序章第2節「世界の中心に立つ」

 深夜。雨の降り頻る路肩に車が一時停止し、腰に橙色のブローチをつけた一人の男性がボンネットを開けてエンジンを点検していた。内部には青い光を放つ魔法陣が複数組み込まれており、魔法で駆動することを表している。その一部の魔法陣が明滅しているのを見つけ、男性はボンネットの裏側にあった工具を持った。工具の電源を入れてダイヤルを回すと、工具もまた青い光を放ち始める。そうしてエンジン内部の魔法陣を掴み、魔力の調節を行う。

 車内のカーステレオから流れるラジオは音声だけでなく映像付き。映像はホログラムによって空中に直接投影されていて、インタビューを受けているジャーナリストの姿が浮かんでいる。しかし運転席に座っている赤髪の女性は、全く関心を示さずに雨が打つ窓越しに外を見た。

 車が停車しているのは、パラダイススクエアと呼ばれる繁華街の交差点である。深夜ということもあって車や人の通りこそ少ないが、煌びやかなネオンとホログラムによって彩られた景観は賑やかだ。店舗の看板や道路交通の案内標識も例に漏れず、ホログラムによって記されている。それは単なる光学的な科学技術ではなく、魔力で構成されたもの。魔法という科学技術の発展によってそれらが当たり前となり、車内にいても外にいてもそれらを身近に感じることができた。

 魔法産業革命の象徴たるラストリゾートらしい景観を眺めていると、エンジンを点検していた男性が運転席側の窓を叩いてきた。濡れることを嫌って彼に点検を任せたのだが、窓を開けたら結局濡れてしまう。彼女は不機嫌にため息を吐きながら窓をほんの少しだけ開けると、男は困り顔で言った。

「さっきと同じだよ。一応直したけど、またなってもおかしくない」

 実はエンジンの不調は今回が初めてではない。今回で三度目にもなり、その度に車を停めて直していた。男が本当に直せているのかも怪しいが、四度目が起きたとしても不思議ではないだろう。

 雨に濡れる男の表情は芳しくないものの、女はさしたる問題でもなさそうに言いのけた。

「直せるなら構わないわ。その度にアンタが直せばいいだけだもの」

 隙間と呼べるほどしか開いていなかった窓もピシッと閉められ、有無を言わさない。

「埒があかねぇ」

 悪態を吐きながらも男はボンネットを閉めて助手席へ乗り込んだ。

「なぁ金盞花きんせんか、もしかして例のブツのせいなんじゃないか?」

 シートベルトを締めながら、男は後部座席に意識を向けた。

「昨日までこんなことなかったし、なんか怪しいぜ」

 後部座席には長方形のアタッシュケースが置かれていて、彼らをそれを運んでいる。彼らと取引を結んだ相手が要求した品であり、今は車で向かっているところなのだ。とはいえ中に何が入っているのか、詳しい情報は二人とも知らなかった。

 大抵の場合、魔法を使用する為の道具である『魔具』の取引を代行するため、中身が『魔具』だという推測はある。だからこそ、男は取引の品が車のエンジンになんらかの影響を与えていると考えていた。

「それならなおのこと、さっさと届けてあげましょう。取引の報酬を貰いさえすれば、面倒ごとともおさらばよ」

 男が金盞花きんせんかと呼んだ女性は、そう言いながらハンドルを握った。ラストリゾートでは悪名高いテロリストである金盞花だが、取引される品について必要以上の関心は持っていないらしい。

 取引される荷物は明け方までに届けることになっている。彼女は取引を遂行するべく車を走らせようとアクセルを踏み込んだ。

 しかし、タイヤが空回りしたように前へ進まず、覚束ない発進。明らかな異常に気づいた金盞花は、ペダルから足を外し舌打ちする。

「待った」

 その時、助手席の男がポツリと呟く。彼は不思議そうに目をキョロキョロと見回し、

「ここってこんな雑草生えてたか?」

「は?」

 金盞花は彼が何を言っているのか理解できない様子だったが、すぐに自分が置かれている状況を察する。

 彼女たちの乗る車を中心にして、周囲の地面には緑豊かな雑草が茂っていたのだ。驚いた二人はドアを開けて車から降りると、空回りしていたタイヤには蔦が絡まっていることに気づく。それだけでなく、事態は刻々と変化していた。

 舗装されたアスファルトの地面を割くほどの力強さで芽を出す草は、周囲一帯へ瞬く間に広がっていく。草木の成長する映像を何倍速にもしたような光景は、金盞花たちだけでなく道行く通行人たちも慄かせていた。

