第3章第4節「誰が為の代償」
世界に魔力というものが現れて以来、世界は大きく変容した。魔力が科学的に解明されたことで、魔導科学において魔法という科学技術が確立されるよりも前。まず、人々の目に留まった変化は天候である。それまで、天の川や星雲は望遠鏡がなければ見えないもので、オーロラは特定の地域でしか見られない現象だった。しかし、現在では空を見上げるだけで天の川を見ることができ、オーロラは雨や雷と並ぶ身近な天候となっている。信じられないことに、本来は観測できないはずの太陽と月以外の恒星さえも視認できる。当初、それを世界の破滅への兆候だと騒ぎ立てる者もいた。だが大多数の人々は、時が経つに連れてその幻想的な美しさに魅了されるようになった。
尤も、それらは本来のものとは異なる超常現象というのが実態。天の川を彩る星雲やオーロラは空気中に含まれる魔導粒子ユレーナの発光現象だ。そして科学的知見から言ってしまえば、魔力による極めて甚大な大気汚染とも言い換えることができる。しかしその美しさに貴賎はない。
アンドロメダプラザ。ラストリゾートのN3セクターに広がる商業区でもあるそこは、世界有数の天文台としても有名な場所だ。日常的に星空が見れるという事態は、星を見ることの価値を薄めてしまうことが危惧されていた。実際は逆であり、それまで星に興味のなかった人々が、より星空を理解し堪能するために天文台へ足を運ぶようになったのだ。かくして盛んになった天文台は、多くの人々が行き交う観光地へと成長した。
「さすがに夜にもなると混んでるんだな」
そんなアンドロメダプラザへ到着した桜井結都、浅垣晴人、コレット・エンドラーズの三人。
「そりゃあ、人気のデートスポットだからねぇ。これでも空いてる方じゃないかしら。……なんならちょっと遊んでく?」
桜井たちがいるのはアンドロメダプラザのエントランス。周辺よりも高くなっている地形を活かし、プラザ全体が展望台のように機能している。所々には天体望遠鏡が設置されており、誰でも気軽に天体観測を楽しむことができるのだ。遠方には観覧車が見え、天文台というよりもやはり観光地としての側面が見て取れた。
紫や青といったカラフルな色の星雲が彩る夜空は、目を奪われる美しさを放つ。人々は天体望遠鏡を使って覗いたり、パンフレットを見ながらプラザの散歩を楽しんでいるようだ。デートスポットというのも、あながち間違いでもないのだろう。
「ねぇ見てよこれ、新しい星座の名前をつけられるんだって」
コレットが見つけたのは、ホログラムで浮かび上がったポスター。『君だけが見つけた新しい星座の名前をつけよう! 今日という日を特別な記念に! 新星座命名会』といったイベントの告知がなされている。
「せっかくだし桜井くん座とか、浅垣くん座とかつけちゃおっかしら」
相変わらずの調子のコレットを尻目に、桜井と浅垣はほぼ同時にため息を吐く。もちろん浅垣は彼女の悪ふざけには乗らない。こんな時、二人の機嫌を取り持つのは決まって桜井だ。
「これがプライベートなら、俺もコレット座を見つけてたとこだよ。もちろん心配せずとも、とびきり綺麗なやつに名前をつけるさ」
「あらほんと? 桜井くんがあたしの星座を見つけてくれるなんて、なんだかロマンチックね」
残念ながら、桜井たちに星空を楽しんでいる余裕はない。他愛もないやりとりをしつつ、桜井たちが歩いている道は都市部とは景観が異なる。外灯として等間隔に置かれているのは石灯籠。電気的な光ではなく自然的な炎によって照らされているのは、おそらく天体観測を行う土地という点に所以するのだろう。
板張りのアーチを渡ると、特徴的な建造物が見えた。四本の柱を中央に向けて構えたそれは、中心に煌めく核のようなものを抱えている。虹色に輝く核は線香花火にも似た火花を散らし、周囲を衛星のようにリングが二重三重と回転していた。
「キレイね」
「魔導科学ってのはすごいよな。ああやって魔力を制御して、街の灯りにしちまうんだから」
ラストリゾートは世界で初めてライフラインを魔法に一本化した都市である。いかにして魔力をラストリゾート全体へ回らせているかと言えば、桜井たちの目の前にある『コンデンサー』がその役割を務めている。いわゆる、旧世代における電線としての役割を持つ。
「昔は電線ってのをそこら中に張り巡らせてたらしいけど、あんまり覚えてないな」
「ほんと、便利な世の中になったものよねぇ」
魔力を解き明かした魔導科学の偉大さに感嘆していると、先導していた浅垣が足を止める。
「ここだ」
コンデンサーから遠くない場所にある建物。看板にはネビュラホテルと記されていた。
