序章第5節「世界の中心に立つ」

「さぁ、ここまでだ金盞花。真っ逆さまになりたくなきゃ大人しく投降してもらおうか」

 追手である桜井が雲の上にまでやってきたのを、金盞花は静観していた。下手なことをすれば、自分も雲の上に立ってはいられなくなる。どのみち追い詰められているとはいえ、抵抗しなければいずれ浅垣が運転する空を飛ぶ車が迎えに来る。

 金盞花は改めて状況を確かめつつ、桜井の方を見た。彼の見た目こそ丸腰だが、現代の科学技術『魔法』を使えばいくらでも武器を収納できる為に油断はできない。金盞花自身も槍を腕時計の中に『ペアリング』しているし、新垣も自律する機械剣を『ペアリング』していた。

 桜井にとってもまだ気を抜くことはできない。彼女が鎌鼬のような凶悪な魔法を使いこなすことはもちろん、風を操って雲の上に乗るような芸当までした以上、次の一手が予測できないからだ。

 しかし、金盞花は観念したのか背を向けたまま深々とため息をついてみせる。

「……がっかりね」

 心底落胆した様子の金盞花に、桜井は目を細めた。自暴自棄になった彼女が反撃してくることを警戒し、手に意識を向ける。いつでも自分の得物を呼び出せるように。

 そんな桜井の警戒に反して、金盞花は首を横に振るだけだ。雨に濡れて口元に張り付いた毛束を鬱陶しそうに手でよけ、彼女は言う。

「私を逮捕したところで何も終わらないわ」

 金盞花が言いたいのは、おそらく魔法生命体レリーフのことだろう。確かに彼女を逮捕しても地上のレリーフに関して解決はしない。だが金盞花は犯罪組織のリーダーであり指名手配犯である。彼女を逮捕することと、レリーフを対処することとはまったくの別問題だ。そう考えて、桜井は声を低くして牽制する。

「お前をここで逮捕できれば、少なくともラストリゾートはひとつ平和に近づく。それだけでお釣りが来るだろ」

 言いながら、桜井はただ何かを掴むようにして手を掲げる。すると彼の右手を発端として、虹色の火花と共に一振りの剣が形作られていく。右手に現れたその剣は、鋭く細長い黒と銀の刀身を持ち、柄には孔雀の羽を思わせる装飾が施されている。そんな美しくも洗練された剣を向けられ、金盞花は目を伏せた。

「まったくおめでたいわね。超常現象対策機関DSRを名乗っておきながらアレを野放しにするなんて。もしかして、日頃から使ってる魔法のことでさえ何も分かってないんじゃないの?」

 金盞花はまだ武器である槍を出していない。これ以上話を長引かせれば事態がどう転ぶかも分からない。迅速に彼女を捕らえることだけを念頭に、桜井は剣を構え直し告げる。

「レリーフのことなら心配するな。お前を逮捕してからでもどうにかするさ」

 桜井はあくまで警告のために剣を喚び出した。おかしな真似をすればすぐにでも斬り伏せると。しかし金盞花は諦めて投降する気はないらしい。

「あらそう」

 いっそ気楽そうにも聞こえる声色で、腕時計をした左手をおもむろにあげる。

「ここから生きて帰れるのかしら」

 言い終わるや否や、彼女は左手に槍を喚び出して槍で風を斬る。同時に、彼女の腰で妖しく光る花のブローチ。その予兆を、桜井は以前にも見たことがあった。

 鎌鼬。足元の雲を容赦なく切り裂き、桜井の地点までを直線上に消し飛ばす。もはや自分が落ちてしまうことも辞さない、桜井を道連れにしようとする意思を感じる攻撃だった。

 彼は雲の上を軽やかに転がって鎌鼬を躱す。正面から身構えていればかわせないこともない。問題は、鎌鼬の軌道上の雲が抜け落ちてしまうことだ。続けて鎌鼬が放たれれば、その分彼女へ近づくことも困難になる。桜井が立つ足場さえもなくなってしまうだろう。そのことを狙ってか、金盞花は続けて槍を振り回し、槍の両端で左右の足元の雲を切り裂き鎌鼬を生み出す。

 二度、三度と放たれた鎌鼬に対し、避けるだけではいけないと考えた桜井。彼は一度目の鎌鼬を避けて膝をついた状態から、折り曲げた膝をバネにして勢いよく雲を蹴る。彼は鎌鼬を避けながら分断された雲の足場へ飛び移ったのだ。もし一歩間違えれば夜の街へ真っ逆さま。慎重になろうとしても、追撃する鎌鼬がそれを許さない。四度目の鎌鼬が放たれると、桜井は再び跳躍。ついさっきまで立っていた足場の雲が微塵切りになる。

 さらなる追撃が来る前に、桜井は移った足場から別の足場へ飛び移った。そうして着実に金盞花との距離を詰め、彼女が鎌鼬を放つタイミングで跳躍。鎌鼬は縦の動きに強いが横の動きには弱い。彼は一度横の足場に移ってからすかさず金盞花の元へ飛びかかる。身を翻して体重を乗せた剣の一撃を金盞花目掛けて振りかざしたのだ。

「ッ!」

 隙を突かれた金盞花は咄嗟に槍を構えて桜井の剣を受け止める。剣と槍は火花を散らし、拮抗しているようだ。が、金盞花の槍を持つ腕が僅かに震え、力に押し負けつつあることを桜井は見逃さない。

