序章第4節「世界の中心に立つ」
そもそも、負傷した金盞花があの場に留まったことには理由がある。魔法生命体レリーフの相手を押しつけるためだ。彼女は想定していない事態に遭遇し負傷してしまった。自分の足で逃げることもままならず、ならばいずれ駆けつけるDSRの車両を奪うのが無難だ。加えて、自身を負傷させた未知の現象とどう相対するのか純粋な好奇心を満たすためにも。
後者はともあれひとまずバイクを奪うことはできた。前輪と呼べる部分がない代わりに流麗な曲線美を描くフレームを持つ未来的なそれは、機体下部の推進装置によって浮遊しつつも走行することができた。
ではどこへ向かうつもりかと言えば、取引を交わした相手のもとである。金盞花は自身が危機的状況にあることを理解しており、それならば何かを道連れにしたいとも考えていた。だからこそ、彼女はもはや達成されることのない取引をした相手の顔に泥を塗ってやりたかったのだ。相手が金盞花と繋がっていることが知られれば、DSRの調査が及ぶことになる。金盞花なりのささやかな悪あがきというわけだ。
金盞花はバイクを走らせながら、痛む脇腹を押さえた。未だに血が止まっていないらしく、指には赤い血が付着した。何かしらの応急処置が必要な状況だが、今は逃げ続けるしかない。彼女はDSRのエージェントに追われている。今までも彼らから逃げ果せたことはあったものの、今回ばかりは思っている以上に困難を極めそうだ。
そうした予感が当たったのか、高架橋を差し掛かったところで後方から猛スピードで迫る車に気づいた。
「桜井、俺の剣を使え」
運転する浅垣は助手席に座る桜井にそう言った。腕時計を渡された桜井は内蔵のホログラムデバイスを起動し、『機械剣ペンホルダー』を選択。続けて自律モードという表示に触れて車の窓を開けると、腕時計を外へ放り投げた。
すると、腕時計が発光し複雑な機構を持つ剣を構築、ブースター機能によって自在に浮遊する。自律した機械剣は浅垣の車より速いスピードで進み、あっという間に金盞花が乗るバイクへ追いついた。
追撃を仕掛けにきた機械剣を見ると、金盞花もまた腕時計から槍を喚び出す。急襲する機械剣はシリンダーを回転させてエネルギー弾を放つが、金盞花は槍を振ってそれを弾く。追撃は数回に渡って続いたが、その全てを弾き、バイクの速度を上げて掻い潜ってみせた。
しかし、金盞花の逃げ道は残り少なく、徐々に追い詰められていた。なぜなら、高架橋を抜けた先の大通りを遮るように、紅く透き通ったフィールドが展開されているから。
浅垣の指示を受け、DSR本部のオペレーターがホログラムマップに万年筆で書き加えたことで出現したそれ。DSRが扱うセキュリティシステムである『セクターブロック』。物体の接触を遮断することができ、これを用いて絶対的な包囲網を敷くことが可能だ。
DSRの身分証がなければ通過することはできない。もし何も持たずに通過しようとすれば、衝突は免れないだろう。だがDSRの車両ならば通過できるはず──
『警告。当該車両はセクターブロック通過権限を認められません。速やかに停車してください』
見立ては甘く、既にDSRのオペレーターが無効にしてしまったらしい。このままでは通過できずに正面衝突だ。
「チッ、名札をつけた首ごともらっておくべきだったかしら」
苛立ちを隠さない金盞花は、前方のセクターブロックを確認すると槍の先端に向かい風の全てを集める。より強大な
「……ッ!?」
DSRの車両といえど正面から喰らえばひとたまりもない鎌鼬を、浅垣はハンドルを切って避けようとした。鎌鼬の軌道からギリギリのところで外れ、路上駐車していた一般車両に命中。鋼鉄をも切り裂くとエンジンへ引火し、爆発を引き起こした。
その間、金盞花はセクターブロックを目前にして急ブレーキをかけた。槍を地面に突き刺して横倒しになったまま滑り込み、大きくUターンをする。少しでも速度を殺そうと槍に力を入れると肩や脇腹が痛んだが、奥歯を食いしばってなんとか耐えることができた。セクターブロックへの正面衝突こそ免れたが、追撃を仕掛ける機械剣ペンホルダーは隙を見逃さない。
機械剣は金盞花を斬り伏せようと突っ込むが、彼女は地面に刺した槍を抜いて振り上げた。機械剣は弾かれてしまいあらぬ方向へ。一旦の危機的状況を脱したが、何も好転はしていない。
