第1章第4節「現実になりゆくあり得ない可能性」

 滅菌の炎によって炎上するホログラム街から脱した暁烏澪あけがらすみおは、N2セクターとは隣り合うN1セクターに存在する魔導科学研究所へ足を運んでいた。繁華街として賑わうホログラム街とは対照的に、魔法を取り扱う科学機関が管理する建物群が軒を連ねる地区だ。この場所で多くの魔法技術が発明され、ラストリゾートの発展に貢献しているというわけである。

 そんな研究所の一つに来ていた澪は、エントランスで入館スキャンを受けていた。

『認証しました。おかえりなさい。暁烏澪さん』

 来館を歓迎する機械音声と共に、正面玄関のスライドドアが開く。上層までが吹き抜けになったエントランスを突っ切ると、彼女は浮遊するリフトへ乗り込んだ。リフトはエントランスから最上階までの上下を移動できるエレベーターの代わりに導入された浮遊装置である。早朝という時間帯もあってか、どの階層にも研究職員の姿は見えず中は静まり返っていた。そんな中、最上階へとやってきた澪は迷いのない足取りで奥へ進む。

 彼女が向かったのは所長室だ。中は書斎のようになっていて、本棚には多様な論文書が詰め込まれ、デスクは開かれた本が散乱している。本のページはどこからともなく吹き付ける風に捲られ、ペラペラと音を立てる。風が吹いてくる方へ歩を進めると、本棚の並ぶ壁に不自然な空間が開かれているのを見つけた。

 澪はその空間が本棚に隠されていた『博士』専用の研究室であることを知っている。書斎に『博士』の姿がないならその奥の研究室にいることがほとんどだ。

 少し肌寒く感じる風を浴びながら、彼女は研究室の中へ入った。書斎とは打って変わって様々な研究装置が置かれ、今も魔法陣が光り続けているものもある。小型から大型まで種類は様々だが、どれも例に漏れず魔力を制御するための道具ばかりだ。

 それらには目もくれずに進むと、『博士』の姿があった。『博士』といっても、その大男は科学者らしい身なりはしていない。片目が隠れるほどの長い茶髪に豊かに蓄えた顎髭、服装も白衣ではなくくたびれた深翆のコートを羽織っている。この大男の見た目だけで博士号を持つ科学者だと見抜ける者はそう多くない。だがコートについた複数のバッジ類を見れば、それが武勲ではなく科学的な功績を称える勲章であるのは明らかだ。

「フィラメント博士」

 一つ咳払いを置いてから呼びかけると、彼は「ん?」と背後の澪に気づいて肩越しに見やった。

「あぁ、戻ったか」

 ドーナツ型の装置をいじっていたらしいフィラメント博士。彼が何をしていたのかは澪の預かり知るところではない。彼女はただ要件だけを済ませるべく、右手をゆっくりと持ち上げた。

「お望みのものはこれ?」

 モノクロの火花を伴って手元に現れたのは、パラダイススクエアで回収した黄金の魔剣。彼女の握るそれを見るなり、博士は感嘆のあまりため息を吐いた。

「でかしたぞ暁烏。実に素晴らしい」

 澪に黄金の魔剣を探すよう命じたのは誰でもないフィラメント博士。なぜこれを欲したのかは分からないが、研究対象として価値があるからだろうことは分かる。なぜなら澪は、この魔剣の持ち主とでも言うべき存在を知っているから。

 博士が澪の持つ魔剣に右手をかざすと、手首には赤と青の魔法陣が出現する。まるで魔法陣の腕輪をはめたような右腕で、魔剣を下から持ち上げるように動かす。すると、黄金の魔剣はスッと持ち上がり、澪が手を離しても浮遊したままになった。魔剣に直接触れることなく、魔法の力で浮遊させたのだ。

 二人の間に浮かぶ剣を改めて見ると、黄金の刀身は鮮やかに光を反射し、柄には孔雀の羽を彷彿とさせる美しい意匠が施されていた。

「これは何なの?」

 澪が尋ねると、博士は憧れを語る羨望を帯びた声色で返す。

「レミューリア神話で語られる魔剣デスペナルティだ。天国と地獄のうち、地獄を切り開いたとされている。まさか実物を見ることができるとは」

「神話が実在したって言いたいの?」

 曰く、魔剣は神話に登場したものだという。神話の遺物が現実に存在するということは、逆説的に神話の実在を認めることになる。あるいは、この魔剣を基に神話が紡がれたのか。

 いずれにせよ答えはまだ見つかっていないらしく、博士は次のように裏づけた。

「おとぎ話であった魔法でさえ科学は解き明かしたのだ。科学に証明できぬものなど存在せん」

 すぐには信じきれない話だ。仮に本当に神話の遺物だったとしたら、その歴史的価値は甚大なものになる。尤も、澪は神話には明るくない。すんなりと理解することは難しいだろう。

 それよりも、現実として実感できることの方が遥かに理解しやすい。

 二人のいる研究室の周囲、徐々に草木が茂り始めていること。それが何を意味するのか、澪に至ってはついさっきまで体感していたことだ。

「……氾濫を止めないと。きっとその魔剣が原因よ。今すぐ壊すか、何とかしないと────」

 近くのデスクには蔦が絡まり始め、驚異的な速度で成長していく。何もしなければ、ホログラム街の二の舞になってしまうのは明らかだ。

「案ずるな」

 焦る澪に対して、博士は極めて冷静だった。彼はただ魔法陣の浮かぶ右手を力強く握りこむ。すると浮遊していた魔剣を拘束するように複数の魔法陣が刀身に巻かれ、封が施されていく。それから右手を傍へ払い、一切手を触れずして魔剣を背後のドーナツ型の装置へ移した。

 澪が訪れるまで調整していたのは、どうやら魔剣を抑制するための禁錮装置だったらしい。

「これである程度は抑制できるはずだ」

 言いながら右腕を曲げて腕にかかっていた魔法陣を解くと、右腕の一部分が機械的に変形。次いでホログラムのパネルが投射され、博士は空間に浮かぶボタンに直接触れて操作する。それに合わせてドーナツ型の装置が起動し、中心に浮かぶ魔剣のスキャンが始まった。

 フィラメント博士の機械義手には『魔具』が内蔵されており、先ほどのように魔法を瞬時に使うことができる。肉体に魔装を埋め込むことで常に魔法を使えるようにする手法は有名だが、敬遠されがちでグレーな側面もある。とはいえ科学者にとって、これほど便利なものもないだろう。

「ご苦労であった暁烏。DSRが滅菌を執り行うと聞いたときは貴重な研究対象を失うかとも思ったが、お前がいてくれて助かった」

 黄金の魔剣が禁錮装置に移されたことで、植物の成長も極端に緩やかなものになった。ほとんど止まったとはいっても、時間の問題ではある。ホログラム街のように滅菌しない限り、植物は枯れることもないためだ。

 不安げに周囲の草木や蕾を見下ろす澪に反して、博士は金属の腕でデスクに絡みつく蔦から草を千切り取って言う。忌々しげにではなく────

「しかし興味深いものだな」

 ────深い関心を示して。

「草木はこの世界を成り立たせる根幹的存在だ。草木や花が大地を織り成し、やがて有象無象を大地へと還す。まるで魔胞侵食そのものではないか。繁栄する人類文明を覆い尽くし、あるべき自然へと還す。これこそが自然の摂理だ」

 研究所の現状と同じことが、ホログラム街では既に発生している。澪が直接赴いて見た通り、舗装された道路を割って生える草花に、高層建築物さえも絡め取る植物。魔胞侵食による被害は尋常でなく、甘く見ていいものではない。

 それを、博士は自然の摂理だと語った。

「魔法に侵食されたあの街の有様が、あるべき正しい姿って言うの?」

 ホログラム街で起きたことは自然の脅威ではなく、ただ自然があるべき姿に戻ろうとしているのだと。もし博士の言う摂理に従うのなら、人類は破滅の一途を辿るほかない。

 悲観的な考えを持つ澪だったが、博士は違った。

「人類は常に自然に逆らって生きてきた。時に自然を滅ぼしてまで、文明を発展させたのだ」

 確かに、博士が語る道理は正しい。もともと自然が栄えていた土地を開発し、人類は高度な文明を築いてきた。その過程で破壊され奪われていった自然がどれほどのものか、誰も把握できてはいないだろう。それでも生きるとはそういうことだと、見て見ぬふりをしていたのもまた事実だ。

 そして、十年前に現れた魔力は文明をさらに飛躍させたが、十年経った今は魔力による弊害に直面している。ホログラム街は自然に侵され、今もなお滅菌の炎が包んでいる。

「自然を奪って築き上げた文明がいざ自然に取り返されると、滅菌によってまた奪い返す。それが果たして正しいことなのか、お前は自信を持って答えられるか?」

 問いかけられ、澪は目線を逸らす。答えを出すことはできるが、答えを出してしまうことの愚かさを恐れたからだ。何より、目を向けるべきことは他にも数多くあり、目を向けてもどうすることもできないこともある。愚かさを看過することが最善とまで言わないまでも、少なからずできることに目を向ける方が有意義だ。

「御託はいいわ、本題に入りましょう」

 だからこそ、彼女は突きつけられた問題のより深く暗い部分に目を向けた。

「この魔剣とレリーフの関係性について教えてちょうだい」

 魔胞侵食に伴う問題は植物の異常な繁殖だけに留まらない。魔法生命体レリーフが出現する土壌にもなっているのだ。

 偶然か必然か、博士は魔胞侵食の中心にあった魔剣の回収を命じた。加えて魔剣の禁錮装置まで用意していた。博士がどこまで把握しているのか、今度は澪が問い詰めようとする。

 対する博士は目を泳がせたりはせず、ただ澪と魔剣の両方を見比べて口を開く。

「魔剣は持つ者を選別するというが、お前は直接触れても平気なようだったな。つまりお前は認められたというわけだ」

 先ほども博士は魔剣には直接触れたりはしなかった。あえて触れなかったというより、彼の口ぶりからするに触れることができなかったのだろう。

 その反面、澪は直接触れることができた。その結果として、『彼』と出会ったのだが。

「どうかしら」

 魔剣に触れて起きたことをすぐに告白することもできたが、澪は敢えてはぐらかした。自発的な情報開示を抑えることで、できる限り博士が持つ情報を引き出そうと考えたからだ。が、彼女の目論見は上手くはいかない。

「魔剣に触れたことで何かを見たり聞いたりしなかったか?」

 鋭いほど的確な質問に、澪は短く息を切った。もともと自分から聞きたいくらいに気になることではある。下手な詮索はやめて、素直にレリーフのことを白状した。

「男の姿をしたレリーフと会ったわ。植物や水、金属でもない人間の姿をしていて、言葉を話すこともできた」

 過去に確認されたレリーフは植物質なものや金属質なものなど、環境に影響された個体ばかり。ましてや言葉を話すこともコミュニケーションを図ることもできなかった。

 そうした中で、人間の姿をしていて言葉を話せることがいかに驚くべきことか。

「まさか信じられん……本当に話したのか? 何と言っていた?」

 首を振り否定したい素振りを隠せない反応をしながら、会話の事実を探ろうと捲し立てる。

「過ちを正しに来たとか何とかって」

 レリーフとの会話自体はそれほど長いものでもなく、どんな意味の含まれた言葉かも分からない点が多い。ただレリーフが放った言葉の中で印象に残っていたものを、辿々しく口にする澪。

 だが、フィラメント博士にとってこの時ばかりは会話の内容の是非はさして重要ではなかった。ただ言葉を交わしたという事実さえあれば。

「そうか、とうとう現れたか! 意志を持つだけでなく、意志を伝える手段を併せ持った特別な個体が! ハハハ!」

 背を向けて豪快に笑い声をあげ、魔剣を見つめる。数秒もしない内にふと正気に戻ったように澪の肩を掴んだ。

「彼に会わせてくれ。魔剣に認められた君ならできるはずだ」

 大前提として、澪は自らレリーフを呼び出したことはない。偶発的とはいえ、あの時自分の体と魔剣を介してレリーフが現れただけである。だが彼女の体にはあの時の感覚が焼き付いていて、今も呼び起こすことができた。それゆえか、レリーフを呼ぶことに関しては不思議と自信があった。

「構わないけど、目的を忘れないで。私はレリーフを始末するためにあなたに協力してるだけよ」

 あくまで、澪は未知の魔法生命体を対処することが目的であることを強調した。

 しかし博士としては、レリーフを始末するという目的が引っかかっていた。分からず屋に言い聞かせるのを苦労するように、彼はため息を吐く。それから澪の虹色の瞳を真っ直ぐに見下ろす。

「レリーフは意思を持った魔法そのものだ。その正体を知るチャンスを不意にしたいのか?」

 威圧的に聞こえるのは決して目線の高さのせいではない。そのことを遅れて気づき、博士は態度を改め懇願するように、

「……いいかよく聞け、お前は世界に九人しかいない超能力者の一人だ。超能力者であるお前の力でなければレリーフを制御することは不可能だ。なればこそ俺に協力してほしい。科学の発展とより良い未来の為に」

 科学の発展とより良い未来の為に。それこそが、二人が協力する理由でありお互いの利害が一致する信念だった。

「もし万が一のことがあれば、私が始末をつけるわ」

 釘を刺す言葉に、博士は渋々といった調子で頷く。それから速やかに横へ移り、ドーナツ型の装置への道を開けた。

 途端に湧いてくる緊張を生唾と一緒に飲み込み、澪はドーナツ型の禁錮装置の中心に浮かぶ魔剣へ手をかざす。彼女の手からは白黒に煌めく魔力が発せられ、魔剣へと送り込まれていく。同時に、澪の背後へ回った博士は右腕のホログラムパネルを操作し魔剣の禁錮を緩め、データを記録する。

 やがて黄金の魔剣から白黒の火花が散り始め、禁錮装置の前で形を成していく。それは複数の光とそれを結ぶ線で、人の形をした星座にも見える。出来上がった星座を軸にして白い骨格が現れ、次に骸骨の上に血肉を滲ませる。最後に皮膚と服が覆われていき、あの時と同じ姿をした男が現れた。

 魔剣に魔力を送り込んでいた澪は右手を下げ、博士は彼女の背後から目の前の現象を凝視する。

 二人に見守られる中で誕生した彼は、ゆっくりと顔をあげ閉じていた目を開いた。彼の瞳は濁った灰色で、焦点が合っているかも分からない。だが確かに澪の方を見ると、一言だけ呟いた。

「礼を言おう」

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