第1章第2節「現実になりゆくあり得ない可能性」

「ラテランジェロ総帥がお前に話があるそうだ」

「えっ、なんだって?」

 聞き間違いかと思って聞き返す桜井。

 ラヴオール・ラテランジェロ。桜井達が所属するDSRの創設者であり、ラストリゾートの総帥でもある男だ。彼と面会するということはつまりそういうことだが……。

「心配するな。俺も一緒に行く」

「……やっぱり浅垣の説教にしない?」

 あまりにも急な要件に狼狽える桜井とは正反対に、浅垣はさっさと歩き出す。彼はとりあえず置いていかれないように後を急ぐ。

「おそらく、レリーフの件だろう。お前も、気になることがあるんじゃないか?」

 あたかもレリーフについて詳しい口ぶり。そもそも浅垣の立場は桜井の友人であると同時に上司でもある。桜井が知らないことを知っていたとしておかしくはない。

「浅垣はレリーフが何なのか分かってるのか?」

「少なくともお前よりはな」

 言い淀むでもなくスラスラと話す浅垣だったが、根掘り葉掘り聞く時間はない。桜井は浅垣に連れられるまま、分厚い自動開閉ドアを通って『量子通信室』へと足を踏み入れた。

 主に、楽園政府ネクサスの役員やラストリゾート総帥を始めとする要人と面会を行うための特殊な空間であり、完全な量子通信を可能にする部屋だ。使用者を仮想空間へと転送し、まるで通信先の相手とその場で対面しているかのような臨場感を味わえる。いわゆるVR技術を現代の魔導科学が最大限に発展させたものだ。

「俺がプラネタリウムに行くのって、確かDSRに入った時ぶりだと思うんだけど」

「緊張してるのか?」

「まさか」

「リラックスしろ、桜井」

 浅垣は桜井の背中を叩くと先に部屋の中心へ進む。中央には何やら台座が置かれており、床には紅い光を放つラインが四方に伸びている。壁も床も真っ白なせいで嫌でも緊張するが、桜井は深呼吸をして浅垣の半歩後ろについた。

「準備はいいか?」

「あぁ……いつでもどうぞ」

 桜井に確認を取ってから、浅垣は台座の窪みに手をかざす。何かが起動する音が鳴ると、足元や天井のラインから発せられる紅い光が室内のスキャンを開始する。

『対象エージェント二名を確認。転送を開始します』

 やがて、部屋全体の光が落ち電子音と共に緑色の光が空間そのものを描き出す。

 魔導粒子ユレーナは活性化すると発光する性質を持つ。対能力者用のハンドガンの銃弾が光ったり、金盞花が風の魔法を使った時にブローチが光っていたのはそのためだ。また、状態によって青や緑にも変化することも知られている。赤と青は安定した状態、緑や橙は不安定な状態といったふうに。ただし、加工でも発色は変わるため一概に状態を判断できるわけではない。

 空間をスキャンする紅い光、空間を描き出す緑の光。まるでカラフルな宇宙の旅に思える量子通信だが、桜井と浅垣は感嘆するでもなく気を引き締める。

 次いで彼らの暗い足元からはさざなみのような青い光が生まれ、空間全体へ波及していく。光のさざなみはやがて垂れ幕を上げるが如く、リアルな風景を描き出した。

 桜井と浅垣が立っているのは通信室────ではなく、静かな湖面の上。見上げると、夕焼けと天の川の星々の煌めきが空を優美に彩っている。そして、湖面は水平線まで続いており、二人と同じように湖面に立つ男が一人。

 幻想的な世界に立つことに慣れているような浅垣は、その男の背中へかしこまった声をかけた。

「ラテランジェロ総帥」

 声に、背広の男は空を彩る天の川を見上げながら答えた。

「金盞花の逮捕はご苦労だったな、エージェント桜井。浅垣が見込んだ男なだけはある」

 対して、桜井は慎重に言葉を選ぶ。

「いえ、浅垣がいたおかげですよ。それに、運も良かった」

「仲間や運も実力の内だ」

 ラテランジェロ総帥はこちらを振り返って言う。外見は四十代程度に見え、落ち着いた紳士的な貫禄を持った彼は桜井を見透かすような目をしていた。

「それで、話っていうのは……」

 恐る恐る様子を伺う桜井に、総帥は表情を変えずに言う。

「おそらく、気になっているだろう『レリーフ』についてのことだ。君はあれについてどこまで知っている?」

 桜井がレリーフについて知っている事は少ない。魔法生命体という漠然とした情報だけ。

「えっと……魔法生命体ということしか」

 桜井の返答を受けた総帥は、手をかざして桜井の方に滑らせるような動作をする。その手の動きに連動してホログラフィックディスプレイが現れると桜井の目の前に展開し、写真資料を含んだデータが表示された。

「レリーフは世界各地で目撃されている現象だ。特に、高濃度の魔導粒子ユレーナが観測される場所に現れ、魔法生命体として活動する。もっと別の言葉で表すなら、魔物や魔獣。ある地域では実際にそう呼ばれている」

「それじゃあ、レリーフはラストリゾート以外の国にもいると?」

 その通り、と総帥はきっぱりと断言した。

「先ほども言った通り、私はあくまでもレリーフは現象だと考えている。事実として、魔法郷アルカディアや旧極楽都市クレイドルといったラストリゾート以外の大陸でも確認されている」

 桜井が閲覧しているデータには、レリーフの現れた日時と場所などが記載されている。総帥の言葉通り、それはラストリゾート内だけではないようだ。

「知ってたのか?」

 ふと横合いの浅垣に問いかけると、彼はゆっくりと頷いた。

「あぁ」

 どうやら桜井が考えている以上に、世界は知らないことだらけらしい。何を隠そう、桜井はレリーフという超自然的現象はラストリゾート特有の問題だとばかり思っていた。そもそも外国についてあまり関心を持たなかったせいもあるが、レリーフの問題は世界的なものらしい。彼の中でただでさえ不可思議で対処法の分からない難題が、より大きなスケールへと広がっていく。

 ラテランジェロは自身も何やらホログラフィックディスプレイを操作する片手間で説明を続ける。

「レリーフの出現は誰も予測していなかったことだ。だが、彼らの出現は我々にとって大きな意味を持つ」

 言い切って見せると、総帥はディスプレイを閉じて背を向けた。彼は空に浮かんでいる青い光を放つ太陽を見上げる。

「魔法は世界に多くのものをもたらした。当時、資源の枯渇問題に直面していた人類は滅亡の一途を辿っていたが、突如として現れた魔導師ユリウス・フリゲート卿によって魔力がもたらされた。魔力は永久に枯渇しない資源だ。人類はそれを科学的に解明し、魔力の正体が魔導粒子ユレーナという素粒子であることを突き止めた。そこでユレーナを制御するための道具『魔具』を開発することで初めて『魔法』を操ることに成功する。そして、魔法産業革命が起きた」

 すると、桜井たちと総帥の中間あたりに巨大なホログラムで構成されたラストリゾートの全景が浮かび上がった。空に浮かぶ城塞『シャンデリア』を中心に栄える都市ラストリゾート。見慣れてはいるが、こうしてミニチュアサイズで見ても美しい楽園だった。

「知っての通り、君たちが住むラストリゾートも魔法産業革命によって生み出された。石油や電気といった旧世代のエネルギーに代わる魔法はやがて、なくてはならないものとなった」

 総帥が振り返ると、ホログラムのラストリゾートはノイズを起こして乱れる。

「だが、魔法は栄光だけをもたらしたわけではない。魔力が体質と適合しない者は拒絶反応を起こし、魔法アレルギーを発症する。昼夜を問わず視認できるようになった星々や星雲は一見こそ美しいが、その正体は大気が魔力に汚染されているに他ならない」

 桜井たちの頭上で輝く天の川。ここは仮想空間だが、一歩外を出た現実の空もまた同じような景色が広がっている。天の川が近くに見えると言っても些か大袈裟に聞こえるかもしれないが、それが現実であることを桜井自身はよく理解している。

「前提として、魔法は魔具がなければ使えない。必然的に魔具は価値を持つようになる。より強大な力を求める者は、魔具を巡って争いを起こした。君たちが逮捕した金盞花のように」

 ついにホログラムのラストリゾートはノイズによって完全に崩れてしまい、虚空へと消失した。総帥の言葉と連動して浮かび上がっていた金盞花の顔写真も続けて消える。

「そして今、魔法生命体レリーフが出現した」

 総帥との距離は数メートルも離れているが、彼の表情が険しくなっていることは分かる。それほど表情が分かりやすい人柄でもないが、彼は警鐘を鳴らすように言う。

「これまでに発生した事故や戦争は、魔法を利用する上で発生した然るべき代償とも呼べるだろう。魔法産業革命直後に起きた人類史で初めて魔法が持ち込まれた魔法戦争も、所詮は我々が招いた過ちに過ぎない。しかし、レリーフは魔法生命体、いわば意思を持ち出した魔法そのものだ。我々が生み出したものではない。人類をここまで発展させてきた魔法が、ついに意思を持って世界に牙を向いている。この状況の意味が分かるな?」

 生活の一部となった魔法と戦わなければならない局面にいる。桜井たちが追おうとしている敵は、今まで戦ってきた金盞花のようなテロリストではない。魔法と戦わなければならないのだ。

 正直、実感はフッと湧いて出るものではない。それでも、桜井はやるべきことをしっかりと見据えているつもりだった。超常現象を対処するからには、魔法生命体も処理せねばならない。

 今はまだ言葉にできないかもしれないが、代わりに浅垣が弁を立てた。

「もし魔法がこの世界を脅かしているのだとしても、私たちはこれまで通りレリーフを処理するつもりです。あなたの言う通り、それが魔法と戦うことを意味するとしても」

 浅垣の言葉に対して、総帥は頷くでもなく数秒の間を置いて告げる。

「重ねて言うが、君たちが戦おうとしているレリーフは普通の敵じゃない。今までにない危険な任務になるだろう。どうか、ラストリゾートを魔法がもたらす脅威から守ってもらいたい。それが、君たちに与える使命だ」

 ラテランジェロ総帥が桜井と浅垣に与えた任務。レリーフを追跡し、撃破すること。桜井自身、それを成し遂げられるかどうかの確証もないが、やるしかないだろう。世界を脅かす魔法生命体を討つために。

「もちろん、DSRも総力を上げて君たちを支援するよう手配しよう。我々に遠慮する必要はない」

「……分かりました」

 結局、桜井は一言しか返すことができなかった。総帥から聞かされたレリーフという存在の本質は、噛み砕くにはあまりに難解だったからだ。魔法生命体という漠然とした認識が、魔法が意志を持った存在に置き換わる。本質的には変わらずとも、その認識の重さは十二分に違う。

 幸いにも桜井は一人ではない。浅垣がついていてくれる限り、レリーフの正体が何であろうと何とかできる。彼は自信を持とうと努めた。

「エージェント・エンドラーズから報告を受けているだろうが、金盞花がラストリゾート記念公園から魔具を持ち出した痕跡が認められた。パラダイススクエアでのレリーフ出現とも何か関係がある可能性が高い」

 桜井たちの次なる目的地は、

「ラストリゾート記念公園は、ラストリゾートで初めてレリーフが出現した場所でもある。その因果関係を確かめるためにも、調査してみてくれ」

 魔法生命体レリーフ、その発祥の地。

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