<第二章:降竜祭> 【09】


【09】


「【獣の王】だと?」

 女の言葉に、鉄鱗公が眉をひそめた。

「あらあら、知らないで連れてきたの? エリュシオンが滅んでから10年と少し。早くも新たな【獣の王】が現れるなんて、世はこともなく争いを求めるものなのね。ああっ、地底まで嘆きが響いてこないかしらぁ」

 女は、鎖で繋がれた手足を艶めかしく動かす。

 獣の王。

 あの猫畜生に言われたことだ。

 確か、時代の節目に現れる、支配者を殺す存在? だっけ。

「ご本人は、察するところがあるみたいねぇ。どう? 新しい【獣の王】。このラザリッサを解放して、乗りこなしてみない? 病める時も殺める時も、あなたに従い尽くし、一緒に世界を焼き尽くしましょう」

「断る」

 こんな見え見えの怪しい誘いに乗る馬鹿はいない。少し前の何もない俺なら、もしかしたら、かもしれないが。

「あらぁ、残念。そういえばあなた、他の【獣の王】と違う匂いがするわぁ。まるで、1人じゃないような」

「世迷い事に惑わされないように」

 ハティに軽く小突かれた。

 別に、女の体を見ていたわけじゃないんだが。

「邪竜ラザリッサ」

 鉄鱗公が、剣を女に向ける。

「父上の命により、貴様を封印する。その無駄口を二度と聞けないよう永遠に」

「永遠など無いわよぉ。竜とて、いつかは必ず地を這う虫のような最後を迎えるの。ラザリッサはその時まで生きるでしょうけど、あなたたちはどうかしら?」

「竜は不滅の存在。例外は、貴様だけだ。忌々しい“混ざりもの”の邪竜め」

「【黒鱗公】とは呼ばないのねぇ。お姉さん寂しい」

「黙れ。竜の面汚し」

 吐き捨てるように鉄鱗公が言った。

 女は楽しむように人を食ったような顔で喋る。

「竜なんて、面以外も汚れ切っているわよぉ。空から糞尿を垂れ流す害獣、それが竜よ。怯えた人間が神聖視したからって、勘違いはよくないわ。“お嬢ちゃん”………あれ?」

 女は、好奇心で目を輝かせながら首を傾げる。

 折れそうな角度だ。まるで、蛇のよう。

「あれれ~? あなたから血の匂いがするわぁ。それと合わせて恐怖も見え隠れ。あ~なるほどねぇ、お嬢ちゃん。あなたの怯えや恐れ、苛立ちは、ここにいない誰かに向けられている。いえ、いないと思われていた“誰か”に。いいわぁ、いいわぁ、あなた一体誰に――――――」

 鉄鱗公は女に飛びかかり、馬乗りになって胸に剣を突き落とした。呪文のような、小さい呟きが聞こえる。

 女は、口が裂けるような顔で笑う。

「そう、頑張りなさいね」

 女から黒い霧が噴き上がる。

 盆が傾いた。

 岸を見ると、打ち付けられた杭の1つが抜けている。ゴブリンたちは、次の杭を抜こうとしてい。

「ハティ逃げるぞ!」

「鉄鱗公! お急ぎを!」

 問答無用、俺はハティを担いで小舟に飛び乗る。

「急くな、小心者共」

 鉄鱗公は、黒い霧に包まれ見えなくなった。

 盆が大きく傾き、ひっくり返る。水面が跳ね上がり、波で小舟が揺れた。

 盆は湖に沈んでいく。一瞬で見えなくなった。

 考えようによっては、

「面倒なものは皆水底。世はこともなし」

「何か上手く言おうとしていませんか!?」

 愕然とするハティ。

 俺としては、とても気が晴れて良い気分。

「ちっ」

 だったが、上を見て気分が悪くなる。

「きゃっ」

 ハティを抱き寄せ、小舟の隅に寄った。

 反対側に鉄鱗公が着地。小舟が軋む。盆が沈む瞬間、飛んで避けたのだろう。竜だから飛べばいいものを。

「鉄鱗公、ご無事で!? 封印は?」

「わけもない」

 鉄鱗公は、ハティに剣を見せた。

 剣身が渦巻く黒に染まっている。

「父上から賜った【星の剣】の一振りだ。数少ない逸品であるのに、邪竜如きの封印に使うとは実に惜しいことよ」

 鉄鱗公は、剣を背に収める。

 封印とやらは上手くいったもよう。つつがなく特に問題もなし。良いことなんだろうが、なんか残念な気持ちもある。

 俺は船を漕ぐ。

 湖の水面は小刻みに揺れていた。生き物のようにも思える動き。不気味だ。さっさとここから出ていきたい。

「おい、貴様。何故、【獣の王】と言われた? 剣と関係があるのか?」

「知らん。ただの勘違いだろ」

 鉄鱗公が絡んできた。

 こいつ、【獣の王】という言葉に妙な反応をしていたな。そもそも、俺の他にもいるのか? 今も?