「……いったい全体何だってんだ……?」

 驚異的な速度で成長する植物はもはや超常現象と呼べるほどで、何が起きているのか理解が追いつかない。人々が呆気に取られて立ち尽くすパラダイススクエア、その交差点の中心地点でさらに目を見張るような現象が起きた。

 淡い光を帯びた雨雲から降っていた雨粒は均等に降るもの。そのはずが、雨粒は地面へ落ちるよりも前に一箇所へ集まっていく。吸い寄せられるかのように交差点の中心へ集うと、雨粒はいくつかの水球を作り出す。そして何かを形作り始め、数秒の内にそれが膝を抱えた骸骨の姿だと、大半の人々は気づいた。

 半透明な水でできた骸骨は、全身に紫色の光を芯を持っている。まるで人の神経や血管にも見える構造は、暗に生命体であることを示唆していた。そうしてゆっくりと手足を伸ばして地面に降り立つ謎の生命体。

 紛れもない超常現象を前に通行人たちは後退りして逃げ出すが、金盞花たちだけは違った。

「レリーフか。この忙しい時に」

 男が言うように、目の前で起きた現象は魔法生命体レリーフと呼ばれている。世界に魔力がもたらされたことで、魔力に所以する未知の生命体が現れるようになった。それが、目の前のレリーフである。

「魔具の匂いに釣られて来たのね。本っ当にめんどくさい」

 魔具を運ぶことの多いテロリストである金盞花たちにとって、レリーフとの遭遇は珍しいものではない。魔法生命体というだけあってか、強い魔力には反応を示しこうして姿を現す。そのことをよく知っていたからこそ、金盞花はどう対処すべきかも弁えていた。

「さっさと片付けるわよ」

 金盞花は右手の腕時計に触れると浮かび上がったホログラムを掴む。すると瞬く間に長い槍が生成され、彼女の愛用する武器を引き出した。自身の身長にも及ぶ長い槍は、中心の柄から両端に向けて鋭い刃が伸びている。普段は腕時計型の魔具に収納し、使用する時に魔力によって物体を構築する。魔法のカバンにも用いられる一般的な技術で、隣にいた男もハンドガンを喚び出していた。

 生まれたばかりのレリーフは、肉体を水によって構築している。それだけでは危険ではないかもしれないが、レリーフの全身には魔力の神経が通っていて、人間に危害を加えようとする意思を持つ。もちろん対話できる知能は持ち合わせていないし、金盞花たちにできることは一つだけだった。

 彼女はその場で槍を回転させると両端の刃でアスファルトの地面を切り付ける。同時に風を纏った槍から鋭い風圧が放たれ、対峙するレリーフたちへ襲いかかった。風は全てを切り裂く鎌鼬かまいたちとなってレリーフの内の一体を切り刻み、微細な水飛沫へと還していく。

 残ったレリーフは宙に浮遊しながら距離を詰めるが、金盞花も自ら前へ踏み込む。歩きながら鎌鼬を生み出して二体目のレリーフを迎撃するが、半身だけを微塵切りにするに留まる。半身を犠牲に鎌鼬を躱したレリーフは金盞花の隙に腕を伸ばす。水でできた腕から魔力の管が伸び、金盞花を貫こうとして。

 それに反応した彼女は槍を支えにして足を浮かして避けると、槍を中央から分割して片側の刃で魔力の管を切断。管は霧散しレリーフ本体も体を維持できずに崩壊した。

 金盞花は再び槍を連結させ、周囲を見回す。仲間の男もハンドガンを使って別方向から来たレリーフを仕留めていた。次々とレリーフを撃破し順調そうに見えるが、魔法生命体という特性ゆえ無尽蔵に湧き出てくる。彼女たちがいる場所がパラダイススクエアということもあって、このまま戦っていては大きな騒動に発展してしまう。金盞花は指名手配犯であるため、目立つことは避けるのが無難だ。

 その時、金盞花は続けて現れたレリーフを視界に収めた。それは金盞花たちには目もくれず、彼女たちの車を見て首を傾げていた。車内には取引に使われる品が置かれている。レリーフの狙いが品であることは明白であるし、金盞花も取引品を守る為に戦っている。だが肝心なことを知らない。取引に用いられるその品が何であるか。レリーフが見つめる先、車内のアタッシュケースが何かに反応して震え出していることも知らず。

 ただレリーフは水の腕を掲げて指を開く。その手の中にあるべきものを掴もうとして。

 次の瞬間、車内のアタッシュケースから黄金の魔剣が飛び出し、車のフロントを真っ二つに裂いてレリーフの元へ引き寄せられた。金盞花がそれに驚く間もなく、大破した車を中心に大規模な爆発が起きた。

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