第1章第5節「現実になりゆくあり得ない可能性」

「……いいかよく聞け、お前は世界に九人しかいない超能力者の一人だ。超能力者であるお前の力でなければレリーフを制御することは不可能だ。なればこそ俺に協力してほしい。科学の発展とより良い未来の為に」

 科学の発展とより良い未来の為に。それこそが、澪と博士が協力する理由でありお互いの利害が一致する信念だった。

「もし万が一のことがあれば、私が始末をつけるわ」

 釘を刺す言葉に、博士は渋々といった調子で頷く。それから速やかに横へ移り、ドーナツ型の装置への道を開けた。

 途端に湧いてくる緊張を生唾と一緒に飲み込み、澪はドーナツ型の禁錮装置の中心に浮かぶ魔剣へ手をかざす。彼女の手からは白黒に煌めく魔力が発せられ、魔剣へと送り込まれていく。同時に、澪の背後へ回った博士は右腕のホログラムパネルを操作し魔剣の禁錮を緩め、データを記録する。

 やがて黄金の魔剣から白黒の火花が散り始め、禁錮装置の前で形を成していく。それは複数の光とそれを結ぶ線で、人の形をした星座にも見える。出来上がった星座を軸にして白い骨格が現れ、次に骸骨の上に血肉を滲ませる。最後に皮膚と服が覆われていき、あの時と同じ姿をした男が現れた。

 魔剣に魔力を送り込んでいた澪は右手を下げ、博士は彼女の背後から目の前の現象を凝視する。

 二人に見守られる中で誕生した彼は、ゆっくりと顔をあげ閉じていた目を開いた。彼の瞳は濁った灰色で、焦点が合っているかも分からない。だが確かに澪の方を見ると、一言だけ呟いた。

「礼を言おう」

 声をかけられても、澪は言葉を返さなかった。あの時、彼は澪に協力を求めてきたが当然協力するつもりはない。滅菌の炎から魔剣を持ち出したのは博士の命令だ。彼が開口一番に感謝の言葉を口にしたのは、自分を助けてくれたと勘違いしているからだろう。

 と、背後にいた博士が彼女の前に躍り出る。

「おぉ、レリーフよ。よくぞ姿を現してくれたな」

「レリーフ? それが私のような存在を形容する言葉か」

 魔法生命体レリーフという呼称は、彼らを識別するためのもの。彼らが自ら名乗ったものでもなければ、そもそも名乗る声を持たなかった。

「おっとこれは失礼した。お前はレリーフの中でも特殊な個体だ」

 状況は変わった。禁錮装置の前に立つ男は他のレリーフとは明確に異なる。博士はそんな彼が持って生まれた意志を尊重するように、新しい名を考えついた。

「……ふむ、そうだな。魔導粒子に因んでと呼ぶのはどうだ?」

 ユレーナとは魔導科学における魔力の正式名称として知られている。その名称を引用した名前だった。

「ユレーラ、か。悪くない名だ。

 彼──ユレーラは、フィラメント博士とは初対面のはず。にも関わらず、彼は博士と呼んだ。魔法生命体レリーフの意識とはいえ侮ることができない洞察力を持っているらしい。あるいは単に、魔剣の中に眠っている間も意識があり二人の会話を聞いていたのか。真相は彼にしか分からない。

 ひとまずこの特別なレリーフの呼び名は決まった。澪はいよいよ本題へ進もうとその場の主導権を握る。

「前置きはこれくらいにして、あなたには私たちの質問に答えてもらうわ。洗いざらい全てね」

 ユレーラを呼び出すことに成功したからには、あらゆる機会に恵まれたことを意味する。何せ、ユレーラは言葉を話すことができるレリーフだ。疑問をぶつけるにはまたとない機会といえる。

「いいだろう」

 特に悩む素振りは見せず、ユレーラは承諾した。自らが置かれている立場を弁えているのか、果たして感情を持っているのか。少なくとも、質問を投げかけてみないからには何も始まらない。

 フィラメント博士が一度振り返り、澪は彼と目を合わせる。お互いに相違はないことを確認し、澪は博士の隣に進んでから単純明快に聞く。

「あなたは私たちの味方なの? それとも敵?」

 レリーフといえば、意志を持った魔法生命体。人間に危害を加える存在だ。ラストリゾートに住む誰もが危険と認知する通り、味方とは言い難い。

「どちらでもある」

 ユレーラはどちらも肯定した。現に、彼は澪たちと対等に話す場を受け入れているし、質問にも答えている。だからと言って、すぐにユレーラを信じることができるかといえばそうではない。少なくともすぐに危害を加える意志が見られないだけで、未だその正体や思惑は不明だ。裏を返せば、理性がある分だけ本性を隠し通すことも容易いはずだ。

「なぜDSRの制服を着ている? ホログラム街で見たエージェントの真似か?」

 澪の隣に立つ博士は、ユレーラの格好に注目していた。ワイシャツの上から着ているベストにはDSRのエンブレムがあしらわれており、超常現象対策機関DSRのものであるのは明らかだ。問題はなぜレリーフである彼がDSRエージェントの格好をしているのか。

「これがこの世界における私の姿だ。あるべき姿を体現しただけに過ぎない」

 返答は要領を得ない。解釈の方法がいくつかある中で最も考えやすいのは、

「人間社会に溶け込むためってとこかしら」

 人間は皆が服を着ていて、あるべき姿に合わせるのなら服を着るべきだ。そしてユレーラが出現したパラダイススクエアにはDSRエージェントも駆けつけていた。その中から服装を真似たと考えるのは妥当だろう。

