第1章「現実になりゆくあり得ない可能性」

第1章第1節「現実になりゆくあり得ない可能性」

 ラストリゾート。魔法という科学技術が発達し、それによって開発された土地はまさに叡智の結晶と呼べるだろう。ラストリゾートに住む人々は魔法と共存する道を進んでいる。無限大に近いエネルギーは人類を飛躍的に進化させてきたが、魔法の力を巡った問題も多く発生した。そうして世界に溢れた魔法を管制するために置かれた機関、それこそが『DSR』だ。

『Division of Supernatural Reception』は、世界各地に起き得る超自然的な現象への対処、及び超自然的存在あるいは超自然的能力を有する存在の活動を管理する超常現象対策機関である。魔法が関わる事故や事件へも幅広く対応し、魔法を悪用する犯罪者を取り締まることさえもある。魔法と共生するラストリゾートにおいて、彼らはなくてはならないものとなっているのだ。

 ラストリゾートの都市部の一角にある広大な基地は、DSRの本部となっている。シンプルな外観をしているが内部は複雑な構造をしており、許可のない人物は出入り口を通っても中に入ることはできないという。そういった噂話から、一般人にとっては不可思議な建物として認識されていた。

 雨雲が晴れたことで美しく輝く星々が照らし出す暗い空の下、一台の黒い車両がDSR本部へ入っていく。車は正門に備えられたスキャンを滞りなく通過し、正面ロータリーへ停車する。

 車から降りてきたのはエージェントの桜井結都さくらいゆうと浅垣晴人あさがきはると。二人がドアを閉めると、浅垣が鍵を宙にかざしてボタンを押す。すると、車はランプを数回明滅させてドアロックをかけ、ひとりでに発進する。搭載されている自動運転機能によって地下の車庫へと向かっていくのを見届けるまでもなく、彼らは本部へ向かって歩き出す。

「いい加減躊躇うことを覚えろ桜井。勝算もないくせに車から飛び降りるのはよせ」

 浅垣は金盞花きんせんかを追跡中に桜井が取った行動を咎めていた。

「勝算はあったさ。何かあったら援護してくれるって信じてたし、実際助けてくれただろ」

「甘えるな」

 浅垣への信頼があったからこそ桜井は行動することができたのだが、彼にはほとんど伝わっていない。それどころか彼は桜井をずんずんと引き離してしまった。

 見上げるほどの大きな建物の中へ入るとまずエントランスホールになっている。時間帯に関わらず無人のホールは広く見渡すことができ、酷く異様な雰囲気もとうに慣れたものだ。彼らは正面の受付へは向かわず、奥へ進んでエレベーターへと歩を進めた。

 先に乗って待っていた浅垣のもとへ桜井が追いつくと、彼は行動には成果が伴ったことをアピールする。

「でも金盞花を逮捕できたんだ。それに生まれて初めて雲の上に立てた」

「……」

「もしかしてビビったんだろ? 流石の浅垣も雲の上に立ったことなんてないだろうしな」

 戯けて見せる桜井を無視し、浅垣は首からさげたIDカードを階層ボタンの下のセンサーにかざす。すると、エレベーターは揺れも音もなく快適に動き出した。

 狭い密室となってお互いに顔を突き合わせざるを得ない状況になり、浅垣はようやく桜井と目を合わせて言った。

「お前が心配で言ってるんだ。いつも助けてやれるとは限らない。あまり無茶をするな」

 確かに危険な行動であったかもしれないが、結果が伴ったのも事実。少しは労るべきところを、浅垣は説教を止めなかった。

 結局二人はすれ違ったまま、エレベーターから降りて上層階を進む。奥にある自動ドアを一枚通り抜けると、多くのコンピューターとホログラムによって照らされた中央司令室へと足を踏み入れた。ホログラムというのも、その部屋にはモニターと呼べる液晶こそ数多くあれど、ほとんどがモニターではなく空中へ直接投影されているのだ。魔導科学において、ホログラフィックユーザーインターフェイスと総称される技術である。

「お疲れ様です」

「おつかれ」

 通りがかる職員は桜井と浅垣を見るなり挨拶をし、桜井が挨拶を返す。二人の帰りに気づいたのか、部屋の中央にあるホログラフィックディスプレイを見ていた少女がこちらに振り向くと小走りに駆け寄る。

