団扇
激しく蒸し暑い日だった。
研修施設まで自転車で十分もかからないのに、背中が汗でびっしょりになった。服が汗でずっしり重くなるくらいに。このまま冷房の効いた部屋に入ったら風邪をひいてしまう。
と、思っていたけど、実習室の冷房は息も絶え絶えだった。ごくごくたまに冷たい風が額を掠めていく。あとは微かに風を感じることができるくらいで、外よりはましだ。
絶縁手袋の中で手が汗で滑る。これくらいのきつさで根を上げちゃダメだ。電気設備保守の仕事は暑い時も寒い時も、汗ばんでいる時も指先がかじかんでいる時もある。この仕事はきついし汚いし臭い仕事だ。それでもやりたいと思った。父に憧れていたから。父のようになりたいと思っているから。
どこの電源にも繋がっていない配電設備の検査を一通りするだけでくたくたになった。事故が起こりっこない条件で、何度も事故を起こしかけた。
橙色をした帰り道が異様に長くて、身体がすごく重たかった。
家に着いたら部屋の中は涼しいはず。ペットの登録をしたから、丸一日空調を効かせても良いことになったのだ。これで夜墨も窓辺以外の場所でごろごろするようになる。膝の上に乗ってくれるのも近い。と思う。
帰ってみると、夜墨はキッチンの床で伸びていた。黒い毛虫みたいになっている。
「ただいま、やっちゃん。すずし……暑いねえ」
猫のお腹だか背中だかを撫でると、猫は身を捩って、逃げないのをいいことに撫で続けていると、くねくねしながら立ち上がって歩いていってしまう。
夜墨がいつもの場所で恨めしげに見てくる。尻尾が不機嫌にパンパン音を立てた。
「はいはいごめんね。なんで空調効いてないの、やっちゃん?」
窓を開けてあげると、夜墨は開けた分を塞ぐように座る。当然私には答えない。
空調のスイッチはオフになっている。表示を見るに、システムから強制オフにされたらしい。
こんな外気温で空調をオフにすることなんてある?
街中の電力供給網を表示する。配給されている詳しい電力量までは表示されないけど、発電量と配電されている総量は見ることができる。これもエネルギーの無駄を省く生活を住民に意識づけるためのものだ。
太陽光発電はうまくいっているようだが、うまく配電されていないようだった。本格稼働前だから配電システムが不具合を起こしているのかもしれない。でも、街の中心部には電力はちゃんと供給されている。
今日は風が弱いから風力発電量が足りないのだろう。こういう時でも快適に過ごせるよう、うまく配電するのが統合管理人工知能の役目だっていうのに。
日が落ちたら少しは涼しくなる。研修施設でもらった団扇をあおいで、夜墨が飽きもせず眺めている窓の外を一緒になって眺めた。
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