<第二章:不和の餐会> 【07】


【07】


 落下する最中、騎士に向かって右の拳を振り下ろす。

 加護の漏れ出した拳が、鎧を砕き胸にめり込む。だが、致命傷には遠い。

 血を吐きながら、騎士が俺の腕を掴む。

「剣のない貴様など!」

 翼が羽ばたく。

 強風と歪む景色。その端っこに人影を見た。

 城の物見塔の先端に立つ、禿頭の巨漢。

 自分の剣をニヤケ笑いで叩いている。

 また空の旅をする前に、

「貸してやる」

 受け取った短剣を、騎士のベルトに差し込む。

「なっ!?」

 ガクンと翼が折れ曲がるほどの加重。そして、落下。

「きっ、貴様も死ぬぞ!」

「お前が死ね!」

 取っ組み合いながら落ちる。

 このまま地面に叩き付けてやる。俺の命はその後だ。

 上昇よりも強い風圧と加速。街の大通りが急速に近付く。

「ヴァッ」

「は?」

 突然現れた巨大な毛玉に弾き飛ばされる。落下先は、通りの石畳から家屋に。俺たちは屋根を突き破り、床板を突き抜け、着地したテーブルを潰して転がる。

 全身がバラバラになるような衝撃。俺は痛みで悶絶するも、騎士が同じように苦しんでいて少し痛みが和らぐ。

 奮い立たせて体を動かす。

 奇しくもここは街で一番の酒場。

【猛牛と銀の狐亭】は、昼から少し過ぎた時間にも関わらず、酒盛りで騒ぐ冒険者で賑わっていた。

 そいつらは、一斉に酒を止めて、俺と騎士を凝視する。

 異色異様を慣れ親しんだ冒険者でも、天上を突き破って現れた人間は珍しいようだ。

「なんだぁ!?」

 モヒカンの大男、酒場のマスターが現れた。

 騎士が立ち上がる。

 プルプルと膝を震わせているが、後一息で剣を抜いて戦えるだろう。俺も同じくらいだ。

 で、問題が幾つか。

 幅広の短剣は、落下した衝撃で騎士の体から離れ、俺の手元にあった。偶然にしては出来過ぎだ。これは、何かしらの意思や機能があるのだろう。

 振るえば、確実に騎士はやれる。

 が、

「おいおい! 誰だよ!」

「なんだよ!」

「あ! こいつ【竜殺し】だぞ!」

「マジかよ! 握手して欲しい!」

「なんだこの騎士野郎。なんで英雄と落ちてきたんだ?」

「英雄が落ちて来るのは良いのかよ」

「そんなもんフツーだろ?」

 人が多すぎる。

 俺が剣を振るったら、何人巻き込まれるかわかったもんじゃない。下手したら酒場の人間全員を殺してしまう。

「お、怖じ気づいたな!」

 回復した騎士が剣を抜――――――く前に、巨大な斧が俺と騎士の間に落とされた。

 大得物を手にしたのは、マスターだった。こんな時のために、戦斧は店に飾られている。いや、飾りではないか。

「英雄の顔に免じて、屋根と二階の床とテーブルの修理費は勉強してやる。怪我人もいないしな。だが、オレの店で刃物は許さん! 事情は知らんが、喧嘩なら素手でやれ!」

『やーれ! やーれ!』

 マスターの言葉の後、ギャラリーの冒険者カスが大騒ぎした。

 酒の肴といったら喧嘩が常。とはいえ今は………………ある意味助かったか。

 短剣を鎧の背に隠す。

 素手は得意じゃないが、【竜殺し】の名は伊達にできない。この程度も倒せなくては、【剛腕のグラッドヴェイン】に笑われる。

「お前なんぞ、素手で十分だ。かかってこい」

「ッ! 言ったな!」

 簡単な挑発に乗って、騎士が殴りかかって来た。

 拳を潜り、俺はカウンターで騎士のアゴを狙う。アッパーカットは――――――思いっ切り空を切った。

 騎士の拳が俺の腹に刺さる。

 油断した。

 思ったよりも相手の素手ができる。

 続いて顔面に2発貰い。俺はたまらず騎士の片足に抱き着いた。

 偶然にも、床に倒してマウントが取れた。

 拳を何度も落とす。騎士もやり返しで拳を突き出す。不利な体勢なのに、向こうのパンチの方が鋭いし、重いし、当たる。

 我慢比べのような殴り合いが始まる。

 歓声が上がる。

 俺たちを囲んで輪になった冒険者たちが、賭け事に興じていた。

「【竜殺し】に賭けるぞ!」

「オレもオレも!」

「誰か騎士にも賭けろ!」

「やれー! やれー!」

「そこだ目だ! 目を狙え!」

「腹だ! タマだ!」

「面倒くせぇ! 全部潰しちまえ!」

「ヴァァ!」

 小さくなった毛玉まで混じって騒いでいた。

 やってるこっちは、たまったもんじゃない。

 ハティより力は薄いが、こいつも竜だ。

 人間より生物としての性能が遥かに上。まともに殴り合っては分が悪すぎる。再生点はもうすぐ尽きるし、何よりも痛いし疲れる、パスタとラーメンを吐きそう。

 精神と肉体がぐらつく。俺の消耗を、騎士は見逃さなかった。

 折れた翼を羽ばたき、俺と体勢を交代する。

 マウントをとった騎士が、乱打を落としてきた。

 ガードをするも、何発か良いのをくらって意識がぼやける。

「反撃しろよー!」

「情けねぇ英雄だな!」

「やり返せー!」

「やっちまえー!」

 反撃する暇がない。ガード越しでもダメージが入る。あと、ギャラリーがクソうるさい。こいつらを巻き込んで反撃してやろうか?

「雑魚が、雑魚が、雑魚がッ!」

 ガードの隙間から、拳を振り下ろす騎士の顔が見えた。

 優勢とは思えない必死な形相だ。冷や汗で前髪が額に張り付いている。息も乱している。

 スタミナ切れ? にしては拳はキレている。

 単純に痛み? どこか怪我をしたのか? 竜があの程度の落下で?

「あ」

 あるじゃないか、無様に垂れ下がってるものが。

 ガードを解いて拳を顔面で受けた。

 意識が半分持って行かれる。左の視界が赤く染まる。自分の肉と骨の壊れる音を聞いた。体の力を抜く。

 ギャラリーから、落胆の混ざった声が上がった。

 手痛いが、騎士を油断させた。

 垂れ下がった片翼を掴む。

「ぎッ!」

 ただ掴んだだけで、騎士は痛みで体を硬直させた。

 笑えるほどの隙。

 渾身の拳を騎士のアゴに叩きこむ。

 骨を砕いて脳を揺らした手応え。

 騎士の意識を奪った後、ノロノロと立ち上がって、翼を掴んで背負い投げをした。酒場の床に何度も叩き付け、背に足をかけて、

「おい! フィロ! お前の勝ちだ! 喧嘩だろうが!」

「そうだな」

 マスターに止められるも、騎士の片翼をもいだ。

 骨が刺さったボロ布みたいな翼を放り捨てる。出血は大したことはない。

「なっ、お前ら止めるのを手伝え! 殺しちまう!」

 残りの翼をもごうとするも、マスターを含め冒険者の多数に妨害される。どさくさに紛れて殴られたので、殴り返したら乱闘が始まった。

 よくある喧嘩の締めの光景だ。



 騎士は片翼を失ったが、一命はとりとめた。

 後日、無駄な救済だったと知ることになる。

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