<第三章:死と幻の島へ> 【06】


【06】


 竜の姿は、家を出てすぐ見付けられた。

 赤い竜だ。

 堂々と立つ二つの足、蠢く歯、口から洩れる炎。一睨みで弱小の生物を殺しかねない瞳。威圧的に広げた翼は、街に大きな影を落としている。

 黒鱗公よりも二回りは大きい。

 そんな巨大なものが、目抜き通りの中心に降り立っていた。

 街は怪獣映画さながらの大騒ぎだ。逃げ惑う人々と、武器を手に駆ける冒険者が行き交う。

「まず私たちが話します。フィロさんは隠れていてくださいまし! 下手に刺激したら街が火の海ですわ! くれぐれも、早まった真似はしないように!」

「わかった」

 目隠し女を担いだハティと離れる。

 俺は跳んで、民家の屋根に着地した。同じように屋根に待機している冒険者が見える。飛竜との戦闘経験がある者たちだろう。

 飛翔する敵との戦いは、視界を広くしないと話にならない。襲われるリスクもあるが、その程度は冒険者なら覚悟している。

 気配を消し、静かに跳びながら竜に近付く。

 眼下では衛兵による避難誘導が行われていた。混乱はありつつも、ダンジョンに向かう列ができている。

 衛兵の動きが迅速だ。竜と戦争するというランシールの言葉、冗談ではなさそうだ。

 ハティの声が届く位置に移動。

 屋根の物陰に隠れ、竜と聖女を覗き見る。

「赤鱗公シグトゥーン様!」

 ハティの声が響く。

 まだ避難は完了していない。周囲に人の気配は多い。どっちに転がるにしても、時間は稼いでもらわないと犠牲が出る。

「その御姿での現れは、威嚇行為に他なりません! どうかお心を鎮め、まず話し合いの席に着き――――――」

 風が吹いた。

 この街全てを揺らす強風だ。竜の羽ばたき1つでこれ。本格的に暴れ出したら、どんな被害になることやら。

 竜が、唸りながら声を上げる。

「我が子、オズリックに何があった? 18年、1日として途絶えることのなかった文が来なかった。言え聖女、何があった!?」

 声だけで人が殺せそうだ。

 聖女2人は毅然としている。

「彼は今」

「黙れ、文折。答えよ、黄昏」

 目隠し女は、遠目からでも焦っているのがわかる。

 こいつの一言で戦いが始まるのだ。傍観者ではいられない状況。心が読める奴でも、この状況は読めなかったようだ。

 さて、どうする?

 どうなる?

 俺は後手でしか動けない。先手で竜を殺したら言い訳ができない。残りの人生は竜を殺し続けるだけで終わるだろう。そいつはごめんだ。何としても、あの神だけは殺す。それが俺の人生で成すことなのだ。

「………………」

 沈黙で固まった後、目隠し女は震えながら言った。

「オズリック様は、体調を崩しました。今は宿で体を休めています。明日、再会の場を設けますので一度ご帰還を」

 意外にも嘘。

 人死にの原因になりたくないのか、思った以上に聖女なのか、わからないが慣れてない見え見えの嘘である。

「そうか」

 竜は静かに空を見て、拳を振り下ろした。

 砕かれた石畳の粉塵が巻き起こる。【黄昏の聖女】は、巨大な拳に潰された。

「次は貴様だ。文折、答えよ。我が子はどこにいる! 無事なのか!」

「無事じゃねぇよ」

 声を上げて、俺は竜に近付く。

 屋上をゆっくり歩きながら、建物の境目を跳ぶ。

 ハティが逃げてくれることを願う。最悪、巻き込む。

「誰だ? いや、貴様がそうか。その火を食む暗い力。【竜殺し】だな!」

「ご名答」

 顔を見るだけで【竜殺し】とバレた。今後、竜から隠れるには難儀しそうだ。

「まさか、貴様が我が子を!」

「あ~」

 どうするか迷う。

 決めていたはずのなのに迷う。

 10年同じ所にいたせいで変化が怖い。だがまあ、やる。

 やるしかない。

「俺が殺した。この【竜殺し】様に喧嘩を売って来たから買ってやった。軽く小突いただけで死にやがったぞ。余程、箱入りで育てられたのだろう。ガラスのように脆い半竜だった」

 スッと空気が張り詰める。

 竜に言葉はない。これから絶殺する相手に言葉は不要。

 ピッチフォークを肩に担う。

 長柄の得物は得意じゃないが、黒鱗公は槍で倒した。今回も似たようなものだ。そうでないなら俺が死んで、街も燃えるか。

 これが英雄の責任だ。他人の都合背負って戦うのは慣れない。

 竜が口を開いた。

 猛烈な火の息吹が放たれる。

 視界は赤く染まり、人体を一瞬で炭にするであろう火を――――――俺は一瞬で晴らした。

 片手で回すピッチフォークが風を裂く。

「ただの農具と侮るなかれ、こいつは【小勇者シュペルティンク】の得物。まごうことなき英雄の得物だ」

 ピッチフォークが緑炎に包まれる。

「こんなもので竜が殺せるとでも?」

「試してみるか? 赤鱗公」

 火が効かないというのに、赤鱗公は慌てることもなく冷静に体勢を変えた。こりゃ黒鱗公よりも実戦経験があるな。

 手強い。

「愚かな【竜殺し】。如何に禍々しい力とはいえ、所詮は人の身で繰る力。空の主たる竜に敵うと思うなよ」

 再び吹く強烈な風。ただ竜が飛んだだけで、街が揺れ動く。

 青空が曇る。

 空を飛ぶ竜は、赤黒い雷雲を作り出した。

 急激な気圧の変化に耳が痛む。冷たい風が吹く。周囲の空気が乾き、腕の産毛が逆立つ。

 空が雲が、激しく光り出した。

 気象を操る。

 まさしく、人知を超えた存在だ。神の御業に近い。これが竜、生物の形をした災害と言っていい。

 だがさて、この程度に勝てぬなら、【竜殺し】は伝説にならない。先代が戦い殺した竜の中に、こんなのがいなかったとでも? わざわざ地を這って戦ったとでも?

「ありえねぇな」

 空が光った。

 衝撃と閃光が知覚を越えて落ちて来る。知覚を越えているはずなのに、俺には落雷が見えた。捉えられた。

 竜が繰る稲妻を、火と同じように槍の回転で受ける。

 不思議と手に粘りつく抵抗感を覚える。槍の重さも変わる。長さも形も、帯びた力の質も。

 投擲の態勢をとる。

 構えるのは、長大で光り輝く雷の槍。落雷を吸ったピッチフォークの姿。莫大なエネルギーを帯びた竜殺しの槍だ。

「空を落とせず、何が【竜殺し】か」

 竜を落とすため槍を投げ、

「フィロさん駄目!」

「なっ!」

 ハティが腰に抱き着いてきた。

 放った槍の狙いがわずかに逸れる。

 槍は光となり昇り、雷雲が消し飛ばし空を貫く。竜の片翼と共に。

 外した。

 だが、竜は落ちていく。西、草原の方に向かって。

「馬鹿! 危ないだろうが!」

 ハティに対して本気で怒ったのは初めてだ。

 下手をしたら巻き込んで殺していた。

「ですけど!? ここで赤鱗公を殺してしまったら、取り返しのつかないことになりますわ!」

「とっくに取返しはつかない! 俺は腹を括っただけだ!」

「え? 何をですの? 聞いていませんわ」

「そ、それは後で」

 バツが悪い。

 とはいえ、言っておいても同じこと。俺が全て背負って国を出ると言ったら、ハティが何をするかわかったもんじゃない。

 話を逸らす。

「大体、力を使っている時に近付いたら、お前の体にどう影響が出るか」

 ハティには尻尾と角がある。竜として目覚めかけている証だ。この【竜殺し】の力がどう影響を及ぼすか。

「そんなもの平気ですわ! 誤魔化さないでくださいまし! 一体何を考えていますの! まさか、蛇さんの悪知恵………あれ?」

 ハティの鼻から血が出た。目からも。口端からも。

「なっ!」

「なん、ですの。これ」

 吐血してハティが倒れる。

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