<第四章:アムネジア> 【03】
【03】
どこかで聞いたことのある名前だった。
どこで聞いたのかは思い出せない。
それはそうと、
「どうにかするべきだな」
俺が。
今のフィロに無理なことはさせたくない。戦うなんてもってのほか。知らせるのも母体に悪いだろう。
人通りの少ない大通りを歩きながら考える。
口の堅い誰かを雇うのが最良だ。もしくは、俺1人だけで処理するのが良い。やれないことはないだろう。
妙な自信がある。
だが先ず情報だ。
目的地の酒場に到着。
街で一番大きく繁盛している酒場は、
「………………」
閑古鳥だ。
客が一人もいなかった。マスターが1人でコップを磨いている。
前からこうだっけ? こうだった気もする。
「聞きたいことがある」
「なんだ?」
「ロラという奴を知らないか?」
「西の外壁近くに家がある」
「どんな奴だ?」
「行けばわかる」
「そりゃどうも」
妙に話が早い。
「使いな」
マスターは、カウンターに鞘に収まった剣を置く。
この国でよく見るロングソード。フィロの使っている物と同じだ。
「俺は剣なんて………いや、借りておく」
使えないが、素手よりもマシか。
剣を腰のベルトに差す。思ったよりも軽い。体の一部のように馴染む。
武装したせいか、気持ちが強くなって酒場を出た。
西の外壁に向かう。
街は静かだ。
とても静かで眠っているかのようだ。
道には人影はなく昼間だというのに………昼間? 今って昼間だっけ? 家でのんびり過ごしすぎたせいで時間の感覚が狂っている。
空はまだ青く日も高い。
「………………?」
違う。
紅く夕陽が出ていた。
買い物が済んでいないのに、日が暮れる寸前とは。
困ったな。
続きは明日にして今日は家に帰るべきか? 今のフィロを1人にしたくない。本当は帰るべきなのだが、俺は進んでしまう。
剣が微かに鳴いている。
静寂の中、
歩みが急く。
殺意が湧く。
心臓が響く。
西の外壁に到着した。
そこには、切り取ったかのように小さい家があった。
不思議なことに、その家の敷地内には浅く雪が降り積もっていた。
建築様式も違う。
木造で、藁が敷き詰められた大きな屋根が地面にまで伸びている。
家の敷地に足を踏み入れると、冷たく厳しい冬の風を感じた。
家の裏手から子供の声がする。
妙な、酷く妙な気配を感じた。
脅かして警戒されないように、足音を立てて歩く。
家の裏手を覗く。
女と子供が2人いた。
母親らしきウサギの獣人は、ランシールのような銀髪であり、小柄だが歴戦の戦士を思わせる佇まいとしている。
子供の1人は、女の子で5、6歳だろう。母親と同じで銀髪とウサギ獣耳を持つ。
もう1人の子供は、男の子で歳は女の子と同じく、そして………なんだこれは?
黒い炎に似た長髪。狼に似た獣耳、大きな尻尾。だが、“似ている”だけだ。獣でも獣人でも人でもないモノが、子供の姿でそこにいる。無機質で彫像にも思える母と女児の側に立っている。
「すまない。少し聞きたいことがある」
油断させるために声をかけた。
聞かなくてもわかる。この黒髪のガキが、ロラだ。
「2人とも家に入っていなさい」
母親が、守るように子供の前に立つ。
「母上、妹と一緒に家に。これは僕の客だ」
ガキが、母親を押し退け前に出てきた。
「ついてこい」
歩き出したガキに俺は続く。
目の前には、荒涼とした景色が広がる。
どこまでも続く薄っすらと白い平原は、木の一本も生えておらず緑の気配すらない。空はどんよりの雲に覆われ、今にでも雪が降りそうだ。
変わらない景色をしばらく歩いた後、ガキは大きな石に腰掛け、魔獣のような眼光で俺を睨み付けた。
「貴様はなんだ?」
「お前がロラで間違いないな?」
「如何にもだ。で、貴様は?」
声音は子供だが、口調は“らしく”ない。
「俺は――――――」
正直に殺しに来たと言うのも馬鹿だ。
しかし、姿が子供ではやりにくい。待て。そも、殺すべきなのか? あの化け物が適当言ってるだけの可能性も高い。不確かなことが多すぎる。
考えながら、俺は口を開く。
「お前が世界を壊すと聞いた」
「ん? それはそうだが、なんだ?」
「なんだ、って」
当たり前のように子供が返し、首を傾げた。
「貴様、シュナの手の者ではないのか? こんな所まで僕を追って来るのは、奴の配下くらいだと思ったが」
「シュナ?」
聞いたことがある。
確か、有名な将軍の名前だ。何故にこいつからその名前が?
「おかしな奴だ。ここは生きる墓場だぞ。生を望む者が訪れる場所ではない。なのに、貴様にはまだ活力がある」
「墓場? いや、そういうお前こそなんでここに?」
根本的な疑問だ。
「うろ覚えだった母のお伽噺を聞くためだ。もう1人の―――なんで貴様に話さねばならんのだ」
「そりゃそうだな」
疑問に思った理由がわからない。
「ッ」
急な立ち眩みに襲われ、ふと子供の影が目に入る。
雲に閉ざされた薄暗い光の中でも、色濃く浮かぶ巨大な影。さっき出会った化け物と同じ四足獣。いや、あれよりも二回りは大きい。
人間ではない。
そう認識した途端、体が羽根のように軽くなる。
剣を引き抜き、横薙ぎで振るう。
驚くほど自然で素早く、思考が疑問を挟む余地すらない一撃。
刃は子供の首を刈った。
澄んだ音色。
手にした剣の重さが変わる。視界の端、折れた刃が地面に突き刺さった。
「悪くない」
子供は、血の付いた片手を振る。
冗談。
素手の一撃で刃をへし折った?
「暇ができたら遊んでやる。それまでは、邪魔をするな。去ね」
見えない力に弾き飛ばされる。
両足が地面から離れ、空から落とされた時と同じ浮遊感を体験する。
石畳を転がり、民家の壁にぶつかって止まる。
周囲には石と木の家。
夕暮れの街だ。
「………あれ?」
俺、何をしていたんだっけ?
手には折れた剣がある。
既視感を覚えた。剣など持ったことはないのに、不思議だ。
捨てる気になれず、折れた剣を鞘に収めた。
てか、腰に鞘もあるじゃないか。いつの間に装備したんだ?
物忘れが酷い。
十代でボケるのは流石に早すぎだろう。
「あ?」
いや、二十後半だろ俺は。あれ? 十代だっけ? んん? 今幾つだっけ?
他にも沢山忘れている気がする。
座り込んで考える。
大事なことだったはず。どこかで誰かが………そうだ。路地裏だ。
路地裏で誰かと会った。
それで、この外壁まで来た。
来てどうなったかは記憶にない。転んで記憶を失った? たぶん、そんなとこだ。
もう一度路地裏に行こう。そこで何かがわかるはず。
「もう! こんなとこで何をしてるの!」
「フィロ」
フィロが現れた。
「帰りが遅いから迎えに来たよ。さ、帰ろう」
「遅かったか」
「遅かったよ。ほらもう、日が落ちてる」
街は夜闇だ。
恐ろしいほど暗く。魔物の住処のよう。
こんな所にフィロは置けない。
「帰ろう」
「だね。帰ろう」
我が家に。
手を繋いで。
一度だけ振り返るが、ただ闇があるだけ。他に何もない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます