第3章第6節「誰が為の代償」

「へっくしゅんっ……!」

 ネビュラホテル三階の一室に、コレットのくしゃみが響く。

 あれから数時間が経ち、時刻は十八時を大きく過ぎていた。うたた寝をしていたらしいコレットは、ソファーに座ったままタイツを履いた足を伸ばす。多少は疲れが取れただろう。

 ふと振り返ると、ベッドの上では桜井が寝息を立てている。もうすぐ、魔法品評会が行われる時刻だ。彼には申し訳ないが、そろそろ起こすべきだろう。

 ソファーから立ち上がり、足音を立てないようにしてベッドへ近寄る。まだ気付く様子はない。体を横にして眠る彼の横顔にイタズラ心をくすぐられながらも、コレットは腰を曲げて顔を近づける。垂れ下がる長い髪を耳にかけなおし、耳元でこう囁いた。

「桜井く〜ん。もう朝よ〜?」

 ぴくっと反応して目を開ける。間をおいて状況を理解したのか、彼は上体を起こした。

「悪い……本当に寝ちゃってたか」

「それはもうぐっすりね」

 窓の外を見ると、すっかり太陽は落ちて暗くなっている。あれだけレリーフについて悩んでいたはずが、今の今まで眠っていたらしい。

「寝言であたしのことを呼んでたけど、そんなに良い夢を見てたの?」

「……あぁ、おかげさまで」

 寝起き早々のからかいだったが、桜井にとっては慣れたもの。昔のように慌てふためくこともない。だからと言って、上司のちょっかいを邪険にもできないのがつらいところだ。

「ふふっ、よかったわね」

 しかしコレットからすれば、そうして紳士ぶる桜井が可愛らしく映るものである。

 彼は目を擦って部屋を見回すと、新垣がないことに気がついた。

「あれ、浅垣は?」

「浅垣くんなら外に見回りに行ったわ。現地集合だって」

 そうか、と相槌を打ってベッドから立ち上がる。睡眠を取った甲斐あってかスッキリしたふうに思う。何も状況は好転しないどころか、眠気がまだ残っているが。

「それじゃ俺たちも行くとするか」

 手短に身支度を済ませ、部屋から返却する。ホテルから出ると、アンドロメダプラザは来た時の倍以上の人通りになっていた。夜になったことで、より多くの星々が顔を見せている。紫や青といったカラフルな色の星雲が彩る天の川は、目を奪われる美しさを放つ。ツアー中と思しき列が通りがかり、学生服を着た団体も見られかなり賑わっているようだ。

 喧騒の中を抜けた二人は坂道を下っていき、魔法品評会の会場であるエクリプスタワーへと向かった。

 タワーへ続く下り坂に等間隔で設置された石灯籠の炎は穏やかに道を照らしている。都会の景色とは異なる風情のある光景だ。そして坂を下った先にあるエクリプスタワーは唯一の高層建築物であり、ある意味で風景にそぐわない。しかし、タワーの窓からは一切の光が漏れておらず、存在感を闇に消している。中に明かりはついていないのだろうか。

 地上の玄関口にはポールが立てられ、黒ずくめの男が警備をしている。現在も何人かが中へ入っていき、出入り口でカードを見せて通過している。桜井が思うに、警備員のつけているサングラスには何らかの識別機能が備えられていて確認をしているのだろう。

「よく眠れたか?」

 と、桜井とコレットを見つけた浅垣が近づいてくる。

「おかげさまで。手ぶらで来ちゃったけど、あれはどうやって入るつもり?」

 入場するための資格証やチケットの類を受け取った覚えはない。このまま行っても弾かれてしまうのではないか。疑問に、浅垣は桜井のネックストラップを引っ張り、ベストの内側から出た身分証を指で突く。

「そいつが入れてくれる」

「流石、VIPはスマートね」

 桜井の代わりにDSRを持ち上げるコレット。こういう時、組織というのは便利なものだ。

「……何してるの?」

 さらに、桜井はコレットがしていることに驚きを隠せずにいた。

「ああいう場所には暗黙のドレスコードがあるものよ」

 そう。コレットはシャツのボタンを外して胸元を大胆に開いて見せたのだ。

 言われてから浅垣の方を見ると、彼も既にネクタイを緩めていた。どうやらコレットの言うドレスコードは本当にあるらしい。

「ほら恥ずかしがらないの」

 コレットはいたずらっぽく桜井へ手を出そうとするが、桜井は「自分でやる」と言ってネクタイを緩めた。潜入任務では、なるべく怪しまれないことと場に馴染むことが肝要だ。

「行くぞ」

 身支度を済ませ、浅垣を先頭にタワーの玄関口へ向かう三人。サングラスをかけた警備員にそれぞれのIDカードを見せると、難なく通過することができた。

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