序章第3節「世界の中心に立つ」

『N2セクターにあるホログラム街のパラダイススクエアにて、魔法生命体レリーフが確認されました。現地の被害状況は不明ですが、犯罪シンジケート『金盞花』のリーダーである金盞花が目撃されています。金盞花は魔具の密輸取引や魔法による犯罪を繰り返す指名手配犯です。十分に注意して臨んでください。ご武運を祈ります、先輩』

 深夜、静けさに包まれた街並みを複数の車両団が走り抜ける。セダン車、大型バイク、ワゴン車の編隊で、全てナンバープレートのない黒塗りの車両だ。先頭を走るセダン車の車内に備え付けられたスピーカーからはオペレーターの声が流れている。あどけなさが抜け切らない声が伝えるのは、彼らのもとへの通報内容。即ち、彼らは通報を受けて現場へ向かっているところだ。

 車に乗っているのは男が二人。外は雨が降っていて、今もフロントガラスをワイパーが往復している。運転席でハンドルを握る男の腕時計に反射する街灯の光から目を背けるように、助手席の男は車窓から外を見た。

 車が走っているのは、合計で八車線にもなる広々とした大通り。とはいえ深夜ということもあり、交通の量は少なく彼らの車両団以外にほとんどない。車道の両脇には等間隔に街灯が設置されているほか、カフェやレストランなどの飲食店、『魔具』取り扱いと記された工務店などが見える。そしてやはりラストリゾートの特徴的な景観であるホログラムがそれらを縁取っていた。

 しかし先へ進むに連れて、近代的な都市景観には似つかわしくない緑が目立つようになっていく。それも観葉植物や人の手で世話をされているものとは違う、明らかに無秩序に生い茂った雑草や苔の類だった。日中まで人々が往来していたにも関わらず、まるで何十年も放置された都市の如く景観。

 先頭の車に乗る二人の男も、その異質な風景に息を呑んでいた。

『目的地に到着しました。運転、お疲れ様です。もう少し安全運転を心がけましょう』

 余計な一言を加えて案内を終了するカーナビ。車両団が到着したのは通報のあった現場であるパラダイススクエアだ。

 車両団を牽引した先頭のセダン、その運転席のドアが開き男が降りようとする。

「おい」

 と、助手席に乗っていたオールバックの男が、車内のダッシュボードに置かれていたネックストラップを拾って運転席から降りた男へ投げつける。

「忘れ物だ」

 受け取った名刺には『桜井結都さくらいゆうと』と書かれており、彼は億劫そうにしながらも首からさげてベストの内側へ隠した。彼らにとっては身分証となるもので、オールバックの男も『浅垣晴人あさがきはると』と書かれた名刺ストラップをスーツの内側へ忍ばせた。

 彼らが降り立ったパラダイススクエアは多くの人々の行き交う繁華街の中心地として有名だが、今や植物が生い茂り高度な文明を侵している。それに加えて、交差点の中心地点には大破した車が炎上を続けていて、飛び散った火の粉は周囲の雑草を燃やしていた。

 車両団の内、ワゴンに乗っていたスーツ姿の男女も降りてくると周囲へ散らばる。ある者は大破した車へハンドガンを構えて進み、ある者は倒れていた男を見つけた。浅垣晴人あさがきはるとが死体に近づくと、異変に目を細めた。死体の胸や腹、足からは花が芽吹こうとしていたのだ。まるで、死体そのものを糧に植物が育っているかのように。

 死体は既に路面に根を下ろしているらしく簡単に動かせず、腕には特徴的な黄色の腕章が確認できる。

 一方の桜井結都さくらいゆうとは、路面を割って生えている真新しい雑草を見下ろしていた。彼がしゃがむと今まさに生えてきた茎が蕾をつけ一輪の花を咲かせた。驚くべき生命の神秘には感嘆せざるを得ないが、普通なら目にすることはできないこと。桜井は咲いたばかりの花を摘み、ため息を吐く。

