<第二章:不和の餐会> 【08】


【08】


 一旦家に帰り、アリスに怪我の治療を頼む。

 完治させず、ある程度は目立つように怪我を残して家を出た。

 道中、適当に買い物をしてから、また城に。

 門番は、特に何も言わず俺を通す。すれ違う城の衛兵や、メイドは俺の顔を見て少しだけ驚いていた。

 足は、薄暗い階下に向かう。

 ダンジョンのようなカビて湿っぽい空気が漂ってくる。

「開いてるか?」

「え? 開いてはいますけど。え?」

 牢の番兵は、不思議そうに俺の質問に答えた。

 前も入った牢に入り、内側から格子を締める。

 薄っぺらいベッドに横になり、カンテラを点けて買った書物に目を通し始めた。こっちの文字は読むと頭が痛くなるのだ。鎮痛剤代わりの干しブドウとナッツを口にしながら、ページを読み進める。

 本のタイトルは、【死と幻の島】。

 知り合いのエルフに【ミテラ】という神に関する書物を頼んだところ、これが出てきた。

 著者は、【忘却のスルスオーヴ】。

 冒険者の神ヴィンドオブニクルに名を連ねる1人だ。

 ページを広げると、まず注釈が書いてあった。


『この物語は、スルスオーヴが【死と幻の島】とされる場所から生き延びた奴隷の、口伝をまとめたものである』


 次のページには、注釈の注釈が記してあった。


『この物語は、スルスオーヴが【死と幻の島】とされる場所から生き延びた奴隷の、子孫に語り継がれた口伝をまとめたものである』


 次に、また注釈の注釈。

『物語中に出て来る植生から見ても、奴隷本人から伝えられたもので間違いない』

 次も注釈の注釈。

『植生に正確性はない。【死と幻の島】の物語をしっかりと読めば、理解できるはず。まさか、読まずにして注釈を記しているのか?』

 次も注釈。

『記されている島内の話を鵜呑みにしているのだろうか? 所詮は口伝。その中で正確性を調べるのならば、人以外が作り出した要素である』

『全くもって、この本を理解していない。物語中、スルスオーヴは不確かで曖昧な情報には、注釈を入れている。貴公よりも歴史的権威のある人物が記した“正確な注釈”をである。それを疑うつもりなら、写本の発行など止めてはどうか? 向いていない職種である』

