<第一章:英雄の日々> 【03】


【03】


「ウー! ウウッー!」

 女のくぐもった声が聞こえる。頭が重く、体はそれ以上に重い。首から下が全く動かない。

 頬に冷たい湿気を感じた。

 どこかの牢だろう。手首に枷が付いている。だが、装備はそのままだ。腰に剣の重さを感じる。

 重い瞼を開けると、衝撃的な光景が見えた。

 ハティが、尻を突き出す体勢で拘束されている。

 彼女の裸体には革のベルトが幾重にも巻き付き、天上にある鎖に掛けられ吊るされていた。その背後にいるのはホロミだ。

 6本の腕で、ハティの全身をまさぐっている。

 乳房に首筋、角、髪、口、舌、喉、目、腹、下腹、手指、足、爪先から尻尾、尻、そして奥に指が侵入した。

「ウー! ウッー!」

 ハティの口には、金属製の口枷がはめられている。声を上げようにも、出るのは涎と濁った声だけ。

 まるで家畜のような扱い。

「殺すぞ」

 何とか動いた口で、殺意を漏らす。

 俺を見ず、ホロミは手を動かしながら喋り出す。

「ああ、もう起きたのか~い。お注射したから麻痺して動かないだろう~? うんうん、ホロミさんもやってしまったと思ってはいるのだよ。でもね、でもねと、こんな貴重な標本を前に、知的好奇心を抑えられるわけがない! これは“原初の竜”といっていい状態。多くが人の部分と変わりないが、決定的に違う部分があるはず! 人と竜のミッシングリンク。あるいは、感染源。それを解き明かせば、再び人の手で竜を量産することも夢ではない! 叡智だ。まぎれもなく叡智! 触れることができる叡智なのだよ!?」

 ホロミは、細い金属の棒をハティの2つ穴に突っ込む。

「ンウ゛ー! ウウ゛っっー!」

 ぐちゃぐちゃと中を掻き回され、ハティは大きな悲鳴を上げた。

 水っぽい音が混じり、体液が流れる。

 口に血の味が広がる。

「ふーむ、ふ~む? 生殖器と直腸は人間と同じだ~。総排泄腔がない~? 竜の繁殖方法は一番の謎だというのに、これでは生まれてくるのは人間と変わらな~い。となると、やはり――――――」

 ホロミは、ローブから様々な器具を取り出す。

 ペンチに骨切りハサミ、ナイフにノコギリ、手回しのドリルもある。

 拷問器具。解体器具といっていい。

「しかし~解剖は解剖は~最後~標本が貴重すぎるうううううううう! あ、そうだ。2つある物の1つで我慢するのだ」

 ペンチがハティの角を掴む。

 ビシャッと大量の血が床を濡らした。

「へ?」

 ホロミは、血を吐いた俺を見る。

 枷を引きちぎって、口中に残った血を吐き出す。噛みちぎった舌が再生点で修復された。

「あ、なるほど~。舌を何度も噛み切って、その出血と共に毒を排出したと。いやいや、そんなもん程度が知れるでしょ。普通動けないよ~」

「動いているだろうが!」

 一瞬で踏み込み、ホロミのアゴにアッパーカットを叩き込む。天井を突き破り、奴の姿は消えた。

 首を飛ばすつもりで殴ったのに逃した。まだ麻痺が残っている。

 ハティを降ろし、拘束を千切る。

 彼女は急いで口枷を外すと叫んだ。

「あいつ! ぶっ殺してください!」

「了解だッ」

 空いた穴に向かって跳び、上に階に移動。食堂近くの廊下に出た。

 血痕に続き、一呼吸で追い付く。

 ホロミは玄関付近でうずくまっていた。

「く、くふふっ! い、痛い! かな~り痛い! これただの打撃じゃないねぇ~! 神の力を感じるよ~ぅ。いやそれとも呪い? ああそっか、最初の【竜殺し】。空席になったあの女の力が、君に流れているんだね!」