 判断材料も少なく博士も澪と同じ考えを持ったようで「まぁいい」と質問に区切りをつける。そしてより深く踏み込んだ疑問に手を伸ばした。

「この世界に来た目的を教えてはくれぬか? お前たちレリーフが現れたのは我々を滅ぼし、世界を支配するためか?」

 ここにきて、ユレーラはわずかに表情を変えた。核心に触れることを嫌ったとも取れる変化を見せつつ、彼は慎重に言葉を紡ぐ。

「この世界には魔力が氾濫している。いずれ全てが魔に沈んでしまうだろう。私はそれを警告しにきたと同時に、それを執行しにきた」

 ユレーラの答えは言葉の選ばれたものだったが、端的に言って侵略を認める旨を伝えた。その上で彼は警告という言葉を選んでいる。

「レリーフはお前の仲間でもあるのだろう。警告などする前に、侵略を止めさせることはできぬのか?」

 警告をしにやってきたのが本当なら、なぜ遠回しな方法を取るのだろうか。博士の考えは尤もで、警告するくらいなら同じレリーフとして侵略を食い止めればいい話だ。特にユレーラは言葉を話せるのだから、仲間に意志を伝えることもできそうではあるが。

「もとより、好き勝手に魔法を利用してきたのは君たちだろう。当然、その代償を払わなくてはならない」

 ユレーラの口ぶりから察するに、レリーフによる侵略は止められない。しかもそれを招いたのは人類側だとでも言いたげだ。

「では人類への罰として、レリーフの侵略を黙して受け入れろと?」

 博士は両手を広げて困ったふうに聞き返す。代償や罰という言葉を受け、反応を示したのはユレーラではなく澪だった。彼女がその言葉を聞くたびに眉をひそめ目線を下げていることに誰も気づいてはいないが、彼女の心には当てどころがあった。

 そんな彼女の動揺など露知らず、ユレーラは希望を掲示した。

「既に過ちが犯された以上、未然に防ぐというには遅い。だが抗うことはできるだろう。それができるかどうかは、君たち次第だ」

 なぜ彼が警告しにきたのかはともかく、希望があるからこそ警告しにきたのだろう。詰まるところ、レリーフによる侵略に抗う術がある。おそらく、ユレーラはそう言いたいはずだ。

 ユレーラが掲示した希望に気づいた博士は隣に立つ澪と目を合わせた。澪が頷くのを見て、博士は抗う術を求めた。

「どうすればいい?」

 過ちが犯され侵略は止められないと警告しながらも、希望をチラつかせる。その希望を信じるか否かは別として、聞かずに切り捨てるのは愚かだ。

 しかし、伝えられる希望はもっと愚かに思えることだった。

「過ちを認め、償う。つまり、私を自由にしてほしい」

 言っている意味を瞬時に理解した澪は間髪入れずに拒否する。

「ダメよ。自由にするなんて危険すぎるわ」

 つい数時間前、黄金の魔剣がホログラム街を丸ごと緑化させ大きな被害をもたらしたばかり。あそこまで大規模な魔胞侵食は、ラストリゾートができて以来初めての事件でもある。今は禁錮装置があるとはいえ、その原因たるユレーラを自由にするのはあまりにも危険だ。

 そもそも澪の目的はレリーフを始末することである。ユレーラの要求は目的とは大きく反する行為。侵略に抗えるという不確かな希望に到底釣り合えるものではない。むしろ侵略を手助けしてしまうかもしれない。

「おい、ここはあやつの要求を呑むべきだ」

 だが、博士は多少のリスクを度外視していた。謎に包まれた魔法生命体の動向が知れる機会を棒に振るより、リスクには目を瞑る方が得策であると。

「あの街の有様を見たでしょう? 同じ災いを繰り返したいの?」

「何かあればDSRに滅菌させればいいだろう。始末するのはその後でも遅くない。お前もそのつもりでいるのではなかったのか?」

 澪と博士が小声で言い合う様を、ユレーラは黙って見つめていた。もちろん、彼らが受け入れようと断ろうと、結果は変わらない。世界に溢れる魔法は人類に牙を剥き、破滅へと追いやる。ただ、ユレーラの手助けを借りるか、借りないか。どちらにせよ、彼らに課せられた運命は覆らない。

 だが、ユレーラ自身にもまた課せられた条件がある。

「君たちが私を信用せずとも、私は君たちを信じる。それでは不服かな」

 暗に、澪たちに始末されることを受け入れる口ぶり。そう、自分は排除されて然るべき存在であることを弁えているのだ。

 これまでも彼は理性的な立ち振る舞いを貫いてきたが、決して利益をもたらしていない。それどころか、魔法による侵略だけを文字通りに警告してきた。ここでの要求も、侵略を手助けすると勘繰られても致し方ない内容だ。わざわざ騙そうとするには露骨すぎる。

 博士が言ったように、DSRによる滅菌があれば抵抗できなくもない。無論、手遅れになる前に澪が始末をつければいいこともある。

 しばらく考えた後、澪は重い口を開いた。

「いいわ。ただし、私も同行する。少しでもおかしなことをしたら、分かるわね」

「……もちろん」

 澪が付け加えた条件に、ユレーラも博士も異論はない。彼女の言う万が一があった時は、いつでも始末をつけることのできる者がそばにいるべきだ。それに加えて博士はユレーラの動向を探ることを第一に考えていたため、澪が許容した段階でこれ以上言い争うこともなかった。

「それで、まずはどこへ行くつもりだ?」

 おそらくユレーラは外に出ようとしている。魔法生命体である彼がどこまでラストリゾートを把握しているかは分からないが、何かしら目指すところがあるはずだ。

 博士も澪も彼の行き先を予想することはできず、ただ彼が口を開くのを待った。そしてついに、彼は神妙な面持ちで告げる。

「私が生まれ落ちた場所だ」

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