「お帰りなさい、浅垣先輩、桜井先輩」

 彼女の名前は桐生蓮美きりゅうはすみ。茶髪をおさげにして、耳元には小型のヘッドセットを付けている。そう、現場で無線を通して話していたのは彼女であり、優秀なオペレーターの一人だ。

 出迎えられた浅垣は無愛想に奥へと行ってしまった。代わりに桜井が彼女の相手をする。

「蓮美、こんな時間なのに大丈夫か?」

「はい。先輩やみなさんが働いているのに、私だけ何もしないわけにはいきませんから」

 蓮美はまだ十七歳という年齢で一応は学校にも通っている。彼女が学生という立場にも関わらずDSRでオペレーターとして働いているのはその実力ゆえ。とはいえ、学生という桜井からしたら幼い蓮美が深夜に働いているのは心配にもなる。

「それに、仕事ですから気にしないでください」

 彼女が頑張り屋であることは桜井もよく知っているし、その頑張りに応えるためにも心配をし過ぎるのはむしろ失礼。同じ仕事をするパートナーとして切り替え、肯定の意を込めて頷く。

「で、状況は?」

 蓮美は部屋の中央にある、空中へ投影された大きなホログラムで構成されたラストリゾートの地図へ桜井を案内する。

「N2セクターのホログラム街における『魔胞侵食まほうしんしょく』による緑化は現在も進行中です。魔法生命体レリーフについては一通り殲滅しましたが、いつ再活性化するか予測できません。本来なら魔導粒子ユレーナ──つまり魔力の増幅反応が観測できるのですが、緑化に伴って魔力反応が振り切れてしまっていて……何名かの職員が現地に残って対応しています」

 桜井も現地で見た通り、ホログラム街は自然に侵食されていた。まるで何十年も放置された廃墟のような景観は自然の猛威そのものだが、あそこまで猛烈な勢いで繁殖する原因は魔力が関係していた。

 魔導粒子ユレーナから生まれた胞子が芽吹く現象──通称『魔胞侵食まほうしんしょく』である。

「いつもみたいに魔力を滅菌するにしても、区画全体となるとロックダウンするしかないか」

 大抵の場合、魔胞侵食やレリーフの活動が認められると『滅菌』と呼ばれる作業が行われる。魔力に由来する植物だけを焼き払う特殊な炎を放ち、特定箇所の魔力を取り除くことができる。基本的にDSRだけが認可を持つ作業なのだが、ホログラム街全体を滅菌するというのはかつてない規模のものだった。

「そうするしかないですね。普段なら通りや建物だけで済むのに、ここまで大規模になるなんて」

「こうまでなってくると被害の方も心配だな」

 続けて、現地における金盞花とレリーフとの交戦による被害状況についても尋ねる。

「それについては、先に戻られたコレットさんが処置を……」

 蓮美は言いながら視線を桜井の背後へ移す。誰か、近寄ってくる別の人を見るように。

「もしも〜し、桜井く〜ん」

 耳元から聞こえる、高く柔らかい声。振り返ると、そこには上目遣いでこちらを見つめる女性職員の姿があった。

「コレットか」

 コレット・エンドラーズ。長い金髪に恵まれた美貌。黒いストライプ柄のシャツにタイトスカートという一般的な格好だが、こう見えて優秀なエージェントでもある。肩から胸にかけてガンベルトを着ける、一見の格好には不釣り合いな武装がその証拠。彼女もまた、魔法が関係する事件のプロフェッショナルだ。甘えてくすぐるような態度が特徴的で慣れるまで苦労はしたが、一応は桜井の上司に当たる。

 そんな彼女は人差し指を立てて報告を始めた。

「帰ってきて疲れてるところ申し訳ないんだけど、金盞花について分かったことを教えてあげようかなって。聞きたい?」

 こんな態度も、彼らの間では日常の一部。もし上司に言われたら頭にくるようなことでも、なぜかコレットはイタズラっぽい表情で誤魔化してみせた。桜井が呆れるとも戸惑うとも取れる表情でため息を吐いていると、

