情は分かった。だが確証がない以上、DSR全体を動かして対応することはできない」

「それは承知の上。さっきまで大企業ってだけでやりづらかったのに」

 魔導工房レヴェナントに続いて、桜井が追うのは魔導科学の権威。

「どの道、しばらくは魔法障害の対応で自由に身動きが取れる状況でもない。心許ないが、ひとまずはお前に任せよう」

 浅垣は少し不安そうに言い渡す。桜井はDSRに入ってから約二年が経つが、単独で任務を任せられるほどエリートでもない。とはいえ、いつまでも甘やかしていられる状況ではない。桜井は金盞花を逮捕する実績も挙げている。そろそろ信じて任せてもいい頃だろう。

「フィラメント博士のラボまでは私が案内するわ。ここからそう遠くないはずよ」

「もうこんな時間だけど、誰かいるかな」

 日付が変わった時間。今から向かったとしても、研究所が開いているかどうかも分からない。

「いないならいないで、むしろ好都合よ」

「それもそうか」

 あくまでも、桜井たちは研究所に潜入しようと考えている。レリーフの手がかりを見つけて、博士に実験をやめさせるように伝える。やるべきことは変わらない。

「もし何かあったらすぐに連絡しろよ」

 浅垣はポケットから車の鍵を取って差し出す。

「分かってるさ」

 念のための確認ではあるが、桜井は少し鬱陶しそうに返事をしてから車の鍵を受け取る。レリーフの脅威を目の当たりにした彼は、どこか焦っているようにも見えた。

「桜井」

 離れていく彼の背中を呼び止め、浅垣は一言だけ心づけた。

「気をつけろよ」

 頷き、桜井は足早に司令室から出ていく。姿が見えなくなっても、浅垣は目を離さなかった。

「そんなに心配?」

 浅垣の様子を傍から見ていたらしいコレット。声をかけられるまで、彼女から向けられた視線に気付いてもいなかった。

「まぁな」

 不器用に呟く浅垣を、コレットは慰めるように言った。

「桜井くんならきっと大丈夫よ。あなたが思ってるより、ずっとしっかりしてるもの」

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