<第三章:死と幻の島へ> 【08】


【08】


 薄闇の中で揺れに揺られて、激しい波音と悪環境で寝ても起こされ、しかしいつの間にか意識を失っていた。体力の限界だったようだ。

 気付くと波の音が静かだ。

 まさか海のど真ん中に捨てられたのでは? ランシールを信用して良かったのか? 知らん魚人に命を預けてよかったのか? 何もかも急いて決めすぎだったのでは? 色んな思考が巡り、ある言葉を思い出す。


『英雄には死んでもらいものよ』


 これを言ったのはランシールだ。

 偽の身分証明書は、俺を信用させるための小道具だろう。

 しくじったか。

 樽に詰められて海の藻屑とは、中々笑えない最後である。

 泳いで帰れるか? 多少泳げるとしても、ここがどこかもわからない。

 足元に衝撃。樽の底に何かが当たる。

「ついたぞ」

 蓋が開き、魚人が覗き込んでくる。

 どうやら、到着したようだ。

 樽から出て周囲を見回す。

 黒い世界だ。

 ごつごつした黒い岩と、それに付着した苔。そんな景色が地平線まで広がっている。

 人工物はおろか生物の痕跡すらない。

 生物が生まれる前の、原初の世界を見ているようだ。

「ここが、ヒームの言う『死と幻の島』だ。魚人の間では禁足地として恐れられている。たまに人攫い共の船が停泊しているが、何をしているかは知らん。迎えは三日後、この場所に寄越す。じゃあな」

 魚人は、樽を置いて海に消えた。

 念のためバックパックを確認。食料は節約すれば三日は持つ。水は不安だが、苔があるということは真水があるかもしれない。川か、雨溜まりがあると期待して進むしかない。

「って」

 どこに?

 本に書かれている内容とまるで違う。どこまでも岩と苔しかない。樽が唯一の人工物であり目印。これを見失ったら確実に迷うだろう。

 まあ、これでも冒険者だ。

 バックパックから小袋を取り出す。中身は、色の付いた小石。翔光石の欠片なのだが、流石に【々の尖塔】から遠く離れたここじゃ光も熱も発しない。だが、目印にはなる。

 小石を落としながら進み始めた。

 とりあえず真っ直ぐ。あてもなく。

 足場はかなり悪い。

 平面に見える地形だが、歩けばデコボコで、岩は鋭利で靴底に刺さる。このダンジョン用の鉄板が仕込んであるブーツでなければ、半日も持たないだろう。

 小一時間歩いただけで、足首が痛み出した。

 不整地の歩行は慣れていない。合わせて、首に下げた容器の色は無色。そう、再生点がない。冒険者最大の利点がダンジョンを離れた今、作用していない。

 当たり前だが、傷を負ったら治すのに時間がいる。致命傷を負ったら死ぬ。スタミナも普段の半分、いや三分の一程度か。

 ダンジョンから離れた冒険者はこんなものか。英雄と呼ばれるほど、今の俺が強いのか疑問だ。

 歩けども歩けども、景色は変わらない。

 岩と苔。苔と岩。空が青いのが唯一の救い。

 風が乾いて冷たい。なのに、体は熱く水分を求めている。水筒の水を節約してチマチマと飲む。腰を降ろして休憩したいが、この岩の上に座りたくない。

 何か別の景色はないかと歩き続ける。

 幸運なことに川を見つけた。

 水分を補給しながら川沿いを歩く。どこまでも歩き続ける。

 何も考えず、考えられず、ただただ歩く。


 ………………………………………………

 ………………………………

 ………………

 ………


 日が暮れた。


 夜になった。


 闇の中を歩き続けると光が見えた。


 朝が来た。


 休まず歩く。


 また日が暮れ、夜が明ける。


 太陽と月が交互に現れる。


 疲労困憊のはずだ。足の関節が軋んでいる。熱く汗も乾いた。喉が渇く、腹も減った。なのに休むことなく歩き続けることができた。

 あれ?

 どうやれば休めるんだっけ?

 体は重い。

 荷物が重い。

 手にした槍が重い。

 腰に帯びた短剣が重い。

 一番重いのは、バックパックに挿した剣だ。

 大量の死体を担いでいるかのよう。しかも、人間の死体じゃない。蜘蛛の化け物、いや竜? 大きくて邪魔でしかたない。

 槍を捨てた。

 少し歩くのが楽になった。

 短剣を捨てた。

 少し歩みが軽くなった。

 バックパックを捨てるも、何故か剣が背中に張り付いたまま。一番重いものが離れない。

 仕方なく歩く。

 どこまでも黒い大地を歩き続け、やがて周囲が霧に包まれる。

 乳白色で何も見えない。

 歩いているのかもわからない。霧の中に漂っているかのよう。

 それでも進み。

 たぶん、進み。

 限界が来て倒れた。

 長い泥の中の静寂――――――10年、もしかしたら100年以上意識を失っていた。

 気付くと、

 あるいは目覚めると、

 どこかで見た天井が目に入る。

 背には藁の束、傍には女の息遣い。

「君さぁ、ボクが見てないとすぐ死にかけるよね?」

「………………!?」

「まず、最初に会った時でしょ、次は冒険者やるの断った後、次が最初にダンジョン潜った時、綺麗に豚にはねられたよね。ダンジョン内でボクが用足し行った時も、戻ってきたらチョチョに群がられていた。飯屋の喧嘩に巻き込まれて、飛んできた机に潰されたこともあったね。はい、そして今日よ。帰りが遅いから探しに行ってみれば、水路で沈んでたって親切な魚人に引きずられていた。君さぁ、なんか呪いでもかけられてるんじゃないの?」

「………………嘘だろ」

「ん?」

 思わず、赤毛の少女に抱き着く。

 薄い胸に顔を埋めて、声を上げず泣く。

「………どうしたの?」

 フィロは、不思議そうに俺の頭を撫でていた。

「長い夢を見ていた」

 長い旅路の思い出せない夢を。

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