「はぁ……はぁ……」
一連の回避行動で消耗した挙句、退路を断たれた金盞花は息を整える間もなく周囲を見回す。
不運にも脇道に逸れることはできそうになく、浅垣たちの車が鎌鼬を避けるために反対車線へ逸れた隙に来た道を逆走するほかなかった。幸いにも、セクターブロックは一区画しか封鎖できないため、回り込めば実質的に通過することもできる。そこで彼女はここに来るまでに高架橋を通ったことを思い出す。
名案を思いついた彼女は槍を腕時計へ仕舞い込んで、今一度アクセルを全開にして走り出す。
またも金盞花を取り逃してしまった浅垣たち。彼は車の窓を開けて戻ってきた腕時計を手にするとダッシュボードへかけた。そして距離を離されないうちにと後を追いかける。
「今度はどこに行く気だ?」
助手席に座る桜井が疑念を口にすると、ダッシュボードにかけた浅垣の腕時計から通信が入る。
『これまでのルートに高架橋があったかと思います。もし金盞花が車両の飛行形態について知っている場合、上空へ逃げる恐れがあります』
DSR仕様の車両には当然最先端の技術が利用されている。魔力を利用した反重力装置の実現により、ほぼ全ての車両が空を飛ぶことができるのだ。もちろん捜査のために特別認可されたもので、一般車両には真似できない。だが金盞花はテロリストとしてDSRのことも熟知している。バイクが飛べることやその方法について知っていてもおかしくはない。
「なるほど考えたな」
桜井が感心した通り、金盞花は高架橋から離陸を試みるつもりだった。走行しながらパネルを操作して飛行形態をオンにすると、機体底部の噴射装置が出力を強めて通常のハンドルとは別に操縦桿が構築された。ちょうど高架橋へ進んだところであえて道を外れ、下層へと飛び込む。そのままエンジンを切り替え、ブースターを噴射させて見事に上空へと駆り出した。
『金盞花は上空へ逃げ出したようです』
オペレーターの報告を聞いた浅垣は、特に表情を変えることなく次の行動に出た。
「桜井、飛行形態に切り替えろ」
「了解」
命令され、桜井は車のモニターを操作する。バイクと同じように最新鋭の装備を搭載しているこの車両は、当然空を飛ぶこともできる。実際に空を飛ぶこと自体、二人とも経験してきたことだ。
しかしながら、桜井はどこか落ち着かない様子だった。車で空を飛ぶという行為は、滅多にできることではない。桜井は子どもの頃から憧れていて、この仕事に就いた中でも特にやってみたかったこと。それでも実際にその機会に恵まれることは稀で、まして自分で操縦することもない。
「代わろっか?」
ふと、運転席の浅垣に訊ねてみる。が、
「問題ない」
彼は即答しつつ、運転席頭上に展開された制御装置レバー式のスイッチを入れていく。一般車両ならサンバイザーがあるはずだが、DSR仕様の車両は飛行ユニットの制御装置に取って代わられている。ほかにもハンドルの普段触らないボタンを押したりと、飛行するにも見るだけで複雑な操作が要求されることが分かる。加えて言えば、今は指名手配犯の追跡中。間違っても桜井の出番ではない。
「離陸するぞ」
浅垣による手際良い操作のおかげで、桜井たちの車両も離陸体勢に入る。彼の運転技術ならば高架橋から飛び降りるまでもない。トランクをブースターに変形させ、サイドステップは風切羽へ切り替えられ、ついに空へ飛び立った。
一度空中に出てしまえば遮蔽物の類はなく、都市全体を見渡すことができる。雨雲の中には虹色のオーロラが輝き、空中に浮かぶ巨大な建造物といったこの街ならではの景観が広がる。どのような状況だろうと圧巻の一言だが、今は指名手配犯の追跡が彼らの仕事だ。
『目標は現在、N1セクターのトータルエクリプス方向へ進んでいます』
金盞花の乗るバイクはすぐに見つけることができた。セクターブロックの敷かれたエリアは紅い透明なカーテンに仕切られていて、たとえ上空からでも簡単には飛び越えられない。そのため金盞花は逃走ルートを変え、現在のN2セクターと隣接するN1セクターへ向かっていた。
「ここでケリをつける」
