第3章第3節「誰が為の代償」
ユレーラを始末し終えた
研究所は一見すると何も変化がないように思えるが、書斎の奥に隠された研究室は雑草や野花が埋め尽くしている。その原因は禁錮装置にかけられた黄金の魔剣にあり、自我を持ったレリーフであるユレーラの依代にもなっているものだ。
禁錮装置を中心に生い茂った植物は、とうとう書斎にまで達している。フィラメント博士が開発した禁錮装置とはいえ、黄金の魔剣が持つ魔力を抑え込むにも限界があるのだろう。
澪が書斎へ入ると、博士は自分のデスクに座っていた。苔の生えたデスクの上には本棚から出された本がいくつか乗せられ、それらを読み耽っていたことが伺える。
澪は博士が本を読んでいてもお構いなしにラストリゾート記念公園であったことを話した。
「ユレーラは彼自身と同じ顔の男と接触した。DSRエージェントの格好をしてたのも、彼と同じ姿になるため……そう、ドッペルゲンガーみたいに。でも二人は相容れないみたいに戦ってたわ。まさかとは思うけど、彼を殺して成り代わろうとでもしているのかしら」
事実に加えて彼女なりの憶測を出すと、博士はパタンと本を閉じる。それから何度か頷きながら呟いた。
「ドッペルゲンガーか、興味深い。それは心が見せる幻か、あるいは抜け出した魂そのものか」
デスクから立ち上がると、傍らに咲いていた花へ近づく。機械の手を伸ばし一輪の花を強引に千切り取る。その匂いを嗅ごうとするも、一瞬のうちに塵へと還ってしまった。
「博士、あなたはどう考えるの?」
はっきり言って憶測を並べ立てるのは澪よりも博士の方が上手だ。ドッペルゲンガーという言葉に関心を示す博士に、彼女は科学的観点からの意見を求めた。
「面白い論文がある」
そう言うと、博士が機械の右手を開くと腕に魔法陣の輪が現れた。魔法──この場合はテレキネシスを用いるときの仕草で、手をかざした先にあったのはデスク。積み重なった本のうち一冊が抜き取られ、澪の読みやすい位置へ浮遊しペラペラとページがめくられた。
「心の在り処を知るために私は肉体を分解し、各部位を用いて実験をした。その内、脳に悲劇を認識させると胸が痛いと思考した。脳だけになったに関わらず。────我が敬愛するンナヴィア・リュッツベル博士の論文だ。お前は心や魂はどこにあると思う?」
澪の目の前に浮いている本はフィラメント博士が愛読する研究論文であり、心や魂の在り処とその構造を命題にしたものだ。澪の勝手な印象ではあるが、その論文は科学というより心理学や宗教的な色合いが強い。
それを大真面目に聞かれたせいか、彼女は渋々といった具合に答えた。
「……胸にあるってみんなはよく言うけど……」
世俗において、心や魂は心臓、延いては胸にあるといわれることが多い。澪の認識もそれに倣ったもので、博士の予想通りの答えだった。そして同時に、期待外れな答えでもある。
博士は澪に目もくれず、書斎の隅にまで及ぶ雑草を見渡して語る。
「リュッツベル博士は彼女自身の左腕を別の女性に移植したところ、手癖が移り機械弄りが得意になった。また肺を男性の肉体に移植すると、食の好みが移り歩き方も女性的になった。さらには夢の中で会ったこともないはずのリュッツベル博士の特徴と合致した女性に会ったという」
魔法で開かれたページの文章を要約して語る博士。ページには多くの皺が刻まれ、読み込んだことが窺える。
「いずれも肉体の一部を移植されると彼女の意識的特徴や身体的記憶が転移した。こう聞くと、魂は必ずしも一部に留まるとは限らない……そう思えぬか?」
確かに論文を額面通りに受け取るなら、魂は胸だけでなく腕や肺といった肉体の細部にまで宿っていることになる。もっと言えば、一人の肉体を分離しても魂はそれぞれに分割される──魂は切り取ることが可能だと捉えることもできるだろう。
しかし、澪は博士が読み上げた論文をすぐに肯定しなかった。
「そもそも魂は霊的なものでしょう? 科学は魔法に追いついたけど、魂なんてオカルトを解明できるものなの?」
「魂はオカルトだと唾棄されるべきものではないのだよ」
博士は澪と目を合わせ、いくらか語気を強めた。
「リュッツベル博士は発明家でありながら科学に影響を与える研究論文を他にも数多く残した」
魔法が科学の一分野になったことで得られた恩恵は計り知れないが、哲学者や科学者、技師といった本来なら領分の違う者達が交わることになった。ンナヴィア・リュッツベルはラストリゾート開発主任として携わった稀代の技師であるが、魂や心といった定義に異論を提唱している。
また博士は書斎の本棚から別の本を魔法で引き出すと、一切手を触れずにページを捲って言う。同じくリュッツベル博士の論文だ。
「大気中の素粒子が見せる不規則な動き、量子的なもつれを見て物質そのものにも意識が宿っているのではないかと彼女は仮定していた。もしそうなれば、物質や生命といったものの定義は曖昧なものになる。だが同時に魔法生命体の存在も説明がつくようにもなる」
