<第四章:アムネジア> 【04】


【04】


 日々は穏やかに過ぎて行く。

 フィロのお腹は日に日に大きくなり、母子ともに健康らしい。

 逆に俺は不調だ。

 物忘れが酷く、記憶が長く続かない。体が重く、寝ても休んでも疲労感が消えない。幸せなはずなのに、気分が落ち込んでいる。原因不明の痛みに襲われる時もあった。それに夢見が悪い。

 ずっと同じ悪夢に悩まされている。

 何もない荒野で、ゆっくりと乾いて死んで行く夢。

 おかげで不眠症だ。

 長い夜は更に気が滅入る。

 そういう時は、フィロを起こさないようベッドを出て、折れた剣を振っていた。

 2、3回の素振りで息が切れるほど疲れる。

 長く休憩を入れて次の素振り。

 慣れないことに体が悲鳴を上げる。

 こんなことをしていたら余計不調になるだろう。

 けれども、止められない。

 何日かそんな夜を過ごしていると、手の皮が剥けて血が流れた。爪の幾つかが剥がれた。左手の小指の筋が切れた。足腰が痛み、歩くことすら痛みを伴うようになる。

 不調が絶不調になった。

 痛みに耐えて、穏やかな日々を過ごしていた。

 何をしているのか自分でもよくわからない。

 だが、剣を振り下ろす度に忘れた何かが蘇る気がした。遠い日の憧憬に近付いている気がした。例え勘違いだとしても、眠れぬ夜は変わりない。

 剣を振る。

 夜通し、何もない家の地下で、痛みと疲労で気絶するまで剣を振るった。

 ある日、光が見えた気がした。

 白刃とも違う無明の中で閃くもの。

 その日から、少し体が軽くなった。素振りが早くなった。ただの成長だと思う。

 相変わらず、夜は眠れず眠れても悪夢を見る。

 だとしても、剣を振る度に進んでいる。

 きっと全部、子供が産まれて来る前の現実逃避だ。もうすぐ父親になることが信じられない。いや、こんな体調不良じゃ子供の面倒をみられないだろう。

 無理にでも休むのが正解だ。

 どうやって休めばいいのかわからないけど。

「ねぇ」

「悪い。起こしたか」

 地下室の暗がりにフィロがいた。

 濃い影のせいで、別人のように見える。

 俺は、背後の階段を見た。

 フィロが降りてくるのに気付いていなかったようだ。

「これ、忘れ物」

「ん?」

 フィロは、一冊の本を床に置く。

 妙に気になり、よろよろと歩いてそれを手に取った。

 知らない男の私小説だった。

 ペラペラとページを捲る。

 男は、1人で10年も冒険者をやっていた。同じ場所で、同じ敵に、何度も何度も敗北して命を削っている。

 馬鹿みたいな人生である。

 要領が悪いにもほどがある。そもそも、冒険者に向いてもいない。運も悪い。適当に諦めて別の生き方を選べばよかった。

 俺ならそうする。

 俺なら――――――

「ほう、また繋がったか」

 いつの間にかフィロはいなくなっていた。代わりに、鎖に繋がれた大きな獣がいた。

「お前」

 今の今まで忘れていたが、こいつとは会ったことがある。

「1つ話をしてやろう。妾の話じゃ」

「なんで?」

 急に。

「知ることは繋がりだ。例えそれが、好き勝手広めた神の物語であっても」

「いや、知らんが」

「聞け」

 獣の鎖が俺の足首に巻き付く。

 これでは逃げられない。

「妾は、人類最初の【竜殺し】の胎から産まれた」

「………………」

 興味はないのに、妙に引っ掛かる。

「妾は、美しく才能に溢れる武人だった。その剣は鋼を絶ち、槍は人馬をもろとも貫く、斧は一夜で森を切り開き、弓から放たれた矢は山を越えてネズミの目を射抜く。音に聞こえた武門、ヴェルスヴェインの中でも、武人の中の武人と謳われた女。それが妾だ。あと、モテた」