「何か分かったんですか、コレットさん?」

 先に返事をした蓮美にコレットはわざとらしく「うん」と頷く。桜井くんも気になるよねぇ、とでも言いたげに。

 目の前の相変わらずな二人のやりとりに降参した桜井は肩を竦め、

「それで? 何が分かったのか是非とも聞きたいね」

 よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、コレットは微笑む。そうして、彼女は手を宙にかざして横にスライドすると、手の動きに連動してホログラフィックディスプレイが引っ張り出された。それはコレットが持つ腕時計型のデバイスから投影されている。

 ディスプレイには金盞花の顔写真と略歴からなる資料が表示されており、コレットは次のように報告した。

「金盞花が乗っていたと思しき車両を分析したところ、パラダイススクエアに来る前にラストリゾート記念公園に立ち寄っていたみたいなの。あそこはよく魔具の密輸取引の隠れ蓑にされることが多いから、傾向からして何か取引物品を運んでいた可能性が高いわ」

 パラダイススクエアで炎上していた車を分析した結果がディスプレイにも表示され、コレットの推測を裏付けた。確かにタイヤは公園からスクエアまでを走っていたらしい。

「ってことは、その運んでた魔具か何かがレリーフの出現と関係してるのか?」

 報告を受けた桜井は、瞬時にレリーフと結びつけた。魔法生命体が出現した原因が金盞花が運んでいたと思われる魔具にある、そう考えるのは自然な流れ。

「さっすが。話が早くて助かるわ」

 金盞花は、危険な魔具を運ぶトランスポーターとしても知られている。彼女がわざわざ公園に立ち寄ったとなると、やはり何らかの魔具を運び出したと推察できる。

 そこで問題となるのは、その魔具が何なのかという点だ。

「本人から何を運んでたか聞けないのか?」

 問いかけに、コレットはあまり芳しくない表情で肩を竦める。

「今はシャンデリアの留置所に運ばれてる頃だと思うけど、口を割るかどうかは期待しない方がいいわ。指名手配犯である以前に、ラストリゾートの暗黒街の重要参考人。上の連中も彼女の扱いについては慎重になるだろうから、気軽に面会させてくれるわけもないし」

 コレットの言う通り、金盞花はラストリゾートの暗黒街の象徴ともいえる存在であり、その気になればいくらでも利用できる。かといって、金盞花を扱うということの上では常にリスクが付き纏う。どんな判断が下りるにしろ、慎重になるべきなのは間違いない。

「……妙な事を吹き込まれて騙されなきゃいいけど」

 とはいっても金盞花は桜井と浅垣の活躍で逮捕されたからにはひとまず一件落着。……と言いたいところではあるが、魔法生命体レリーフに関しては何も解決していない。厄介なことに金盞花とレリーフの間には何かしらの因果関係がある。そう仮定するのが彼らの中では前提条件になっている以上、金盞花の動向についても調査する必要がありそうだ。

「それにしても、あの金盞花がレリーフ如きに手こずるなんて。いったい何があったんでしょうか」

 蓮美は心底不思議そうに呟いた。金盞花は暗黒街において悪名高いテロリストであるのは周知の事実で、蓮美のようなDSRオペレーターの目を欺く方法も熟知している。パラダイススクエアで騒動を起こし、レリーフとの戦闘で負傷するなど想像できないことだった。

「とはいっても、あの金盞花を逮捕するなんてね。大丈夫だった?」

 反して、コレットは金盞花の危険性を知っているからこそ、桜井を案じた。相手は殺人も厭わない指名手配犯。コレットにとって可愛い後輩である桜井が金盞花と戦ったともなれば、心配して当然だ。

「なんとかね。正直、浅垣がいなかったらヤバかった」

「へぇ、珍しく謙遜するんだ」

 桜井は特に強がったりはせず、素直に浅垣のおかげであることを伝えた。

「金盞花はDSRのエージェントを何人も殺してる。甘く見ていい相手じゃない」

 ふーん、と感心したふうに相槌を打つコレット。功績を驕らない彼の姿勢に、新垣と似たものを感じたからだ。

 そんな彼女の視線は気にも留めず、桜井はあることを思い出していた。

「それと、金盞花は気になることを言ってた。本当の敵は私じゃない。もしかしたら、レリーフのことを言いたかったのかも。魔法生命体なんて、大した知能もないしたかが知れてるとは思ってたけどさ。ああやって街が侵されてるのを見る度に、侮れないんじゃないかって思うんだ」