 彼が摘んだ花は半透明の花びらを持ち、淡く紅い光を発している。ふわっと舞い散る花粉もまた、火の粉のように発光。即ち、魔力に由来する花であり本来の自然界には存在しないことを意味する。

 常識では考えられない現象──こうした超常現象に対処するのが彼らの仕事だった。

「レリーフがいたのは間違いなさそうだな」

 桜井は独り言と共に花を放った。魔法生命体レリーフ。その活動が確認される場所は、必ず不自然かつ異常な植物の繁殖が見られるのだ。

 死体を確認し終えたらしい浅垣は、独り言をする桜井へと近寄ってきた。

「死体は橙色のブローチをしていた。金盞花がいたのも間違いない」

 彼らの元へ伝えられた通報は魔法生命体レリーフの出現。また別の通報では指名手配犯である金盞花を目撃したというものもあった。

 交差点を侵食する自然と、ブローチを身に着けた男の死体。これらは通報内容のどちらも証明することができる。

 しかし、桜井は腑に落ちない様子で問いかけた。

「金盞花は素人じゃない。ヤツらがたかがレリーフでこんな騒動を起こすのか?」

 魔法生命体レリーフは魔力を依代にする厄介な存在だ。とはいえ大した知能を持っているわけでもなく、対処法さえ心得ていれば脅威でもない。それをテロリストである金盞花らが騒動に発展させるとは考えにくいのだ。テロリストの中でもプロと呼べる悪名高い金盞花に限って、レリーフなど迅速に処理されて然るべき。桜井たちの出る幕もないはず。

 浅垣も同じことを考えていたのかどうか、しばらく返事を返さなかった。ふと桜井が見上げてみると、浅垣はある一点を見つめていた。

「本人に聞いてみよう」

 桜井たちのいるパラダイススクエア。広大な交差点を賑わせるのは、立ち並ぶ多種多様なテナントに建造物。騒動があってから人の気配は全くないその中で、奥にあるアーチ状の建築物に腰を掛ける人影があった。

 彼女が誰であるかは後ろ姿だけで分かる。なぜなら、彼女の真っ赤な髪は襟足に向けて徐々に色が落ち、薄い金に近い地毛が見えるという特徴的なものだからだ。

「……」

 桜井と浅垣は顔を見合わせて合図を取ると、二人は各々の腕時計に触れる。浮かび上がったホログラムモニターから武器を選択すると、二人の手にはハンドガンが光を伴って現れた。通常のハンドガンに見えるが、彼がセーフティを外すと同時に何かが起動する電子音が鳴る。そして、銃身に通った複数のラインからまるでネオンのように青い光が漏れ出した。それは彼らエージェントに支給される装備品であり、魔力を銃弾として撃ち出す仕様を持つ対能力者用のハンドガンだ。それを構え、二人は正面の広場へ慎重に近づいていく。

 特徴的な色合いを含んだ赤い髪を雨に濡らした彼女は、地上五メートルの高さがあるアーチに座っている。ストッキングを履いた片足をアーチに乗せ、右足を真下に遊ばせているようだ。まるで、そこからの景色を眺めて寛いでいるかのように。

「『DSR』だ。大人しく投降してもらおうか」

 最初に声をかけたのは桜井だった。その一声は、自身の所属する組織を名乗り、相手に自分が何をしにきたのかを告げる宣言でもある。

「遅かったじゃない」

 宣言に対し、彼女はこちらを振り向かないままこう続けた。

「レリーフならもう行っちゃったわよ。もう少し早ければ間に合ったのにね」

 金盞花は桜井たち『DSR』が何をしにやってきたのかお見通しの口ぶりだ。彼らは魔法生命体レリーフを対処するべくやってきたのであって、自分を逮捕するためではない。そう言いたげな他人事の態度の彼女に対し、今度は浅垣が警告する。