「この距離なら得意の鎌鼬も出せない。諦めるなら今の内だ」

 夜景に浮かぶ雲の上で、二人は睨み合う。肩に滲んでいる血は痛々しいが、だからと言って情けをかけていい相手ではない。

 鍔迫り合いから最初に動いたのは金盞花で、槍を捻って桜井の剣を逸らす。そこから攻勢を得た金盞花は、槍を回転させて両端についた刃で器用に斬りつける。対する桜井は細長い刀身を活かした刺突と斬撃を使い分ける。鋭敏な動きで振るわれる剣は相手の隙を的確に突き、金盞花は突きを素早い動きで弾き出していく。一点だけを集中突破することより全方位からのアプローチを試みる動きに、彼女も槍を自在に操って応える。

 その最中でも、二人の足元の雲は次から次へと落ちていく。二人の剣戟が激化するに連れて足場はどんどん少なくなり、やがて大きな回避行動が取れないほどにまでなった。お互いの間合いも徐々に離されていくが、それは良い兆しとは言えない。

 間合いを取られてしまえば、鎌鼬を操ることができる金盞花の独壇場。対能力者用のハンドガンも、彼女が扱う槍を前にしては全くの無力。

 予想通りと言うべきか、金盞花は風を槍で切り鎌鼬の素を用意し始めた。

「まずい……っ!」

 その時、身構えようとした桜井が少し足を踏み外しかけてバランスを崩す。それを見た金盞花は、腰のブローチを光らせて槍に纏わりつく鋭利な風を放った。

「お別れよ」

 ヒュウ、という風を裂く鋭い音は鼓膜すらも切りかねない。そんな風の筋を前にして、桜井は剣を振るった。少しでも、風の流れを乱し鎌鼬を崩そうと。

「……くっ!」

 頬を切る痛み。風は吹き荒れるが、剣圧で乱したことで致命傷となるのは避けられた。しかし足場の雲は非常に脆い。彼が自力で立っていることができても、雲が鎌鼬を耐え抜くことはできない。

 夜の街へ落ちる。DSRの靴にはバランスを取ることができても上昇する機能はない。上空から落ちれば運が良くない限り着地するのは不可能に近い。彼が死を覚悟する直前、無線通信が入った。

『下につけるぞ』

 桜井が落ちていく真下。その軌道上にやってきたのは、浅垣が運転する車だった。

 一人雲の上に残っていた金盞花は、桜井が車の上に着地するのを見ていた。彼女は心底鬱陶しそうに再び槍を動かそうとする。鎌鼬によって追撃を仕掛けようとしたのだ。そうして彼女の腰のブローチが光を放った瞬間。


 パリン、とブローチが撃ち抜かれた。

 

 見れば、金盞花が下の車に気を取られている内に、自律する機械剣が近くにまで飛来していたのだ。彼女を追撃するために地上でも放たれた浅垣の剣。だが気づいた時にはもう遅い。

「ぐっ……」

 腰を撃ち抜かれ、よろめく金盞花は雲の上から落下した。桜井を道連れにすることも叶わず、自分だけが街へと吸い込まれていく。

 まだ完全に意識を手放していなかった彼女は再び風を操ろうと試みた。しかしブローチが撃ち抜かれたことで上手く制御することができず、微弱な風によって中途半端に減速する。巨大な電子看板が見えてくると、咄嗟に槍を喚び戻して看板に突き立てた。ホログラムのパネルを一直線に引き裂き看板を破壊しても、速度はほとんど落ちない。

 それでも彼女は最後の力を振り絞って高層ビルの壁に槍を突き立て、速度を殺そうとした。ついに地上が迫り、彼女は重力に逆らって無理矢理に体勢を立て直す。だが着地できる場所もなく、彼女はガラスのパネルを突き破り大通りへと転がった。

 一方で、落ちてきた桜井を乗せた浅垣は、空を飛ぶ車で金盞花が落ちた地点まで降下した。

 ようやく彼らが地上に辿り着くと、金盞花は腕を立てて上体を起こすところだった。もはや立ち上がる気力も残されておらず、生きているだけでも奇跡的だろう。

 彼女は腰から飛び散る小さな火花に手を添えている。正確には、撃ち抜かれた花のブローチを。

「その『魔具』がなければ、お前は魔法を使えない。今度こそおしまいだ」

 浅垣が言う通り、機械剣によって一瞬の隙を突いてブローチを破壊した。彼女のブローチは風を操る時や鎌鼬を放つ時に光っていたように、魔法を使う為の『魔具』である。

『魔具』を破壊されたことで、金盞花はもう魔法を使う事はできない。いずれにせよ一連の戦いにおいて無理をさせた身体に蓄積したダメージは既に限界を超えていた。これ以上の抵抗は不可能だ。

 力なく、彼女は肩を庇いながら膝をつく。それでも、金盞花は顔を伏せて笑っていた。

「ほんっと、可哀想ねぇ……」

 戯言を聞き届けながらも、桜井と浅垣は金盞花を見下ろす。

「本当の敵は私じゃないのに」

 呟き、無造作に伸びた赤い髪のかかった紫色の瞳で二人を見上げる。

 奇妙なことにその瞳からはいくつかの細かい破片が落ちた。先ほど転落した衝撃でコンタクトレンズが割れたのだろう。

 慌てて俯き片目を覆う金盞花。そんな彼女に返す言葉もない代わり。金盞花の首に、桜井は剣を突きつけた。

「金盞花、お前を逮捕する」

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