「ふん、そうだな。所詮は、“混ざりもの”。まともな頭など持ち合わせてはおらん」

「鉄鱗公。邪竜ラザリッサとは、あの【黒鱗公】なのですか?」

「そうだ。朽鱗公、青鱗公と並ぶ竜の汚点。否、並ぶ者のいない最悪と言っていい。なんせ、神を喰らおうとして、逆に利用された“度し難い”愚か者である。その結果がこれだ」

 鉄鱗公は、忌々しく剣を叩く。

「何が不滅か。何が不死か。泥や塵をそう呼ぶのと同じである。偉大な竜の子が、欲に溺れ欺かれ、それではまるで、人ではないか」

 船は岸に着いた。

「ご無事のようで、安心しましたわ」

 ランシール王女が、わざとらしく会釈をした。

『面倒ごとが全部沈んでくれれば』って思惑が透けて見え過ぎている。

 こりゃ、鉄鱗公がうるさいぞ。

 もしかして斬るか?

「王女、降竜祭の本番は明日だ。俺様が、手ずから計ってやる。冒険者共にも伝えておけ」

 意外とそうでもなかった。

 鉄鱗公は歩き出す。

「城に帰るぞ、ハティ。服がかび臭くなった。風呂を用意せよ、その後は寝所だ」

「はい、鉄鱗公」

 ハティは、俺に目配りをして後に続く。

 俺も続くべきか、でも鉄鱗公と同じ空気は吸いたくない。些細なきっかけで斬り殺し合いになりそうだ。初見から印象は悪かったが、今は研ぎたての刃のようにギラギラしている。刺激したくはない。

 明日、手ずから来るのだから、その時にやればいい。

 じゃ、どうしたものか?

「フィロちゃん、あんたはこっち」

 ランシールに肩を掴まれる。

「あ?」

(出口は別にあるのよ。いいから来なさい)

 小声のランシールに引っ張られ、ハティたちと反対方向に進む。

 ソーヤは、ゴブリンたちと何やら話していた。

 少し進むと、岩の影にポータルがあった。

 環境のせいか擦り減り、ヒビもあり、発光するカビは生えているが、ダンジョンにあるものと同じ。手をかざすと、階層の表示もされる。

 機能も同じだ。

 光を潜れば、すぐダンジョンの1階層に戻れる。

 ソーヤが合流した。

「ソーヤさん、ゴブリンはなんて?」

「新しい盆を用意しておくとさ。僕も同じ感想だ」

「封印は上手く行っていないの?」

「上手く行きすぎている。ああいうものに関わってる人間は、どうにもこうにも用心深くなるもんだ。不安解消の術として、次の策を用意しておく。………だけですめば良いが、鉄鱗公はずっときな臭い。で、フィロ。何か心当たりは?」

 そういうことか。

「ハティに聞いたらどうだ?」

 俺に聞くより絶対マシだ。

「鉄鱗公に付きっ切りだ。聞く隙がない。あれじゃまるで、母親だな」

「変なことを言うな」

 気分が悪い。

「冗談だ。彼女の人柄は信用している。ただ、聖女は竜に仕えているからな。おいそれと、下手なことは言えんさ」

「………【獣の王】という言葉に反応していた」

「は?」

 ソーヤが、見たことのない顔を浮かべた。

 怒りを飛び越した殺意と言うべきか。共存できない害獣に向けるような感情だ。

「あんた知っているのか? 【獣の王】とやらを」

「ガキだ。世界を滅茶苦茶にできる力を持ったガキ。エリュシオン崩壊の切っ掛けとなった反乱軍の頭目………だった。実際はお飾りで、本当の頭目は【赤髪の将軍シュナ】だ。ほら、【竜甲斬りシュナ】として有名な冒険者」

 吟遊詩人の歌で聞いた名前だ。

「あのクソ野郎。今は消息不明だが、噂だけは方々で聞く」

「へぇ」

 それは個人の話だ。

 猫が言ったのとニュアンスが違う。

 となると、鉄鱗公はソーヤの言う【獣の王】と何かあったのか? わからんが、俺がそう呼ばれたことは隠しておこう。言ってろくなことはない。

「まさか、鉄鱗公の奴【獣の王】の娘………は流石にないか。ないよな? 母親が誰だって話になる」

「“世界を滅茶苦茶にできる力を持ったガキ”という共通点はある」

 血縁という線は、あると思う。

 いや、竜がどういう風に子作りするのか知らんけど。あの人間の状態で生殖できんのか?

「嫌な共通点だが、完全に否定はできんな。やれやれ面倒な。ランシール、どうする?」

 ソーヤは、ランシールに意見を求めた。

「ソーヤさん、フィロの人物評だけど。今聞いていいかしら?」

「今か? 本人の前で?」

「ええ」

 いきなりだな。

「そうだな。“クソ真面目な奴だ”」

『………………』

 俺とランシールは沈黙する。

 俺もランシールも同意できない。

「10年の冒険者活動で目立った違反がない。1件だけ暴力沙汰を起こしているが、そりゃ依頼者が不実な対応をしたからだ。冒険者組合は、記録にも残していない」

 あったなぁ、そんなこと。

 銀貨5枚の報酬を、難癖付けて銅貨5枚まで下げてきたクソ商人がいた。俺は腕の骨一本で我慢してやったが、他の冒険者なら殺していただろう。

「新米冒険者の講習も積極的に行っていた。評判も良いぞ。目立ちにくいが、貢献度は高いと言える。で、最近の悪評についてだな」

 ソーヤは、俺を睨む。

 俺というより、俺を見て別の誰かを睨んでいる。

「階層の番人を1人で倒した辺りで何かが変わった。強さもさることながら、悪い方向での思い切りのよさ。海運商の商会長への堂々とした暗殺。その次は、ライガンだ。古臭い名声の奪い方だな。今の冒険者はまずやらない。僕ら世代でもまだ古い。まるで、爺世代の冒険者のやり方だ。ランシールは、そこが気に食わないのだろ?」

「ええとても、まるであの人の………いえ何でもないわ」

「さて、僕の考えはこうだ。フィロ、お前さんの背後に誰かいるな?」

「いないが?」

 とぼけた。

 てか、あのロリ巨乳エルフは話してないのか? 蛇は、あいつが原因だろ?

「簡単に言うわけないか。まあ、それはいい。こいつ個人は十分信用できる。背後の誰かも、こいつが人として成長すれば、それこそ英雄と謳われる人間になれば、無茶な要求は自然と突っぱねるさ」

 利用できる、とも聞こえる。

「あなたがそう言うなら信じますけど、正直気に入らないわ」

 ランシールがジト目で俺を見てきた。

 俺も同じ目で返す。

「ほら! ほらこういうとこよ! あんた態度を改めなさいな! ワタシ王ぞ?」

「けっ」

 うるせぇ女。

「まあまあ、権威が嫌いなだけだろ。僕にもそんな時はあった。気持ちはわかる」

 ソーヤは俺たちをなだめた。

「だからランシール、任せていいと思う」

「不安ねぇ」

「俺は帰るぞ」

 疲れた。腹減った。眠い。

「待ちなさい。………命じるわ。王として命じる。鉄鱗公を殺しなさい」

「そのつもりだ」

 実際、殺せるかどうかはさておき。

 竜を相手に手加減して戦えるわけがない。

「降竜祭の時に殺れるなら良いわ。そこで駄目でも、後で必ず殺しなさい。成功した暁には『竜殺しの英雄』として、国中で讃えてあげる。英雄の中の英雄としてね」

 その言葉が来たか。

「………まあ、やるだけやってみるが」

 渡りに船の命令。

 しかし、

「良いのか? 事故じゃなくて暗殺しろってことだろ? 竜と戦争でもするのか?」

「竜は所詮、竜。気まぐれな個人の強者に過ぎない。向こうは人を庇護下に置いているつもりでも、1匹の気まぐれでどうとでもなる。だからこそ、人は人の力は見せなければならない。その結果、この大陸に終わらない冬が訪れてもね」

「おいおい」

「大丈夫なのよ。この国にはダンジョンがあるわ。そこから無尽蔵に採れる翔光石がある。どれだけ厳しい冬が来ようとも、人も農作物も家畜も温めることができる。翔光石が作用する、この国の周辺ならね」

 まさか、それで大陸中から人材を集めようってか?

 とんでもないこと考えるな。為政者は竜よりも酷い災害だ。

「1個だけ約束しろ」

「何?」

「ハティだ。俺が竜を殺したら、彼女は聖女を続けられないだろ。なんせ、護衛として雇った男が竜を殺すわけだし」

「確かにそうね」

「だから、彼女を王族として迎え入れてくれ。ランシール王女の妹として」

『………………』

 ランシールとソーヤは、無言で見つめ合う。

「ソーヤさん、やっぱりこいつ信用できないわ」

「すまん、見誤ったかもしれん」

 なんでだよ。

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