「無駄な抵抗はよせ金盞花。上手く逃げられると思うなよ」

 浅垣の警告など気にも留めず涼しげな表情を浮かべる彼女――――金盞花は、桜井たちが所属する超常現象対策機関DSRが追い続けている指名手配犯の一人。金盞花は自身の名を冠する組織『金盞花』を率いて、殺人を含む数多くの犯罪に手を染めてきた。本来であればDSRは超常現象を専門とするが、魔法を用いたテロリストであることに限っては見過ごせないのだ。

「私にうつつを抜かしている場合かしらね。こうしている今も、アレは何かをしているというのに」

「話を逸らそうとしたところで無駄だ」

 自分が追い詰められている状況を理解しているからこそ、彼女は注意を逸らそうとしているのだろう。他のエージェントたちもやり取りに気づき始め、続々と注意を向けている。

「まったくおめでたいわね。レリーフが何を企んでいるのか知らないの?」

 言いながら、金盞花はアーチに乗せていた足を下ろす。体ごと向き直ると改めて足を組み直す。足を覆っているストッキングは所々が裂けてしまっていて、彼女が作り上げてきた戦場の悲惨さを物語るよう。スカートも破れスリットのようになっているが、裂けたストッキングから覗く素肌を気にする様子はない。

「魔法生命体に何かを企むほどの知能はない」

 キッパリと切り捨てる浅垣だったが、彼女は嘲るふうに微笑んだ。

「私もそう思っていたわ。でもね、コトはそう単純じゃないのよ」

 ふと、桜井と浅垣は金盞花の肩に注目する。肩口はビリビリに破かれていて雨に濡れてなお赤い血が滲み出ていたのだ。裾を捲って露出した左腕にまで血が滴ってきていた。

 おそらく、直前に起きていたレリーフとの戦闘で負傷したのだろう。桜井が考えていたようにあの金盞花がレリーフ如きに深手を負うのは考えにくいものの、事実として彼女は負傷している。その傷が出来た原因がなんであれ、現場から動くことができなかったほど消耗しているのは間違いない。

 桜井たちDSRの本分は超常現象ではあるが、今は目の前の指名手配犯を逮捕することが先決。桜井は浅垣と同じ考えを口にした。

「厄介な超常現象が厄介なテロリストをここまで追い詰めた。まさかとは思うけど、これより単純なことはないと思うぜ」

 金盞花は負傷していて、現場にはDSRの車両団が到着している。どこにも逃げ場のない絶望的な状況なのは、その場にいる誰が見ても明らかだった。ただ一人、当の金盞花だけを除いて。

「それはどうかしら」

 その時、パラダイススクエアの大通りで地鳴りが起きた。桜井たちのいる場所とは反対側、車両団が到着した通りの正面で異変が起きたのだ。

 アスファルトを割いて芽を出した植物が不自然に伸び、やがて人型へと成長していく。なおも成長する茎は芯のようになると四肢を伸ばし、ついには頭蓋骨に似た形へ変形する。内側から植物が芽吹いた骸骨、その美しくも恐ろしい姿。魔法生命体の誕生である。

 魔法生命体レリーフは地中に根を下ろした草木から次々と現れ、DSRエージェントたちは車両団のバリケード前へ集結。それぞれハンドガンやアサルトライフルを腕時計から喚び出して陣形を構える。

 そして何の合図もなく、植物性のレリーフたちは侵攻を始めた。

「もっとおしゃべりしていたいけど、そろそろ潮時かしら」

 大通りにてDSRエージェントたちがレリーフと交戦する最中、金盞花は組んでいた足をほどいて腰を浮かせアーチの上に立ち上がる。

 気を取られていた桜井と浅垣は慌てて振り返った。立ち上がった金盞花はどこかぎこちなく、脇腹を庇っている。どうやら肩だけでなく腰にも傷を負っていたらしい。だがそんな隙を長く晒すほど彼女は愚かではない。

 腕時計を光らせて両端に刃のついた槍を喚び出すと、怪我を感じさせないほど軽やかに飛び上がる。同時に、金盞花の腰のベルトについた花形のブローチが光ったと思うと、空中で風を纏った槍を薙ぐ。