 ホロミの顔面が、仮面のように落ちた。身に着けた貴金属も、ボロボロと床に転がる。6本の腕が剥け、脚も剥け、8本のキチン質の“脚”をさらけ出す。

「やっぱりモンスターじゃねぇか」

 その姿は、巨大な蜘蛛だ。

 胴体の一部に人間の――――――女性の乳房が残っており、それがまた嫌悪感を引き出す。

「失礼だなぁ~。ぼかぁ人類に進化したんだよ~人だよ人。君と同じ上級冒険者さぁ~」

 蜘蛛は、笑いながら足踏みをする。

 屋敷が揺れた。膂力は人域ではないだろう。もちろん、スピードも。

「【邪手ホロミ】。お前は、【竜殺し】の尾を踏んだ」

 俺は、剣に手をかける。

 引き抜くのは【宝剣ガデッド】。名のある剣、名のある者が使っていた剣。これならば、耐えられるはず。

 担ぐ剣に力が灯る。

 朧の如き淡く幽かな緑色の炎。呪われた炎が解き放たれる。

「ハッハッハッハ! 面白いッッ! 君の研究も後でしようと思っていた! 生ける【竜殺し】は“原初の竜”と同価値といえる! でも、生きたまま研究するのは無理そ――――――」

 振り下ろした剣は、空を斬った。

 ただの素振り。

 間合いの外。

 だが、手応えはあった。

 みじりと音を立てて蜘蛛がひしゃげる。

「――――――は、べ?」

 途方もない大きさが降り注ぐ。不可視で、圧倒的で、逃れようのない力の奔流。

 蜘蛛の体は、跡形もなく押し潰された。

 同時に、屋敷の天井と床に大穴が開く。

「一撃だ。クソが」

 最初に竜を殺した人間。

 名を、【剛腕のグラッドヴェイン】という。

 伝説によれば、彼女は手にした武器を犠牲に狂った竜を殺した。

 後に神と崇められた彼女には、数多の眷属が集う。その誰しもが、ある呪いを受けていた。


“グラッドヴェインの加護を持って剣を振るえば、至高の一撃の後、刃は粉々に砕ける”


 これが、最初の【竜殺し】の代償。犠牲の呪いだ。

 奇しくも、俺も似た運命を歩んだ。

 竜殺しを成した武器を、戦いの後に破壊したのだ。

 それが原因なのか、狂ったとされる竜が原因なのか、詳しいことはわからない。真実は、神のみぞ知る。

 事実はこう。

 朧火が強くなる。呪いに焼かれ、剣の刃はボロボロと灰になり、刃片1つ残さず塵になった。

 これが、俺の呪い。

 剣を振るえば無双といえるが、振るった剣は塵になる。しかも“名をある剣しか振るえない”。そこらで売ってるロングソードなど、手にしただけで灰にしてしまう。

 おかげで、素振りすらまともにできない。剣士としては致命的だ。

 開いた穴に飛び込み、家の地下に。

 俺は、死体を確認しないほど馬鹿ではない。倒したモンスターが実は生きてました、なんてホラーのお約束はなしだ。

「………………死んでるな」

 ミンチだ。

 甲殻は潰れ、中身も全部出ている。わずかに原形を留めた足の先がピクピク動いているが、どうやっても動けそうはない。動ける部分がない。

「さて」

 上級冒険者をいきなり殺してしまった。

 襲ってきた向こうが悪いのは明白。しかも、人の女を辱めたのだ。万死に値する。1回しか殺せないのが残念でならない。

「フィロさ~ん!」

 上からハティの声が聞こえた。

「おーう! ここだー!」

「倒しましたの!?」

 半裸のハティが下を覗く。

「やったやった。余裕だ」

「勢いで言ってしまいましたけど、生かして財産搾り取れるだけ搾った方が、良かったですわね」

「死んだら財産なんていらないだろ。俺らが貰う」

「それは一理ありますけど、ランシールがなんて言うかしら?」

「そもそも、あいつが行けって言ったわけだし、文句は言わせん。いや、俺らが文句を言う」

「ですわね!」

 返答次第では、城を叩き斬ってやる。

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