アンドロメダプラザは、大きな建物は数えるほどしかなく都市部より穏やかな街並みが広がっている。桜井たちも見てきた通り、電気ではなく火が用いられていることも大きな特徴。もとは天体観測をするための景観だが、都会の喧騒に疲れた人々が安らぎを求めて訪れることも多い。そんな時に、このネビュラホテルは星を眺めて一休みするのにうってつけの場所だった。
「へぇ、結構高そうなとこじゃん」
率直な感想を吐露する桜井。部屋は予め桐生蓮美が予約しておいてくれている。
「予約できたのは一部屋だけだ。三人だと少し狭いかもしれないが、そこは我慢してくれ」
と言っても、そこで一晩泊まるわけでもない。あくまで、魔法品評会までの時間潰しだ。
「それと、あれがエクリプスタワー。今夜の魔法品評会の会場だ」
浅垣が顎で指した道の奥、下り坂の先にはプラザには珍しい背の高い建物があった。
エクリプスタワー。五〇メートルもの高さを誇るタワーは現代より十九世紀のものを彷彿とさせ、建物の縁には旗が風になびいている。見るからに、歴史ある建物といった雰囲気だ。
現地の下見も終え、桜井たちは予約したホテルにチェックイン。掃除の行き届いた綺麗な廊下を進んで三階へ案内される。
蓮美が予約してくれた部屋はフローリングでダブルベッド付き。小型の冷蔵庫にソファーとテレビなど、ある程度の家具は用意されているようだ。入浴場は地下、トイレは各階にあるものを使うよう掲示がなされている。
「あ〜あ、疲れた」
早速ソファーを陣取り、肩を揉むコレット。胸元にピンで留めていた身分証の入ったネックストラップを外し、すっかり寛いだ様子だ。
浅垣も荷物をテーブルに置き、腕時計を気にしながら言う。
「あと三時間はあるな」
「こっちは昨日から大規模滅菌で寝てないのよ。少しくらい退屈させてもらってもいいじゃない。ね、桜井くん」
「賛成」
魔法品評会まで時間がある。休息を取るためにホテルを予約したのだから、しばらくはのんびりしてもいいだろう。
足をあげて寛ぐ行儀の悪いコレットの邪魔をしないよう、桜井はもう一つのソファーに座る。浅垣は窓辺に立って外の様子を眺めていた。
「それで? 財閥の御曹司くんはどうだった? 協力してくれそ?」
コレットは誰へともなく月城財閥への感触について尋ねた。桜井はそれに反応して視線を動かすが、真っ先に浅垣が答えた。
「さぁな。本部に残してきたはいいものの、蓮美が心配だ」
「あら、蓮美ちゃんが取られちゃうんじゃないかって?」
二人が何やら話をしている中、桜井は一人黙ったまま俯く。二人の会話は右から左へと流れていき、とても参加できる状態でもなかった。なぜなら、桜井の心は記念公園で出会ったレリーフのことで支配されていたから。
あのレリーフは自分と全く同じ姿をしていた。そもそもレリーフは植物質なものや金属質なものなど、桜井の知る中で人間として姿を現したことはない。それが、なぜ自分と同じ姿をしていたのか。一度振り返って考えてみると、気になって仕方がなかった。
しかしながら、月城との会話や浅垣との会話の中でそのことに一切触れなかった。忘れていたからではなく、わざとである。レリーフの正体を知るのが怖いのはもちろん、浅垣やコレットに話すにも勇気が必要だ。普通なら逆に聞かれてもおかしなことでないのだが、周囲からも姿が同じことを指摘されない。そんな状態がかえって桜井を思い詰めさせていた。
いずれ、あのレリーフとは再び対峙することになる。その確信がどこから来るのかは分からないが、猶予はあまり残されていない。今のままでは気を休めることもできず、浅垣とコレットにもどんな顔をすればいいのやら。だからといって、このままでいるわけにもいかない。
悩みに悩んだ桜井は、勇気を振り絞って二人に聞いてみることにした。
「なぁ、変なこと……聞いてもいいか?」
二人だけで話していた浅垣たちは、桜井のぎこちない声に振り向く。二人は一度顔を合わせてから、コレットが最初に返事をした。
「なぁに改まって」
敢えて普段と変わらない調子で話すコレット。それが功を奏したのか、少なくとも桜井は次の言葉をいくらか言いやすくなる。それでも二人の方を見ることはできなかったが。
「あのレリーフって、俺のドッペルゲンガーとかだったりするのかな?」
ドッペルゲンガー。本来その人がいる場所とは別の場所で誰かがその人を見る現象であり、その人と全く同じ姿をしているという。桜井とあのレリーフはこのドッペルゲンガーと類似する点があった。
月城時成は財閥の屋敷で既に何度かレリーフと会っていたことで、同じ容姿の桜井をレリーフと勘違いした。事例としてみれば、まさしくドッペルゲンガーだ。
桜井がかなり深刻そうな表情を浮かべているのを見て、さすがのコレットもいつもの調子には乗らない。その隙に、浅垣は客観的な立場から意見を伝えた。
「姿を真似ただけの可能性もあるだろう。大事なのは、あいつが魔法生命体だということ」