『くだらない挑発で本を穢さないで頂きたい。喧嘩を売りたいのであれば、是非、当館に訪れて写本の手ほどきをしていただきたいものだ。その度胸があるのならばな』

 注釈で喧嘩していた。

 よく見ると、注釈の氏名が微妙に変化している。どうやら、世代交代しても尚、子孫が注釈で喧嘩しているようであった。

 破りたくなるような無駄なページを流し読みして、本編を読み始める。

 ある奴隷が、恐ろしい島から逃げ出した物語。

 奴隷の名は――――――フィロ。

 身体的な特徴は、赤毛で小柄の女性と記されている。

 偶然にしては出来過ぎていた。震える指で、本を読み進める。

 フィロは、戦災孤児だった。

 炎教に拾われるも、神殿が諸王の配下に襲われ奴隷の身に落ちる。だが、彼女は奴隷としては十分ではなかった。

 片足が不自由だったのだ。

 この時点で、普通なら家畜の餌か海の藻屑である。

 幸か不幸か、フィロは神への供物に選ばれた。馬鹿な奴隷飼いの誰かが、高貴な司祭の親族と勘違いしたのだ。

 着飾られたフィロは、ある島に送られた。

 そこは、【死と幻の島】と呼ばれていた。

 楽園。

 不釣り合いな言葉が急に出てきた。

 落丁を疑うほど急にだ。

 フィロの話によると、送られたその島は楽園のような場所だった。

 季節は暖かな春であり、草花は咲き誇り、父と母、弟もそこにはいた。楽園の中心には白い塔があった。それはとても巨大で、天から降りてきた刃のようだった。

「………?」

 ここレムリアにも白い塔がある。

 々の尖塔。

 遠い昔に神々が放棄した塔だ。

 白い塔というだけの類似点。なのに、妙な引っ掛かりを覚えた。

 ページを進めると、著者スルスオーヴの注釈にも々の尖塔との類似点が書かれている。

 冒険者が出入りに利用している塔の大穴。

 塔上部が下部より太いという独特な形。

 塔の外壁から採れる翔光石と似た熱と光を発する石。

 だが、塔の内部は々の尖塔とは大きく違う。

 闇の中に星が瞬いていたそうだ。

 意味がよくわからない。

 塔の内部を見たフィロは、ただ夜空があったと答えている。

 塔については、それ以上語られていない。

 続いて書かれていたのは、フィロの慎ましい生活。

 街の中でフィロは、家族たちと穏やかに暮らし、仕事とはいえない緩やかな作業で日々を過ごしていた。

 事細かくフィロの生活が書かれており、同時に物凄い違和感を覚える。

 家族に対する描写が曖昧で、何を話したのか、何を食べたのか、何を着ているのか、普段何をしているのかが、何もわからない。

 家族はいるとフィロは何度も言っているのだが、スルスオーヴが踏み込んで聞く度に家族の存在が曖昧になる。

 まるで、亡霊と過ごしているかのよう。

 そもそも、フィロの家族が島にいることがおかしい。彼女は戦災孤児であり、家族は誰も生きていない。

 だが、それに気づくまでには長い時間が必要だった。

 結婚して子供が2人産まれるまで、フィロは家族の違和感に気付けなかった。

「フィロさん。またこんなとこに」

「?」

 何故か、ハティがフィロの名を呼ぶ。

 ああ、そうか。

俺を呼んだのだ。

 ハティの隣には、例の目隠し聖女がいた。身構えるのも余裕がないように見えるので、自然体で見過ごす。

 牢に入って来たハティは、ベッドに腰かけた。

「何を読んでいますの?」

「暇潰しに適当に買った本だ」

 本のタイトルをハティに見せた。

 特にリアクションはなく、彼女は俺の顔を触る。

「酷い怪我ですわ。それで………………」

「あいつなら少し欠けたが、殺しちゃいねぇよ。他の冒険者に邪魔された。今頃、治療寺院辺りで治療を受けてるだろ」

 ハティは目隠しの方を見る。

「嘘ではないようだね」

 余裕のある声で腹が立つ。

「俺が、嘘を言う意味はないだろ」

「では、何故に牢に?」

「ゴミみたいな奴とはいえ、来賓相手に失礼かましたからだ。どうせ収監されるわけだし、王女様に長々と文句言われる前に入ってやった」

「英雄の扱いとは思えないけど」

「この国じゃこれが普通だ」

 俺限定だが。

「ニルス。さっさと要件を言って」

 ハティに急かされ、目隠し女は言う。

「実はおれ、我らが長である【黄金竜ソリン】から密命を預かっている」

「密命?」

「“新しい【竜殺し】と同盟を組め”とのこと」

「はぁ?」

 あんだけ人を挑発して、舐めてんのか?

「オズリック・リューベルの態度は謝ろう。崇秘院も一枚岩ではないのだ。簡単に勢力を別けるのなら、【竜殺し】を殺したい派と、共存したい派だ。若い竜とその血縁が殺害、長を含めた古い竜たちは共存という感じ。不思議なことに、過去【竜殺し】と戦ったことのある竜ほど共存を選び、見たことすらない者が殺害を望んでいる」

「簡単なことだろ。人間を侮っているだけだ」

 想像力のない馬鹿ってこと。

「それは人間の感情。竜は違うよ」

「一緒だろ、何を言ってんだ」

 黒鱗公が良い例だ。

 怯え恐れ、盗み奪い、浅ましさの裏目で堕ちた。これを人間と言わずなんというのか。

「わかってないね。竜は人と違う。人間が別の生き物と人に重ねるのは、歪んだ同族意識だ。それ以上でも以下でもない」

「はぁ? お前何を――――――」

 ハティの手が俺の太ももに触れる。

 無駄だから止めておけ、という目をしていた。

 止めておこう。

 今日の餐会で痛感した。俺は、人とつらつら語るのは死ぬほど向いていない。ああいう席には二度と行かん。牢にいた方がマシ。

「して、【竜殺し】殿。どうされますか? 我が長との同盟は?」

「決まってるだろ」

 と、バタバタ複数人が階段を降りてくる。

 衛兵だった。

「フィロ・ライガン。崇秘院護衛騎士オズリック・リューベルの殺害容疑で貴殿を捕縛………なんでもう牢に入っているのだ?」

「用意がいいだろ」

 ちょっと目論見とは違ったが。

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