「へー、凄いなー」

 ただの自慢話だ。

 興味がなくなる。

「妾には妹がいた。これがまあ、不出来な妹で。哀れなことに体格に恵まれず、顔も幼稚。武の才能も弓意外は凡人以下。褒められるのは乳のデカさくらいだ。そう思っていたのだが、愚直に鍛え上げていた弓の腕が、ある日開花した。神の域に達したと言っていい。正直、いまだに納得いかん。あれはどこかの神のペテンだ。どう考えても妾の方が才能に溢れている。神が微笑むなら、妾の方だろうが」

「あ、はい」

 いるよなぁ、ものの“触り”だけ上手く行って、才能があると勘違いする奴。そして、本物に追い抜かれて被害者ぶったり、やさぐれたりすると。

「あと、何故か妹には人望もあった。男も女も選り取り見取りだ。意味がわからない。確かに弓の腕は人外だ。稀代の才能といっていい。しかし、弓だけの女だよ? 全体的に見れば、妾の方が絶対凄い。凄い美人だし」

「そうか」

 こういう卑屈な人間の所に人は集まらない。

 あ、なんか嫌なシンパシーを覚えた。

「嫌な予感がしたのは、愛用していた砥石が割れた時だ。縦に真っ二つだ。縦に」

「その情報いるか?」

「大事になところだろうが! 愛用品が壊れるのは不吉の予兆なんだぞ!」

「知らんがな」

 むしろ俺は、剣が折れたことで出会いがあった。

 ………あったよな?

「予感は的中した。なんと、母は妹を後継者に選んだのだ。いくら弓の腕が良いとはいえ、他が凡人以下。そんなのが長となったら、我らの武門は終わる。妾は強く反対した。妹が如何に愚劣か一晩中語り続けた。そうしたら、半殺しにされた。妾の人生で、あれほどの屈辱はない。腹が立ったので、母の殺した竜の遺骸を食って妾は旅立った」

「食った? は?」

 いきなり話がとんでもない方向に行った。

「なんか勘違いしているようだが、竜を丸ごと食ったわけではないぞ? 妾はどんだけ大喰らいなのだ」

「どういうことだ?」

「竜は不滅の生き物だ。死した後も、体は朽ちず鉱物のような形で残り続ける。だが唯一、揺らぎ変わり続けるものがあるのだ。核と呼ぶべきか、魂と呼ぶべきか、正しい呼び方はわからぬが、妾には昔からそれが“見えた”。ので、取り出して食った」

「………いや、なんでそうなる」

 行動が支離滅裂だ。

「母の人生と呼べる成果物を穢したかった。もしくは自棄? うーむ、ショックを受けていたし、何分昔のこと故、思い出せん」

 母親に構って欲しい子供の悪戯にしては、やってることが滅茶苦茶だ。

「ちなみに、速攻で妹が殺しに来た。遠くからチクチクチクチクと蜂を飛ばすように矢を撃ってくる。酷い時には三日三晩、野原が矢で埋め尽くされるほどに」

「それで死んだと」

「竜を喰らった妾が、矢如きで死ぬわけがない。ただ、死ぬほど痛かったので逃げた。どこまでも逃げて逃げて、時には諸王の食客として隠れ、子を産み落としたりもした。安住の地は中々見つからず。大陸を踏破し、海を2つ越え、最後に辿り着いたのは、【々の尖塔】」

「ここか?」

「違う。今の貴様に言っても無駄だが、ここではない。本物のダンジョンのことだ」

「意味がわからん」

 同じ名前のダンジョンがあるのか?

「妾はダンジョンの奥底に逃げた。そこで、人知とは異なる怪物の助力を得た。妾はようやく反撃に出た。そして………………まあ、結果は語るまい」

「負けたんだろ?」

 知らんが、たぶん妹の方が強い。

「うるさいなぁ」

「喋り出したのはお前だろうが」

 てか、なんだこれ?

 変な状況だ。

「おっ」

 獣が鎖を揺すると、幾つかがボロリと塵になる。

「やはりな。繋がりが深くなり、妾の戒めが解けだした」

「………………」

 こいつは危険だ。

 危険なのはわかっているのだが、どうしてか危機感が散る。むしろ、こいつをもっと自由にしなければならないと心が騒ぐ。

「ああそうそう、1つ言い忘れたことがある。この悪夢の主な。たぶん、妾の子の1人だ」

「はぁ?」

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