 敵は魔法生命体。金盞花というテロリストとは違い、言葉を交わすことすらできない。動物や植物と意思疎通することができないように、魔力という自然の脅威とは相容れない。

 超常現象を対処するDSRならではの仕事でありながら、桜井は得体の知れない感覚に浸っていた。

「魔法生命体、ですか。小さい頃から魔法はあって当たり前でしたし、その魔法が敵だなんて言われてもピンと来ませんね。魔法を悪用するテロリストなら嫌と言うほど見てきましたけど」

 桜井の隣に立つ蓮美もまた、戸惑いの表情を浮かべる。

 二人を見かねたらしいコレットは、腕時計から投影したホログラムを閉じてこう言った。

「あたしたちにとって魔法は決して都合の良いだけのものじゃないわ。昼夜場所を問わず星が観測できるような超自然的現象を引き起こしてしまったり、魔法アレルギーを発症してしまったり。それこそ、謎の魔法生命体を生み出しちゃったり、ね」

 そうこう話をしていると、司令室の奥から浅垣晴人が戻ってきた。

「コレット、ひとまずN2セクターはロックダウンした後に滅菌することになった。あとのことは任せる」

「りょーかい。区画一つをロックダウンしての滅菌だなんて前代未聞ね。今回見るのを逃したら次はないかも」

 どこか楽しげなコレットだったが、誰も咎めたりはしない。不真面目に聞こえるかもしれないが、彼女がこの四人の中で最も優秀なエリートエージェントであることを知っているからだ。

「桜井は俺と一緒に来い」

 浅垣は桜井を名指しして、再び司令室から出て行こうとする。彼の後をついていく前に、蓮美とコレットの方へ振り返った。

「悪い、何かあったらまた呼んでくれ」

 彼女たちも桜井の忙しさを知ってか、特に引き留めたりもしない。その代わり、労りの声がかけられた。

「働くのもいいけどちゃんと休みなさいよ?」

「そうですよ先輩。働きすぎはダメですからね」

 二人からの気遣いに「お互いにな」と返すと、

「もし眠れないならサロンにおいで? 一杯と言わず三杯、いえ五杯くらいなら付き合ってあげるわよ」

「あっ、先輩ばっかりズルいですよー」

「ふふっ、蓮美ちゃんもいつでも来てくれていいからね。ただ、お酒はまだ早いからジュースでね」

 いつものやりとりを耳にしながら、桜井は踵を返して歩き出す。指令室の出入り口にいる浅垣は、固い表情で待っている。

 合流した二人は司令室を出て廊下を歩く。並んでは歩かず、桜井が浅垣を後ろから追う形で。

「で、説教の続き?」

 桜井は先ほどのことを根に持っていて、敢えて蒸し返した。仲違いとまでいかないにせよ、二人の距離は開きっぱなし。その原因はどちらかといえば浅垣の頑固さにある。もちろん、彼は自分で分かっていた。

「説教なんて俺らしくもない。だが危なっかしいのは敵わん」

 彼なりに堅苦しい態度を悔いたのか、説教は本意ではないと話す浅垣。背中越しにその変わりようを見て、桜井もまた冗談を交えたことを反省する。

「そりゃ悪かったよ。俺だって必死だったんだ。躊躇ってたらチャンスを逃すかもしれない。自分がやったことは危険なことだってちゃんと分かってる」

 桜井は良い意味でも悪い意味でも躊躇うことを知らない。だが躊躇わないからこそ成し遂げられることもある。彼のそんなところを、浅垣は短所ではなく長所だと思っていた。

 互いに反省の色を見せ合い、二人を取り巻く空気も少しずつ軽くなっていく。浅垣は一度歩みを止め、後ろからついてきていた桜井に向き直ってから言う。

「分かればいいさ。……お手柄だったよ」

 ようやく聞きたかった言葉を聞けてか、桜井もまた少しばかり体が軽くなったのを感じた。そうしてスキップでもしそうな軽さで、彼は浅垣の隣に並び立って歩いた。

「で、どこに行くの?」

 説教が終わったとなれば何をするのか。桜井が短く尋ねると、浅垣は一呼吸で言い切る。

「ラテランジェロ総帥がお前に話があるそうだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る