「避けろ……!」

 浅垣が合図を出すのと、金盞花の槍から風が放たれたのはほぼ同時。風は桜井と浅垣のいる地点までを直線状に斬り裂き、あっという間に二人の地点に辿り着く。桜井と浅垣は互いに反対方向へ回避行動を取り、先ほどまで二人がいた地点を風が斬り裂く。濡れた地面で受け身を取った二人の耳に間近で風が斬れる音が聞こえ、遅れて雨粒が落ちる音が響く。

 それは、数多くの人間を文字通り八つ裂きにしてきた鎌鼬かまいたち。金盞花が得意とする魔法のひとつであり、まともに食らえば命はないだろう。

 さらに、雨の降りしきる広場に銃声が連なる。鎌鼬を避けて受け身を取った浅垣が、流れるように反撃を開始したのだ。彼が持つ対能力者用のハンドガンから紅く光る弾丸が撃ち出され、上空を飛ぶ金盞花を狙う。

「バイバーイ」

 対する金盞花は槍をバトンのように回転させることで紅い弾丸を弾きながら飛び、車両団の後方へふわりと降り立つ。そこには植物性のレリーフを迎撃するエージェントがいて、金盞花は彼に目をつける。

 金盞花の腰のベルトについた花形のブローチが再び妖しく光り、彼女はそのまま槍をバトンのように振り回す。末端の刃と地面を接触させて火花を散らすと、接点から鋭い風が生み出される。鎌鼬は軌道上の地面に生えた草花を根こそぎ刈り取りながら、男性エージェントへ到達。ヒュウ、という鋭利な音とともに粘質な音が響いた。

 銃を持っていたエージェントの腕が切断され、金盞花は風を操って奪い去る。彼女が向かったのは停めてあったDSRの大型バイク。奪った腕を掴んで指紋認証を成功させ、腕を放り捨てるとそのままバイクに跨ってパラダイススクエアから逃亡した。

 桜井と新垣が車両団へ急いで戻る頃には既にバイクは発進し、桜井がハンドガンで数回狙い撃つも弾は外れてしまった。

「逃げ足が早いな」

 あと一歩のところで、金盞花を逃した。魔法生命体レリーフの介入というイレギュラーこそあったが、想定できたはずのことだ。しかし己の迂闊さを悔いている時間はない。金盞花は現場から逃亡し、レリーフまで出現、パラダイムスクエアの緑化も進んでいる。

 切迫した事態に唇を噛んでいた桜井に対し、浅垣は即座に判断を下した。

「レリーフはコレットたちに任せてヤツを追うぞ」

 幸いというべきか、現場には他のエージェントたちがいる。DSRのエージェントであるからには当然、魔法生命体への対処も心得ている。実際、彼らはレリーフたちを的確に銃撃し倒していた。金盞花はその内の一人を不意打ちしバイクを奪って逃走した。どちらを追うべきかは明白だろう。

「喜んで」

 急足に自分達の車へ向かう浅垣を追い、桜井も車に乗り込む。今度は浅垣がハンドルを握った。

 ハンドルを握ると腕時計型のデバイスはあっという間にホログラム通信装置となり、彼らが所属する『DSR』本部へと繋がる。聞こえてきたのはまだ幼さの残る少女の声。

『目標はこちらで捕捉していますので、ナビはお任せください』

 DSR本部では、現場にいるエージェントをサポートするためのオペレーターがいる。彼女はホログラムモニターを操作し、現場を立体的かつあらゆる情報を数値化して確認しエージェントへ伝える役割を持つ。そんなオペレーターへ、浅垣は指示を出しながら車を発進させた。

蓮美はすみ、金盞花の予測逃走経路をブロックしろ」

────「了解」

 DSR本部、オペレーターの前に展開されていたホログラムの立体的なマップに、万年筆が触れる。少女の握る筆先から出た光がある区画に直線を書き加えると、マップ上に封鎖中の文字が浮かび上がった。

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