第2章「生命と死の存在証明」
第2章第1節「生命と死の存在証明」
夜が明けてしばらく経つが、ホログラム街を滅菌する炎は未だ消えていない。上空にはカラフルに光り輝く煙が上がっている。ここまで大規模な滅菌はラストリゾートの歴史の中でも初めてのことであり、メディアも
超常現象対策機関DSR本部のサロンからは、ラストリゾートの景色が眺望できる。W2セクターにある本部は隣接するN2セクターのホログラム街も見渡すことができ、複数の職員たちがその前代未聞の光景を目に焼き付けていた。
彼らの中には、起きたばかりの
サロンはDSRの職員たちが利用する休憩所。室内にはカーペットが敷かれ、相席として透明なテーブルを囲うようにしてソファーが並べられている。奥へ行けば、背の高い椅子とカウンターが用意されたキッチンで簡単な料理を作ることもできる。よくオペレーターの
「よく休めたか?」
ソファーに座ってくつろぐ桜井に声をかけてきたのは
「おかげさまで」
昨日あったことを振り返っても、いろいろあったように思う。テログループ『金盞花』の頭領である金盞花の逮捕。魔法生命体レリーフの出現。ラストリゾート総帥であるラテランジェロとの面会。眠りにつけたのは早朝に近い時間帯だったように思う。
コーヒーの入った紙コップを両手に持った浅垣は、桜井の対面へ向かうとコーヒーを桜井の前に置いて窓を背にしたソファーに座る。どうやら桜井の分も入れてくれたらしい。
「どうも」
桜井の眠たげな声を聞き、浅垣は自分のコーヒーに口をつけた。ほとんどの職員は街を燃やす滅菌の炎の物珍しさに釣られていくのだが、彼は意にも介さない。その様子を不思議に思った桜井は気軽な気持ちで聞いてみた。
「燃え上がる街を合法的に見れるまたとない機会なのに、見なくていいわけ?」
「見ていて気分の良いものでもないだろう。現実を直視するのも良いが、休める時には休んだほうがいい」
物珍しさは人の関心を引き寄せる一方で、その実態こそ
「それもそうだな」
言い終えて、浅垣が持ってきてくれたコーヒーへ口をつける。途端に、彼はむせ出して浅垣の顔と紙コップを交互に見る。
「どうした?」
「おいっ、ちゃんと砂糖入れたのか!?」
あぁ、と頷く浅垣だったが、桜井にとってそれはあまりにも苦すぎた。
「はぁ……これ苦い」
対して、浅垣はどこか楽しそうにしていた。
「良い目覚ましにはなったろ」
「まったく」
「お前もまだお子ちゃまだな」
浅垣の言葉を聞き流し、わざとらしく肩でため息をつく桜井。実は、これまでも何度か桜井は浅垣が入れるコーヒーを飲んだことがある。しかし、砂糖をあまり入れない彼の味覚にはついていけず、桜井にはとても飲めたものではなかった。そのため砂糖を多めに入れるよう頼んでいるのだが、それでも苦さは全くと言っていいほど消せていない。
一旦紙コップをテーブルに置き、じっとそれを見つめる。普段ならよくあることですぐに気持ちを切り替えられるのだが、今日に限っては持ち直せなかった。その違和感について、彼は心当たりがある。
「なぁ、昨日のことだけどさ」
心の整理がつかないのではない。整理がついてしまうという違和感を、おそるおそる口にする。
「ラテランジェロ総帥はレリーフのことをこう言ってたよな、魔法が意思を持って俺たちに牙を剥く。正直いきなり言われてもピンと来なかったけど、一晩考えてみて思ったんだ。もしかしたら本当にそうかもしれないって」
桜井が話し出したのは、昨日の総帥との面会で伝えられたことである。桜井と浅垣は総帥から直々に魔法生命体レリーフ討伐の大任を命じられ、事態がどれだけ差し迫っているかを話された。そのことを噛み砕き実感するまでに、桜井は実に一晩をかけていた。
「滅菌すること自体は今まで何度もあったけど、せいぜい建物一つとか大通り一帯くらいが普通だ。でも昨日はパラダイススクエアが丸ごと自然に侵食されて、滅菌の炎はあんなに大きくなってる。あんなのを見てたらさ、なんていうか……本当に魔法が世界を侵略してるんじゃないかって思えないか?」
魔法は人類に多大な影響を与え、魔法産業革命を引き起こしラストリゾートでの豊かな暮らしを実現した。しかし今、そうした影響がついに身近な危険として及んでいる。環境を変え、果ては世界までも変化させた魔法。生活の一部となりいつしか当たり前となっていた魔法が、ついに危険をもたらしている。
敵は魔法そのもの。窓から見える滅菌によって炎上するホログラム街の現状が、差し迫る驚異への意識として桜井に重くのしかかる。
そんな彼の確信を帯びた呟きを黙って聞いていた浅垣。桜井は人と比べて割り切った考え方をする。それゆえ普通なら受け入れ難い事実も、彼は簡単に飲み込んでしまう。だがそれは人間味がないからではなく、隠し事が上手いから。長い付き合いの中で、浅垣はそのことを見抜いている。彼は相変わらず堅い表情のままだが、幾許か柔らかい物腰で語りかけた。
「俺たちの仕事は、魔法が関わる事故や事件を処理することだ。これまでも、これからも変わらない」
身を前に乗り出し、桜井の顔を伺う。心の内に隠し抱え込んだ不安を拭き取るように。
彼が親身になるのは珍しいことではない。普段から無愛想なせいで取っ付きにくい印象を与えるが、仲間には優しく気配りのできる頼り甲斐のあるエージェント──というのがDSR内での評価だ。
とはいっても、ここまで励まそうとする相手は桜井をおいて他にいないだろう。
「いつだって、俺たちは魔法を相手に仕事してきた。そうだろ?」
浅垣は浅垣なりに桜井を励ましてくれている。不器用な男だが、それを知っている桜井は微笑んで言う。
「……だな」
浅垣はコーヒーを手に持ち、ソファーから立ち上がると桜井のそばに歩み寄る。
「お前はよくやってるさ」
トンと肩を小突かれると、桜井はわざとらしく笑った。当然というべきか、それが照れ隠しであることは浅垣にはお見通しだ。
「また先輩ヅラしちゃって」
「事実だろ。俺がお前をスカウトしてやったのを忘れたとは言わせないぞ」
言いながら、浅垣は窓際へ向かって立つ。桜井が見ていた景色と同じものを見るようにして。いつまでも背を向けることはできないのだ。
「もちろん。けど三年間も俺に隠れてこんなことしてたなんて、ズルいよ」
どこか遠くを見つめる桜井。彼にとって、DSRでの仕事は遠い世界の話だった。魔法を始めとする様々な超常現象に対応する。その過程は決して楽なものではないが、空を飛ぶ車の乗ったり雲の上に立てたりと憧れるような体験もできる。今となっては身近なものだが、浅垣がスカウトしなければ一生関わることのない世界だっただろう。
「お前のためだ。できることなら、巻き込みたくはなかったが……」
浅垣がDSRに入った理由を桜井はよく知らない。聞いてもはぐらかされてしまうからだ。
「でも俺だってもう二年目だ。俺が上手いことやれてるのは、上司が良いおかげかな?」
戯けた調子の桜井に対し、浅垣は鼻で笑った。
「違いない」
桜井より二つ年上で三年早くDSRに所属していたとはいえ、浅垣とは古い付き合いになる。遊びにしても仕事にしても、お互いのことは常に信頼できる仲だ。
浅垣はポケットに手を突っ込みコーヒーに再び口をつけた。ラストリゾートの幻想的な景色を眺めてのひと時は本来なら安らぎが得られるものだが、燃え上がる街は嫌でも胸をざわつかせる。
深いため息を吐くと、少し離れた先にある建築物に視線を逃した。彼が見据えているのは、ラストリゾートの都市の上に浮かぶ巨大な城塞『シャンデリア』。魔法が身近にあるラストリゾートにおいては、星雲やオーロラなどの自然が生み出した産物よりも、明らかな人造物の方がより大きな異彩を放つ。シャンデリアはその中でも象徴的な建築物だ。
ソファに座ってコーヒーをちびちびと飲んでいる桜井も、偶然か浅垣と視線を重ねていた。
「『ネクサス』のお偉いさん達はどうするつもりなんだろうな」
楽園政府ネクサス。ラストリゾートを管理・統制する政府のことで、実質的にこの楽園を支配している。DSRも、その傘下にあった。
「彼らがあの『空中城塞シャンデリア』から降りてくるのは本当に動かざるを得ない時だけだ。ネクサスが動かないのなら、まだ俺たちに委ねられていることになる。ラストリゾート市警だって魔法事故は基本的にDSRに流す。俺たちがしくじらない限り、何かをすることはないだろうさ」
表舞台で経済を安定させ外交関係でも活動するネクサスと、超常現象が関わる事件や事故に対処するDSR。活動分野が重ならないが故に共存できているが、悪く言えば面倒ごとを任せる便利屋のような立場にあるのがDSRということになる。
浅垣の冗談に鼻で笑い、桜井はソファーから立ち上がる。テーブルの上に残った紙コップを拾い上げてその苦い中身を飲み干した。
「それじゃ、しくじらないように今日も頑張りますか」
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