くらげ
ぺちん、ぺちん! うちわの軸に夜墨の爪が当たって、まるく高い音が響く。
私が団扇をあおいでいると、夜墨が目をまんまるくして手を出してくるようになった。おかげで団扇は穴だらけだ。
月末にある夏祭りの日程がプリントしてある団扇だった。このデジタル極まる街でこんな原始的な宣伝方法があるかと思ったけど、こうして空調を絞られてしまうと、配られた団扇を使う人も少なくないだろう。今の私みたいに。
夏祭りと言っても大したことはしない。稼働前に下っ端の間で交流をする一環みたいだ。屋台が出て、盆踊りがあって、ビンゴ大会がある。主催は役所と電力会社だ。
下っ端の誰もが裏方で参加者。私もなにかするのだろうけど、まだなにも聞かされていない。盆踊りは嫌だな。
ぺちん!
ひときわ高い音がして、手を止める。いい加減やめないと、夜墨が爪を引っ掛けて怪我をする。
テレビをつけて、夜墨が追いかけそうな映像を探した。金魚は飽きたみたいだけど、涼しい気分にはなりたいから水ものがいい。
くらげにした。
ふよふよ、透明な丸と細い触手がひらひらとして、夜墨が食いついた。尻尾を振りながら液晶をつつく。たたく。
ホロ装置もシステムにオフにされている。
やっちゃんはかわいいなあ、と思いながら団扇をあおいだ。
夜墨はなかなかくらげに飽きない。ホロでもないのに。
「やっちゃん、くらげ、見にいこっか」
声をかけても無視された。手早く用意をして、後ろから抱き上げ、ケージに押し込んだ。
街の中央に、水素発電のPR施設がある。クリーンなイメージのために水槽がいくつかあって、珊瑚とかくらげとかが飼育されているらしい。金魚はいないみたいだけど、一度行ってみたいと思っていたのだ。
ケージを背負って自転車で十五分。PR施設はがらがらだった。
入場無料、水槽とパネルを展示しているだけで職員もおらず、注意事項を隅々まで探してみてもペット入場不可とは書いていない。
「やっちゃん、しーだよ。見つかったら怒られちゃうかもだ」
水槽の向かいの壁に水素発電の説明パネルがかかっている。照明はパネルを照らし、水槽は水槽側から照らされていて、足元を照らす申し訳ばかりの照明がある。見るものは見えるけど、全体的に暗い室内だった。
室内は水槽を照らす照明であお暗い。落とし物をしても見つけられなさそうだ。
私は周りをきょろきょろして、誰もいないのを確認してから夜墨を取り出した。ケージを開けてもなかなか出てこなくて、私が焦って夜墨を抱き上げると、なんの抵抗もなく腕の中に収まった。
「ほら、やっちゃん本物だよ」
水槽の間近まで行くと、水槽の中で丸まり広がりを繰り返しているくらげは夜墨の頭の二回り大きかった。私の太ももに夜墨の尻尾がふっさふっさ当たってくすぐったい。夜墨が目をまん丸にしてくらげを追いかけているのが、水槽に反射して見えた。
ぶうー。
夜墨の鼻息が響く。何度も水槽を叩いてかぶりつきだ。
「すごいよねえ、やっちゃん」
水素発電が実用化したからこそ、この街を作ることができたのだ。
風力と太陽光発電で電力に余剰が生じたとき、水を電解し、生じた水素をタンクに貯めておく。風力と太陽光発電の発電量が足りなくなったとき、この水素で発電機を回して発電する仕組みだった。この水槽用の水が発電に使われているわけではないけど、水というものがとてもありがたいもののような、うまく使うことのできる自分たちが誇らしいような気がしてくる。
腕の中の猫を撫でる。夜墨は水槽に鼻先をくっつけ、ぺろぺろ、結露を舐めている。
「こーら、食べ物じゃないの」
猫の頭を抑えると、ぶう。また大きな鼻息が響いた。
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