ここでフィラメント博士はレリーフとを結び合わせた。
「こう考えられぬか? 魔法生命体レリーフは、魔法が意志を持った存在。つまり言うなれば、魂そのものだと。普通のレリーフはそれが希薄で本能的な行動しかできぬが、自我を持つまでに至ったユレーラには……もはや魂が宿っていると言っても過言ではないだろう」
突飛な発言であることは間違いないとはいえ、論文を踏まえれば筋は通る。
「つまり、ユレーラは何者かの魂で、あのDSRのエージェントと何か関係があるっていうの?」
それこそ、澪が例えたドッペルゲンガーという線もいよいよ現実味を帯びてくるだろう。にわかには信じ難い話だが、不可思議な現象を幾度となく目にしてきた経験は直感に訴えかけてくる。
そうかもしれない、と。
「彼らは何を話していた?」
金属の指先を動かしテレキネシスによって本を閉じ棚に戻した博士は、記念公園であったことを深堀する。
「分からないわ」
澪は正直に首を横に降った。
「付き添っていたはずではなかったかね」
すぐさま突っ込みを入れる博士。彼女はあれだけ同行することを前提条件にしていたのだから、事の経緯を知らないというのはおかしな話だ。
「裏切られたのよ。すぐにその魔剣を破壊するべきだわ」
特に誤魔化したりもせず、今取るべき選択肢を突きつける。ユレーラが依代とする魔剣の科学的価値はさておき、破壊するには十分な理由のはず。
「ふむ、そうか」
が、博士は指示に従うでもなければ問題にさえしていないようだった。まるで目下に考えるべきことがあるかのように。
「ますます彼奴の目的が分からんな。仮に己のドッペルゲンガーに会うことが目的だったならなぜアンドロメダプラザへ向かったんだ?」
そう。記念公園から帰ってきたばかりの澪には知る由もない事実。
「なんですって?」
驚きのあまり目を丸くする澪。彼女の聞き間違いでなければ、ユレーラは既に別の場所へ向かったらしい。
「お前がユレーラを始末したことは禁錮装置のデータから分かった。だからもう一度蘇生させたんだ。お前がやっていたように、見様見真似だがね」
そもそも魔法は超能力を基にして編み出された技術である。であるからには、博士の技術は超能力者である澪を参考にしている。博士のために彼女は力を提供しているのだから当然だが、彼女にできることは博士にも再現できるのだ。
澪がしたように、博士も魔剣からユレーラに肉体を与えた。つまり、こうしている今もユレーラはラストリゾートのどこかに存在しているということ。
「野放しにするなんて何を考えているの? まだ本当の目的も分からないのに」
「お前は科学とより良い未来という大義のため、今までその力を提供してくれた。お前なら分かってくれると思っていたのだがな」
これまでの澪の行いを持ち出し、開き直ってみせる博士。確かに一度はユレーラを自由にしたとはいっても、最終的には始末するという前提条件があったからこそ。しかし、博士は澪が出した条件を意にも介さず、次のステップへ移っている。
博士は彼女の理解を得られると思っていたが、許されるはずもなかった。
「……えぇ、全て分かってるわ。フィラメント博士、あなた何をするつもり? テロリストの金盞花を使ってまで魔剣を運ばせて、それが失敗したから私を呼んだのは分かってるのよ」
真相を知られ博士は表情を強張らせたものの、動揺する素振りはなかった。まるで、こうなることを予期していたかのようにただ首を横に振る。自分ではなく相手の愚かさを嘆いて。
「価値観や倫理観の前に足を止めるのは利口だ。だが禁じ手を使わなければなし得ないこともある。非難されることを嫌い誰もやりたがらないのなら、俺が代わりにやる。それに伴う責任も非難も甘んじて受け入れるつもりだ。価値感や倫理観では測れないこともある。それこそが、科学が本来追及すべきものだ。分かってくれ」
金盞花を利用することも、澪に黙ってユレーラを利用することも許されることではない。それを分かった上で、実行に移している。
「だからって……」
言葉を失う。
一度タガを外せば止まることはない。いや、止まれないと言った方が正しいのかもしれない。
「ユレーラは外的な要因によって肉体を与えられなければ行動できん。だから以前は公園から出ることができず、今回も俺が肉体を与えてやったから外に出ることができている。お前があのとき魔剣から彼を喚び出したのと同じようにな。依代となっている魔剣は俺たちの手元にあるんだ、いざという時に恐れることはない」
もはや言葉で説得できる段階はとうに逃している。飽くなき探究心と傲慢さが招いた結果であり、答えを得られない限り止まらない。いくら博士が保険を講じていたところで、澪は堪忍できなかった。
「……もうこれ以上付き合えないわ」
たった一言だけを残し、彼女は書斎を去っていった。
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