偶然と考えることもできるが、浅垣は桜井とレリーフが似ていることを否定しなかった。その事実は彼の言葉以上に桜井へ重くのしかかる。
「レリーフが魔法を通して世界を支配しようとしてるのは明らかだ。そのために灰皿を探してるんだろう」
浅垣は間違ったことを言っているわけではない。それでも桜井にはそう単純に考えることができなかった。原因は、リニアラインの地下駅構内でレリーフ本人が語った言葉のせいだ。
「でもあいつは、俺たちに伝えようとしてるようにも見えた」
桜井がチラッと二人の方を見ると、目が合ったコレットは続きを促す。
「伝えるって何を?」
あのレリーフの目的は不鮮明だ。彼の言葉についても、耳を貸せば理解できるものでもない。しかし、桜井はあの瞳の奥に垣間見た意思を思い出す。魔法を使うことを、警告するふうな言動を。
「魔法を使うことの意味、その代償を払えって……もちろんそんなの分からないけど、何か警告してるのかもしれない」
話している桜井自身、何を言おうとしているのか理解できていない。ただ、心のどこかに取っ掛かりを感じているのもまた事実だった。
「だけど今さら魔法を使うのをやめることなんてできないし、向き合っていくしかないわよね。良いことも悪いことも。それがあたしたちの仕事でもあるし」
コレットの言葉は主観的に悩む桜井とは違い、いくらか達観して冷静な見方をしている。桜井の悩みなどちっぽけなものに思えてしまうように聞こえるが、彼にとって一度冷静になる機会にもなった。
魔法がもたらしたものは数多くある。上空に煌めく天の川もその美しさとは裏腹に魔力による環境汚染の側面を持ち、一部の人々は魔力に拒絶反応を示す魔法アレルギーを患っている。決していいことばかりでないことは生活の中でもよく目にしてきていた。とはいえ、それに悩んでいても何の解決にも繋がらない。
それよりも明らかな敵意を持って、世界を支配するために魔具を狙う。ようやく明確になった敵を追うことが、今の彼らがすべきことだ。
「……そうだよな」
桜井が抱えるものは依然として変わらない。自分と同じ姿であることより灰皿を狙っていること。見方を変えただけに過ぎずとも、変えることができる。それは桜井にとって一時的な救いにはなったが、そう簡単に看過できるものではない。
「だけどもし──」
もう一度、桜井は論点を戻した。彼が懸念する中で、最も最悪な想定を。
「もしあいつが俺のドッペルゲンガーだとしたら、俺は死ぬのか? ほらドッペルゲンガーに会うと死ぬって言うだろ?」
いわゆる俗説であり、確かな根拠があるわけでもない。しかし根拠と思い込みは後者の方が固く信じやすいものである。
心配してソファーのそばに来ていた浅垣に、コレットは何かを耳打ちする。コソコソとする二人を怪訝に見つめる桜井に対し、二人は立ち上がって近づいてきた。
「え?」
突然のことに驚くも、両側から近づいてきた浅垣とコレットは彼へ手を伸ばした。
すると、二人は左右から桜井の頬を摘んだ。
「……痛い」
数秒の間なすがままにされ、桜井がそう言うと二人は手を離す。
「痛いってことは生きてるな」
「ドッペルゲンガーだって超常現象の一つよ。あたしたちにとっては当たり前のことじゃない。怖がる必要ないわ」
少し赤らんだ頬をさする桜井を囲み、浅垣は肩を竦めコレットは前屈みになって微笑みかけた。
彼がいくらレリーフやドッペルゲンガーで悩もうと、そばにはいつもと変わらない二人がいる。それだけでも、少しだけ心強くなれた。
「じゃあ二人は見たことあるの?」
彼らは桜井とレリーフの姿が同じことを不思議がらず、ドッペルゲンガーと聞いても取り乱さない。もしかしたらと思い、離れていく二人の背中へ問いかけてみると、
「ない」
「ないわね」
「ありがと。余計に不安になったよ」
ようやく浮かべた笑顔を引き攣らせる桜井。そんな彼を見て、コレットは普段の調子でからかう。
「もう怖がっちゃって。あたしが眠るまでついててあげるから、少し休みなさい。あたしたちはソファーでいいから」
「そうだな。昨日もあまり寝れてないだろ」
昨日の深夜に金盞花を逮捕してから、桜井はほとんど休む間もなく活動を続けている。桜井に限った話でもないが、コレットと浅垣の気遣いは素直にありがたいものだった。
「あぁ、助かるよ」
桜井は部屋の奥にあったベッドを譲り受けた。休める内に休むのも大切なことだ。先ほどまでは気を休めることもままならなかったが、今では少し楽になったように思う。浅垣は仏頂面でコレットは悪戯好き、二人とも癖のある仲間だ。
それでも、彼らに話して良かったと心から思うことができた。
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