「今はトイレかあ」

 夜中になんだか冷たいなあと思って目が覚めた。視線を感じてどきどきして目だけで見ると、猫のきいろい目と目が合った。窓辺でちょっと上から見下ろしている。四時。

「さっきテレビで見たじゃん、トイレはこうやるんだよって。あの時はちゃんとできたじゃーん」

 テレビの真ん前に私お手製トイレが鎮座している。外から入ってくる灯りで薄明るい。細切れにした紙が散乱していた。寝る前に補充したのに。

「……足りなかったんだね、ごめんね」

 撫でようとして、猫を見失った。きいろい眼を見つけて手を伸ばすと、もふもふとした毛に触れた。

「墨の染みみたいだと思ったけど、夜の色でもあるんだね」

 黄昏に夜が染み出してきた染み、なんて感じるのが不思議だ。

 夜と墨と染み、夕方、黄昏、きんいろ。全部が繋がるような名前はなんだろう。ぼんやり考えながら猫のトイレの中身を補充し、寝て起きてやっとすとんとおさまる言葉が出てきた。

「猫ちゃん、君の名前はやぼくだよ。夜に墨で、やぼく」

 猫はどろどろのオートミールから顔を上げた。口の周りがべしょべしょに濡れていて、オートミールが引っかかっている。

 ウウウ、喉の奥が唸っている。

「やぼく、やっちゃん、ぼくちゃーん」

 猫あらため夜墨は首を傾げた。名前なんて呼び続けて覚えるものだろうから、これといった反応を期待していたわけではなかった。

「猫ちゃん、やぼく」

 夜墨がじっと見つめてくる。返事をするでもなく。

「君、ちょっと変わった猫だね。おとなしくて賢いとは思ってたけど」

 頭を撫でると、夜墨は上目遣いに見ながら食事へ戻った。

 猫ってこういう生き物だったろうか。昨日検索しただけじゃやっぱり不足だった。「猫 飼い方」で検索して、ホログラムを眺める。猫が鳴くのはこちらの声を聞いていてコミュニケーションを取るためだそうだ。にゃん、んなあ、みい。夜墨が鳴かないのは、私に伝えたいことがないからなのかもしれない。

 別にまだ飼えると決まったわけじゃない。今は預かっているだけ。でも猫ちゃんじゃなんとも他人行儀だから名前を一応付けてみただけ。だから別に反応してくれないからって気に病む必要はない。全然ない。

ホログラムの猫たちが声を上げて取っ組み合い始めた。夜墨がオートミールを撒き散らしながらすっ飛んできて、床をすべる。

「ええ……やっちゃん……」

「んなっ!」

 夜墨がうみゃうみゃ弁明めいた声を上げたけど、私は笑いが止まらなかった。

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