浅垣は冷徹に言い切ると、車のモニターに触れて武装を展開する。フロントバンパーが変形し機械剣よりも強力なユレーナライフルが露わになり、金盞花の駆るバイクを射程圏内へ収めていく。
金盞花は地上の建物の中で最も高い摩天楼として知られるトータルエクリプスの方角へ進んでいる。薄くなった雨雲からはオーロラの光が漏れ出ていて、神秘的な光景は思わず目を奪われるようだった。もちろん、それは本物のオーロラではなく魔力の塵の発光現象に過ぎないが、金盞花とて間近で見るのは初めてだ。
彼女がそんな神秘的な光景に意識を取られている隙を、浅垣は見過ごさない。ハンドルを微調整してバイクを正面につけ射程圏内に収めると、足元のペダルでユレーナライフルを発射する。
独特な電子音と共に放たれた魔力のプラズマはバイクの後輪部へ命中。確実なダメージを与えることに成功し、炎を噴き出した。
被弾した金盞花は慌てて腰を浮かせる。このままではバイクは爆発してしまい、地面へ墜落してしまう。彼女は思考を巡らせ、先ほどまで視線を奪われていたオーロラ、つまり魔導雲に意識を向ける。
彼女は意を決すると、腕時計から再び槍を喚び出して光を湛えた夜空へ掲げた。天に祈るかのような姿勢でいると、虹色のオーロラと雲の一部が風に運ばれて降りてくる。彼女の腰のブローチは緑色に光っており、魔法で風を操って雲を動かしたらしい。その途中、バイクから大きな火花が散り怯んだ金盞花はいち早く乗り捨てようとした。
偶然か狙ってか彼女はバイクを乗り捨てると、炎上するそれは摩天楼トータルエクリプスへ投げ込まれた。もし衝突すれば大きな事故になってしまうことを危惧した浅垣は、金盞花ではなくバイクに照準を合わせる。バイクが摩天楼へ衝突するよりも前に、それを撃ち落とす。
一方で空中へ躍り出た金盞花は夜の街へ落ちていく。が、彼女を受け止めるかの如く集まった雲が受け皿となり、腰のブローチを光らせて風を纏い緩やかに着地した。
浅垣は一度金盞花を見失っていたが、桜井は彼女が雲の上に立つのを見た。そして彼は何を思ったのか、突然ドアを開けてこう言い残す。
「よし、あとは俺に任せてくれ」
「おい無茶するな」
彼らが乗る車が金盞花のいる雲の上を通過するタイミングで、桜井は躊躇いもせずに車から身を投げたのだ。滅多なことでは表情を変えない浅垣でさえ、今回ばかりは驚きの声をあげる。だが彼の呼び止める声は届かなかった。
DSRのエージェントはその職務上様々な状況を想定した訓練を受けている。その中には当然高所からの落下も含まれていて、桜井は対処法を覚えていた。特に何かをするわけでもなくしばらくは重力に身を任せていたが、金盞花が立つ雲が近づくに連れて足元に意識を向ける。彼が履いているのはDSRから支給された靴で、生身では実現できない芸当を可能にする。数メートルもの高さを跳躍したり、空中でバランスを取ったり。とにかく、彼は靴の力を頼りにして車から飛び降りていた。
頭を下にして急降下していては、そのまま雲を突き破ってしまう。そうならないように彼は一度宙返りをすることでバランスを取り戻し、靴の力で落下する速度を抑える。
大前提として、桜井は雲の上に立ったことはない。それでも金盞花が着地できた以上、自分にもできない道理はない。今さら後悔したところで待っているのはやわらかい雲か、かたい地面だけだ。彼はできる限り着地の衝撃を分散させようと試みた。単に両足で着地するのではなく、一度手をついて転がる。その甲斐あってか、彼は雲を突き抜けることなく着地することができた。
直後、彼が最初に足をつけた地点の雲が無惨に崩れ落ちていく。続けて桜井の立つ場所にも亀裂が走り、空気中へ溶けていってしまう。彼は慌てて移動しなんとか難を逃れた。
「……ふぅ」
想定よりは楽だったし、想定よりもハラハラした。桜井はひんやりとする足元を今一度軽く踏みしめる。やはり雲というだけあって弾力があり少しの衝撃で抜けてしまうらしい。着地の衝撃で抜けるのも無理ないだろう。
桜井は人生で初めて雲の上に立ったが、その感動を味わっている場合ではない。
「さぁ、ここまでだ金盞花。真っ逆さまになりたくなきゃ大人しく投降してもらおうか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます